50数年前の別れの3月を思う

3月に入ってから雪降りのない日々となり、雪寄せなしの朝が続いていて助かります。

明日は中学校の卒業式。今は中卒でふるさとを離れる方々はほとんどいないでしょうが、昔は、クラスの半数以上が中学卒業とともに首都圏などに就職しました。この3月は、長い間過ごした学校や友達との別れとともに、家とふるさとからの別れの時でもあり、なんとも悲しく、さびしい春でもありました。先だって、高卒されたばかりで県外へ就職されるみなさん、そのご家族の方々はそういう時を今過ごされているのでしょうか。

ふるさとに残った私などは、卒業と同時にソリによる薪引き作業などにつきましたが、たまたまその作業を道ばたでしている時に(おそらく、ソリに積んできた薪を下ろしていた時だったのでしょう)、椿川校舎の同期の方々が列をつくって、雪の一本道を歩いてゆく姿を見たのが記憶のひだに濃く刻まれています。

それはきっと、椿川で就職する方が上京する日で、同級生のみなさんがバスの出る岩井川バス停までか、あるいはバスにいっしょに乗り十文字駅まで行かれたのか、いずれ送りのために歩いていた列だったのだろうと思われます。

あれから50数年を経た春。道も集落も激変していますが、肥え穴こそないものの厚い雪に覆われたたんぼ、杉林の範囲がずいぶん増えたものの雪崩がひん発する集落近くの山々、真白き奥羽の峰(写真は東山と柏峠など仙北街道の尾根)は、みんな当時とほとんど同じです。そして、別れのかなしさ、つらさも。