貯蔵モノ山の幸たちの本格出番

季節はまもなく大寒。豪雪のむらの1月半ばから2月は暦どおりに冬の厳しさをもっとも体感するとき。そしてこの季節は、鉛色の雲と深い雪のため青空と草木の緑が一年でいちばん少ないときでもあります。

そんな季節に好んで食べられるのが、昨年春から秋までに採られ貯えられていた山菜やきのこたち。

緑がほしければ、毎朝の味噌汁には塩蔵していたワラビが用いられ、おでんなどにはサグ(エゾニュウ・シシウドの仲間)やウドが登場です。煮物などには、まるで山のアワビのような肉厚塊の塩蔵ネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)もいよいよ食卓の仲間入りです。

塩蔵でも、びん詰めでも、山菜やキノコの貯蔵モノは、野や畑からの緑や食を夏のように採ることができない厳寒の季節にぴったりの食材です。このように豪雪の村の冬だからこそ、貯蔵モノだからこそ味がひきたつ食材もあるのですね。

農地をまもり続ける尊い力

豪雪の村の寒中にしてはめずらしいほどの穏やか日和と晴天が続いた連休からの日々。積雪もだいぶ締まって厚さをグンと下げました。

除雪作業なしの日がこれだけ続けば、心も体も一息つけます。道行く先でのあいさつも「びゃっこ、しと休みでけで、ええな(少し、一休みできて、いいですね)」の言葉がよく交わされました。

わが家裏手の八卦沢で、畑とたんぼを長年作り続けてきたKさん(83歳)も、「雪ぃ、深ふて、えちども、けねで。今日が、この冬はじめでのゆぎおろしだ。(雪が深くて、一度も、来れないでいた。今日が、この冬、はじめての雪下ろしだ)」と、背丈ほどの堅く締まった積雪がある屋根に上がろうとしていました。

カンジキを履いてここまで来るだけでも大変なのに、厚く固まったこの雪を下ろすのは若者でも大変です。それをKさんはスコップだけで(雪が堅いので)すっかりと下ろし終えて帰りました。狩猟をしていた当時の先輩であり、もちろんカンジキ履きでの遠出でノウサギ狩りもともにしたKさん。元営林署作業員でもあり、山で体を鍛えられただけあって、まだまだ若者と劣らないすばらしい脚力と体力を保たれておられるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

今はお米作りは止めましたが、田んぼには野菜を作り続け、作付けしない田んぼと畑も荒らさずにしっかりと管理しているKさん。苦労して冬も作業小屋にこうして通い続け、夏場も農地や農道の草刈りなどに勤しみ、奥さんと二人で自給野菜作りに励んでおられます。

夏と冬、こういう作業姿を目にしますと、「先祖伝来の農地、体力のある限り耕し続ける」という先輩の意気込みが私にはズンと伝わってきます。それに夏の鍬を持つとき、冬にこうしてスコップを手にした時の作業姿も、難儀だけでなくどこやら楽しそうにも見えます。

▼過ぎた連休には、正月に来られなかった童たちがスキー場に来ての帰りに寄り、共に過ごしました。

童たちとのこちらのおつきあいは自宅前の河川敷。冬なら、なじみのクルミの木にいつものように臨時のブランコをつくり、堤防斜面ではソリ乗りです。

 

 

 

 

そばに下がっているヤマブドウの蔦につかまって、まだ残っている実を揺すり落として口に含んだり、実をつぶして紫色の果汁で雪遊びも。バタバタバタの羽音をさせてカモが飛び立った湧水に育つノゼリとクレソン(オランダガラシ)摘みも楽しみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのうは、議会広報編集委員会の議会だより1月号の最終編集会議が開かれていました。9月議会以後の議会の主な活動と、12月議会、1月招集会議の内容が載せられます。

今冬初めての雪山歩き

12日、今冬はじめて、山内境との尾根まで上がる雪山歩きに半日向かってみました。

晴天を見込んでいたのですが、厚い雲はなかなかとれず、期待していた岩手山など遠くの山々はついに眺めることができませんでした。

曇り空の割には気温が上がらず、杉やブナについた雪も一日中落ちずにそのまま。岩手との県境尾根筋にあるブナや杉への雪化粧が、遠目ではとっても美しく見えました。

雪原は予想に反して雪に足が二段階で深く沈みます。雪上の狩りをした者たちは、こういう雪状態での歩きを「二段ぬがりする」といい、最もきらいます。一度雪を踏んだ足が、体重をかけるとさらにもう一度下に沈むからです。こういう雪質は、深くて軽い雪よりも体力を消耗します。この日も、山内の集落が見える郡境まであがるのに3時間近くかかりました。普段より1時間は多く要したことになります。

木々への着雪が落ちずに重くなっているためでしょう、杉林の中では、その重みに耐えきれず幹折れした雪害木の無残な姿がかなり見られます。樹齢を重ねてこれほど大きくなった木がボンボン折れてしまえば価値はたちまちゼロ。それだけに、その重みに耐えて生き残り伐期をむかえた雪国の杉は、とっても強靱な材ということでもあります。

上がりの8合目ほどにあるブナ大木の根元では、いつものように小休止。更に境の尾根にあるクマの爪跡がとくに多いブナでも一息。このブナは見晴らしがよいためか、ここを歩くクマたちが100年以上も前からつけたのでしょう、代々のクマたちが生きた証を記した爪跡が見られます。昨年につけられたかなり大きな爪跡も真新しく刻まれています。そばのブナでは、実を食べようと枝を折り重ねた跡も見られます。


 

 

 

 

 

 

木々の根元には、ノウサギ、テン、ヤマドリ、カモシカ、キツネなどの足跡がいっぱい。でもこの日は、それらの生きものたちを直接目にする機会はありませんでした。


 

 

 

 

 

 

ここの尾根に上がれば、南にまっすぐ伸びた成瀬川に沿ってひらけた大字椿川方面から桧山台、仁郷のダム現場方面が真っ正面にのぞめます。

上りは八卦沢からで、下りは岩井沢へ下りるのがこの歩きでのほぼ決まったコース。途中、用水路取水口のゴミをのぞきに沢へ寄り道。この日は大きな生きものには出会えませんでしたが、その時、雪原に二種の昆虫が目に入りました。

一種はユキムシと我々が呼ぶセッケイカワゲラですが、もう一種はあまり見かけない昆虫です。さわろうとしたら、警戒してでしょう、動きを止めて手足を縮めてしまいました。厳寒に生きる小さな昆虫たち。そのたくましさに、なんだか元気をいただいたような気になりました。ユキムシは俳句では春の季語だそうです。そのせいか、厳寒なのにユキムシを見ると、寒さで縮んでいた心と体がほっこりと暖かくなるような気になります。ユキムシに感ずる春、不思議なものです。

晴天でも、気温がそれほど上がらない高山では、木々に着いた雪がやはり落ちずにそのままでした。きのう夕方など、焼石連峰の名峰三界山や県境尾根のブナ、杉などに着いたその雪景色全体が夕日を受けて輝きました。尾根でこんな景色を眺めてみたいものですね。

4回目の雪下ろし一巡

予報どおりの小雨もあったきのう、4度目の雪下ろしもまずは一巡です。

これまで自然落下方式の小屋は下ろさなくてもよかったのですが、そろそろそこも落下した雪が軒につかえはじめています。今後5回目の下ろしを要するようになれば、それらも人手が必要になり、一巡の日数はもう一日ほど増えることになります

作業していたきのうも、頭上の電線にたくさんのすずめが止まりました。妻が数えたらそれは100羽近くの集団。最近としてはめずらしいほどの群れでした。寒すずめのこの群れは、主にどこでどんな食べ物を摂って命をつないでいるのでしょうね。

今冬4度目の雪下ろし

10日の予報に時ならぬ雨マークが出たので、「こりゃあ、雨の前に雪下ろしだ」と判断。きのうはまず住み処の下ろしに汗をかきました。

 

年末30日に下ろしてからまだ9日間しか経っていないのに、屋根の雪は70㌢近くもあり「ほほう」とあきれるばかり。二人でたっぷり半日かかってしまいました。これにもし雨などを当てたら重量は3倍以上になるそうですから、作業はもっと大変だったでしょう。

まだ雪下ろしを一度もしていない住家なども村内には一部みられ心配されているようです。雨が予報どおり降ったらそういう箇所はいよいよ危険となります。雪を甘くみてはいけません。

作業をしながら妻は時々「あっ、鳥の鳴き声」と耳をすまします。そばにあるブナの小枝にとまっていたのはシジュウカラ。カラスやトビをのぞいて冬にここでよく見られる鳥といえば、セキレイ、シジュウカラが一番多く、次にはカケス、アカゲラやアオゲラ、ヒヨドリ?、スズメかな。

山の木々と川がすぐちかくなので、我が家の雪下ろしは、小鳥たちのうごきを目にしたり、景色を見渡したりと屋根の上での自然観察みたいなもの。そういう小さな楽しみを見つけて、ああだこうだと語り合えればしごとの難儀さもやわらぐものです。

積雪は田子内で150㌢越え、大柳で200㌢越えとなり、きのう、村には雪害警戒部が設けられました。議員のみなさんもすでに豪雪対応を念頭におき行動していますが、雪に関してお気づきのことや困ったことなどがありましたら、役場へいち早くご連絡願います。

豪雪のくらしをまもる水

正月三が日を過ぎたら、雪下ろし作業が毎日のように見られるようになった村内。

この降りようだと、「今週中に4度目の下ろしだな」と覚悟している我が家です。下ろした雪がたまっている窓際は、すでに二階から出入りできるほどの高さになっています。集落で2㍍の積雪が測られるのはもう時間の問題でしょう。

豪雪の村で、除雪や融雪で活躍する代表格は水。流雪溝はもちろんのこと、水は、家々のエド(井戸・池のこと)や、その流末などを利用して流れによる消雪もはかられます。地下水もほんの一部で利用されますが、村内集落へこれら大部分の水を供給するのはそれぞれのヘギ(堰)。

 

 

 

 

 

ヘギ(堰)の多くは、夏場は田んぼの農業用水や生活用水となり、冬場は流雪や消雪の役割にと四季を通じて大活躍です。このように雪国の用水路「堰」は、農家だけの「利益を産む水」ではなく、そこに暮らす人々全部のご利益となる命をまもる水路です。

わが集落の幹線水路の名は「遠藤堰(えんどうぜぎ)」。「1663年(寛文3年)から6年の歳月を要して完成した堰」と村の郷土誌は記します。それから幾度もの改修を経た堰は、成瀬川支流でいずれも県境を源流とする合居川、沼又沢、土倉沢の水を合わせて通し続け、350年以上も部落の人々のいのちをまもっています。

だんだんと豪雪らしい村に

積雪が1㍍50㌢を優に越え、すでに3回も本格的な雪下ろしをしている我が家。

役場庁舎のつららも、寒中を思わせるようないつもの大きさになり、集落も、山も、川も、家々も、いよいよ豪雪の村らしい風景になりつつあります。

雪降りはほぼ毎日のように続いていて、こうなると、住宅から作業小屋、農機具格納庫など棟数がごちゃごちゃと多い我が家は、どこかの建屋の雪下ろしにほぼ毎日少しずつ動くということになります。

きのうは、役場に出た後、田んぼ脇にある簡易物置小屋の雪下ろしにむかいました。農道はもちろん車は通れませんから、カンジキを履き、長い雪原のハデコギ(ハデは深い雪、コギは漕ぐが語源と思われる。深い雪原を漕ぐようにして歩くという意)の歩きです。

田んぼがある河岸段丘の高台はすでに2㍍近い積雪。そこからのぞむわが集落も、寒の入りとなり深い雪につつまれているので、いつもよりなお静けさを感じます。雪原にのこるカンジキ跡を見れば、いよいよ厳寒の季節がきたことを私の体は悟ります。

 

作業を終えての帰路は、雪が深いので往路につけた踏み跡の道を一歩も違えずたどります。その途中でガマズミの真っ赤な実を目にしました。今の時期になれば実は完熟しています。少し手折って口に含んだら、子どもの頃に食べて記憶に刻まれているあの甘酸っぱい味が蘇り、口中にほどよい刺激とおいしさをおぼえさせてくれました。

平成年代最後の1月招集会議開く

1月4日、今年の村議会定例会(1月招集会議)が開かれました。

平成年代最後の1月会議であり、また4月にいっせい地方選で改選されることから、当議会は現任期最後の招集会議ともなります。

2014年1月から通年議会制となり、「明けまして おめでとうございます」の言葉で今年の議会がはじまりました。年頭仕事始めの冒頭に開会される議会はこれで6回目ですが、前述2つの理由で、やはりいつもの議会とちがう独特の趣が議場にも、控え室でも感じられました。

今議会は議案提出なしで、4月29日の任期満了日までを会期とすることを決め休会としました。常任委員会などの活動は継続してどんなことでも必要に応じてとりくまれます。降雪、積雪状況が豪雪型を感じさせる模様となっていて、「雪関連対策」を念頭に置くことも運営委員会では話し合われました。

▼1月招集会議を終えた午後は村消防団の出初式。終了後は地元消防団の新年会へ。式典では概要次のようなご挨拶を申し上げました。

さきほど、それぞれの方々からものべられましたが、災害列島ともいわれる我が国では、西日本豪雨や北海道の地震など昨年も大きな自然災害が続出しました。村内でも、火災や除雪中のいたましい事故などもおきました。この時に、テレビ報道などでわれわれが目にしたのは、常備消防や警察の方々とともに災害現場で警戒や遭難者の救出にあたる消防団員の半纏姿でした。

国内各地を訪れることが私も時々ありますが、ビルが林立する大都会の片隅に、あるいは漁港のそばに、山深い町や村の集落に、平場の町にと、そこには地区の消防支部名を書いたポンプ置き場などが必ず見られます。それを目にする度に、私は、消防団という名を通じて、訪れた土地への親しみと愛着が湧き、わが村の消防団員の姿を思い起こします。ポンプ小屋と半纏は、人々が頼りにする消防の象徴でありまして、そのありがたい存在の皆さんへ重ねて深く感謝を申し上げます。

ところで、わが村に特徴的で備えなければならない大きな災害といえば、寒中の積雪期も強く意識した大地震、豪雨による土砂崩落と中小河川の土石流、それに栗駒山の噴火による登山者や宿泊施設などへの被害などが想定されます。これらの防災、減災、災害発生時の対応策については、みなさんも研修で学んでおられるでしょうが、「その時どうするか」「そのためにどんな備えが地域に必要なのか」という点で、どうか全国の大災害から教訓をいっそう学ばれて、村民の安心安全につとめていただきたいと思います。

また、個別に発生する火災対応や村に特徴的な山岳遭難捜索活動は、みなさんにとって常に気のぬけない任務で、ご苦労をおかけしております。火災については、死亡を伴うケースが、昨年、そして今年も年始めから全国的に多発しています。村や集落はそのために警報器設置を率先してとりくんできましたが、それとあわせて、屋外への避難がむずかしい構造になっている二階建て住宅からの避難方策などにも深い関心をはらい啓発していただければと思います。

なお、遭難捜索活動では、山に詳しい捜索隊員が年々高齢化しており、その確保・育成策とともに、大きな効果が期待されると思われるドローンの活用などにも、これは団だけのことではありませんが、いっそう目を注いでほしいと考えます。

▼5日は、村交通指導隊と防犯指導隊の合同「初出式」。終了後はやはり新年会へ。

▼6日は、年末31日に急逝された元議員佐々木朋文氏(90歳)の会葬に向かいました。
長い人生で培われた多くのことをわれわれは故人から学びました。ともに議会活動を過ごした当時を想いおこしながら先輩のご冥福をお祈り申し上げました。

▼きのうは部分日食の日。日本海側はほとんど雪降り予報でお日様の出番はないだろうと思っていたら、昼少し前に雲が途切れ空が明るくなり、流れる雲間からその日食がわずかの時間目に入りました。

寒中、雪が降るなかで、雲を天然フィルターがわりにしてながめる日食もまた風情があるものです。

おだやかな亥の年でありますように

あけましておめでとうございます。

豪雪の村の自然と、そこに生きる人々の様子をこの片隅からまたお伝えします。本年もよろしくお願いいたします。

まずは、新年にふさわしくご来光です。8年前の富士山登山で、頂上からながめた雲海からのぼる日の出です。初登山で、しかもこんな絶景に出会えたのは幸運でした。国内、海外からもふくめた多くの登山者でいっぱいの頂上。日がのぼったら、感動、どよめき、万歳の声が随所から聞こえました。

大晦日は、まず自宅裏の敷地に植えてあるヒメコマツの枝(キタゴヨウマツ)で門松を飾り、神棚と仏壇にお供えです。神棚には、年越しのお供えに欠かせぬ生のハタハタと赤い酢蛸も。さらに仏壇も神棚も、今年一年の山の幸、田畑の幸も供えられます。漁獲量がきわめて少なかった今年のハタハタは、やはりいつもの年より貴重に見えます。我が家は、林業として山にとりわけお世話になってきた家でもあり、斧を持った掛け軸を下げ、家を守る神と山をまもる神、2つへのお供えをするのが慣わしです。

 

 

 

 

 

 

元旦は、自宅脇の小高い森にある小さな神社にも初詣をしました。ここの森には2つの小さな社があります。いずれも、集落の由緒ある2軒の家々がまもってきたいわば内神の社のようですが、往時は、集落、村内だけでなく村外からも参詣の方々が訪れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今は、森の下方にあるひとつの社だけは集落のB家によってまもられ続けていて、今年も、家族の方々が大晦日に急斜面の参道に道をつけていました。雪深い急斜面なので、道つけも大変だったようです。社の中には、昭和三年五月三十日の木札が見られますから、およそ90年前に建てられた社ということになります。村の人口約5,000人ほどの当時のことです。

もう1つの社は、管理をしていた家が離村してからしばらく経ち、どなたにも管理されず棄てられたままが続いています。信教は人間の自由ですが、こうして人間が生み、人間に棄てられるつくりもの(宗教?)を目にしますと、もの寂しい気分になってしまいます。

元旦の雪の上にはまだ足跡が見えず参詣は私らが最初のよう。ワラシの頃の50数年前をしのびながら、諸々の安寧をお祈りしました。

小高い森の狭い範囲に10数㍍ほど離れて2つの社が上下2つの地点に建っていますから、そこはこちらが小学生の頃、ガキどもの格好の遊び場となりました。ガキどもは2つの「組」に別れて2つの社を根城にし、組と組との戦い(チャンバラごっこ)をよくやりました。

「東千代之介だ」、「月形龍之介だ」、「月形半平太だ」、「服部半蔵だ」、「猿飛佐助だ」、二刀流で「宮本武蔵だ」、長い刀をこさえて「佐々木小次郎だ」などと名乗り合い、戦いの度に、だれかが必ず刀(それぞれが柴木を切り削ってつくった木刀)で痛い目に遭い、その鳴き声が小さな境内に決まったように聴かれた頃を今も思い出します。

時には、「まぼろし探偵だ」、「月光仮面だ」、「怪傑ハリマオだ」と、正義の味方どうしの現代劇も演じられました。社の中には獅子舞に使われる獅子の面がいつも置いてあって、それににらめつけられた思い出や、みんながそれを手にして面の口をパカパカさせいたずらしたことなども思い出されます。ここは、そんな昔のワラシ(童)たちが遊んだ戦後の昭和を偲ぶ森でもあります。

▼30日、31日と、作業小屋や自宅の今冬3度目の雪下ろしをしていて、新年も2日から作業小屋の雪下ろしにとりかかりました。

二日、風と雪降りと晴れ間が刻々と変化するお天気の下、わずかの晴れ間をみて成瀬川の岸辺にも立ち寄りました。厳寒の季節にむかって流量もだんだん少なくなり、なおかつ雪も深くなりましたから、瀬の音も雪に吸い込まれてかずいぶん静かになりました。

一年で自宅の朝湯につかれるのは三箇日のうちの一日だけ。2日は時折の青空もありましたから、浴室の窓をあけ雪景色を眺めながら野天風呂風を楽しみました。