18日は村商工会の新春懇談会へ。
商工業者が仕事を安定して確保するということ、給与をふくめ月々の支払いをきちんと行い、かつ雇用を安定して確保するということがどんなに大変なことか。私は父親が小さな事業を営んでいたこともあり、また今も身内に小さな経営をきりもりしている者もいることから、事業者のみなさんのご苦労が身に染みてよくわかります。
われわれ議会で仕事をしている人間は、議案への議決や、歴史的に大きな市町村合併時の判断など、様々な面で的確な判断、決断を求められることが多くあります。業者さんの場合は経営の大中小を問わず、そういう判断、決断を求められることが常にあり、時にはそのたった1つの判断が経営を左右、判断が悪ければ傾くことさえありうると思われます。
そういう意味で、事業を築き上げて、あるいは事業を引き継がれて今日の位置に立たれているみなさんは、「親方日の丸」とは無縁の厳しい民間の競争世界で多くの修羅場をくぐり抜けた体験をもたれています。それには、政治を主な務めとする我々もいろんな意味で学ぶことが多く、私は常日頃からその体験と積極姿勢を参考にさせていただいております。
堤体工事が始まった村の中ではダム事業が大きな特徴でありますから、当然村の商工業者のみなさんがすでにとりくみあるいは考えておられるように、この機会を最大限に活かすということがひとつの経営方針と思われます。それとともに、ダム事業が終わった後の経営展開をどうするかも、みなさんの大事な戦略と思われます。これは、村政についても同じようなことがいえます。
昨年11月、本体工事にあたられるJVの事務所開きでも少し触れましたが、今から100年前の昔、同和ホールデングスや藤田観光の前身でありました藤田組が、田子内鉱山(県内有数の金鉱山)を営業していた当時、肴沢の地域には最高時で約600人の労働者がいたと村郷土誌は記します。
そこから村の人々との人的つながりが深まり、私が知る範囲でも後に様々な側面で村の振興にプラスとなる事例がうまれ、それは今も続いています。ダム工事はあと数年で終わりますが、今は今の時代にふさわしく、村には商工会もあり、事業体も多くあります。なので、商工業と村の発展に結びつく人と人のつながりが、このダム事業からもうまれることを切に願っております。
そうしたことを視野におき、今の機会を大切に活かしながら、この先の展望をもしっかりともった商工業振興、村の発展にお互いに努力してゆきたいものです。
この日は以上のようなことを念頭におきご挨拶を申し上げました。集いでは、沼館の辻田与五郎さんによる「選挙漫談」(写真)などがあり、ナマの初笑い口演を楽しませていただきました。沼館のこちらの知人(故人)だった方と同じ名字でしたのでおたずねしたら、「その家とは、本家~別家の間柄」ということ。与五郎というのは代々の本家屋号だそうです。
ところで2部の懇談の席では次のようなことも。ダムの話題から宮ヶ瀬ダムからそんなに遠くない相模原市のことへと話がすすみ。そこの農家にこちらが47年前1年間くらしていた「田名」という土地のことをお話ししたら、「私も、子どもの頃その田名の小学校に2年間おりました」という方がおられて、三菱重工業、キャタピラー三菱、相模川と水郷田名などなど彼の地のいろんな固有名を述べあいながら、何かしらの「縁」というものを感じた語り合いのひとときもありました。もしかしたら、こちらがあそこにいた47年前、その方は田名の小学校に通われていたのかもしれませんね。偶然か必然か、世間はいろんな不思議な糸でつなぎ合わされているものです。
▼大寒のきのうは寒気が緩み、雪が解けやすく小川への排雪に適したお天気となりました。「この機会を逃さず」と、車庫や農機具格納庫などの雪下ろしと排雪作業に汗をかきました。
いよいよ最も厳しい季節入りです。寒気と雪がしばらく続きそうです。あと一月、この厳しいヤマ場を乗り越えれば春が見えてきます。雪とむきあう作業は、焦らず、じっくりと落ち着いてよく考えて、事故なきようにとりくみましょう。道路での転倒例も多く聞きます。靴へも含め転倒防止も欠かせません。