おだやかな亥の年でありますように

あけましておめでとうございます。

豪雪の村の自然と、そこに生きる人々の様子をこの片隅からまたお伝えします。本年もよろしくお願いいたします。

まずは、新年にふさわしくご来光です。8年前の富士山登山で、頂上からながめた雲海からのぼる日の出です。初登山で、しかもこんな絶景に出会えたのは幸運でした。国内、海外からもふくめた多くの登山者でいっぱいの頂上。日がのぼったら、感動、どよめき、万歳の声が随所から聞こえました。

大晦日は、まず自宅裏の敷地に植えてあるヒメコマツの枝(キタゴヨウマツ)で門松を飾り、神棚と仏壇にお供えです。神棚には、年越しのお供えに欠かせぬ生のハタハタと赤い酢蛸も。さらに仏壇も神棚も、今年一年の山の幸、田畑の幸も供えられます。漁獲量がきわめて少なかった今年のハタハタは、やはりいつもの年より貴重に見えます。我が家は、林業として山にとりわけお世話になってきた家でもあり、斧を持った掛け軸を下げ、家を守る神と山をまもる神、2つへのお供えをするのが慣わしです。

 

 

 

 

 

 

元旦は、自宅脇の小高い森にある小さな神社にも初詣をしました。ここの森には2つの小さな社があります。いずれも、集落の由緒ある2軒の家々がまもってきたいわば内神の社のようですが、往時は、集落、村内だけでなく村外からも参詣の方々が訪れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今は、森の下方にあるひとつの社だけは集落のB家によってまもられ続けていて、今年も、家族の方々が大晦日に急斜面の参道に道をつけていました。雪深い急斜面なので、道つけも大変だったようです。社の中には、昭和三年五月三十日の木札が見られますから、およそ90年前に建てられた社ということになります。村の人口約5,000人ほどの当時のことです。

もう1つの社は、管理をしていた家が離村してからしばらく経ち、どなたにも管理されず棄てられたままが続いています。信教は人間の自由ですが、こうして人間が生み、人間に棄てられるつくりもの(宗教?)を目にしますと、もの寂しい気分になってしまいます。

元旦の雪の上にはまだ足跡が見えず参詣は私らが最初のよう。ワラシの頃の50数年前をしのびながら、諸々の安寧をお祈りしました。

小高い森の狭い範囲に10数㍍ほど離れて2つの社が上下2つの地点に建っていますから、そこはこちらが小学生の頃、ガキどもの格好の遊び場となりました。ガキどもは2つの「組」に別れて2つの社を根城にし、組と組との戦い(チャンバラごっこ)をよくやりました。

「東千代之介だ」、「月形龍之介だ」、「月形半平太だ」、「服部半蔵だ」、「猿飛佐助だ」、二刀流で「宮本武蔵だ」、長い刀をこさえて「佐々木小次郎だ」などと名乗り合い、戦いの度に、だれかが必ず刀(それぞれが柴木を切り削ってつくった木刀)で痛い目に遭い、その鳴き声が小さな境内に決まったように聴かれた頃を今も思い出します。

時には、「まぼろし探偵だ」、「月光仮面だ」、「怪傑ハリマオだ」と、正義の味方どうしの現代劇も演じられました。社の中には獅子舞に使われる獅子の面がいつも置いてあって、それににらめつけられた思い出や、みんながそれを手にして面の口をパカパカさせいたずらしたことなども思い出されます。ここは、そんな昔のワラシ(童)たちが遊んだ戦後の昭和を偲ぶ森でもあります。

▼30日、31日と、作業小屋や自宅の今冬3度目の雪下ろしをしていて、新年も2日から作業小屋の雪下ろしにとりかかりました。

二日、風と雪降りと晴れ間が刻々と変化するお天気の下、わずかの晴れ間をみて成瀬川の岸辺にも立ち寄りました。厳寒の季節にむかって流量もだんだん少なくなり、なおかつ雪も深くなりましたから、瀬の音も雪に吸い込まれてかずいぶん静かになりました。

一年で自宅の朝湯につかれるのは三箇日のうちの一日だけ。2日は時折の青空もありましたから、浴室の窓をあけ雪景色を眺めながら野天風呂風を楽しみました。