戦後70年目の村戦傷病没者追悼式

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8日、戦後70年をむかえる年の戦傷病没者追悼式が役場開発センターで行われました。

人類史未曾有の大きな誤りによって尊い命を奪われたすべての人々への鎮魂の思いを込め、追悼の言葉を申し上げました。以下は、その概要です。
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春うららかとなった村は、ここ数年ではめずらしく雪消えが早くすすみ、幼少、あるいは青年の頃、御霊が家族とともに過ごされたふるさとの山は、そのときと同じように芽吹き、母なる川は、そのときと同じように深山の雪解け水がとうとうと流れ下り、育苗ハウスでは、村の農業振興をささえる早苗が緑を濃くしすくすくと育っています。

村の追悼式が、このように命みな萌える躍動豊かな春に執り行われるだけに、先の大戦で尊い命を奪われた御霊をしのびますと、毎年のように無念の思いがこの5月はさらにつのるのであります。

今年は、戦後70年を刻む大きな節目の時であり、「戦争の誤りを決して繰り返してはならない」の世論がこれまで以上に列島にこだましています。

その中でも、あの大戦を体験された方々の言葉は、70年を経た今日も、まるで今今のような臨場をもって私たち戦後に生まれた者の心に響きます。それは、御霊と同じように戦場を体験された方、引き揚げされた方、あるいは国内での原爆や空襲、沖縄上陸時の悲惨などを体験された方の生きた言葉であります。

私が触れましたそれらの言葉の多くでは、戦の地にあって命果てる際(きわ)に多くの方が、家族の名を、とりわけ「母」の言葉を声にしたといいますが、私は、その戦争体験者の言葉を、村の御霊がおかれました当時の心境に重ねてしのびます。そして、最愛の夫を、息子を、兄弟を、子と家族をうばった「あの戦争許すまじ」の決心をさらに深くします。

平和を希求するわたしたちの最大のよりどころは、御霊の尊い犠牲の上につくられた日本国憲法の平和精神でありますが、いま、その憲法に反する政治のうごきが加速しています。私たち村議会は、非核平和宣言を唱える村としてこの動きに瞬時に対応し、12月とこの3月議会において、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定撤回を求める意見書を全会一致で可決し国会と政府あてに送りました。今後も、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう、憲法の精神を堅くまもり、戦争参加への道を許さないためにあらゆる努力を傾けることをここに誓います。
平成二十七年五月八日
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昨日は集落山神社の春の祭典。わが家は喪中のため、昨年に続きお祭りはご遠慮の春となりました。寒い一日で、神輿や恵比寿俵奉納での練り歩き、御神酒をのめない方や子供さん方にとってはなかなか大変な祭りであったでしょう。

わが家の小さな歴史の記録

CIMG0587-1CIMG0588-1▼農作業しかり、山仕事しかり、人々のはたらく姿は、その時代の標として私たちはとらえてきた。そして、時代ごとの標であるだけに、それらの仕事風景は今ではほとんど見られなくなってしまったものが多い。田んぼのコエ引きしかり、山での女たちの木引きしかり。

そのうちの一つである、冬のバチ橇(ばちぞり)運材も、もちろん絶えてしまった作業のうちの一つ。この欄でも何度か記しているが、バヂ乗りは、山林労働のなかでも最も危険なしごと。やまこ(山子?・山林労働者)で「バヂに乗れたら一人前」と昔は言った。

CIMG0589-1CIMG0585-1同じバヂゾリでも、「乗る度に命をかける」とまで言われたのが、長さ12尺の細いスギ材を縦真っ二つに割って丸い面を雪面と一部接触させるようにした「ユギ」と呼ぶ長木を左右に二本並べ、その上に長さ三尺の薪材をおよそ0.5㎥ほど積んだ「薪バヂ」であった。

「薪バヂ」でも、そうでないスギの12尺ものや、直径1㍍ほどのブナ材などを運ぶ「用材バヂ」でも、前日のソリ跡がカチンカチンに凍っている朝一番のソリを下ろす役目や、雪解けが急速に進んで、ソリが陥没する日も、命の覚悟を迫られるバヂ乗りであった。

5月10日前、ちょうど今頃は、奥羽の脊梁、北上川支流の胆沢川上流大森沢界隈などで春山バヂ引きが「岩井川のお祭りまでに山を終える」と、最後をむかえる頃だった。

写真は、わが家がまだ山林の仕事を盛んに行っていたおよそ40年前頃のもの。岩手の奥州市(旧水沢営林署)管内から払い下げられた国有林のブナを、春山雪上のバチゾリ運材で1箇所に集め、それを林業架線(集材機・空中ケーブル)で搬出した時の模様である。

CIMG0575-1大きなブナ材の端に「ガンタ」と呼ぶ道具をかけて、三人で長さ約2㍍材のブナの片方を浮かし、その下にバチを入れる作業、積み込んで後、急なソリ道を自重で下るバチと人と材、そして荷を下ろした後、下ってきた急なソリ道を今度はソリを担いで(胆沢の山ではそれはなかったが、薪バチは「長さ12尺の二本のユギをかつぐ役目も」)上る姿である。

自宅から歩いて毎朝県境の尾根を越え、雪の春山、真っ黒に日焼けしながら上りのバヂを担いだ20歳前後の当時を、この季節になると私は決まって思い出す。

CIMG0581-1写真は、私が横手に勤めはじめていた頃、写真を趣味とするMさんと、山仕事の現場視察をのぞむ労組関係のSさんの二人をご案内し、胆沢川、通称ハヂベェテイ(八兵平)の作業現場で撮った写真。(今は亡きMさんの撮った写真と、もしかしたら私の撮ったものがわずかに混じっているだろう)村の人々のバチ乗りは、この山でがおそらく最後であったろう。そういう意味で、わが家にとっては歴史のひとつの記録となる写真でもある。写真には、亡くなった伯父、父、近所の方もおれば、今も元気でがんばっておられる近所の元議員でもあり山仕事の先輩、叔父、友などが写っている。「お互い、当時は、糊の汗を流して、えぐ、がんばったんすな。時には命をかけて」と、思い出すのです、雪消の春は。

今年も仙北街道雪上歩きへ(その3)

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今回は始めから遠出は計画になかった。それでも丈ノ倉にリュックを置き、柏峠方面まで足を向け、途中から引き返した。

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昨年に親子グマたちと出会えたクラ(崖)で、穴口にある木に母グマが上ったブナには爪跡がいっぱい見られた。穴から3㍍ほどまでは近づいたが穴の確認はやめた。クマの居そうな気配はないが下は崖なので予断と油断は禁物。

CIMG0001-1CIMG0002-1「もしかして」と、少し離れて穴口をしばらく眺めていたら、クマではなくカモシカがお出まし。穴のそばのダシ(雪庇)から崖に下りて食事を摂りながらクラを歩いた。越冬穴のすぐそばでカモシカが何も警戒の姿を見せないということは、やはり、クマはもう穴から出て小出川下流か大深沢や明通の草木が萌えはじめたクラに移動したのかもしれない。

昨年もう一つのクマを目にした穴口にもクラにもクマの姿はない。こちらも、穴の中を確認したかったが、穴にいるかいないかまだ微妙な時期なので、これも崖下転落を怖れて止めにし、帰路についた。

CIMG1082-1CIMG1086-1CIMG1090-1CIMG1105-1CIMG1106-1CIMG1110-1CIMG1115-1CIMG1099-1今回は帰りも殆ど往路と同じコース。通称ゴンパの秋田側のブナ林を通り、いいかたちのネコヤナギを目にし、天敵に襲われ毛皮だけのこされたノウサギの骸跡をながめ、カントリーパークの除雪や国道へのガードロープ設置にうごく機械を遠目にしながら下る。下りの最後にはまたタゲマルギッパのクラで午後の陽に萌える春紅葉をながめ、車到着は2時。

CIMG1117-1CIMG1153-1時間があるので、そのまま帰宅せずに、この日正午に開通となったばかりの国道342号を上り、途中で、いま上がってきた仙北街道の尾根を明通沢越しに五里台から眺め、ビューポイント付近で、午前とはちがった方向からまた東山を眺める。車社会だから、午前に柏峠まで上がり、午後には下に戻って今度は国道から東山がのぞめるのだ。

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CIMG1148-1CIMG1149-1そのまま北俣沢まで進み、待ちかねていたイワウチワの群落に目をとめる。雪解けが早くて、いつもの群落は花が少ないが、まずまずと思える盛りの花群落を写真におさめ、この日の遠出をしめくくりとした。

 

以上が、先月24日の仙北街道行きと、同じ日に車で今度は下の国道から街道をながめつつ北俣沢まで上がった日の村の春景色です。

CIMG0001-130-1CIMG1307-1CIMG1320-1▼28日、雪解けが早いこともあって、わが集落ではもう「田のくろへずり(畦削り)」に精を出すSさんの姿が見られました。「なんぼがずづ、やっておがねば」と語る85歳のSさんの背景に、里山の春紅葉がひろがり、この日も、まんず、ええ空でした。

CIMG9621-1連休中は風邪がぬけず農作業はクロヘズリ(畦削り)など少々にし養生の日々。夏空のような下での畦削り。カタクリに囲まれ、残雪に腰掛けての一休み、その気持ちのいいこと。

改選後初の議会開かれる

※議会事務局提供
※議会事務局提供

改選後初の議会がきのう開かれた。初議会のおもな任務は議会人事を決めることと、議会に係わる関係機関の職務などにつく議員を決めること。

副議長と私は、ひき続き指名推薦というかたちで再任され、議会運営委員会の委員長には鈴木秋雄議員、副委員長には佐々木正夫議員。議長をのぞく全員構成の二つの常任委員会は、総務教育民生常任委員長が佐藤正次郎議員、副委員長に佐々木修議員。産業建設常任委員長が高橋健議員、副委員長は佐々木正利議員。予算特別委員会、災害対策特別委員会、議会広報対策特別委員会なども村の実情にあわせ設置、まずは活動のスタートがきられた。

他に、議会選出の監査委員には佐々木悦男議員が就き、湯沢雄勝広域市町村圏組合議会議員は佐々木正利議員、県後期高齢者医療広域連合議員には佐々木謙吉議員を選出した。

わが村のように議会事務局の員数がごく少なく限定されているところでは、人事異動にともない就任した新事務局長がまったく新しいことで初議会前の協議会から本会議とすべての議事運営関連事務をつかさどることになる。これは大変である。また一日で人事案件等のすべてをこなす初議会であり、さらにわが議会は昨年通年議会を施行し、加えて常任委員会の条例も改正したばかり。当然各種委員会構成に関する手続きや事務などにも変化が生じ、こうした諸々の会議文書に整合性をもたせて、しかもすべての会議を円滑におこなうというしごとは、事務局長も、自分のことをいうのはなんだが、議長も、各委員長もちょっと大変なのである。まあ、あれやこれや初議会によくあることが私もふくめ諸々あったが、ほぼ予定時間でまず決めるべきものをきちんと決めスタートをきることができた。
実は28日夜からせきをすると胸に響く風邪患い。議会前夜にはめずらしく氷枕をあてがってもらうほどの熱となり、体調すこぶる悪く、大事を前にしての不養生を反省した。我々は健康管理もしごとのうち、気をつけねば。以下は就任にあたっての私の挨拶骨子です。

〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰まずもって、ご推挙を頂きましたことに対しまして厚くお礼申し上げます。改選後の議会は、年齢層、積み重ねてこられた職業、そしてまた各種の活動におきましても多彩な分野で活躍されてこられた各位によって構成されることとなりました。これ一つをとりましても、村づくりにおける議会の責務を大いに果たしてゆくことができるものと私は確信しております。

議会固有の任務であります二元代表の一方の側の役割につきましても、議員各位の蓄積された経験と、新たに加わりました新鮮さで、議会にもとめられる監視機能をしっかりと果たしながら、一方ではいっそうの創造力を発揮しまして政策提言活動の強化にさらにつとめることができると思います。
村の総合計画の着実な達成のためには、まさに車の両輪の一方が円滑なつとめを果たせることが常にもとめられております。議会の共同の力が十分に発揮できますよう、人心を大切にすることにとりわけ意を注ぎながら、公平無私の立場で議会運営につとめることに私は心を用います。どうか、ひきつづき、よろしくご助言、ご協力のほどお願い申し上げまして、甚だ簡単ではありますが、就任にあたりましてのご挨拶とさせていただきます。

今年も仙北街道雪上歩きへ(その2)

CIMG1022-1大森山トンネル秋田口の南から岩手県境の尾根に向かう林はススコヤ清水の源流部。ここら一帯は昔から通称「ゴンパ」と土地の人々が呼ぶ山。沼又沢国有林のノウサギ狩りでは絶好の猟場の一つであった。

CIMG1024-1CIMG1028-1CIMG1026-1伐りのこされているブナの老木たちと若齢のブナ林をながめながら、昔の狩りの頃をしのび尾根にたどりつけば視界はいっきにひらける。

秋田側の国道除雪は23日に終わっているが、岩手側は裾の森(本流左岸の森)からかいち橋、ダダラ方面までまだ除雪跡が見えない。大岩から細鶴沢あたりにいるのだろうか、ここからはよく確認できない。したがって、この日、広大な胆沢川上流には私たった一人。

CIMG1030-1CIMG1033-1一人でじっくりと、北から、グシ、サンサゲェ(三境・三界山)、権四郎森(ごんしろう・西和賀では南本内川の源流部にあたるからだろう南本内岳と呼ぶ)、焼石、南の森、横岳、獅子鼻の焼石連峰を一望し、さらに南に目を移して、手前に横たわる丈の倉の崖を含む仙北街道の尾根を、その奥向こうに連なる二つの東山や栗駒の峰々を望んだ。
時折青空がのぞくものの朝の空はまだ曇り、動かなければ少し寒いほど。なので、岩ノ目沢に下りてまずはブナ林をゆっくりと散策。

CIMG1035-1CIMG1037-1CIMG1038-1CIMG1041-1CIMG1043-1砂防ダムのあるかいち橋付近、通称「ダダラ」より上流部の胆沢川のブナ林は、これまでここでも紹介してきたように、岩井川の愛林組合が旧水沢営林署愛宕担当区管内として払い下げを受けてブナの択伐やその切り株にナメコ栽培をした林。トンネルをぬけてからの国道左右の林のほとんどは、すべて組合と、その一員であるわが家も関係したブナの搬出跡だが、唯一ここで伐採に手をかけなかったのが岩ノ目沢の県境にひろがるこの林である。

同じ岩ノ目沢のなかでも、右岸のジョノグラディ(丈の倉平)と呼ぶやや平らなブナ林はやはり択伐(必要な材だけ選んで伐採)され私もここの搬出作業に従事している。沢の中流域はまだいわゆる千古斧の入らぬ原生美林。ブナも、ちょうど北俣沢や小出川沿いの原生林と同じように私には見ほれるような林相が延々とつづく。

それを下りて、岩ノ目沢の北の沢をこえる。雪の多かった昨年に比べて沢の雪は少なく、雪を踏み崩して沢に落ちないよう気をつけながら下から水音が聞こえる沢をこえた。

CIMG1044-1CIMG1048-1CIMG1053-1CIMG1059-1CIMG1065-1CIMG1068-1丈の倉も昨年に比べて雪消が早い。仙北街道に到着したら10時半。ここだけいつものようにダシ(雪庇)がほとんど落ちていて土の登山道がきれいに出ている。時間の頃合いもよし、眺望もよし、おまけに、カタクリとショウジョウバカマも咲いていて、ここは春山としては毎年絶好の休み場。少し早いが、私の山登りに決まった昼食時間などなし、いつでも食べられる時に食べる流儀でパンをゆっくりと口にする。

CIMG9343-1CIMG9349-1▼昨日午前は部落の水路や公園、道路沿いの大掃除。午後には部落(自治会)総会へ。

今年も仙北街道雪上歩きへ(その1)

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▼今日は過ぎた週末にもう一つ足を向けた仙北街道筋への春山歩きをご紹介したい。諸々のことが重なっていて「今年は行けないかも」と半ばあきらめていたが、人の世はどう変転するかわからぬもの。あきらめていた動きが予想に反してできることとなり、こうなったら「さあ、山へ」と私の体はうごく。

やや肌寒い空に東風が弱く吹くなか、朝7時17分にジュネススキー場別れの国道閉鎖門に車を止めて歩き開始。しばらく舗装道路をスパイク靴で歩くが、最短距離をとるので途中からは国道を半ば串刺し状にして雪上歩きへ移る。397号の国道除雪も今年ははかどり、23日には終えて、この日はカントリーパーク内の除雪に向かう車の音が聞こえる。

CIMG1019-1CIMG1021-1CIMG1018-1ススコヤ(すずこやの森)の沢に到着は8時25分。途中、タゲマルギッパ(竹まるきっ場)の崖のブナと種まき桜や、植生限界に生えるアカマツを確認。雪上から出た枝に花をつけたブナをながめる。村の何処でも、秋の紅葉が美しい崖山は春紅葉もまた見事となる。雪の村の春紅葉をモーツァルトやスメタナなどがもし目にしたら、どんなにかすばらしい交響楽がつくられたかもしれない。現存のすぐれた作曲家のみなさんのどなたかに、村の四季、とくに春を主題にした曲をつくっていただいたら見事なものができるだろう。

同じ道すがらでは、シラグヂヅル(サルナシ)とヤマブンド(ヤマブドウ)の二つの蔦が見事に絡まっている姿を目にする。おいしい実をつける二つの蔦樹がこのようにしてからまっているのはそうは見ることがないので記録しておいた。

ススコヤの沢入り口は、むかし、沼又国有林の払い下げを受けた岩井川愛林組合の事業者の方々が、ブナ材の春山伐り出しのコヤ(宿舎)を建てた土地。コヤには、ママ炊き(ご飯炊き女。時には男もやった)が炊事に使う水が引かれていた。むかしの映画で兵隊さんがドラム缶風呂に入るシーンと同じで、コヤではドラム缶風呂へもススコヤの水を引いた。

コヤへは、月に何度か食べ物が荷揚げされ、その担い手は事業者の妻や雇われた女たち。私も、記憶は定かでないが小中学生の頃、何度か母たちに混じって雪崩の危険の下を荷を背にしてコヤに通った。時には残ってコヤに泊めてもらい、ドラム缶風呂にも入った。

コヤの夜は、真っ赤に燃える薪ストーブをそばにしてたばこの煙がたちこめ、男たちは酒と花札遊びに興じ、私も子どもであったがその輪の中に遊び心で加えてもらったこともある。ジドッと重かった掛けふとんの感触は、コヤが建っていたここを通る度に思い出す。

CIMG1020-1ススコヤの沢沿いには当時伐り残されたブナの老木が今もある。この老木は、コヤで働く人々が毎朝出かけるのを見つづけた樹。エシャガ(胆沢川)やタゲ(焼石)へのアガベゴ(日本短角牛)自然放牧の監視人、沼又の国有林を伐り終えて後、胆沢管内の国有林へむかったわが家など伐木搬出の人々、山菜、きのこ採り、ずっと昔の狩人など、エシャガのアゲ(急坂の峠道・八百八アゴと呼んだ)に向かう人々を見下ろしつづけた老樹である。

今年はじめての須川高原、そして赤滝へ

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CIMG1165-1CIMG1175-1週末、そしてきのうの日曜と、このうえない晴れ空。里山の種まき桜も集落のソメイヨシノも、そして梅も、小花たちも、まさに花と萌えの春爛漫。

CIMG1173-1▼きのうは、秋に出来なかったコンバインの整備を農機具屋さんにたのみ、トラクターを除雪装備から耕起装備へ切り替えるために格納庫の空間を広くしました。わが家前では、農業法人のみなさんが育苗ハウスへ水稲の芽だし苗を置き終えました。

まだまだ冬の片付けと春農作業の準備や、ためていた書き物しごとなどが山積みですが、今回は思い切ってそれらを後にまわして自然とふれる時を過ごしました。

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CIMG1196-1そのうちの一つは、きのうの赤滝と須川高原行き。久しぶりに童と過ごせることになり、今シーズンの営業が早くも始まった須川高原・栗駒山荘へまずは向かいました。

ブナの萌えラインが国定公園地域まであがった国道342号沿いは、残雪と若緑で目がまぶしくなるほど。国内有数の森林生態系保護地域を上流域にひろくもつ北俣沢の下流はいまがまさに萌の山。ブナやミズナラ、ヒメマツ(キタゴヨウマツ)の育つ尾根地面にはイワウチワがいま花盛り。

栗駒山荘・温泉周囲の高原は、今なら雪上散策が絶好の季節。これからは、雪消にあわせて早く咲いてくれる野鳥の森内の池塘周辺などは、湿原植物の開花が次から次へと見られるでしょう。

栗駒山荘の露天風呂は、村人が「おらほの自慢」として外に誇れる村の横綱格。高原の完全掛け流し出で湯からながめる雪風景と鳥海山の遠望は、自然が村に与えた他の追随を許さない恩恵といえます。岩手側の須川高原温泉は開業準備に大忙し。30日の国道岩手側通行止め解除となれば岩手、秋田、二つの温泉は半年ぶりのにぎわいとなるでしょう。

須川温泉の湧出量は平均で毎分6000㍑といわれます。今はその量をさらに上回るのでしょうか、小川のようなお湯が須川高原温泉の軒先を流れ下っています。

CIMG1198-1CIMG1199-1CIMG1204-1CIMG1208-1CIMG1223-1CIMG1228-1CIMG1239-1CIMG1244-1CIMG1263-1CIMG1268-1CIMG1271-1CIMG1273-1CIMG1299-1CIMG1255-1CIMG1281-1CIMG1292-1▼帰りには赤滝に立ち寄りました。滝への道路は残雪でまだ通れず、雪の上を徒歩。滝周囲の環境は以前の姿と大きく異なりますが、かろうじて滝と神社の景観はまだ保たれています。これも、今年はじめての赤滝神社にみんなで願いを込め、私は滝壺に下りました。

いずこも同じで、雪解け水が落ち込む轟音の勢いに圧倒されるのが雪国の春の滝。もちろん川向こうにはこの日の装備では渡れません。滝壺の斜面や雑木林に咲くショウジョウバカマと、つぼみのイワナシ、カタクリをながめ、手軽にできた春景色堪能に満足のひとときでした。忙中に閑を見いだされ、是非、須川高原へ皆様、お出かけ下さい。

雪と土を相手に

現議会の任期はこの29日まで。30日には初議会が予定され、新任となった新しい構成で議会がはじまります。

それまでの間にも、世の中は議会の改選などとはまったく関係なく流れていて、議会にはいつもと同じように各種会議、行事のご案内が届きます。とくに、年度初めのしごとがいよいよ本格化する5月は、00期成同盟会、00研修会などをふくめ各団体などの会議が目白押し。それらへの出席決済をするのに、少し複雑な気持ちになるのが改選の年4月の常です。

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CIMG0998-1CIMG1003-1▼きのうは、いかにも春本番らしいあたたか天気。たんぼの雪解け排水がよく流れるように、崩れて埋まっていた溝や水路の土や木の葉をスコップでかきあげ、雪をつつく作業に少しの時を費やしました。
わが田んぼは集落でも有数の多積雪地。まだ農道はこんな雪ですから、いましばらく車もトラクターも先には進めません。全国でも、こんな所はそんなに多くないはずで、ある面では稀少な所といえるかもしれません。

CIMG0973-1▼そういう稀少な所ですから、いっきにではなく、雪解けにあわせて次から次へと花群落が少しずつひろがり、おかげで多彩な景色を長い期間拝み見ることができます。高台の土手にはゼンマイも顔を出しました。でも、ここの区画にたんぼをもつ農家で農作業が本格的にできるのは、まだまだ先のことです。

CIMG0978-1CIMG0979-1CIMG0981-1CIMG0980-1CIMG0976-1CIMG0977-1▼ブナの萌芽は一日増しに峰を上にとかけのぼり、昨日のわが集落、北と東の山々と雪はこんな状態です。

CIMG0974-1CIMG1012-1CIMG1009-1CIMG1014-1▼わが家のまわりではササゴ(人里で採れる細めのネマガリタケノコ)も顔を出し始めました。同じササゴでもこれはほんとに細め。ただ細くても初物なので、今朝の味噌汁でありがたくいただきました。

家のまわりのコゴミや天然ワサビも採れる範囲が日一日とひろがっています。これからのわが家は、山菜の「初物づくし」で、野の豊かな食から元気いっぱいをもらう日々となります。

心の糸を少し緩めて

CIMG0960-1張り詰めていた心の糸がやや弛んだ昨日、いつものように役場で朝の決済を終え、自宅で来客対応などの後、川沿いのバッケに目をひかれながらビューポイント周辺まで車をのぼらせました。東山をながめるためにです。

前日に山の様子を知っていて、東山と、東山の麓にひろがる谷地や天江集落、その背後の里山のブナ、成瀬川の、4つがかもしだす残雪風景が頭の隅にのこっていたのです。

CIMG0962-1東山は二つあり。それは、後ろ東山と前東山とか、上東山、下東山とか土地の人々は呼んできたそうで、いつだったか、五里台の今は故人となられた部落の長の方からお聞きしたことがあり、そのことをこの欄に記したことがあります。

同じ村でも、こちらの山系は私の知る山エリアからやや離れていて、由来も、山の様子も私はくわしくはわかりません。こちら栗駒・栃ヶ森山・北ノ俣沢山系は昔から大柳をエリアとしたハギミ(山菜・キノコ採りを生業とする人々)、マタギたちの山。私ら岩井川集落は合居川、胆沢川・南本内川の焼石山系をエリアとしたハギミ、マタギたちの山だったからです。境目にあたる明通や畑松は双方の民が入り交じって山入りしたのでしょう。
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さて東山。登山道がよく整備されているのは、ガイドブックなどで上東山(1116㍍)とされている山容は小さいがいいかたちの山の方でしょうか。それより一回り山の大きいのが東山(1117㍍・写真の左の山)でしょうか、こちらには登山道がありません。いつか、残雪の季節に、柏峠方面からこちらの頂をめざしたい、いつもそんな計画を心にしながら二つの東山をながめています。東山についてくわしい方がおられましたら、じっくりと山の由来などもお聞きしたいものです。

CIMG0967-2成瀬川沿いから脇道にちょっとそれて、小高い地から、人里、川、山の景色も目にしました。道ばたには「エンゴサクの仲間」も咲いていました。

6期目のしごとに就くことになりました

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▼昨日、改選の時を無投票で終え、議会の一員としてまた仕事ができることになりました。

村で最大の課題とわたしがとらえるのは、やはり若者定住と集落を維持できる一定規模人口の維持策(一定規模の数値範囲については私自身のなかにも緒論あり、今はふれない)。それを具体的にはかるためには、やはり村の資源を有効に活用した農林業と、そこからの産物を加工にむすびつける産業振興で雇用確保をはかることと思われます。

資源を活かすということでは、農林業と観光資源を結びつける政策がカギと思い、これには、国内の先進例だけでなく、海外とりわけヨーロッパ諸国における地方を重視する農山村政策なども参考にしながら、日本型の振興策をより創造的にとりくまねばと私は考えます。

村の政策課題としてもう一つ緊急性が求められるのは高齢化社会に対応した政策。とくに、介護体制の充実、家庭では担えない医療と介護度の高い方々の切実な現場の声にどうこたえるかは、全国のどこの地域とも同じように対策が喫緊のものと思われます。

議会と村の政治のしごとでは、他にも大切な課題と村民の要望が山積みされています。が、既存の事業者・事業体や産業の担い手をしっかりまもるとともに、時代の要請や社会のうごきをよく見通した政策ということでは、前述の二つの課題と正面から向き合いつづける覚悟がわれわれ議会にひきつづき求められていると考えます。

改選の内容は無投票という決まり方でしたが、それも議会制民主主義がもつ民意のひとつのかたちです。いずれまた4年間、みなさんにいろいろと教えられながら、謙虚に、初心忘れず、二元代表の一方の役割発揮に全力投入することを、議員の一人として固く決意しているところです。

CIMG0001-1▼肌寒さで体をややちぢめたくなるほどの昨日だったが、今朝はいくぶんおだやか。集落をつつむ里山のブナ林が、近年にないほどの早さで柔らかな緑をまとうようになりました。