▼農作業しかり、山仕事しかり、人々のはたらく姿は、その時代の標として私たちはとらえてきた。そして、時代ごとの標であるだけに、それらの仕事風景は今ではほとんど見られなくなってしまったものが多い。田んぼのコエ引きしかり、山での女たちの木引きしかり。
そのうちの一つである、冬のバチ橇(ばちぞり)運材も、もちろん絶えてしまった作業のうちの一つ。この欄でも何度か記しているが、バヂ乗りは、山林労働のなかでも最も危険なしごと。やまこ(山子?・山林労働者)で「バヂに乗れたら一人前」と昔は言った。
同じバヂゾリでも、「乗る度に命をかける」とまで言われたのが、長さ12尺の細いスギ材を縦真っ二つに割って丸い面を雪面と一部接触させるようにした「ユギ」と呼ぶ長木を左右に二本並べ、その上に長さ三尺の薪材をおよそ0.5㎥ほど積んだ「薪バヂ」であった。
「薪バヂ」でも、そうでないスギの12尺ものや、直径1㍍ほどのブナ材などを運ぶ「用材バヂ」でも、前日のソリ跡がカチンカチンに凍っている朝一番のソリを下ろす役目や、雪解けが急速に進んで、ソリが陥没する日も、命の覚悟を迫られるバヂ乗りであった。
5月10日前、ちょうど今頃は、奥羽の脊梁、北上川支流の胆沢川上流大森沢界隈などで春山バヂ引きが「岩井川のお祭りまでに山を終える」と、最後をむかえる頃だった。
写真は、わが家がまだ山林の仕事を盛んに行っていたおよそ40年前頃のもの。岩手の奥州市(旧水沢営林署)管内から払い下げられた国有林のブナを、春山雪上のバチゾリ運材で1箇所に集め、それを林業架線(集材機・空中ケーブル)で搬出した時の模様である。
大きなブナ材の端に「ガンタ」と呼ぶ道具をかけて、三人で長さ約2㍍材のブナの片方を浮かし、その下にバチを入れる作業、積み込んで後、急なソリ道を自重で下るバチと人と材、そして荷を下ろした後、下ってきた急なソリ道を今度はソリを担いで(胆沢の山ではそれはなかったが、薪バチは「長さ12尺の二本のユギをかつぐ役目も」)上る姿である。
自宅から歩いて毎朝県境の尾根を越え、雪の春山、真っ黒に日焼けしながら上りのバヂを担いだ20歳前後の当時を、この季節になると私は決まって思い出す。
写真は、私が横手に勤めはじめていた頃、写真を趣味とするMさんと、山仕事の現場視察をのぞむ労組関係のSさんの二人をご案内し、胆沢川、通称ハヂベェテイ(八兵平)の作業現場で撮った写真。(今は亡きMさんの撮った写真と、もしかしたら私の撮ったものがわずかに混じっているだろう)村の人々のバチ乗りは、この山でがおそらく最後であったろう。そういう意味で、わが家にとっては歴史のひとつの記録となる写真でもある。写真には、亡くなった伯父、父、近所の方もおれば、今も元気でがんばっておられる近所の元議員でもあり山仕事の先輩、叔父、友などが写っている。「お互い、当時は、糊の汗を流して、えぐ、がんばったんすな。時には命をかけて」と、思い出すのです、雪消の春は。