戦後70年目の村戦傷病没者追悼式

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8日、戦後70年をむかえる年の戦傷病没者追悼式が役場開発センターで行われました。

人類史未曾有の大きな誤りによって尊い命を奪われたすべての人々への鎮魂の思いを込め、追悼の言葉を申し上げました。以下は、その概要です。
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春うららかとなった村は、ここ数年ではめずらしく雪消えが早くすすみ、幼少、あるいは青年の頃、御霊が家族とともに過ごされたふるさとの山は、そのときと同じように芽吹き、母なる川は、そのときと同じように深山の雪解け水がとうとうと流れ下り、育苗ハウスでは、村の農業振興をささえる早苗が緑を濃くしすくすくと育っています。

村の追悼式が、このように命みな萌える躍動豊かな春に執り行われるだけに、先の大戦で尊い命を奪われた御霊をしのびますと、毎年のように無念の思いがこの5月はさらにつのるのであります。

今年は、戦後70年を刻む大きな節目の時であり、「戦争の誤りを決して繰り返してはならない」の世論がこれまで以上に列島にこだましています。

その中でも、あの大戦を体験された方々の言葉は、70年を経た今日も、まるで今今のような臨場をもって私たち戦後に生まれた者の心に響きます。それは、御霊と同じように戦場を体験された方、引き揚げされた方、あるいは国内での原爆や空襲、沖縄上陸時の悲惨などを体験された方の生きた言葉であります。

私が触れましたそれらの言葉の多くでは、戦の地にあって命果てる際(きわ)に多くの方が、家族の名を、とりわけ「母」の言葉を声にしたといいますが、私は、その戦争体験者の言葉を、村の御霊がおかれました当時の心境に重ねてしのびます。そして、最愛の夫を、息子を、兄弟を、子と家族をうばった「あの戦争許すまじ」の決心をさらに深くします。

平和を希求するわたしたちの最大のよりどころは、御霊の尊い犠牲の上につくられた日本国憲法の平和精神でありますが、いま、その憲法に反する政治のうごきが加速しています。私たち村議会は、非核平和宣言を唱える村としてこの動きに瞬時に対応し、12月とこの3月議会において、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定撤回を求める意見書を全会一致で可決し国会と政府あてに送りました。今後も、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう、憲法の精神を堅くまもり、戦争参加への道を許さないためにあらゆる努力を傾けることをここに誓います。
平成二十七年五月八日
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昨日は集落山神社の春の祭典。わが家は喪中のため、昨年に続きお祭りはご遠慮の春となりました。寒い一日で、神輿や恵比寿俵奉納での練り歩き、御神酒をのめない方や子供さん方にとってはなかなか大変な祭りであったでしょう。