今年も仙北街道雪上歩きへ(その1)

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▼今日は過ぎた週末にもう一つ足を向けた仙北街道筋への春山歩きをご紹介したい。諸々のことが重なっていて「今年は行けないかも」と半ばあきらめていたが、人の世はどう変転するかわからぬもの。あきらめていた動きが予想に反してできることとなり、こうなったら「さあ、山へ」と私の体はうごく。

やや肌寒い空に東風が弱く吹くなか、朝7時17分にジュネススキー場別れの国道閉鎖門に車を止めて歩き開始。しばらく舗装道路をスパイク靴で歩くが、最短距離をとるので途中からは国道を半ば串刺し状にして雪上歩きへ移る。397号の国道除雪も今年ははかどり、23日には終えて、この日はカントリーパーク内の除雪に向かう車の音が聞こえる。

CIMG1019-1CIMG1021-1CIMG1018-1ススコヤ(すずこやの森)の沢に到着は8時25分。途中、タゲマルギッパ(竹まるきっ場)の崖のブナと種まき桜や、植生限界に生えるアカマツを確認。雪上から出た枝に花をつけたブナをながめる。村の何処でも、秋の紅葉が美しい崖山は春紅葉もまた見事となる。雪の村の春紅葉をモーツァルトやスメタナなどがもし目にしたら、どんなにかすばらしい交響楽がつくられたかもしれない。現存のすぐれた作曲家のみなさんのどなたかに、村の四季、とくに春を主題にした曲をつくっていただいたら見事なものができるだろう。

同じ道すがらでは、シラグヂヅル(サルナシ)とヤマブンド(ヤマブドウ)の二つの蔦が見事に絡まっている姿を目にする。おいしい実をつける二つの蔦樹がこのようにしてからまっているのはそうは見ることがないので記録しておいた。

ススコヤの沢入り口は、むかし、沼又国有林の払い下げを受けた岩井川愛林組合の事業者の方々が、ブナ材の春山伐り出しのコヤ(宿舎)を建てた土地。コヤには、ママ炊き(ご飯炊き女。時には男もやった)が炊事に使う水が引かれていた。むかしの映画で兵隊さんがドラム缶風呂に入るシーンと同じで、コヤではドラム缶風呂へもススコヤの水を引いた。

コヤへは、月に何度か食べ物が荷揚げされ、その担い手は事業者の妻や雇われた女たち。私も、記憶は定かでないが小中学生の頃、何度か母たちに混じって雪崩の危険の下を荷を背にしてコヤに通った。時には残ってコヤに泊めてもらい、ドラム缶風呂にも入った。

コヤの夜は、真っ赤に燃える薪ストーブをそばにしてたばこの煙がたちこめ、男たちは酒と花札遊びに興じ、私も子どもであったがその輪の中に遊び心で加えてもらったこともある。ジドッと重かった掛けふとんの感触は、コヤが建っていたここを通る度に思い出す。

CIMG1020-1ススコヤの沢沿いには当時伐り残されたブナの老木が今もある。この老木は、コヤで働く人々が毎朝出かけるのを見つづけた樹。エシャガ(胆沢川)やタゲ(焼石)へのアガベゴ(日本短角牛)自然放牧の監視人、沼又の国有林を伐り終えて後、胆沢管内の国有林へむかったわが家など伐木搬出の人々、山菜、きのこ採り、ずっと昔の狩人など、エシャガのアゲ(急坂の峠道・八百八アゴと呼んだ)に向かう人々を見下ろしつづけた老樹である。