雪山を駈けるテン

久しぶりに青い空をみた10日、運動不足の体がムズムズしてきた。

そういうこともあって、きのう、今冬初めて横手市山内三又境のブナの尾根に向かった。いつもの年なら12月から1月はじめにかけて一度は上がっていた尾根だが、今年は雪が異常に少なく歩きを敬遠していたもの。

それが先日のドカ雪で積雪はやっと1㍍を越した。しかし、新雪はまだ締まらずカンジキをつけても足が膝近くまで沈むほどに雪は深い。それにお天気も、期待する岩手山など遠くを望めるほどよくはなかったが、「これ以上の悪天にはならないだろう」と歩きを決めた。

「そろそろ、山に向かう頃」と、前日からこちらの動きを妻は察していたのだろう、昼食の準備もしてくれている。朝食後は、朝ドラ・スカーレット(離婚した夫婦が久しぶりに会い、会話後に分かれる場面)をみてからゆっくりとコーヒーをいただき、ゆるりと家を出た。4時間ほどの里山歩きだから、それほどあわてることはない。

やはり雪は深い。が、二段ぬかり(一度沈んだ足が、体重をかけるとさらにもう一段沈むこと)はしないので、雪が深い割にはそれほど足に負担とはならない。

それでも、集落を見下ろす最も大きなブナの根元に着いたら2時間近くはかかった。この大ブナの根元では決まったように毎年セルフタイマーで撮る。それは、「今年も、ここまで、カンジキで上がれる。まだまだ、足も体もだいじょうぶ」という自分がくだす健康診断の証を得る作業のようなものでもある。雪深い斜面のハデを漕ぎ、この大ブナまで上がれるうちは、まずまずの健康が保たれているというわけだ。

ここらあたりまで上がれば、ヤマドリやノウサギが途中で目に入ってもおかしくないのだが、新しい足跡はきわめて少なくもちろん姿も見えない。

休みなしでいっきに山内三又境の尾根まで上がる。やはり天気は好転せずで、尾根は予想したように風が冷たい。三又集落のごく一部は眼下に入るが、真昼や和賀岳、岩手山などへの遠望はまったく利かない。郡境の風の通り道、尾根のヘンドウ(くぼんでいる箇所)には、強い風に運ばれた雪がつくるいろんな造形が毎年観られる。雪と風と低温がつくる芸術だ。

尾根には何故かクマがとりわけ好んで毎年上るブナの大木があり、あいかわらず新しいツメ跡が加わっている。

めざす尾根の終着点にも、その雪と風たちがつくる美しいブナの風景が広がる。が、この日は期待した青空と陽射しがなく、写真にのぞむいい按配の光と影がない。横手盆地から上る北の風がまともにあたる尾根なので、体感の寒さだけは一等級。こういう時は長居は無用。風のない尾根裏で立ったまま食事をとり、さっさと登りとは別コースで岩井沢方面に下る。

この尾根に通い始めて50年以上になるだろう。郡境の尾根にはちょっとした平坦部があり、見通しの利かない吹雪の日などはホワイトアウトになることが稀にある。そのため里山でも、まちがえて見当外れの尾根に下りてしまい、後に気づくことが二度ばかりこちらも体験している。山歩きでは、平坦な地点で方向を間違え迷うことが多い。ホワイトアウトの山ならなおさらなのである。

さて、その下る尾根は、岩井沢最上流部のここらの里山のなかではとびっきりの急な尾根。登りのコースにはほとんど歩くことがないが、下りは急で楽だし、数十年の経験からノウサギが伏せている箇所も多いので私はここを決まって下る。

足跡とともに、タラの芽や蔦を食べたノウサギの新しい活動跡がある。いつでも写せるようにカメラをかかえながら下り初めてすぐの急斜面に、ノウサギではなくヒラリと動くテンらしい黄色の生きものが瞬間的に目に入った。確かめたらそれは予想したとおりのテンだ。

雪上を動いたテンは、いきなりヤマブドウやフジなど各種の厚いツタ類がからまる木に上がり、途中でこちらを正面から見ている。

テンまでの距離は80㍍ほどはあるだろうか、遠い。それで、こちらは尾根から雪深い斜面に移り、テンになるべく近づこうとした。この日は新雪がいっきに積もっているのでワス(表層雪崩)に気をつけながら斜面を下ろうとしたら、むこうはこちらの動きをとっくに察して木の高所から大ジャンプで下り、斜面をいっきに上へ向け走り始めた。雪は深いのにその足の早いこと。一度も休まずにたちまちのうちにテンは視界から消えた。かってノウサギを追いかけ倒したテンの姿を自宅前の河川敷で目にしたことがあるが、瞬間的なスピードはそうとうなもの。

今年はテンにご縁のある冬で、今度はブナの里山でご対面である。先にご紹介した柿の実を食べるテンは、木を伝う途中で柿の実の汁を体のあちこちにつけていた。そのために本来の美しい毛色より少し落ちていた。しかし、今回のテンは汚れがなく真冬の美しい体色そのもの。その色は、やはり、黄金色というよりはインディアンイエロー色に近いのか。

深山、里山を問わず、山を歩けば何かとのうれしい出会いがある。その出会いをもとめて、「あと何年、冬山歩きが出来るかなァ」などと考えながら、帰り道も深い雪を漕いだ。都合、4時間ほどかかった里山歩きでした。

屋根雪を下ろすかどうか迷う時期

いっきに50㌢も降ってくれた6日のドカ雪の後、さらに積雪は少しずつ重なりました。週末、休日は雪の村らしくなり、雪下ろしや雪寄せに動く人々の姿も村内ほうぼうで見られました。

久しぶりに南下した強い寒波のおかげで、家々に吊されていた「凍み大根」も本来の寒気をうけようやく仕上げの段階に入れるようです。あまりの暖気続きで「これで、よく凍みれるのかなァ」と思ったほどでしたから。

わが集落、家々の屋根にも50㌢以上の雪が新たに降り積もったわけで、今冬2度目の本格的雪下ろしに動く人々の姿もみられました。

その一方で、50㌢も積もればいつもなら雪下ろしにかかるのに、そのまま屋根に雪をのせたままの家も案外多くみられます。それは、時期がもう2月も半ば、今後すぐには強力寒波の襲来が予報されず、「もう、それほど多くの雪が重なることはないだろう」と考える方が多いからと思われます。こちらもそういう思案をしている1人で、「この程度の雪なら、かえって屋根に重しとして載せておいた方が、今後襲来の爆弾低気圧による風害対策になるだろう」などとも考えています。

ただし、屋根雪に雨が加われば重さは何倍にもなるので、こんな時に万が一大地震がきたならば困りもの。しかし「ムダな動きはなるべくしたくないし」と、心は微かに揺れたりもしています。風下に溜まったマブ(雪庇)だけは落とすつもりですが。

さて、その判断が的中すればよいのですが、どうでしょう、これから一日で50㌢ほどのドカ雪がまたくるかどうか。判断結果の「運」を試される日々が、もうしばらくは続くことになりそうです。

▼この寒波・大雪のきのう朝、起きてすぐに「水が止まった」と妻の声。年に一度ほどはあることで、湧水源から引いている洗濯などにつかう生活用水が急に断水したらしい。こういう時に限ってトラブルはおきるもの。

何十年もの間の体験からトラブルの原因やその箇所はおおよそ見当がつきます。早速カンジキを履きスコップをもち、備えの各種道具をリュックに詰めて水源方向へ上がりました。

雪原は新雪が積もったばかりで深く、足は、カンジキをつけても膝より上まで雪に沈みます。トラブル箇所も原因も予想したとおりで、1㍍ほどの雪を掘り、すぐに原因の漏水は止まりました。思わぬトラブルのおかげで、今冬では最も難儀なハデコギ(ハデは固まらない新雪。コギは漕ぎの意。ラッセル)をし汗をかき、運動不足でナマっていた体にはほどよい運動になりました。

今冬2度目の冬らしい空

今年に入ってからは、厳しい寒さも大雪もないままひと月が過ぎていたので、50㌢ほど新たに積もったきのうのドカ雪で「ほんとうは、村の冬って、こうだったんだよな」と思わせられたところです。

村らしい大雪降りは、雪下ろしをした12月初めに次いでこれが今冬2度目。雪不足を嘆いていた小正月行事のみなさんは、平野部でも50㌢ほどの新しい積雪をいっきに記録して、まずは一安心というところでしょう。役場庁舎のつららも今冬最大の長さとなり、立春を過ぎて真冬をはじめて感じたような2月です。

雪のことでは、いつもの年より雪と関わる稼働時間が少なくて見込んだ収入より少ない業者さんも県内に多いようです。そういうことも想定して「最低の補償」となる救済対策を各自治体が委託業者に対してとっているところが多いようです。それはわが村も同じです。ただし、村の場合、雪が極端に少なかった今シーズンであってもその「補償」が適用されることはないようです。つまりこれほど異常な雪の少なさの今年でも、豪雪の村では「補償」のラインを越えて稼働がなされているというわけです。

ところで、除雪は朝早くからの仕事です。村の場合は、業者さんに対して、朝の作業開始時間を特別な大雪の日は別にして通常は3時半から始めるよう告げられているようです。3時半開始というのには理由があり、村民の睡眠を大きく妨げる時間帯はなるべく避けることと、朝の車の通行に支障のない時間までに終えるという、除雪に最も効率よい時間帯を考慮してそういう時間設定がされたようです。

朝早い除雪は、直営であれ、委託であれ、携わるご本人にとっても、それをささえるご家族にとっても苦労の多い大変な仕事と思われます。無理のない時間設定で作業ができるよう、常に考慮しての作業委託の発注や路線の編成を村は心がけているようですので、村民のみなさんにそういう実情を私からもお知らせしておきます。

▼きのうは、年に二回開かれている厚生連雄勝中央病院の運営委員会へ。

中央病院スタッフのみなさんの努力が毎回のことながらよく理解できる会議です。

先に、全国の公立・公的病院の再編・統合について病院名をいきなり公表した国に対して、全国から批判の声があがりました。わが議会も「国の基準に基づく一方的な再編・統合は行うべきでない」という旨の意見書を過ぎた12月議会で国に提出しています。

国がとるべき政策は、人口が少ない地域でも必要な医療が安心してうけられる体制です。民間であれ公であれ総合病院はその中核であり、医療スタッフ不足や医師の不足、偏在を解消する制度創設こそが求められます。効率論と市場経済の論理を優先するなら、我々の社会は、どこまでも一極集中にならざるをえないでしょう。

人口減少を一定数に止めようとする地方創生を本気で考えるなら、安心して暮らせるカナメとなる医療の充実、医師の絶対数不足(経済開発協力機構の2016年調査で、人口1000人当たりの医師数がOECD平均3.3人に対し、日本は2.4人。これはOECD35カ国中30位。OECD平均と比べ11万5000人医師の絶対数が少ないとされます)の解消が必要であり、さらに医師を主にした医療スタッフの偏在もなくす制度が必要でしょう。これらについて、世界の医療先進国に学び、日本に適合した制度をつくることに我々はもっと執念をもたなければと痛感します。

野の生きものあれこれ

過ぎた2日の日曜日。県猟友会の「鳥獣管理担い手育成事業」の現地実習と鳥獣の解体や巻き狩りの講習が、村内を会場にして行われました。

講習の参加対象者は狩猟免許を所持してから5年未満の猟友会員。ノウサギ巻き狩りや獣の解体を体験・実習し、巻き狩りの方法などについて室内でも講習を行ったものです。

東成瀬村を会場にした講習では、湯沢雄勝と横手平鹿の猟歴の浅い担い手会員のみなさんが10数人参加。総動員となった村の猟友会員たちとともに大柳地区での二回の巻き狩りやノウサギの解体講習が行われました。

後に行われた室内講習では、村の猟友会が協力し教育委員会がABS秋田放送に委託してつくった巻き狩りなどのDVD視聴もなされました。

この日の巻き狩りではノウサギの猟果はなかったようで、前日に捕獲していたノウサギで解体実習がおこなわれたようです。

▼ところで、日本の野生鳥獣類については、その生息数の推移が全国的な関心をあつめています。よく話題になる特徴的なことは、イノシシ、シカ、サルの生息数増。とくにシカとイノシシについてはこれまで長年棲息が途絶えていた北東北日本海側での確認頭数が増えていることです。秋田では県南の湯沢雄勝と横手平鹿でイノシシの棲息確認が急増。加えて、東北ではクマの棲息増も特徴的です。

それら棲息増の種があるなかで、逆に数を極端に減らしているのはノウサギです。生息数減の主原因が何かはわかりませんが「狩猟者も激減、狩猟者が長年入らない山でもノウサギは増えない。不思議だ?」と言われてからもう30年近くにはなるでしょう。生息数減の原因についての風評や諸論はいろいろ発せられます。しかし、科学的な根拠をもつ説はこちらも聞いたことがありません。こういう分野は研究者も研究体制もおそらく極めて少ないからなのでしょう。

ノウサギの激減は、食物連鎖の環をつくる野の生きものたちに大きな影響を与えているはずです。地上でその影響の大きいのは、ノウサギを主要な獲物としてきたキツネやテン。鳥では、とくに厳冬の環境で長年ノウサギを大切な捕獲物としてきた絶滅危惧種のイヌワシとクマタカは、とりわけ大きな影響をうけているはずです。

▼こんなことを記していたきのうの朝、岩井川集落下の庚申塔付近で、道脇にキツネが横たわっていました。夜に車にはねられたと思われる死体です。たっぷりの栄養をとっていたらしく、骨太で毛並みも体つきも立派な個体でした。我が家にもありますが、むかしなら、テンとともに競って襟巻き用などに重用されたキツネの毛皮。ですが、今は、食が細くなってきたカラスなどの餌食となるだけ。この骸もたちまちのうちに土に還るでしょう。

久しぶりの真っ白な村

前日より20㌢ほど新雪が重なったきのうの村。地面のほとんどが久しぶりに白いクロースにおおわれたようになりました。

午後にはときおりの陽射しもあり、木々にまとわり着いたままの湿り雪の白さがその陽射しに輝き、村には白い世界の美しさがもどってきました。

きのうは所用で村内を巡りましたが、一時の積雪があったものの雪の少なさはやはり異常です。豪雪対策本部が設置されるいつもの年なら、雪に埋もれるほどになる谷地集落の農家のビニルハウスもきのう午後でこんな状態。今朝も雪寄せはしなくてもよいほどです。

今日明日には強力寒波が襲来ということですが、このままの異常な暖冬傾向で春をむかえるなら、例年になく春作業にとりかかれる期間に幅がうまれ、とくに農業では余裕のある仕事の計画がくめるかもしれません。水不足への懸念はいっぱいありますが。

4月並みの風景はきのうまでか?

立春の今朝、我が家まわりで20㌢ほどと久しぶりの積雪となり除雪トラクターを動かしました。ここ2,3日の大雪も予報されましたから、雪降りを待っている方々にとっては「願ってもない積雪」。

かまくらや犬っこまつりらしい雪景色のなかでの小正月行事ができることに関係者はホッとしているでしょう。しばらくは冬らしいお天気が続くようで、春4月並の異常な冬はこれで終わりかもしれません。

きのうもまたまた雨で、少し積み重なった雪はたちまちのうちに薄くなりました。なので、今日もまず雪の少ないきのうまでの様子を記録としてのこしておきます。今朝は、また白が支配する村に戻りましたからね。

今日とりあげるのは、わが集落と椿川手倉地区を結ぶ川通りの崖にある硯滝(すずりたき)。
ここは、蛇行する成瀬川が長年かけて削りとった崖です。

春は萌える若葉、秋は紅葉と、村の里山景観のひとつにあげられる美しい小さな崖地。そこにあるのが硯滝。滝の上部すぐから、わずかの水が湧き流れ落ちるので、細々の水ながらも滝の名がつけられたと思われます。

村の郷土誌は、集落の歴史を記す一節の岩井川の叙述部で「秋田風土記」を引用しています。「風土記」は、「此里手倉との間に硯石を生す、川岸の山なり至りて難所なり、其所の石を取て作る、名を鹿通石と云、硯石のあるところは滝の下也、(以下略)」と記します。滝が滑り落ちる岩はその硯石となった材料と同じなのでしょうか。

その硯滝も、いつものこの季節なら雪と氷にほとんどが覆われていたでしょうが、今冬は雨で水量もやや多く、滝全体が姿を見せていて、ここもまるできのうまでは春4月のよう。

そばには、葉緑の濃いヒメアオキも雪に押さえられずにいきいきと暖かい冬を越しています。今冬は、同じように常緑で背の少し高いユキツバキも、村の各地でやはり雪に押さえられずにシャンとしています。それよりずっと背が低くかよわいヒメアオキもこのとおりなので、豪雪の村は、土肌だけでなく、かってないほど緑も多く目にはいる異常な真冬です。

不思議な雁の群れ

雪の少なすぎた寒中が一目でわかる風景、そんな特徴ある場面が村内のいずこでもみられた過ぎた1月。田子内大塚の小さな祠もそのひとつ。1月31日だったのに、小高い地の社は全体の姿をあらわしていました。

同じ31日、朝の用務を済ませて役場から帰宅途中のこと。東から西へむけて地元集落の低空を飛ぶ雁の群れが目に入りました。

厚い雲が垂れ込めた朝で、奥羽の嶺はその雲に覆われ、里の山々も雨の空模様で霧に隠されていた時です。天気は分単位で激しく変わりやすく、流れる雲の切れ間からわずかの青空がのぞいたりする時でした。

はじめ20羽ほどと見えた雁の群れでしたが、編隊の数は次から次へと増え、低空を飛ぶ編隊に加えて、見上げたらそれよりはるかに多くの群れがもっと高くにも。

総数200羽ほどの群れは、集落の上で今度は大きく旋回して向きを急に西から東へ変え、編隊を乱したり整えたりしながら低く厚い雲の中に消えました。

まだ渡りの季節ではないでしょうが、越冬地からはるか離れた1月末の村の上空に群れ飛ぶ雁。それに、急いで西へ行くでも東へ行くでもない、その飛翔の目的は何なのでしょう。

真冬に村で見られためずらしい雁の群れということでは、2,3年前のことですがこういう事例もあります。めずらしい群が見られたのは成瀬ダム工事現場の仁郷台地。雁の大群が確認されたのは飛ぶ姿ではなく厚い積雪の上です。群れが何のために雪の上に舞い下りていたのか、羽を休めるためだったのか、それはわかりません。

下の写真は、雪上にいるその群れのごく一部です。仕事に行く途中たまたまこちらの先輩Sさんが目にし、遠くから撮った写真をSさんからお借りしていたものです。

越冬場所ではない山間集落での1月末の雁の群れ、真冬の仁郷台地に舞い下りた雁の群れ。いずこで目にしても感ずるのは、雁という鳥がもつ深く不思議な固有のロマンです。

▼きのうは、各期成同盟会での要望行動や村の要望などで年中お世話になっているみのり川信英代議士の国政報告会へ出席。国土交通副大臣就任祝賀も兼ねた集いでした。

代議士の活動を長くささえておられる後援会長さんが、あいさつでは最後に立たれましたが、会長さんの語られた情勢や世相への視点の鋭さには昨年と同様に注目しました。政治活動だけではなく民間の会社にも官公庁組織にもいえることでしょうが、凜として重みと洞察深い言葉を放つ方が陣営にまたは会社や組織におるというのは、とても大きい意味があることだと思われます。