雪下ろし方式を切り替える

屋根の雪下ろしについて、高齢を自覚して長い間の慣わしを変えたことをひとつ記しておきます。

一気雪降りで150㌢をやや越えるほどの積雪を屋根に溜めてしまい、それを下ろした年末のあの難儀のことが今も体に染みついています。自宅の屋根にこんなに雪が多くなるまで積もらせていての雪下ろしはあまり体験がなかったからです。

そんな思いを持っているのはこちらだけではなかったようで、高齢者の間で雪下ろし体験が語られる今年の会話では「屋根さ、おが、雪ためれば、なんぎで、ダメだ。としょたば、おが、ほう思う。(屋根に、あまり、雪を溜めれば、難儀で、よくない。年をとったら、よけい、そう思う。)」などという言葉が結構交わされているようです。ただし、屋根に上がる回数が増えるのでその面での危険リスクは増えますが。

そういうことで、我が家の雪下ろしはあの後から「あまり溜めないで、やれる時にすばやく下ろす」という方針に切り替えました。これまではだいたい「50㌢~1㍍積もったら下ろす」でしたが、年末以降は30㌢ほどでも「やれる時はなるべく早く下ろす」に徹しています。

これにより一番時間がかかる自宅母屋で、一人の作業でも時間がそれほどかからずに済みます。雪が少なければ当然軽いので体への負荷も少なく、下ろした雪の量も少ないためにエド(池)や舗装面への流水による融雪も早く進みます。したがって、この雪下ろし方式は高齢者ながら自分で下ろす我が家の条件であれば理にかなっていると今のところは思いこんでいます。それにより、「今冬何度目の雪下ろし」というこれまでのような表記はあまり意味がなくなりました。前年との雪下ろしの回数を比べて積雪量を類推することは今年であれば現状にあわないからです。

そんなわけで日曜日も母屋へ上がりほんの短い時間でしたが雪下ろしを済ませました。でも、12月のようなあんな一気降り積もりがきて、ちょうどあの時のように荒れ空続きでしかも行事などと重なったら、なかなか「それっ」と少しの雪でもすぐ屋根に上がることはできないかもしれません。一晩、一日で1㍍前後積もることもありますから。

2月2日の節分は124年ぶりという今日、きのうの晴天に続き未明から朝はずっと雨で明日は立春。週間予報に雪マークが続き、荒れ空も告げられます。でも年末のような厳しい連続寒波ではないようですので、雪下ろしへの前述のような諸々の思案は必要としなくなるかも。

 

大役を果たす薪ストーブ

我が家の冬の暮らしをささえる薪ストーブ。15畳間のエドゴロ(居間)でとる暖房だけでなく、あらゆる煮炊きやお湯沸かし、そして洗濯ものの乾燥など薪ストーブは今冬も大きな役割を果たし続けています。

10年前の東日本大震災で停電の時、電気炊飯器が使えなくなっても暖房をはじめご飯などの炊事で薪ストーブは代役を果たしてくれました。炎から常々感ずる人肌にやさしい暖かさだけでなく、「さあ、困った、有事だ!」という時も薪ストーブは貴重な熱を伝え続けてくれます。

真冬の今は、塩蔵していた山菜やキノコたちが次々と食卓に上がる時。これら山の幸の鍋物、煮物にも薪ストーブは欠かせません。ほんの10年ほど前までの我が家なら、狩猟で捕獲した野の生きものたちの大鍋をつかったドンガ汁(骨と肉をぶつ切りにし、白菜や大根、ゴボウなどとともに煮込んだ鍋料理)にも、火力の強い薪ストーブは欠かせぬ器具でした。

昨年から今年にかけてのコロナ禍では、部屋の換気や湿度への心がけもよくいわれます。昔式住宅の我が家の居間は、四方が障子戸なので隙間だらけ、それにストーブの上には常にお湯鍋が載せられていて蒸気が上がりっぱなしですから湿度も換気も十分です。ウィルスにとってはあんまり居心地がよくないようで、これも薪ストーブの利点ということができるでしょうか。利といえば二酸化炭素の削減にもエネルギー部門で薪は小さな役割を果たしていることになります。木を切る、割る、積む、運ぶの作業は難儀ですが、薪にはこのように多くの利もあるようです。

▼この先一週間の天気予報には曇りと雪マークがきれいにならびました。それだけに、今朝の澄み切った青空と、県境の尾根から7時40分頃に顔を出したお日様をありがたく見つめました。またしばらく朝からのこんな陽射しと青空はやってこないでしょうから。

豪雪に耐えるしなり強さ

豪雪地方、標高500㍍ほどより上の地で、ほかの樹木に比べて圧倒的に優位な植生の範囲をしめるのはご存じのようにブナです。

時には積雪が10㍍前後になる深山尾根筋の風下にもブナはその雪に耐えて生長を続けます。ブナが豪雪に耐えて樹高を伸ばし続けられるのは、幹や枝にしなり強さがあることも大きな理由でしょう。

雪に押さえられた枝のしなり強さをよく知ることができるのが写真のようなブナの姿です。果樹をはじめ樹木の多くは積雪が引っ張る力で枝が裂け折れてしまうのですが、ブナやミズナラ、ヒメマツ(キタゴヨウ)など豪雪に耐えられる広葉樹や針葉樹は、雪がおよぼすあらゆる圧力をしなり強さでかわし生き抜いてきました。

今冬のように寒中の雨天の後や春の雪解け時など、とくに積雪が締まって下がる時、雪に押さえられていた枝も強力な引っ張り力を雪から受け、果樹などの枝折れや裂けの多くは、雪の重さとともにこの時の力で被害を受けます。しかし写真のようにブナは枝を雪に抑えられ強い引っ張り力を受けていますが、どの枝の付け根も裂けずに見事健在です。

豪雪の地でくらすには、ブナと同じように人にもしなり強さ、粘り強さ、想像以上の困苦に耐え忍ぶ力がどうしても必要になります。我々人間にも、森の生きものたちにも、ブナをはじめとする植物たちにも、そんな力が長い年月をかけて培われ体にくみ込まれてきているのかもしれません。

▼きのうも雪による被災状況を確認するために大柳地区まで村内のおおよその様子を見てまわりました。

損壊規模の大きい空き家や不在家屋の住宅やその付属物を除けば、いま利用されている建物で被害が目立つのは軒の破損です。住人はおられるのにこれほど多くの軒破損が見られるのは近年にないことです。トマト栽培や水稲育苗用のパイプハウスなど農業用施設の倒壊も著しく、これもおそらく被害規模ではここ十数年来最大規模と見られます。

今冬これまでの最大到達積雪深は、役場所在地の田子内で1月5日の201㌢、岩井川は1月11日の244㌢、椿台は1月20日の238㌢、大柳は1月11日の256㌢で、ごく普通の豪雪対策本部設置の年とそれほど変わらぬ積雪量です。

積雪量がこれより多い豪雪の年でもこれほどの被害がなかったのに今冬の被害が大きかったのは、やはり12月半ばという異例の早い時期から何日もの間休まずの一気降りが続き、除雪や雪下ろしをやりきれなかったためでしょう。そして、これはわが村だけでなく県内広くにいえることですが、高齢化と若者減少、雪下ろし除雪対応の担い手不足がいっそう進み、社会全体が豪雪に適宜対応しきれなくなっていることも遠因としてあげられると思います。

パイプハウス施設の破損は春先すぐの農作業準備にも大きな影響を与えることが直に懸念されます。高齢農家の場合は今後の営農意欲がそがれる心配も考えられます。すでに様々な面での支援策が国をはじめとして視野におかれているようですが、国、県、村、関係機関・団体にはこうした被災地の現状を見据えた支援策が求められています。

▼21日に田子内で6㌢の降雪、それ以後22日から一週間降雪ゼロが続き、今朝は乾いた舗装道路をうっすらと白くする程度のわずかの降雪となりました。積雪はかなり締まり、3月下旬~4月上旬並みの雨天や晴天だったので雪解け時のような大きなヒラ(雪崩)が多発しました。雪崩までとはならない斜面も雪の崩れで土肌が各地に現れ、寒中なのに豪雪の村は春先のような一週間を過ごすことになりました。

雨天も時々あったので里山では雪解け水も少し加わったらしく、沢も成瀬川も流量はいつもの寒中よりやや多めとなっているように見えます。

河川敷の伏流水が湧き流れる窪地も周りの雪がだいぶ解けています。ここでもほんのひとときながらも春先を思わせるように水面と土肌の面積が少し広がっています。そこには緑のクレソンがおいしそうに育ち続けています。でも、この春らしい雰囲気も迫り来る今日夕刻頃からの台風規模と予告される猛吹雪で一変してしまうはず。

▼お世話になっている方から湯沢市産のヒロッコをいただきました。厚い雪の下で育つヒロッコはセリやサクランボと並ぶ湯沢の特産物。早速酢味噌あえとサバ缶味付けの鍋にしてごちそうに。にんにくと同じで風邪などウィルス予防にも効果があるとよく言われるヒロッコ、その初モノをおいしくいただきましたので残る厳寒は元気に過ごせるでしょう。

雪国のくらしをささえる堰(水路)

灌漑用水や生活用水、それに流雪溝や雪消し用水にと、多方面でわが集落のくらしをささえる基幹用水路の遠藤堰です。

古くは江戸の昔から、村内どこの集落にもこのように人々のくらしをささえる大小の用水路がつくられてきました。豪雪の村の現代では、これらの水路がなければ雪処理がむずかしく冬のくらしが成り立たなくなるほど大切な役割を担っています。

かんがい用水を主なる目的として堰を掘削した当時の人々は、この水路と用水が雪処理に使われる時代がくるなどということは想像にもうかばなかったでしょう。水は命の源となるだけでなく、雪ぐにでは除雪に欠くことのできない大切な資源でもあります。

まもなく立春となりますが、豪雪で大きな役割を果たし続けている堰(用水路)は、もうしばらく雪と向き合う人々の最もありがたい設備として滔々と流れを運び続けます。

議長会正副会長会議へ

少々の降雪をみた21日朝から後は、降雪が記録されず雪寄せ作業をしなくても済む朝が今日まで続きました。予報だと明日朝もそんな天気になりそうです。

降雪が落ち着いてほんとに助かりましたが、そんな晴天が続いただけにとりわけ強く目に映るのは、雪で損壊した住宅の軒や農業用パイプハウスが雪の重さにつぶされた痛々しい壊れ跡です。

そういう被害が多く発生している村内からとなり町の果樹園を眺めれば、やはり雪で幹が裂けたり枝の折れたリンゴなどの樹が方々で見られます。いま目につくだけでもこれほど多くの被害樹が見えますから、雪解けの春になったらその被害規模はかなりのものだということが果樹農家ではない私たちにも推測できます。「長い期間のいっき大量降り雪」がもたらす破壊力を被害の爪跡から教えられる日々です。

きのうは、そういう様子を目にしながら議長会の正副会長会議があって秋田市へ向かいました。

この時期の会議だといつも話題にのぼるのは雪のこと。今年はわが村が県南の市や町とともに災害救助法適用となるほどの大雪となり、自衛隊の災害派遣やみなさんからお見舞い電報などをいただいておりましたので雪はなおさらの話題となります。同じ県内でも雪のまったく少ない所に住んでおられる方々は「我が家の集落で現在積雪2㍍ほど」とお伝えするとびっくりします。それでも、ここ数日の降雪なしが続いてくれたおかげで、その2㍍でも我々にすれば「これでなんとか、平年豪雪並み」ということになるのですが。

会議では、2月に開かれる理事会を前に提出議案の協議をしましたが、今年度の活動も、迎える来年度の活動も、それらの大半は新型コロナ禍対応と深く関係していて、来年度の活動もこの感染症がどう推移するかにかかっています。おそらく立てる計画の多くは、「来年度も開催がムリ、あるいは今年度と同じようにこれまでと違う方式で」と思われるような状況が続いています。

おそらく多くの組織や団体も同様の状況下にありますから同じような判断を求められるはずです。いずれ、新型コロナの収束がみえるまでは、感染防止を第一義にしたとりくみに徹することが組織に責任をもつ人々のつとめといえるでしょう。

冬がどこかにいったような一日

日曜日もおだやか天気でしたが、きのうもまるで太平洋側の冬のような青空にめぐまれました。暖かな陽が射し込むガラス戸には、どこかの隙間で越冬していた蠅が動き出す姿も見られるほど。

全国各地で3月なみの気温と予報は伝えました。蠅が動き出すほどですから「啓蟄」の季節がひと月以上早く来てしまったようなうれしい一日だったわけです。

先日来の雨天により積雪の高さもだいぶ下がりました。家々の軒先に届くようになっていた屋根から下ろした雪もこれでいくらか下がりました。それでも、たとえば我が家の車庫兼農機具置き場の軒先はこんな雪状態で、今冬は軒の一部がトタン屋根ごとじわっと曲がる破損被害を受けました。

ここは落雪構造の屋根ですが、軒部分だけは雪を溜めずに幾度も下ろしていました。でも、厳寒のいっき降りで中心部に大量に溜まった雪が滑り落ちるとき、重さに耐えきれず軒先の垂木が内部で折れたようです。建築以来こんな損壊ははじめてのことです。

▼ところで、災害救助法の対象となり軒周り除排雪を済ませた家々からは、「ありがたい。これで安心できる。お礼の気持ちを関係者に届けてください。」という声があちこちを訪問する度にこちらにも寄せられています。これも、厳しい寒波がまずは一休みし、晴天がちょっと続いたおかげでみなさんの不安がやわらぎ、心に余裕をもてたからこそ出される言葉だなと感じたところです。

豪雪地方に稀に訪れるきのうのような晴れ空は、人々にとっても大きな安らぎを与えてくれるのでありがたいものです。雪降り続きの一休み、ほんの2~3日のおだやかさでしたが、これで村人は次の寒波への備え力をある程度はたくわえることができたでしょう。

先の雨天の後には村内各地で春先のようなヒラ(全層雪崩)の発生も見られました。わが集落の南の方角真向かいでも大きなヒラが落ち、すべての雪層が滑り落ちた跡に地肌が現れました。

カモシカ、ノウサギ、ヤマドリたちはこの地肌のある箇所を見逃しません。雪の下になっていた草の緑や軟らかな小柴などの食をめざし早速集まってきているでしょう。今年からは目撃情報が増え始めたイノシシやニホンジカたちがそれに加わるかもしれません。

豪雪なのに雪庇の発達が小さい冬

久々に朝からの晴天となった23日、自宅前の河川敷に沿って歩き、雪に耐える秋田杉の美林を眺めつつ向かいの山へ2時間半ほどの雪上歩きに向かいました。

この日の歩きの目的は、豪雪の年の集落の様子を今後のために俯瞰し記録しておくこと。それに運動目的もあります。歩けばいろんなおまけの場面も目にすることができます。

この日は、前日までにほとんどの家々で雪下ろしが済んでいます。また晴天や雨天で降積雪がいったん落ち着いたこともあり、豪雪の村を高見から見下ろせば雪と人々のくらしの関わりが大筋で俯瞰できます。今冬の豪雪度合い、道路の除雪やそれによる雪の寄せ場の状況、家々の周りの雪の状況、空き家と雪の様子、落雪構造の住宅や建屋とだんだんに少数派となりつつある雪下ろし構造の昔からの住宅や建屋の数、それら2つのちがいなどがわずかの写真だけでとてもよく区別がつくからです。

向かいの山から村のすべての集落を望むことはムリですが、岩井川から上流域集落のほとんどは視野に入り、家々の様子は岩井川と手倉なら林で遮られる一部をのぞきほぼわかります。ただし、岩井川合居地区をのぞむためには過去にテレビ受信アンテナがあった大沢のカッチ(最上流部)まで上がらなければなりませんが。椿台地区あたりまでなら拡大すれば斜めながらもなんとか家々の屋根も目に入ります。

高見で真東を望めば、岩手との境をなし村に大雪をもたらす焼石連峰が輝き、多くの人々がシュプールをえがくジュネス栗駒スキー場の背後に脊梁山脈はきりりとそびえます。南に目を移せば仙北街道から東山、栗駒連山、秣岳までこの日は視界に入ります。北には真昼岳あたりまでなら望むこともできます。村の里山では高さのある西の大日向山をふくめこのように村の山々のほとんどをここからは一望できるので、自宅前のほんの小高い山ながらも私は真冬に一度は上がります。

山の尾根筋を歩くと、何度も体験してきた同じ豪雪でも今冬の大雪の特徴を雪庇の形から知ることができます。12月半ばからの異例の大雪はもちろん今冬豪雪の最大の特徴でしょうが、そのほかに多くの方々が口にするのは「こどし(今年)の冬は、ふぎ(吹雪)、びゃっこだ(少ない)」ということです。

「今冬は強い風を伴う降雪(吹雪)が少ない」その証は、尾根筋にできる「雪庇」を見れば一目瞭然。人里で一時は2㍍50㌢前後となったこれだけの豪雪なのに「雪庇」がいつもより大きく発達していないのです。降雪は多いが吹雪の日が少ないからです。例年なら大きな雪庇があって、尾根からの上がり下がりをするには雪庇の小さい場所を選んで通るのですが、今冬は雪庇の間に通れる場所が多くあり、そんな判断にあまり時間をかけることなく尾根を越えることができます。これは、野の生きものたちも同じで、彼らも「いつもと違う冬だなぁ」と感じながら過ごしているでしょう。

尾根筋を歩くといろんな場面を目にします。ナラ枯れ病で死んだミズナラの幹に大量発生したムキタケの凍ったままの様子が所々で見られます。遅く発生した写真のような状態だとそれは天然の冷凍庫で保存したようなもの。解凍すると秋の時期そのままの味覚が楽しめます。今冬の里山ではムキタケやナメコなどの樹幹に出たまま自然冷凍というキノコ風景がナラ枯れ被害林の各地で見られるはずです。

ほかにも、リスが樹上でクルミやドングリを食べた跡、雪庇が自重で落ちそうになってできた雪のひび割れ、すでに雪庇が落下した跡の地面に見える雑草の緑とそれを食べたカモシカやノウサギ、ヤマドリの足跡、さらに椿川地区の人々が過去にテレビ受信のために建てた電波共同受信アンテナの配線柱跡など、過ぎた時代をしのぶ小さな「遺産」も目に入ります。

おだやか週間予報に心が和む

季節は大寒ですが、きのうからこの先の週間天気予報では強烈寒波の襲来はほぼないようです。

きのうは久しぶりの本格的な青空の下で一日を過ごすことができ、一部建屋の雪下ろしに汗を流しました。お日様と青空のおかげで、連日の雪との格闘で疲れた体も休まり、やや鬱屈した気分も晴れやかとなりました。どこかの学校のスキー教室らしいバスが上っていきましたが、きのうならジュネススキー場は晴れ空の下での最高に楽しい滑りができたと思われます。きのうに教室日が当たった学校は運がよかったですね。

除雪スタッフの皆さんも、村の豪雪対応の職員達も、月末までのこの天気予報で緊張と疲れが蓄積されていた心と体がなんぼかはゆっくりできるかと思われます。予報どおりになってくれることを願いたいものです。

成瀬川の淵に棲むアオグビ(青首・マガモ)やデロガモ(泥ガモ・カルガモ)の群れも、きのうの晴天下では「いい、温もりだな」という姿勢で陽射しを受け川から上がり羽を休めていました。日向ぼっこをしていたそんなカモたちでしたが、私の姿を見たら警戒態勢で川面に入り、いっきに飛び立ちまたすぐそばの淵に舞い下りました。1月31日までは狩猟期間ですから、彼らの警戒がいつもより緩くないのは当たり前です。

▼米国でバイデン大統領が就任し、早速「地球温暖化対策のパリ協定復帰」「WHOからの脱退撤回」など一連の大統領令著名や就任演説を通じて国際協調や社会の融和、人権尊重、人種差別の解決に向かう姿勢のニュースが流れました。私のきのうの心の晴れやかさは、米国の民主主義が健在でそれを象徴する大統領が就任したことに対する安堵があったからかもしれません。

人間としてのあるべき姿勢に立ち続け、民主主義の尊さを主張してきた新大統領と私はとらえています。米国だけでなく世界の人々から見ても範たる指導力を発揮され、分断と極端な格差がひろがる矛盾を解決する道筋を描き実行してほしいものです。

自分の言葉で語り、論理性と情感にあふれ説得力のある発言と発信力、格差是正の主張と多様性の尊重、副大統領をはじめ長年の豊かな経歴、バイデン氏のその豊かな人間味と指導力に私は大いに期待を寄せている一人です。限られた言動だけからの直感ですが、現在の世界の中では、久しぶりにみる優れた政治家だと私はとらえています。言葉に裏付けられた着実な実行がはかられることを願っています。サキ新報道官の報道陣を前にした発表の「意見が違うかもしれない。しかし、それが民主主義」という旨の言葉も胸に響きました。

世界でも国内でも、国政でも地方政治でも、為政者には、意見の違いに耳を傾け、批判をありがたいと受け止める度量、寛容性が求められます。政治に批判があるのは当たり前、それが民主主義というものです。批判を大きな度量をもって受け止められなくなれば、内からは諌言の者がいなくなり、やがてそういう為政者は「裸の王様」となってしまったことを、世界も我が国も歴史が我々に教えています。

今日は、唯一の被爆国である我が国にとっても世界の人々にとっても長年の念願であった核兵器禁止条約が発効される記念すべき日でもあります。国際法として人類が核兵器を違法とする日であり、核兵器廃絶にむけた世界の新たな出発の日となります。わが村議会は、非核平和宣言を唱える村の議会として、核兵器廃絶についての意見書をこれまで度々政府にあげてきました。この条約発効を大きな節目として今後も核兵器廃絶に向け力を尽くさなければと思ったところです。

大寒入りで水位が下がる沢

寒さが最も厳しくなる大寒の季節は、地下にしみ込む雨の量が少なくなるためでしょう、乾燥・晴天が続く秋の季節と同じように中小河川の水位が一年でもっとも下がる時となります。

わが家の前で成瀬川に注ぐ岩井沢も1月半ばを過ぎたら流れがグンと低くなり、雪消し用の水量を確保するために取水口へ通う回数が増えます。

それでも今年は、村の各地でヒラ(全層雪崩)も誘発した先頃の雨天もあり、今のところ水量はまずまずの冬といえます。

この沢には、イワナやヤマメ、川ざっこ(ウグイ)、にがっぺ(アブラハヤ)、かしか(カジカ)、ドジョウ、すなめろ(スナヤツメ)など魚類が豊富。取水口の小石を動かすと寒さで動きのにぶいカジカがのろのろ泳ぎ出す姿も目にします。

10月上旬にこの沢で産みつけられたイワナやヤマメの卵は、もう孵化し稚魚となっている頃かな。カジカももう少し経つと卵をかかえておなかを膨らまし始めるでしょう。

豪雪から家をまもるエド(井戸・池)

わが家周囲は2㍍50㌢に近い積雪をみるようになりました。例年だとこれからまだまだ積雪量は増えますから、今冬は3㍍には達するかもしれません。

雨天などで雪が消えたり締まったりして積雪深が下がってもなおそれだけの積雪量があるということは、累計の降雪量はかなりのものだということでしょう。我が家の屋根雪下ろしは、なるべくなら下ろした雪に再度手間をかけないように、その多くをエド(池)に投下して融かしたり、屋根の上をスノーダンプで運び一箇所に投下したりで処理します。

基幹水路や沢から引く用水と、その水を溜めるエド(池)は、流雪溝設備を利用できない我が家にとって越冬ぐらしのカギをにぎる存在。豪雪の今冬は例年以上にそのありがたさを感じているところです。

一方、エド以外の箇所に下ろされた屋根雪はそのままですから、すでにこんな小高い山となっていて、2階からの出入りが楽にできるほど。豪雪の地ですからたいていの年は下ろした屋根雪の高さがこれに近いほどにいずれはなりますが、1月半ばにこれほど高く積み上がったのは最近ではめずらしいことです。今冬の早い時期での累計降雪量の多さを、この見上げるような雪の小山は物語っているといえます。