今冬トップクラスの暴風

全国町村議会議長会から豪雪で災害救助法が適用された村へお見舞が届きました。ここに深くお礼を申し上げる次第です。ありがとうございました。

ところで、最高震度6強となった13日夜の福島沖を震源とする地震被災地のみなさんは、雪こそないもののその後の雨や強風で大変だったと思われます。負傷された方をはじめ被災されたみなさんへ心からのお見舞いを申し上げます。

おとといの雨で、成瀬川は今年はじめて規模はそれほど大きくないものの増水となり、流木が濁流に揉まれ浮き沈みする様子も見られました。

昨日は、冬の季節特有のアマゲェシ(雨返し)と呼ぶ雨天後に決まってやってくる強風が荒れ狂いました。わが集落は村内でも「風の強い地区」で名の通る所。我が家も、13日は震度4クラスでぐらりぐらりと揺れ、きのうはまた台風規模の強風でと揺れが続きました。劣化した家は、地震や暴風のこんな揺れが繰り返される度にひび割れが少しずつ増えているようで、それは老化しているこちらの肌のシワが増えているのと似ています。

風は強いものの午前にはいったん収まった雪。しかし午後からは予報通りの猛吹雪・地吹雪となり今朝になったら大量の雪が吹きだまりとなっています。道路除雪のみなさんも、今朝は今冬でもっとも特徴的な吹きだまり除去作業となったでしょう。いよいよ地吹雪が激しくなる季節到来です。

あまりの荒れ空でどこにも行けずのきのう。役場で朝の定期所用を済ませて後は、家周りや納屋まわりの強風対策や、強風と雨による増水で集まる用水路取水口や池のゴミ詰まり掃除の一日となりました。

雪を負とだけ見ず

県南にはまたも大雪が予報。多くの人々にとって豪雪はくらしにとって大敵以外のなにものでもないと思うなかでこの冬を過ごしているでしょうが、それは大人社会に限ったこと。

子どもたちにしてみればスキーや雪遊びのできる冬は、春、夏、秋と同じように、あるいはそれら夏季よりもなお楽しい季節なのかもしれません。

自分の子ども当時のことを振り返っても、記憶に濃くのこる数々の出来事の多くは冬の遊び、雪の遊びでした。かまくらの数倍もの大きな雪の山の中に雪の洞窟通路を縦横につくり、お化け屋敷のように真っ暗な通路やたくさんつくった室のなかでふざけあったり、いちばん大奥の大部屋の中には稲ワラやむしろを敷き、ろうそくで灯りをとりながらトランプや花札遊びをすることなどはしょっちゅうありました。スキーも、まわりの山などをふくめあちこちの斜面でお金をかけず自由に滑るのがごくあたりまえでしたから、今の児たちよりもなお雪遊びは多彩だったのです。

わが集落ではマタギと呼ばれる狩猟者も多く、そこの子どもたちは小学校高学年から中学にかけてはウサギ猟の勢子役(追い出し役)として父親たちと同行することも時々ありましたから、それも楽しい遊びのひとつだったわけです。そんな猟のまねごとをして、木や針金でつくったパチンコを手に、小鳥を撃ちに雪の山をかけまわったり、リスやバンドリ(ムササビ)の巣をのぞこうと高い杉の梢にのぼったり、樹洞をさがしたり、ウサギを捕らえる括りワナをしかけたり、テンやイタチをガバサミ(小型のトラバサミ・現在は狩猟法で使用禁止の猟具)や竹筒ワナで捕り小遣いかせぎをしたりという子ども当時の体験を思い出せる方もいるはずです。

遊びの内容は時代とともに変わりますが、雪を楽しむ子どもの心はいつの時代も豊かです。過ぎた休日は、久しぶりに訪れた童たちの雪遊びにおつきあい。

近くにある手頃な高さのクルミの木に、にわか支度のブランコをつくったり、河川敷堤防の斜面でそり乗りをしたり。歓声があがったかと思えば、ブランコから逆さまに落ちて泣いたりと童たちの世界はにぎやかなもの。そんなひとときを過ごしている時は、「雪は大敵」の思いがどこかに飛んでいってしまうものです。

大人社会では「豪雪は大敵」がごくあたりまえと述べましたが、その雪がなければ暮らしや経営が困る方もおり、また逆にその雪を活用しての人の営みもあります。なにごとも適度であってほしく、被害を大きくするような「度の過ぎた豪雪だけ」は困るという程度の今社会の人間の愚痴なら、自然も聞きとめてくれるでしょう。

▼昨日から今朝にかけては雨。村の各地で大小のヒラ(底雪崩)が頻発しました。台風規模の低気圧により今朝からは雨に変わり猛吹雪。今後三日間ほどは新たに1~2㍍の降雪も予報され、今日予定した災害対策特別委員会の豪雪被害調査は24日に延期しました。

続いた心休まる晴れ空

2月半ばに晴れ空が3日も続く週末と休日を過ごしました。

空の青を目にし、ほんのかすかながら春らしさを帯びた陽射しを浴びれば、体があたたまるだけでなく鉛色の雲に押さえつけられ鬱屈気味でいた心もほっこりと休まるような気がしました。

成瀬川の岸辺では早くもネコヤナギが姿を見せるようになり、伏流水に育つクレソンも緑色を濃くし始めました。おちこちの路傍では、盛りのついたらしいオス猫がうろうろする姿も。雪原にはユキムシの姿もいっぱい。春は一歩ずつ近づいているようです。

週末、滝ノ沢~平良の道路を通ったら、200㍍ほど先をオスヤマドリが横切りました。飛翔の様子をみれば着地姿勢でしたので「雪の上を歩いているかもしれない」と車を止めて雪原をのぞいたら、見事な尾羽のオスヤマドリが雪上を歩いていました。しかし警戒心の極度に強いカレはこちらに気づくのが早く、カメラをむける暇もなく瞬時に飛び立ってしまいました。画面の真ん中に羽根をひろげて飛んでいるその鳥が写っています。拡大してやっと存在がわかるほどです。春が近くなれば、食や砂嚢用の小石を求めて土肌の見える箇所に寄るヤマドリの姿がより多く見られるようになり、私は彼らの動きからも春近しを感じ取ります。

▼12日の金曜日は、県町村電算システム共同事業組合議会の定例会、県町村議会議長会の理事会などで秋田市へ。電算議会では、平成3年度の当初予算6億3,483万8千円などを可決。理事会では来年度の事業計画と予算を決めました。理事会の主要事業は、来年度も新型コロナ禍でかなりの制約をうけることが予想されます。

今冬の秋田市はいつもの年よりやや雪が多いようですが、積雪2㍍を越えるわが集落と比べれば雪はほぼ無いのと同じ。八郎潟周辺から能代山本地方の議長さんの中には「我々の町は秋田市より雪が少ない。田んぼの出ているところもあるよ」と語る方もおりました。毎度のことながら、2月の会議で秋田市へ通う日は、同じ県内でも沿岸地方の雪の極端な少なさと県南内陸部の豪雪のすごさを知らされる時となります。

休日は相変わらず軒につかえた雪掘りなどで過ごしました。今週に寒気の襲来が予測されていて、それに備えたつもりです。今度来る寒気を過ぎれば今冬の冬本番は峠を越してくれるような気がしますが、果たしてどうなるか。

愛くるしい訪問者

おととい午後のこと。この冬に何度も家まわりに飛んできている1羽のシジュウカラが、曇った窓をはさんですぐ外の雪の上にいるのを室内から目にしました。

しばらく様子を見ていての後、カメラを取り出し外に出て写そうとしたら、こちらを早くに見つけそばの木に飛び移ってしまいました。

鳥たちを写そうとする時はたいていこんなことが多いのですが、この日はいつもと少し違う展開がそのすぐ後にありました。なんと、そのシジュウカラが、家の風除室にまで入り込んできたのです。

たまたま玄関の戸が少し開いていた時にそこから入り込んだらしく、気づいたこちらが居間から玄関に近寄り追い出そうとしたら、こんどは逆に居間にまで飛び込んできました。

室内のわずかの隙間に隠れて出てこなくなったのを、やっとのことでつかまえ外に飛ばしてやりましたが、その後もシジュウカラは家のまわりからはなれず近寄ってきています。

先日は困りもの訪問者のアオゲラくんを載せましたが、そんな訳で今日は、どなたが見ても「可愛い」といいたくなるでしょうシジュウカラです。つかまえた時には必死の目つきで逃げようとこちらの指先を小さな嘴で激しくつつきました。命をまもる術としてつかえるのは嘴だけでしょうからそれは最大限の抵抗だったわけです。生きているシジュウカラを手中にしたのははじめてですが、これほど激しい防御の動きをしたのには意外を感じました。「か弱い小鳥でも、命がかかればこんなに必死の抵抗をするのだ」ということを教えられました。

冬の間、我が家のまわりによく訪れる小鳥たち。みんな目的は食にありです。軒先に棲むクモなどの虫を食べるのはシジュウカラの仲間とアオゲラ。それに雪消し水が常に流れる舗装面に棲む水棲昆虫を求めにしょっちゅう飛び寄るのはセキレイ、そしてなんでも食べほうだいのカケスやヒヨドリの仲間たちです。

▼「これが今冬最後の雪下ろしだろう」と、田んぼわきにある小さな農具置き場の雪下ろしにきのう向かいました。終わって、田んぼそばの秋田杉の美林を通り小高いミズナラの森から集落を眼下に。気温の割には風が冷たい一日となりました。

毎冬のように森の中にあるタヌキとアナグマの巣に立ち寄りました。夏場は出入りしている土穴がたくさんあるのですが、いつの年も冬は雪のために2つか3つに出入り穴数は限られています。しかし今冬はこの通りの大雪。アナグマは冬眠中でしょうが、冬でも活動するタヌキたちは豪雪で出入りが難儀なためか、今年はたった一箇所の出入り口を確保しているだけ。さすがタヌキ、賢しいもの。積雪3㍍を少し越えるだろうこの場所、土穴の上のほぼ垂直の3㍍深さの雪穴を彼ら一家は出入りしているのです。たいしたものです。

吹くは降るはで最深積雪

真冬日の吹雪のなか、一部建屋や家周り法面などの雪寄せにほぼ一日を費やしたきのう。

わが集落は村内でもとりわけ風の勢いが強い地区。そんなわけで道路は時々吹雪でホワイトアウトとなりました。スキー場へのお客さんの往来(どこかの学校のスキー教室もまだあるよう)や、冬場は極端に少なくなっているダム工事関連車両の通行も一定数ありますから国道は要注意。車がまったく見えなくなるほどの吹雪なので排雪運搬のトラクター作業ではこの荒れ空に邪魔をされました。

今朝のわが集落はずれの庚申塔です。今後の天気予報をみると、おそらく今日か明日あたりが今冬最深積雪クラスと思われましたので、雪と塔の様子をいつもの年のように記録しておきました。疫病や災難からのがれようと藩政時代の人々が建てた庚申塔。現況のコロナ疫病禍と重ね合わせて伝染病に苦しんだ当時の人々のくらしに思いを馳せました。

今冬最深と記録される今日午前8時30分現在の積雪は、役場所在地の田子内223㌢、庚申塔写真の岩井川246㌢、椿台277㌢、大柳294㌢。この塔が見えなくならないうちに冬本番は勢いを緩めるものと思いたいのですが、果たしてどうなるか。

▼全国の特別豪雪地帯の積雪状況をみると、今日の午前7時40分現在のアメダスで、北海道・幌加内町231㌢、山形・肘折313㌢、福島・檜枝岐村223㌢、新潟・津南町285㌢、新潟・十日町市269㌢、長野・栄村は村の簡易測定でしょうか9日で225㌢などとなっています。わが村が県内一、全国有数の豪雪の土地だということがこれら名うての豪雪地方との比較でもよくわかります。

冬本番分かれ目の日か

立春を過ぎてからもっとも厳しい冬本番が戻ってきました。

まもなく旧暦の小正月がやってきます。例年この時期の県南地方は、かまくら、ぼんでん、犬っこ、竹打ち、紙風船上げなど伝統の小正月行事でにぎわうのですが、今冬は新型コロナ禍で観光客の多いそれらほとんどが中止や規模をずっと縮めての開催予定となっているようです。

昨日朝は30㌢前後の新雪で真冬日。今日も寒中と同じ吹雪で真冬日が予報されています。でも、豪雪の村の人々は「冬本番は小正月行事の冬祭りが行われる頃まで。それを過ぎれば雪のピークは終わる」と、長い暮らしのなかで季節が移り変わる節目の時が2月半ばであることをとらえています。

予報は、今日あたりまでは大雪への注意を告げていますが、それ以後は通常の2月らしい予測をしているようです。雪寄せしていても横なぐりに吹き付ける雪が眉毛について真っ白。吹雪で顔が凍るほどに厳しい今日ですが、今週で「最も厳しい冬」とはお別れできるだろうと期待感をもちはじめた小正月前です。

吹雪にまみれる家

16日に豪雪被害視察

5日に開いた災害対策特別委員会の打ち合わせ会議。会議では、村内の被害状況を確認し合いながら、被害の現状や豪雪対応で課題となる箇所の視察を特別委員会として16日に行うこととしました。
2月5日会議
豪雪と向き合う諸課題には、村だけでなく全国の特別豪雪地帯に共通するものもあり、全国的な視野で課題解決策が求められています。それらの中には先進の教訓もあると思われますので、これまで以上にほかの豪雪自治体から学ぶことも重視したいと思います。

▼村の2月から雪解けにかけての季節は、一年のうちで野の生きものたちが食の確保にもっとも苦労する時と記しました。

そうした兆候は、鳥や獣たちの様々な動きで知ることができますが、我が家ではたとえばアオゲラの動きでもその様子を観察できます。

我が家のそばを棲息範囲としているらしいアオゲラが一羽いて、秋以来、柿の実を食べたり周囲の幹に留まって虫をつついている姿を見かけてきました。ところが、つい先日は、そのアオゲラが家の軒に止まり天井のボードを激しくつつきました。その音は、ちょうど木の中の虫を探して食べようとする時のドラミングといわれるあの連続音で、木ではなく軒にいる蜘蛛か何かの虫をとらえようとボードを嘴でつついた時に出る音です。

実は数年前にもそんなことがあり、軒のボードに2箇所の穴をあけられたことがありました。穴を空けられるだけでも困りものですが、その穴に今度はスズメバチが巣をつくるという二重の被害があり大迷惑をしたことがあります。以後、2年ばかり軒への穴開けアオゲラはやってこなかったので「あの世へいったのかな?」と安心していたところへの、タタタタタタの今回のツツキ音です。

特徴的な音なので「あっ、またアオゲラだ!」と、響き音のする軒に駆けつけ「コラーッ」と大声を出したら、軒から大きなアオゲラが飛び去りました。

軒のそばには豊かに実をつける柿の木があり、その実を食べるアオゲラを秋に写真にしておきました。軒をつついたのもおそらくこのアオゲラでしょう。我が家の軒天ボードは、よく見られる鎮守の森の社などのように、そのうちアオゲラにつつかれ続けて穴だらけになってしまうかもしれません。

豪雪の村は積雪2㍍越が続く

暦は春を告げましたが、長い期間にわたって積雪が2㍍を越えている中でまだまだ冬のくらしが続くわが村。

私の地元集落の簡易測定積雪深は今朝で225㌢。同じその集落でも最も積雪の多い入道地区を貫く県道脇は今冬も高い雪の壁となっています。でも毎年お伝えしているように、到達した現在の積雪深だけでみるならばこれが豪雪の村のごく普通の姿ともいえます。

それなのに軒の破損や農業用パイプハウスの倒壊など近年稀にみる被害多発となったのは、12月半ばからの休まずのいっき降り積もりが繰り返しあったためです。それに対応しきれなかった家々や経営体が多く被害が拡大しました。村にも議会にも農業団体や農家からの切実な支援要請が届いています。

今日は、こうした被害状況や豪雪課題に関わって予定している現地調査などを前に、各委員会の委員長にも出席していただき災害対策特別委員会の打ち合わせ会議を開きます。

▼きのう、所用で村内を巡っていたら、柿の木に一羽の鳥が止まり、実の形がほとんどなくなったへたの部分をさかんにつついていました。2月ともなれば、すでに村内のほとんどの柿の実は雪で落下したり食べ尽くされてしまい、実のついている木を見つけるのは難しい季節となります。柿の実で命をつないできた鳥たちにとってこれから雪解けまでは、食を摂るのにもっとも厳しい季節となります。

カラスなどは、どこかに貯えているのでしょうクルミの実を道路に運んで車に割らせる姿を見かけますが、ウルシなど各種木の実にまで食を求めて集まる姿もこれからは散見されるようになります。

豪雪と果樹

貯蔵しているリンゴが甘みを増し、これまでより口に運ぶ回数が増えています。

わが村でも昭和7年(1932年)に菅生田で栽培がはじまったりんご。昭和31年には村に「果樹研究会」が組織され、菅生田・滝ノ沢で41戸7㌶、下田で27戸5㌶、田子内18戸4㌶、岩井川3戸0.5㌶、手倉2戸0.6㌶、五里台3戸0.6㌶、大柳3戸1㌶、草ノ台2戸1㌶、計9集落の99戸で19.7㌶もの面積に栽培されていたことを村郷土誌は記します。

当時の品種は、「国光」「紅玉」「祝」で、改良に改良を重ねた今のような高品質のりんごではありませんでしたが、実の締まった堅い「国光」は貯蔵が長持ちし、春先になると甘みが増しおいしかったことを懐かしく思うことがあります。

村でもその後、ふじをはじめとする主力品種が次々と栽培されるようになりましたが、農業や産業構造の変化にともない昭和40年代には下田と滝ノ沢の2集落だけでの栽培に激減。以後決定的な打撃となった48豪雪をはじめとする相次ぐ豪雪被害や農家の高齢化と後継者不足、他作目への転換などで栽培農家・面積は漸減をたどり果樹研究会も解散、ついに先年、樹園地のほとんどのりんご樹は姿を消してしまいました。

我が家も、滝ノ沢の妻の実家がりんご農家でしたが数年前に栽培を止めていて、今ごちそうになっているのは横手市の身内で栽培されているりんごです。

わが村よりははるかに雪が少ないものの、県内一の果樹産地として知られる同じ特別豪雪地帯の秋田県南地方。これだけの豪雪の土地であるにもかかわらず県内最大の果樹地帯(りんご、さくらんぼ、ぶどう、ラフランス等々)としての地位を築いてきた人々の努力は並みのものではないはず。おそらく、世界でもっとも厳しい自然条件(豪雪)の中で、豊かな果樹生産地を築いてきたのが県南地方の農家のみなさんといってもよいでしょう。

今冬も、我が家がごちそうになっているりんごの樹園地をはじめ県南地方の果樹園は1㍍を越える積雪です。豪雪の被害、雪との格闘を時々お聞きし、また報道でも苦労の様子が度々伝えられます。

大変でしょうが、「秋田県南の果樹、りんご、横手のりんごはおいしい」という全国、世界の方々の声をささえにがんばってほしいもの。贈っていただいた甘みを増したりんごを積み重ねている箱から取り出しながら、県南地方の生産農家のみなさんへ励ましと感謝、敬意の一言を申し上げる次第です。

立春で冬にまたもどる

予報どおり荒れ模様からまた冬本番へもどった立春となりました。

間断なく降り積もる今朝の様子だと、2㍍をこえている積雪はさらに増しそうですので、どうやら今冬は屋根の雪がつかえた軒の雪を寄せる「軒掘り」の2月となりそうです。

▼中学校卒業式への案内がきのう届きました。

新型コロナ禍、昨年の卒業式は全国的に異例のかたちで行われたところが多く、あの3月の残念無念さはとくに当事者の方々にとっては記憶に深く刻まれていると思います。

きのう首都圏などへの緊急事態宣言が来月7日まで延長され列島のコロナ禍は続きます。ただ村の場合、式典会場は広い体育館、村内の小・中学校はごく小規模の児童生徒数なので、せめて在校生や保護者、教職員のみなさん出席のなかでの式典ができればと願っておりました。来賓などへの招待はなくてもいいでしょうから。

小中ともそれがかなう式典として計画されているようですので、当事者、関係者みなさんの「よかった」といううれしい顔が想像されます。来賓はごく少数にしたようで、それは当然のことと思います。あとひと月余、コロナの影響無くその計画どおりにお祝いができるよう願う限りです。