およそ700万年~500万年前、猿から進化しアフリカ大陸に出現した我々の先祖猿人は、20万年ほど前にさらに進化をとげホモ・サピエンスとよばれる新人となった。後に彼らはアフリカ大陸の外へ出て世界にひろがり、現在、同胞は80億人近くを数えるほどになっているという。こうした人類史のイロハ程度のことは学校教育で教えられていることだから人々の常識だろうが、私のように学校もふくめ学びがきわめて浅かった者にとっては、その常識水準のことがとても新鮮に受けとめられる。
昨日も、繰り返し読んでいる本を棚から取り出し、雪との難儀な向き合いでずいぶん狭く縮こまっている頭の回路を少し拡げ軟らかくしようとした。手にしたのは、折に触れ愛読している「地球の歴史」(中公新書)である。著者は地球科学者の鎌田浩毅(かまたひろき)京都大学教授。
鎌田氏はこの著書のなかで地球の歴史を論じながら、その歴史のなかでごく瞬間をしめる人類の歴史にも触れ、世界規模の大きな人口減少が地球規模でおきたことを著している。はじめの減少は10数万年前にはじまった地球の寒冷化・氷期によるもので、世界はこの時「総人口は1000人を切るほどまで減ったと推定されている。」と記されている。
鎌田氏は、地球規模の環境変動をみれば現在は温暖な間氷期にあるが、その温暖な期間は今後1万年程度は続くもののやがて寒冷化することを述べ、今迫る人為の温暖化とは別に、全体としては温暖から寒冷期に向かう途上にあるのが今の地球だという。
とりあげている人口減少の歴史はそれだけではない。今から7万4千年前の巨大噴火によって、この時期の総人口が約1万人から3千人にまで減少したことも著書は述べる。
最大級の自然災害といえば我々は体験上から大地震を真っ先に想像するのだが、地球規模でみれば大地震は局地的な災害とされる。それに対して巨大噴火は世界規模の災害、人類全体の生存に大きな影響を及ぼしてきたことが様々な側面から考えられるらしい。長いスパンの地球環境のうごきから、人類にとっての将来を見つめるとともに、現在の環境問題、とりわけ自然災害との関係で鎌田氏は火山噴火が与える影響の大きさを指摘する。ほかに太陽黒点と宇宙線が及ぼす地球環境への大きな影響も掲げている。
6500万年前のメキシコ・ユカタン半島への小惑星(直径数10㎞)衝突が恐竜をはじめとする生物大絶滅の原因ということは、これも今では世界の常識らしい。小惑星衝突は数億年に一度の確率とされるからそれは脇におくとして、巨大火山噴火による地球規模の災害は、たとえば北米大陸イエローストーンの火山はいつ起きても不思議でない期にすでに達しているという。日本でも、国内最大級のカルデラ噴火は約7千年に一回の頻度で起きているので、「次の巨大噴火がいつ起きても不思議はない事になる。」と鎌田氏は述べる。いつおきても不思議でないとされる列島を襲う数多の大地震と同じなのである。
自然災害だけでも、局部的な大地震にとどまらず、人類や生物の生存にとってこれだけの規模の地球や宇宙の法則がはたらくことを人類は知っているのに、さらに加えて人類は自らの手で環境破壊の地球温暖化を産み、自らの手で人類を絶滅に追い込む規模の核兵器を持つに至った。
温故知新という。それは、近・現代史の人々が発しあらわした言葉や行動から過去をよく知り、未来にその教えを活かすというだけでなく、もっと視野を広げ地球史規模で我々の存在を知り、未来を見据えることだと思われる。その点で、ここでとりあげた「地球の歴史」は私にとってとても参考になる書籍である。
今わかった段階での人類の歴史を巨視的にみれば、世界80億人近くの人々はみなアフリカ大陸を故郷とする親戚同士。そういうおおらかな視野にたてば、特別の道徳観がなくても今あらゆるところで問題になっている差別や蔑視、あるいは政治がからむ悪行や破廉恥、醜悪な犯罪はもとより、思想信条、宗教などのちがいを理由として多様性に寛容でない心を因とする分断もうまれなかったであろう。人類は、よくいわれる「宇宙船地球号」にたまたま同乗した一員というだけにとどまらず、われわれはすべてにわたって隔てや差のない「もとは同じ家族」という構成体員ともいえるのである。お互いを尊重する心と行動があれば人類社会に大きな分断はうまれないのである。
我々のはるか遠い祖先は、アフリカから出て4万年ほど前に日本にまで達し、やがて豪雪の土地にまで足を伸ばし居を定めたらしい。後に、たまたま我々は奇跡のような数万年もの命の連鎖をたどった祖先のおかげでここに生を受け、あるいは縁があってここに居を定め、豪雪とむきあう人生を今おくっている。
自然の法則による地球規模の環境変動は我々の手ではどうしようもないが、人間の手が原因となる環境変動すなわち地球温暖化や核兵器などは、人類のつとめで防ぎなくすことができるものである。そういう地球規模、人類規模のつとめを大きな視野で見つつ、自分でできることをこつこつと果たしながらまずは生きたいもの。
その一方で、豪雪に生きる当座のこの難儀なくらしを少しでも軽くできるよう、みんなで今の時代にふさわしく豪雪の土地をもっと生きやすく過ごせる方策、智慧をさらに出しあいたいものである。