議案説明の全員協議会

きのうは議会の全員協議会の日。5日からはじまる3月定例会議に提出される議案の説明が午前から午後にかけて行われました。

雪害対策や新型コロナ対応など専決処分後の一般会計補正予算案では、事業の精査などを除けば、特別交付税約4,800万円の増やダム関連の財産収入約2,600万円。農業雪害対策費助成金3,200万円や財政調整基金に1億2千万円の積み立てなどが主な内容です。補正後の令和2年度一般会計の予算案総額は約41億2千万円となります。

雪害対策では、国、県の助成策とともに村独自の助成策も骨子がしめされました。

来年度予算案や、これまで指定管理として運営されてきた食肉加工センター、農産物加工所を今後は業務委託として運営するための条例改正案、地域おこし協力隊員が、現在の4人に新たに6名が加わり10名で活動することなども説明されました。

村産の冬野菜

暦のうえでは春でも村はまだ冬。この季節になると毎年お知らせしている2つの食について。

ひとつはわが村産のホウレンソウ。私の同級生Sさんがビニルハウスでつくるホウレンソウで、雪の季節特有の寒さで甘みが増す「寒じめ栽培」のとってもおいしい野菜です。

豪雪の村で冬に栽培されるホウレンソウなど昔には考えられなかったことですが、夏秋トマト栽培用のハウスを「雪の季節も」と有効活用されているものです。おかげで村のみなさんは完全無農薬の地元産ホウレンソウをいただくことができています。

大雪の今年は雪からハウスをまもるのに大変だったと思われますが、ホウレンソウを栽培するハウスは必死の除雪で豪雪の被害を防げたようです。しかし、Sさんのほかのトマト栽培用ハウスは作業が追いつかず多くが雪に押しつぶされてしまいました。

もう一つの食は、この季節に送られてくる神奈川小田原産の晩生のみかんです。こちらも農薬の使用が抑えられているみかんのようです。農産物の無農薬栽培や減農薬のとりくみは規模が大きいほど簡単にはなかなかできないこと。お米をはじめ経営として減・無農薬を成り立たせているみなさんの努力には頭が下がります。

当方もそうですが、できれば毎日食べるお米こそ無農薬栽培米を食べたいと思う方は多いでしょう。でも、減農薬ならなんとかできますが、面積が多ければ田んぼの無農薬栽培はなかなかできることではありません。だからこそ、全国でそういう栽培に努力し一定規模の経営を確立している方々へは、「よくやるものだ」と尊敬の思いをもちます。除草や病害虫防除にどれだけ苦労が多いかがわかるからです。

自家用野菜のように自給だけなら手っ取り早くできるでしょうから、そういう程度の無農薬栽培はお米もふくめ今後は増えてゆくかもしれません。毎日の食は健康にとって安心安全のカナメですから。

ウソ(野鳥)が桜へ

昨日午前10時頃の国内豪雪地帯の積雪は、標高が1000㍍近い青森・酸ヶ湯の390㌢は枠の外におくとして、北海道・幌加内町215㌢、山形・大蔵村肘折268㌢、福島・只見203㌢、檜枝岐村176㌢、新潟・十日町市217㌢、津南町243㌢、長野・栄村180㌢と記録されています。

村の積雪は同日朝で役場所在地の田子内で184㌢、わが集落の岩井川で197㌢、椿台で238㌢、大柳で243㌢となっています。時期が時期ですので、集落のある場所においての最大積雪深更新は、今朝も大雪が予報されている北海道は別として全国の自治体でもおそらく今後はほぼないでしょう。

冬本番はまずこれで終わりという節目のなかで、こうして国内有数の豪雪地と自分たちの村の積雪状況を全体として比較してみることは参考になります。

▼積雪が増えることのない季節にようやくたどりつきましたが、木々たちも春が近づいていることを感じ取っている模様です。先日所用で村を回っていたら、春にむけ樹幹の活発な活動が準備されているソメイヨシノ桜の花芽を啄む小鳥のウソをみかけました。(遠くからなので写真はややボケています)

昨年は、この界隈でウソの花芽摂食はそれほど目立たず、ソメイヨシノはいずこでも見事な花を咲かせました。ただ、新型コロナ禍で観桜にちなんだ行事はほとんどが中止となり、せっかく咲き誇った花の公園は過去の歴史にもないほどひっそりしたままでシーズンを終えました。しかし今年は、ウソの姿がこんな様子で見かけられます。花芽を食べるうごきを目にすると、公園の桜の花そのものも心配になりますが、ほかではどうでしょうか。

その年によって桜へ飛来することがあったりなかったりのウソ。どうして年によって摂食へのそんな違いが生ずるのか、不思議な生態をもつ小鳥です。夏には焼石沼周辺の草原でもよくみかける、季節によって里と高い山を棲み分ける漂鳥とよばれる野鳥です。

このウソ、桜の花芽が食べられるのであんまり歓迎されませんが、体がすずめと同じでふっくらと丸っこく、ヒー、ヒー、ヒューイ、ヒューイと名前の由来である口笛のような音で鳴くかわいらしい野鳥です。シジュウカラなどと違い、花芽を食べている時は動きも激しくなく、ほかの小鳥よりも人への警戒心は緩いようなので観察するにはありがたい小鳥です。

積雪2㍍前後でも春近しを感ずる

雪の村にはめずらしく土、日曜と晴天が続きました。

おとといは、晴天でも手がかじかむほどに日中も気温が低いままでの青空。そしてきのうは春のような暖かな青空。わが家からながめるスキー場には、ゲレンデにバックカントリーにと、滑りを楽しむ方々の姿が多く見られました。

こちらは用水路取水口に詰まるごみ除きがてら、ほんの小高い里山をカンジキ履きでぐるっといつもの散策。焼石連峰やダム建設地方面までの成瀬川上流域の集落などをのぞみました。真白き奥羽の脊梁が、山容の美しさを際立せる季節がやってきました。今冬は豪雪だったので、秀麗の嶺は白装束をまとう春の期間が例年よりいくぶん長くなるでしょう。

積雪2㍍越の集落もありますから、里山だと3㍍近くの雪深さはあたりまえ。白一面の里山を歩けば、その厚い雪と氷に押さえられているユキツバキの緑にどうしても目をひかれます。こんなに苦しそうな状態ながら、マンサクと同じように特有のしなり強さで雪氷の重さから樹体をまもり、木々のなかではいち早く花を咲かせる準備をしているのです。

暖かな晴れ空の下では、童たちの雪との戯れも長くなります。被害が多かった豪雪の冬でもあり、つい先日までの豪雪の厳しさが頭から離れません。ただ、春近しを感じるからでしょうか、ほんのひとときでも童たちの歓声と笑顔に触れ、やわらかな陽射しを浴びるなかで溜まり込んでいた冬の苦労感がやわらぐような気もします。河川敷の雪上は所によってちょっとの堅雪状態もみられ、童たちなら雪に抜からず歩けるところもありました。

集落・里山一番の大ビラ(大雪崩)落ちる

予報通りの吹雪でまた寒空が2日続き、その後にはようやく春を呼ぶようなお天気となりました。

その吹雪の直前には、わが集落真向かいのヒラ(底雪崩)多発地帯で、最も大きなヒラが落ちました。大雪だったせいもあるのでしょう、過ぎた日の雨天で村の里山では規模の大きなヒラはだいぶ落ち、氷で厚く固められた雪塊、氷塊がそこではなくなりました。雪崩跡では、そこに今後新たな降雪があり雪が積もり重なっても、その新雪は層が薄く比較的軟らかで雨が降ればすぐに解けるはず。なので、この春の山菜はいつも通り順調に早く芽を出してくれるでしょう。

きのう所用を果たす途中、合居川渓谷入り口のブナの森を入道地区から眺めました。新雪がブナに降り注いだ後に陽が差し込みましたので、思わず「うわーッ、きれいだな」とつぶやいてしまいました。午後には大曲まで行きましたが、横手から仙北地方まで、奥羽の尾根では新雪をまとったブナがやはり春の陽射しに輝いて見えました。きのうなど、県境深山のそうしたブナの森へ通ったら、すばらしい景色をながめることができたと思われます。

豪雪の今年は、当然ながらいろんな意味で雪対応のあれこれが多く、まだ冬の深山までへは足をむけることができないでいます。森と新雪がつくる「自然の美術展」を観に早く行きたいものですが、そんな、人に都合のよいお天気と日程やりくりはなかなかできないでいます。

今朝は、夜中に降ったほんのわずかの雪に陽射しがきらきら。ノウサギたちも新雪が深くないので歩きやすく、活動範囲がいっきにひろがっていて、住家軒下近くにまで足跡を残しています。

来年度予算案概要の説明会

昨日は、村長出席のもとで村の来年度予算案(主に一般会計)の内示会が開かれました。一般会計の総額は34億7,500万円で前年度当初予算より1億7,800万円の増となっています。

昨日は議会運営委員会も開催され、3月定例会議の日程を3月5日~19日までと決めました。3月定例会議提出の議案とより詳しい予算案の説明は3日の全員協議会でおこなわれます。

▼16日に予定したものの、警報級の悪天で急きょ取りやめていた災害対策特別委員会の豪雪被害などに関する現地視察がきのう行われました。

昨日も時折の激しい降雪と吹雪模様のなかでの視察となりましたが、農業用パイプハウスの倒壊破損現場や、村の畜舎の軒破損現場、国道、県道への落雪危険箇所、村営住宅からの落雪、倒壊すれば通行者への危険可能性が考えられる空き家などの視察をおこないました。

懸命の除雪を行ったにもかかわらず被災した農業用パイプハウスについては、昨日お知らせしたようにすでに農家や関係する団体から要望書が届いており、これに沿ったいち早い支援が必要で、村はそのための可能な対応策を順次とろうとしているようです。

また、目立つ被災はなかったものの、被害をなくすためにあらゆる手段で除雪対策に尽力した農家へも、除雪費用などでの支援が考えられていることも視察後の講評で表明されました。道路法面の落雪防止についても、これまでとられてきた対策にとどまらない抜本的な策の必要性も、すでに村から県へ伝えられている旨も説明されました。落雪構造の村営住宅については一部で通行者などへ危険が及ぶ可能性のある箇所があり、とりわけ豪雪時にはそれにふさわしい危険防止策を適宜とることが必要であることも確認されました。

これまでもそうでしたが、空き家対策は今冬の豪雪でも大きな焦点、課題です。「家屋の屋根雪対策」という豪雪地特有の空き家がかかえる課題があり、この点もふくめ行政とのかかわりで問題を解決する方策が求められています。管理放棄空き家はますます増えることが予想され、これは全国的な今後長期にわたる課題として解決に向けた重要な検討課題といえます。

最高積雪深の更新は終わりか

今冬、我が家の屋根から下ろし積み重なった雪はこんな状態。雪の小山の頂部は二階の戸よりも高くなっていて棟まで届くほど。二階からの出入りがごく簡単にできます。雪の重さでじわーと折れ曲がった車庫・格納庫の軒も降雪の度に滑り落ちた雪がつかえ、今は雪下ろしではなく主な作業は雪掘り。

昨日から今朝にかけては猛吹雪。でも予報どおりだと冬本番は今日が底。明日あたりを境に積雪の減る季節へと確実にうつると思われ、もう最高積雪深が更新される日はないでしょう。春をあらわすことばが日毎に多く交わされるようになるはずです。

今日は、来年度予算案の概要説明を受ける議会全員協議会(予算内示会)が開かれ、後に、災害対策特別委員会による豪雪被害現場などの視察がおこなわれます。

議会には、JA関係と農業者組織「田畑会」から豪雪被害対策の要望書が届いており、また村にはほかに農業生産法人連絡協議会などからも要望書が出されています。議員個々や議会事務局でもすでに被害現地を幾度も視て状況はつかんでいます。しかしそれはそれ、今日は議会全体で現況をとらえ、今後の雪対策に活かすための視察行です。

今日は、3月定例会議(5日に開会予定)の日程を決める議会運営委員会もあります。大雪の冬だったから余計そう思うのか、あれよあれよという間にもう2月が過ぎ、3月議会をむかえようとしています。

農業所得のマイナスつづく

19日金曜日は、村税務課によるわが地区に割りふられた税申告相談日。例年のように住民の方々への懇切丁寧な助言のもとで手続きがスムーズに進められていました。今年も新型コロナ対策で、相談者の密を避けるため地区を細やかに分けての日程がとられています。

村会計の決算からもうかがえますが、村の農業所得(収入)の低下がいちぢるしく、過去5年連続で村全体の所得はすべてマイナスです。その傾向は一部をのぞき今年度の申告でもおそらく同じでしょう。我が家も、作付け規模が小さい割には、トラクター、田植機、コンバイン、乾燥機、籾すり・調整機械など農機具の修繕費などが多く、さらに肥料代や農薬費、そして多額の苗購入費が加わります。

申告の時をむかえる度に「こんなに赤字なら、田んぼ作付けをやめ、コメ買って食べる方が増えているのは当然だな」とつくづく思ってしまいます。機械、とくに壊れやすく費用がかさむコンバインなどは、使用年数が古くなるにつれ修繕費も驚くほど大きくなるからです。お米の価値が下がるにつれ田んぼの荒れも増加の一途。世界全体の食糧事情を考えても、水が豊富でこれだけの農地をもっていながら作付けされない面積が増えている我が国の現状に「こんな政治でいいはずがない」といつも思います。

▼18日の集落はずれの庚申塔です。この日、大柳地区の積雪は295㌢。村の今冬の最深を記録しました。明日から2日間ほど、今冬最後の本格的な雪降り日の続く予報があり、それに備えて週末から休日はあいかわらず車庫、農機具格納庫の除排雪に動きました。

そろそろ積雪が増し続ける季節は終わり。これからは雪降りはまだまだあるものの最大積雪深を更新することはほぼないものと思われます。ですからできれば屋根雪にはもう手をかけたくないのですが、軒だけは雪から離しておかないと雪が解けるときの引っ張り力で軒破損の心配があり、これは用心のための除雪作業でもあります。

日曜日にはわずかの陽射しに誘われて自宅前の河川敷を散策。成瀬川のせせらぎはもう真冬のもの静かな川面ではなくなり春色に。雨天もあったことから流れは勢いを増しています。伏流水に育つクレソンも日増しに緑色を濃くしています。緑が鮮やかになってきましたので今日は片手にもてるほどの軟らかな芽を摘みました。

道路沿いでは、秋にどこかへ隠していたのでしょうクルミを咥えているカラスをよく見かけるようになりました。車に割らせて食べようとする得意の賢い動きです。彼らにとって今の季節が食にもっとも困る時なのです。

視野をひろげて

およそ700万年~500万年前、猿から進化しアフリカ大陸に出現した我々の先祖猿人は、20万年ほど前にさらに進化をとげホモ・サピエンスとよばれる新人となった。後に彼らはアフリカ大陸の外へ出て世界にひろがり、現在、同胞は80億人近くを数えるほどになっているという。こうした人類史のイロハ程度のことは学校教育で教えられていることだから人々の常識だろうが、私のように学校もふくめ学びがきわめて浅かった者にとっては、その常識水準のことがとても新鮮に受けとめられる。

昨日も、繰り返し読んでいる本を棚から取り出し、雪との難儀な向き合いでずいぶん狭く縮こまっている頭の回路を少し拡げ軟らかくしようとした。手にしたのは、折に触れ愛読している「地球の歴史」(中公新書)である。著者は地球科学者の鎌田浩毅(かまたひろき)京都大学教授。

鎌田氏はこの著書のなかで地球の歴史を論じながら、その歴史のなかでごく瞬間をしめる人類の歴史にも触れ、世界規模の大きな人口減少が地球規模でおきたことを著している。はじめの減少は10数万年前にはじまった地球の寒冷化・氷期によるもので、世界はこの時「総人口は1000人を切るほどまで減ったと推定されている。」と記されている。

鎌田氏は、地球規模の環境変動をみれば現在は温暖な間氷期にあるが、その温暖な期間は今後1万年程度は続くもののやがて寒冷化することを述べ、今迫る人為の温暖化とは別に、全体としては温暖から寒冷期に向かう途上にあるのが今の地球だという。

とりあげている人口減少の歴史はそれだけではない。今から7万4千年前の巨大噴火によって、この時期の総人口が約1万人から3千人にまで減少したことも著書は述べる。

最大級の自然災害といえば我々は体験上から大地震を真っ先に想像するのだが、地球規模でみれば大地震は局地的な災害とされる。それに対して巨大噴火は世界規模の災害、人類全体の生存に大きな影響を及ぼしてきたことが様々な側面から考えられるらしい。長いスパンの地球環境のうごきから、人類にとっての将来を見つめるとともに、現在の環境問題、とりわけ自然災害との関係で鎌田氏は火山噴火が与える影響の大きさを指摘する。ほかに太陽黒点と宇宙線が及ぼす地球環境への大きな影響も掲げている。

6500万年前のメキシコ・ユカタン半島への小惑星(直径数10㎞)衝突が恐竜をはじめとする生物大絶滅の原因ということは、これも今では世界の常識らしい。小惑星衝突は数億年に一度の確率とされるからそれは脇におくとして、巨大火山噴火による地球規模の災害は、たとえば北米大陸イエローストーンの火山はいつ起きても不思議でない期にすでに達しているという。日本でも、国内最大級のカルデラ噴火は約7千年に一回の頻度で起きているので、「次の巨大噴火がいつ起きても不思議はない事になる。」と鎌田氏は述べる。いつおきても不思議でないとされる列島を襲う数多の大地震と同じなのである。

自然災害だけでも、局部的な大地震にとどまらず、人類や生物の生存にとってこれだけの規模の地球や宇宙の法則がはたらくことを人類は知っているのに、さらに加えて人類は自らの手で環境破壊の地球温暖化を産み、自らの手で人類を絶滅に追い込む規模の核兵器を持つに至った。

温故知新という。それは、近・現代史の人々が発しあらわした言葉や行動から過去をよく知り、未来にその教えを活かすというだけでなく、もっと視野を広げ地球史規模で我々の存在を知り、未来を見据えることだと思われる。その点で、ここでとりあげた「地球の歴史」は私にとってとても参考になる書籍である。

今わかった段階での人類の歴史を巨視的にみれば、世界80億人近くの人々はみなアフリカ大陸を故郷とする親戚同士。そういうおおらかな視野にたてば、特別の道徳観がなくても今あらゆるところで問題になっている差別や蔑視、あるいは政治がからむ悪行や破廉恥、醜悪な犯罪はもとより、思想信条、宗教などのちがいを理由として多様性に寛容でない心を因とする分断もうまれなかったであろう。人類は、よくいわれる「宇宙船地球号」にたまたま同乗した一員というだけにとどまらず、われわれはすべてにわたって隔てや差のない「もとは同じ家族」という構成体員ともいえるのである。お互いを尊重する心と行動があれば人類社会に大きな分断はうまれないのである。

我々のはるか遠い祖先は、アフリカから出て4万年ほど前に日本にまで達し、やがて豪雪の土地にまで足を伸ばし居を定めたらしい。後に、たまたま我々は奇跡のような数万年もの命の連鎖をたどった祖先のおかげでここに生を受け、あるいは縁があってここに居を定め、豪雪とむきあう人生を今おくっている。

自然の法則による地球規模の環境変動は我々の手ではどうしようもないが、人間の手が原因となる環境変動すなわち地球温暖化や核兵器などは、人類のつとめで防ぎなくすことができるものである。そういう地球規模、人類規模のつとめを大きな視野で見つつ、自分でできることをこつこつと果たしながらまずは生きたいもの。

その一方で、豪雪に生きる当座のこの難儀なくらしを少しでも軽くできるよう、みんなで今の時代にふさわしく豪雪の土地をもっと生きやすく過ごせる方策、智慧をさらに出しあいたいものである。

豪雪もあと少し、がんばろう!

東北大学文学部教授をつとめられた歴史学者の高橋富雄氏は、著書「もう1つの日本史・徳間書店刊」の中で、越後塩沢の鈴木牧之(すずきぼくし・1770―1842)が著した『北越雪譜』を引用しながら、雪ぐにのくらしの特徴を述べています。

たとえば『北越雪譜』のなかの「雪意」の節を引いた部分の解説で高橋氏は、「生活も産業も労働もここでは、春は春、夏は夏、そして秋は秋とじっくり熟成した形をとることができない。冬型の陰の文化にユックリで、夏型の陽の文化にセッカチな人間類型は、こうして、長い冬の論理学の所産なのである。」と述べ、冬の間の半年間だけでなく、それ以外の季節も冬にそなえて生きる雪国の人々の特徴を記します。

とりわけ今冬の豪雪地帯は、鈴木牧之や高橋富雄氏の著書からもうかがえるような、雪とむきあう暮らしに内在する厳しい側面をそっくり感ずる規模の大雪となり、「雪国で生きるのは、なかなか大変なもの」と思われている方も少なくないでしょう。

そういう豪雪の県南の中でも、特別に雪の多い地区のひとつであるわが村。雪のそれほど多くないところ、あるいは西日本や太平洋側などのように積雪がほとんどなかったり降雪はあっても積雪が固定化しないところの農山村でも過疎化や高齢化が進む中、わが村はこれだけの豪雪の土地であっても、なんとか踏ん張って過疎でも高齢化でも雪のない地区とほぼ同じ指数位置で村を維持し、人々のくらしが営々と築かれてきました。これは、わが村だけでなく、県内の豪雪地帯、全国の豪雪地方に生きる人々も同じでしょう。雪国に生まれたから必然といえばそれまでですが、豪雪の土地に生きるのは、いろんな意味で「誇り」といえるのかもしれません。

前置きが長くなりましたが、豪雪の土地に生きることをじっくりと見つめ直してみたいと思い、以前に読んだ高橋氏の著書を棚から出して雪に関する部分の一部を引用したところです。

世界有数の豪雪の土地で、リンゴ、サクランボ、ブドウなど果樹栽培の長い歴史をもつ秋田県南地方。特産地としての誇るべき地位を築いた農家のなみたいていでない努力を先日ここでも記しました。

昭和の後半年代からはそれと同じように、豪雪の土地では以前には考えられないようなパイプハウスを利用した花卉園芸や夏秋トマト、キュウリなどの野菜栽培が、そして平成年代にはやはりハウス施設による菌床シイタケも急速に普及しました。

同じ雪国といっても秋田県南地方は、積雪のみられる地方という程度の雪ではなく、そこは文字通り「豪雪の地」。その土地で大雪と向き合ってこれだけの栽培実績を築いてきた農家のみなさんの努力はほんとうにたいしたものだと思います。

今日、このことをまたあらためて記したのは、今冬の豪雪のなかでもそういう努力を続けておられる農家のみなさんへの敬意を、あらためてあらわしたいからです。

災害救助法が適用されるという、豪雪の中でもなお異例の豪雪のなかで、施設の倒壊を防止できなかった農家や経営体が多くありますが、そこでは倒壊を防ぐための懸命の努力が続けられていたことを私たちは目にしています。しかし諸々の条件悪が重なったためか、被害をうけたというのが現実でしょう。

先日、パイプハウスで花卉栽培を長年続けている県南の篤農家のAさんから、今冬の豪雪の中でハウス施設を倒壊からまもった苦労体験をお聞きしました。そこはわが村とほぼ積雪量が同じ地区です。Aさんは「こんなに雪で難儀した年ははじめてだ。雪、落ちなくて、寝ないでハウスの雪寄せしないと間に合わなかった」と語りました。そうやって、彼は多くのハウスをひとつも倒壊させることなくまもりきったそうです。

この3日間、そういう努力をしている農家への追撃となるような大雪がまたやってきました。県南地方では今日も、ハウスをつぶさないための、果樹の枝を折られないための豪雪との懸命の格闘が続いています。

それは、暮らしのすべてが雪を抜きに語れない所に生まれ、そこで生きてゆく覚悟を決めた人間たちの誇りをかけた挑戦ともいえるのでしょう。度を過ぎた大雪はまさに災害。行政を軸に、ともにささえあいながらがんばりましょう。