豪雪なのに雪庇の発達が小さい冬

久々に朝からの晴天となった23日、自宅前の河川敷に沿って歩き、雪に耐える秋田杉の美林を眺めつつ向かいの山へ2時間半ほどの雪上歩きに向かいました。

この日の歩きの目的は、豪雪の年の集落の様子を今後のために俯瞰し記録しておくこと。それに運動目的もあります。歩けばいろんなおまけの場面も目にすることができます。

この日は、前日までにほとんどの家々で雪下ろしが済んでいます。また晴天や雨天で降積雪がいったん落ち着いたこともあり、豪雪の村を高見から見下ろせば雪と人々のくらしの関わりが大筋で俯瞰できます。今冬の豪雪度合い、道路の除雪やそれによる雪の寄せ場の状況、家々の周りの雪の状況、空き家と雪の様子、落雪構造の住宅や建屋とだんだんに少数派となりつつある雪下ろし構造の昔からの住宅や建屋の数、それら2つのちがいなどがわずかの写真だけでとてもよく区別がつくからです。

向かいの山から村のすべての集落を望むことはムリですが、岩井川から上流域集落のほとんどは視野に入り、家々の様子は岩井川と手倉なら林で遮られる一部をのぞきほぼわかります。ただし、岩井川合居地区をのぞむためには過去にテレビ受信アンテナがあった大沢のカッチ(最上流部)まで上がらなければなりませんが。椿台地区あたりまでなら拡大すれば斜めながらもなんとか家々の屋根も目に入ります。

高見で真東を望めば、岩手との境をなし村に大雪をもたらす焼石連峰が輝き、多くの人々がシュプールをえがくジュネス栗駒スキー場の背後に脊梁山脈はきりりとそびえます。南に目を移せば仙北街道から東山、栗駒連山、秣岳までこの日は視界に入ります。北には真昼岳あたりまでなら望むこともできます。村の里山では高さのある西の大日向山をふくめこのように村の山々のほとんどをここからは一望できるので、自宅前のほんの小高い山ながらも私は真冬に一度は上がります。

山の尾根筋を歩くと、何度も体験してきた同じ豪雪でも今冬の大雪の特徴を雪庇の形から知ることができます。12月半ばからの異例の大雪はもちろん今冬豪雪の最大の特徴でしょうが、そのほかに多くの方々が口にするのは「こどし(今年)の冬は、ふぎ(吹雪)、びゃっこだ(少ない)」ということです。

「今冬は強い風を伴う降雪(吹雪)が少ない」その証は、尾根筋にできる「雪庇」を見れば一目瞭然。人里で一時は2㍍50㌢前後となったこれだけの豪雪なのに「雪庇」がいつもより大きく発達していないのです。降雪は多いが吹雪の日が少ないからです。例年なら大きな雪庇があって、尾根からの上がり下がりをするには雪庇の小さい場所を選んで通るのですが、今冬は雪庇の間に通れる場所が多くあり、そんな判断にあまり時間をかけることなく尾根を越えることができます。これは、野の生きものたちも同じで、彼らも「いつもと違う冬だなぁ」と感じながら過ごしているでしょう。

尾根筋を歩くといろんな場面を目にします。ナラ枯れ病で死んだミズナラの幹に大量発生したムキタケの凍ったままの様子が所々で見られます。遅く発生した写真のような状態だとそれは天然の冷凍庫で保存したようなもの。解凍すると秋の時期そのままの味覚が楽しめます。今冬の里山ではムキタケやナメコなどの樹幹に出たまま自然冷凍というキノコ風景がナラ枯れ被害林の各地で見られるはずです。

ほかにも、リスが樹上でクルミやドングリを食べた跡、雪庇が自重で落ちそうになってできた雪のひび割れ、すでに雪庇が落下した跡の地面に見える雑草の緑とそれを食べたカモシカやノウサギ、ヤマドリの足跡、さらに椿川地区の人々が過去にテレビ受信のために建てた電波共同受信アンテナの配線柱跡など、過ぎた時代をしのぶ小さな「遺産」も目に入ります。