昭和史をもっと学ばねば

NHK朝の連続ドラマ「おちょやん」は、ちょうど戦時中の日々を報じている。

戦時と言えば、近現代史、とりわけ戦中前後の昭和史を学ぶうえで、とても教えられることの多かったジャーナリストで作家の半藤一利氏が亡くなられた。みなさんご承知のように代表作「日本のいちばん長い日」(文藝春秋)の著者である。

このほど、文藝春秋社による半藤氏にちなむ特別編集の本「半藤一利の昭和史」が発行された。わたしはあの戦争そのものを体験していないので、様々な著書や半藤氏が総合監修をつとめられた「実録映像集.太平洋戦争全10巻」など様々な映像に目を通し戦争の全体像を知るためにつとめてきた。そうしたなかで、半藤氏が様々な場で語られた言葉、および著書にはいつの時にも強くひかれるものがあった。

もうお一人、やはりこの時代の歴史を学ぶうえで貴重な存在とわたしが思う作家は保阪正康氏だ。近著の「陰謀の日本近現代史」(朝日新書)をこのほど読んだ。千円札一枚でこれほど内容の濃い歴史の表裏の一コマ一コマを知ることができるのだからありがたいものである。

戦争を直接知らない私は、当時、国内外でおかした我が国の誤りの実態、「なぜ、日本はあのように悲惨な歴史を刻むことになったのか」を学ぶつとめがあると思っている。歴史の真実をよく知り、二度とあの誤りを繰り返さないことが、戦争で犠牲となられた方々への最大の追悼になると思うからである。それをここでも私は幾度かのべてきた。

毎年、東京大空襲をはじめとする各地の空襲、3月~6月の沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキ、そして終戦の8月など、列島全体がそれぞれの惨禍の歴史を節目として戦争をふりかえる日としている。

それら昭和史をふりかえるうえで、上のお二人は、あらゆる場の語りと著書でとても大切な役割を果たされてきたと思う。だから、お二人の著書が、今後もいっそうひろく人々に読まれることを私は願っている。

令和のいま、政治の中枢、官僚の中枢にいた、あるいはいる一部の人々の、日々の報道にあるようなあまりにひどい情けない姿が長く続く。学校で道徳を学ぶ子ども達からも「あんなことがなぜおきるの?」と言われるような政治の劣化、腐敗が著しい。それをくいとめるためには何が必要か、お二人の著書は歴史からの貴重な教えを私たちに届けてくれる。歴史の審判では愚かの最たるものとされた日中、太平洋戦争も、当時は最も「能吏」といわれる人間たちの保身の優先によって推進されたのだから。

道を誤らぬために木をみるとともに森を見る、つまり政治の大局をつかむ、世界全体の動きをみる。これは国政、地方政治を問わず政治の責任ある位置に就く者すべてに求められることであろう。温故知新、お二人の著書は、その大切さをわたしに教えてくれる。

冬囲い解し開始

春先の村内、国道脇などにどこかの遺跡を思わせるような雪の立像がずらりと並んで見えます。

これは、寄せ溜められた雪を重機のユンボーで掘り起こした跡。国道などから除雪された雪は沿道の田んぼなどに大量に溜まります。この大量の雪は固まっていてなかなか解けにくく、こうして機械でいったん掘り起こして雪解けを進ませないと農作業に支障が出ます。

雪解けが遅くならないように、降積雪がなくなる3月中ば過ぎから雪の掘り崩しや、極端に多い所は排雪作業までもが進められ、村ではその作業がそろそろ終盤にさしかかっています。今年は、豪雪対策本部設置の年でしたので、やはり動かす雪の量はいつもより多いようです。

▼雪解けの進み具合にあわせてこちらも「出来るところから少しずつ」ということで冬囲い解しを始めています。残雪が多く作業ができるのは雪が早くなくなったところだけです。

豪雪の村では雪解けが遅く、4月半ば過ぎまで田んぼでの土とまみえる農作業などに早くとりかかりたくてもそれはムリ。そのためいろんな作業がそれ以後に集中します。農家のみなさんはそれまでの間、雪の解け具合にあわせるかのようにして体を動かします。春になってもくらしは雪に支配され続けるというわけです。

明日からの雪消の4月は、農家にとって「冬を解す季節」でもあり、春作業にむかうための「段取りの4月」ともいえる季節です。

春休みの雪上川岸散歩

過ぎた日曜日、少しの時間でしたが、春休みの童たちと約束していた河川敷の雪上散歩や川の岸辺歩きを共にしました。

栗駒山系を源流とする成瀬川と焼石山系を源流とする合居川が合流の我が家前は、川原にいろんな種の石が流れ着き、色形様々な石を観察するのにうってつけの所です。

石をひろい集め、ネコヤナギを愛で、バッケを摘み、樹木にからまる蔦でブランコや「ターザンごっこ」をしたり、伏流水に育つクレソンを採ったりと、一帯は童たちにとって春はもちろんのこと、夏、秋、冬といつの季節も小さな水辺公園となります。

ヒロッコ掘りの季節

26日、村の表彰式が行われました。

50回以上献血された方や長い間部落長をつとめられた方々の功労賞2氏をはじめ、スポーツ賞8名、芸術文化賞11名、情報処理技術賞2名と、計23名のみなさんが栄光賞や奨励賞を受賞されました。

議会からも、あらためてみなさんのご努力へ心からのお祝いを申し上げたいと思います。

▼27日、所用で村内をまわっていたら、平良集落の亡き祖母の実家のみなさんが畑でヒロッコ掘りをしていました。

ヒロッコは、まだ厚い残雪の下でも芽をだしています。その雪を寄せると、陽射しが当たる前の黄色の新芽がはじめての光を受けまぶしそうに輝きます。雪を起こして掘り採るヒロッコは、まさに雪国食文化の象徴といえる野の菜。

ヒロッコ掘りが村のあちこちで始まれば、なんぼ豪雪の山里でもほかの山菜が少しずつ新芽を見せるようになります。バッケ、ノゼリ、ヒロッコに続き、次に食卓にのぼるのはアザミかな、ヘリザグ(セリサク・シャク)かな。

 

臨時会議開かれる

定例会議を19日に閉じたばかりでしたが、その後に豪雪対応を主として約3,400万円余の予算補正が必要となっての臨時会議がきのう開かれました。

これで今年度の会議はひとまず締めくくりとなります。すでに課長などをはじめとして職員異動が発表されたなかでの3月の会議でした。2年間在職の議会事務局長も異動となります。

例年、異動や定年の方もおられる3月定例会議では、通常であれば議会終了後に慰労・懇親会が計画され、その場で退職される課長さんたちから一言のごあいさつをいただくのが例となっていましたが、昨年も今年も新型コロナ禍でそうした場がもたれませんでした。

なので、今回だけは本会議を閉じた後の議場であいさつをしていただきました。退職される方々とはこちらが議会活動をはじめてから26年ほどの間、村政をめぐる場での様々な思い出があります。再任用の方もおられますが、長い間のお勤め、そして管理職務、ほんとうにごくろうさまでした。

異例豪雪の傷跡

今冬の雪で折れた我が家建物の軒の傷跡です。

同じ豪雪対策本部を設けた積雪量の年と比較して異例の豪雪となったのは「いっき降り積もりと低温続き」で、これが今冬豪雪の最大の特徴でした。

長い雪ぐに暮らしの中で、建屋に雪の被害をうけたのは我が家も初めて。損壊したのは落雪構造の納屋兼車庫の軒。トタンをばらしたら、予想したように軒先のタルキがほとんどといってよいほど折れていました。

落雪構造でも、勾配がゆるいために雪のすべりはあまり良くなく、それに加えて一気降り積もりとあの低温続きで雪が滑り落ちずに屋根にどんどん増えました。我が家では、落雪構造でも屋根に上がることができますので軒周りだけは何度も雪を下ろしたのですが、中央部は「滑り落ちるまでだいじょうぶだろう」と油断しそのままにしていました。

その侮りが失敗でした。ありったけ溜まった雪が滑り落ちる時、勾配がゆるいので余計に大きな負荷が軒にかかったのです。豪雪地帯なのに昔の大工さんも建築を依頼するこちら側も、軒が必要以上に長く張り出している屋根構造を良しとしたのです。こういう造りでは、屋根が雪の負荷に耐えられないのは当然のこと。

これは、豪雪の土地なのに、見栄えを優先し雪のことを重く考えない建築慣習が及ぼした負の結果といってよいでしょう。軒のこういう傷跡を見て、雪国で構造物をつくるときには、軒だけでなく、建物の、あるいは暮らしのすべてにおいて、たとえ幾年かに一度でも「異例の豪雪」を頭に入れた策が必要と教えられた今冬でした。この春先の横手平鹿・湯沢雄勝の大工さん、板金屋さん達は、こうした軒の修繕工事がとても多いようです。

▼暖かな陽射しの下、フクジュソウやバッケに続きチャワンバナコ(キクザキイチリンソウ)も咲き始めました。フクジュソウにはミツバチの仲間たちも寄りはじめています。春の野の花たちのまわり、雪上の粒々はノウサギの糞です。我が家すぐそば、小花たちが咲き若草が萌えるこの場所は、彼らにとって雪消の季節の得がたい彩食場のようです。

彼岸の墓参り

彼岸明けのきのうは墓参りへ。

わが集落の彼岸のお墓参りは、「明け」の日が多くの家々での慣例となっています。

豪雪の今冬、菩提寺境内の墓地はこんなに多い雪状態です。雪を掘らなければお墓がどこにあるのかわからず、下手にスコップで作業をすると墓石を傷めることもあります。そのため大多数の方は、「ここらあたりが、我が家の墓だろう」と予測、雪に花を刺し、おだんごなどの供え物を雪の上に置いてお参りです。

参道から墓地へ通ずる入り口も、除雪された雪が溜まりそこはまだこんなに高い雪の壁、この下にもお墓があるのです。春彼岸明けになってもこういうケタ違いの雪がある。村が国内有数の豪雪の地とされる所以です。

広域市町村圏組合定例議会

昨日は湯沢雄勝広域市町村圏組合の定例議会が開かれました。

総額3,156,525千円の令和3年度予算案や補正予算案が審議・可決されました。消防職員の退職も多く、消防費は大きく減額となりました。

新年度予算で注目されるひとつは、貝沢のごみ処理施設解体事業で、令和3年度には約2億円、令和4年度に約2億6,800万円の継続費で解体工事が計画されています。

この定例会は、組合管理者の鈴木俊夫湯沢市長がこの4月の改選にあわせて退任するので、管理者任期最後の議会となりました。

鈴木氏とは、20代の若い頃から長い間政治活動を共にしてきた間柄でもあり、最後に同じ広域圏の行政で管理者と副議長という立場で仕事ができたことに、人生の縁の妙を感じました。

今朝になったら淡雪がふんわりと舞い落ちた跡でした。今日で彼岸も明け。自然と同じように人の心と動きにも少しずつ躍々さを感ずるような季節入りです。

定例会議終える

19日、3月定例会議を予定通り終えました。

豪雪の支援対策にともなう予算案の追加補正審議では、当初の運営日程を急きょ変えるなどのこともあった定例会議でした。定例会議後にも雪処理対応での予算補正の必要が生じ、25日に臨時会議が開かれることになります。

積雪量は例年の豪雪本部設置時と変わらなかったのに、あの一定期間のいっき降りによって屋根や農業用ハウスの被害が異例の多さ、大きさとなった今冬の豪雪。それに新型コロナワクチン接種の国、県がらみのうごきも生じてきた2月~3月でした。

豪雪の暮らしには慣れていても、今冬はまさに災害級の雪を体験したわが村。今冬のことを今後の議会運営にも教訓として活かさなければと思っています。

村はいよいよ本格的な雪解け、堅雪シーズン入りです。これからは、昨日、今日のように雨天が多くなりヒラ(底雪崩)が多発します。昭和42年と49年の村では、これから以後の雪崩によって6人の命が奪われた悲惨な事故が2件発生しています。国道の春山除雪や栗駒山荘開業準備などで山地の道路を通る方々はくれぐれも注意が必要となります。人里でも斜面などからの思わぬ落雪の危険もありますから、みんなで注意し合いたいものです。

人里の小川では雪解け水が絶えず流れ、それらが注ぐ成瀬川はもう川面の笹濁りがあたりまえとなり、流量と勢いが増してきました。いよいよ春です。村もさあ春です。

少しずつひろがる春

5日に始まった議会も今日が最終日。議会の今後の運営にそなえて昨日はいろんな打ち合わせを行い、その後、所用を果たしながら村内の雪状況をみて回りました。

豪雪対策本部設置の年でしたので雪はまだ150~200㌢近い集落もあります。でも、いったん土肌が出た家屋の周囲や土手斜面、水際、立木の根元は、陽射しが注ぐ度に地温が上がり雪解けはいっきにスピードを早めます。

そんな雪消えの早いところで目につくのは野草の「ヒロッコ(アサツキ)」。栽培もののヒロッコはとっくに市場に出ていておいしくいただいておりますが、天然ものの味と香りもまた格別なもの。村に暮らしていれば、それこそ春一番の天然ヒロッコを一度は味わいたいもの。

写真は、150㌢近くある積雪の下で芽を出していた黄色いヒロッコが、雪を寄せられ陽射しを浴びたのでやや緑色を増した姿です。学校が春休みになる頃の昔の児たちは、スコップをかついで堅雪をわたり畑や原野に出かけ、雪を寄せ、ちょうどこんな状態のヒロッコをいっぱい採るのがつとめでもあり、遊びでもありました。「できるだけ太いヒロッコを」と雪を寄せた時に、のぞみ通りの黄色で太いヒロッコが連なって出ていたときのうれしい瞬間を思い起こせる方は少なくないと思われます。

そんな日の夕餉には、焼いた春カド(にしん)を出汁にしていっしょに煮込まれたヒロッコ鍋(ヒロッコかやぎ?貝焼き)で春一番の味覚を楽しんだものです。昔の山村の童たちにとって、ヒロッコは特別に思い出の深い自然からの贈り物だったのです。

道路沿いなどの湿地に「おやっ、緑が多くある」と立ち止まってのぞけばそれはノゼリ。
こちらも、それまで覆われていた雪がなくなり陽射しを多く受けるにつれ、草丈を急にのばし始めました。ノゼリも旬の春をむかえたのです。

ヒロッコやノゼリのある風景が所々で見られるようになったものの、わが集落の神社鳥居にひかえる唐獅子の背にはまだこんなに深い雪があります。明日は春分の日ですが、豪雪の村では白が支配する世界がまだしばらく続きます。