味にほれぼれ横手りんご

「♪♪赤いりんごに くちびる よせて♪♪」のリンゴの唄は、戦後すぐの大ヒット映画「そよかぜ」の挿入歌として女優の並木路子が唄い、その後、日本史に刻まれる大歌手・美空ひばりのカバーなどでも広く知られた名歌です。

その映画のロケ地がわが村となりの横手市増田町であったことはひろく知られていることです。横手、平鹿地方は県内のりんご生産のはじまりの地で、横手市の旧平鹿町には県の果樹試験場もあり、多くの篤農家が今もおいしいりんごの生産に励んでいます。

この横手平鹿地方は、わが村ほどではありませんが県内有数の豪雪地帯です。なので、私がよく記すように「世界で最も豪雪の土地にあるリンゴ産地」といってよいのかもしれません。

豪雪からリンゴの木をまもるのは並大抵のことではなく、雪のない地方の世界や国内の農家が秋田県南地方の栽培の様子をみたらおそらく驚いてしまうでしょう。そんな中でつくられるリンゴは味が抜群で、それが産地の名を確かなものにする大きなささえになっていると思われます。

過ぎた冬も、2年続きの豪雪で栽培農家の苦労がよく報道されましたが、今はようやく雪の上での整枝やせん定作業も終わり、農家は切り落とした枝や折れた幹の後片付け真っ最中です。

産地と隣り合わせなので、横手平鹿地方と村には多くの親類縁者のつながりがあり、また県立増田高校には昔から村の高校入学者が多いこともあって友人知人の間柄も多く、頂いたり買い求めたりで村内の家々には冬の間に食べるリンゴがたくさん貯蔵されています。

我が家も冬の果物はもちろんリンゴ。何箱も積み置かれたりんごは田植えの頃までにほぼ食べ尽くされます。こちらは山歩きでリンゴをよくリュックに詰めます。

リンゴは長時間の荒いうごきをしていても堅くていたまず、若い頃の雪上春山歩きや春のクマ狩りでも最適の携行食。わざと粒の小さなリンゴを買い求めてリュックに詰め、帰路、空きっ腹とのどの乾きを癒やし、疲れをほぐしてくれるのにそれは最適の果物でした。

ゆぎしろの流れに

おだやかな天気がきのうまで続いた初春の村。晴天の朝には雪原が本格的な堅雪状態となり、集落まわりの小沢もその流れを集める成瀬川も、ゆぎしろ(雪代水・雪解け水)の日々となっています。雪にも流れにもたしかな春到来です。

これから田植えの頃まで、村の小川や本流の成瀬川は雪解け濁流がしばらく続きます。

すでにイワナやヤマメなどの渓流釣りは解禁となり、小川の雪上にはこのシーズンを待ちかねていた太公望の足跡が方々で見られます。流れの石の下では、産卵を間近にひかえたカジカたちがおなかを大きく膨らましている頃でしょう。

我が家の田んぼは、まだ1㍍を越える積雪で真っ白。村道の除雪で畑に盛り上げられた雪の山を、できるだけ早く解けるようにと重機で掘り崩した跡には、どこかの国の遺跡のような雪風景がのこっています。

先輩、恩師逝く

元村議会議員の後藤作氏(93歳)が26日にご逝去され、きのう葬儀が執り行われました。同じ26日には、小学校時代の恩師であった鈴木望先生も89歳で亡くなられております。

後藤氏が村議会選挙にはじめて挑戦したのは昭和50年(1975年)。当時の村の議員選挙としてはめずらしい街頭宣伝の候補者カーを仕立て、後藤氏の脇でこちらも多くの応援演説に立ちました。

その後の後藤氏の5期20年の議員活動における村民要望課題でも、ともにとりくんできたことがあまりに多く、ご遺体を前にしてそれら活動の日々に思いが遡りました。

恩師の鈴木先生は、岩井川小学校5、6年時のこちらの担任でした。社会人となってからも先生とはいろいろとつながりが深く、夜中に友と連れ立ち旧武家屋敷が並ぶ横手市上内町のお宅にまで押しかけたことなど、長くお世話になったことが思い出されます。

今年1月末には議員活動を共にした柳邦夫氏、そして今度は後藤作氏と、先輩の元議員の皆様が、そして今度は恩師もと、次々と別の世へ旅立たれてしまわれました。自分が71歳の高齢になったということは、お世話になった多くの方々がそういう年齢に達しているということ。

若い時や幼い時の日々を共にした方々が亡くなられる度に深いさみしさを覚えます。自分が高齢者の仲間入りをするというのは、そういうつらい別れの数も増えるということなのですね。

▼おだやかな天気が続くようになったきのう、妻が、風除室にとりこんでいた少しの鉢物を外に出していました。沈丁花の鉢だけは花盛りで香りがよく、そのまま室内に置かれたままですが。

屋外に出されたサザンカにはまだ咲き残りのつぼみがありますから、もうしばらくは冬の花も観賞できそうです。

雪の村に春を告げる山野の菜

まもなく4月を迎えようとしている豪雪の村。

いつもの年より雪解けが遅く、それでなくても雪が遅くまで残る我が家の田んぼはまだ分厚い雪の下。「今年は、田んぼの雪が消え終わらない中での農作業開始になるかな?」と思い始めているところです。

土の現れるところがそれだけ少ないので野草たちの多くはまだ雪の下です。それでも、バッケ(フキノトウ)と並んで春一番の山菜(野草)として親しまれるヒロッコ(アサツキ)は所々で目につくようになりました。

湧水の流れでは、日照が長くなるにつれノゼリも草丈を少しずつ伸ばし初め、流れの脇にはおいしそうなワサビの新芽も見られます。

ヒロッコもノゼリもワサビも、豪雪の村の春到来を象徴し野から採れる最初の食べ物。3つとも栽培モノがひろく流通していますが、旬の香りと味覚ならやはり山野の菜にはかないません。

ワサビは早速に根をすり下ろし、今年最初の天然の辛味をイカ刺しでいただきました。

3年ぶりの村芸術文化祭

25日は村の表彰式へ。

今年度は、12年間教育委員を務められた鈴木一夫氏が自治功労賞を受賞。ほかにスポーツ功労や芸術文化の栄光賞や奨励賞、今回から新たに設けられた情報処理技術賞などの方々も受賞の栄に輝きました。

中でも、中学校スキー大回転と回転で全県優勝し、全国大会に出場した石綿響さん(東中2)、同じく全県大会男子大回転3位の佐々木太翔さん(東中3)の活躍はすばらしく、中学校スキーは全県のアルペン競技男子総合でも1位という見事な成績を刻みました。石綿さんは、全県の中学校秋季陸上競技大会でも男子共通砲丸投で2位となっています。

芸術文化分野で特筆される活躍は谷藤翔太さん(東中3)で、第39回津軽三味線世界大会ジュニア部門C級で優勝、同じく唄付け部門B級で順優勝を獲得していました。

ほかにも、スポーツ、文化部門で多くの方々が栄誉の賞を受けられました。

▼きのうは第11回村芸術文化祭(主催・村芸術文化協会・佐々木省吾会長)へのご案内をいただき、開会セレモニーの時だけでしたが訪れました。

新型コロナ禍のため過去2年は開催中止となり、3年ぶりの文化祭です。会場となった「ゆるるん」は200名の入場が可能ですが、感染症予防を考慮し今回は「100名の入場に制限、開演中も30分に一度換気するのでご理解を」との主催者のあいさつがありました。会場内では飲食も禁止され、祭りも正午までには終えるという時間制約で進められました。

勇壮かつすばらしい響きの仙人太鼓で祭りは開演。各生涯教室の発表などをふくめ多彩な展示や唄、踊りなどがプログラムに記されていました。せっかくの発表の機会。来年度からはきっと通常の開催ができると思われます。

厚い雪の上で墓参り

彼岸明けのきのう、墓参りに向かいましたが、菩提寺境内の墓は150㌢ほどの厚い雪の下です。

「ここらあたりが墓だろう」と、おおよその見当で雪の上に供物を置き、雪に線香とろうそくと造花を立てての拝みです。花は、集落のお年寄りたちが彼岸向けにつくっていた造花を買い求めたもの。

昔のようにお墓にぼた餅やだんごが供えられたままの光景はなくなって久しく、そのぼた餅などを狙っていたカラスたちもアテがはずれる年月が長く続きます。我々が童の頃は、空きっ腹と甘い食べ物に誘われ遊び仲間といっしょに墓に向かい、カラスに混じって家々の墓のぼた餅と団子に「べっとうする」と言いながら手を出したもの。春彼岸の時は、そんなはるか昔のことも偲びます。

▼きのう午後は、第183回県都市計画審議会が県庁で開かれ出席。都市計画道路の変更や、産業廃棄物処理施設の計画に関して、敷地の位置の許可を要するもの2件の計3件の議案を審議、いずれも可としました。

秋田市内の田んぼは積雪がゼロ。我が家の田んぼはまだ分厚い雪に覆われていますが、同じ県内でも沿岸部や中央部では、もう土とふれあう農作業が始められるようになっています。

広域市町村圏組合議会へ

きのうは、湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の3月定例会が開かれました。

議会前の全員協議会では、議案の説明とともに、行財政改革のとりくみ状況や、建築後49年を経ている消防の羽後分署庁舎の建設計画(予定では令和8年3月開庁をめざす)なども説明されました。

羽後分庁舎建設事業費は約5億5千万円を予定。概ね3500㎡以上の敷地面積確保と庁舎の規模は約700㎡。事業費は、庁舎が所在する羽後町の単独負担となります。交付税措置がある緊急防災・減災事業債の活用が計画されています。

議案となった来年度予算案(一般会計で約32億円)などはすべて可決されました。

3月は職員の定年退職の時でもあります。広域組合でも、議会に出席していた事務局長、会計管理者、消防長が退職の年をむかえ、会議後にみなさんからあいさつがされました。

新型コロナ禍でなければ、議会後に、一年に一度の懇親会があり、そこで職員のみなさんの長年のご苦労にたいしてじっくりと感謝の言葉をのべられるのですが、村の議会の時と同じように飲食の会は今年も自粛です。「ごくろう様でした。残念だな」という言葉を交わしてきのうは別れました。

豪雪の村にも花

いつもよりほんの少し開花が遅れがちなのか、まだ1㍍を越える厚い積雪のそばでフクジュソウが咲き始めています。

学校が春休みの季節、あるいはもう少し先にのびて「堅雪」の頃。子供の頃の遊びの思い出が頭の中にいっぱい詰まっていて、それを思い出す度に、なぜか胸がキュンと熱くなります。

この季節によく仲間たちと遊んだのは、大川(成瀬川)の岸辺やその支流岸辺で、水辺の石を動かしてのカジカ捕り。柴木を木刀がわりにしての戦いっこ(チャンバラ)。そして遊びと実益を兼ねた湧き水でのセリ摘みや、堅雪を渡って雪消の早い場所でのヒロッコ(アサツキ)掘りでした。

そんな昔を思い出しながら童と歩いた川の岸辺で石を動かしたら、立派なカジカと今年初のご対面。真冬のノロノロ動きとちがい、カジカの動きはほぼ通常に近い素早さとなっています。池の鯉も、隠れ場所から出て遊泳する姿が見られます。明日で彼岸も明け。地上ではフクジュソウ、水中では魚たちと、いずこでも生命は春を感じ始めたようです。

3月定例会議終え、ゆっくり休日

3月定例会議は18日にすべての議案審議を終え休会となりました。

新しい年度に向かう予算も決まり、特別のことがない限り令和3年度中の議会の会議はこれで終わりとなります。もちろん、通年議会ですので、会議は休会となり散会したものの、議会は今も会期中です。したがって、常任委員会の様々な活動をはじめ機に応じたうごきはいつでも自由にできるようになっています。ただ、コロナ禍なので、そのうごきに一定の制約はありますが。

▼以前とちがって水稲の育苗をやらなくなった我が家(苗は購入)では、農業用パイプハウス施設周辺の除雪も必要なく、雪が消え終わる4月半ば過ぎまで外の大きな仕事はありません。やりたいことはいっぱいありますが、まわりはいずこも厚い雪。この雪がなくなるのを待つしかないのです。

ずっと昔の今の季節の集落では、ソリによる田んぼへの堆肥運びや木材の伐りだしで山に働くなど、雪があるうちの作業が盛んの頃だったのですが、一般家庭ではそんな仕事も今はなし。雪の村の3月は、兼業農家にとって一年で体がもっともゆっくりできる時といってよいのかもしれません。

昨日までは、それに春分の日が重なる連休。卒業や春休み、卒園の時をむかえた童たちが集まり、久しぶりに彼らとたっぷりのおつきあいです。

童たちを連れて向かったのは自宅前の河川敷、自称「自然公園」。いつものようにソリ滑り、立木につくったブランコ遊び、湧水でのクレソン摘み、バッケ(ふきのとう)摘みなど、年長の子たちが幼の童をめんどうみながら、雪と水と緑に触れる楽しい時を過ごしていました。

童たちの笑顔とうれしい様子は、特別なことではなく山村のくらしのごく普通の一コマです。そんな楽しそうな様子の子たちを見ていると、それとは真逆の時を過ごしている侵略惨禍のウクライナの子たちの姿が目に浮かびます。子たち家族の平和な暮らしを奪っているロシア・プーチン政権の許しがたい蛮行には、いっそうの怒りを覚えます。

瀬の色も春めく

このところの雨天や暖気続きで成瀬川はいっきに川面が春めいてきました。

まだ雪代水(ゆきしろみず・雪解け水)と呼ぶような濁りではありませんが、澄んだせせらぎの季節は通り過ぎようとしています。

河川敷の湧水に育つクレソンも葉っぱの色がやや黒ずみ、茎葉が少しのび始めたのか水面を隠すほどびっしりと茂るようになっています。

里山の斜面ではヒラ(全層雪崩)が随所で発生。ほうぼうの畑では、水稲の苗をつくるためにユンボーによる畑の雪寄せ作業もはじまっています。

▼広域市町村圏組合の定例議会が23日に予定されていて、きのうは議会に提出される議案の説明などを受けました。