小学校卒業式

きのうは小学校の卒業式でした。

中学校の式の日と同じで、比較的おだやかなお天気の下での門出の日となりました。

今年の卒業生は10人。中学校もそうですが、保育園の入園時からなど長い年月その姿を見つめ続けていた子どもたちです。卒業証書をうけた後、ひとりひとりが壇上で「小学校で学んだこと、これから中学校でがんばりたいこと」を、しっかりとした口調で語りました。

その立派な姿に、保護者のみなさん、先生方は感動ひとしおだったようです。私は自分の子供時代を思い起こしながら「語る内容もふくめ、今の児たちは、たいしたものだなァ」と、例年のことながら感心しつつその時を過ごしました。

会場では1年生から5年生まで在校生のみなさんもいっしょにお祝いです。1年、2年、3年、4年、5年とそのならんでいる姿は、卒業生のみなさんがのぼってきた成長の階段そのものをみるよう。わずか6年の年月で児らはこんなに立派に成長するのです。

この日をむかえるまでがんばってこられた卒業生、保護者、先生方へ、あらためて心からのお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

▼床につき読書をしていて、さあ眠り始めようとした時の2度続けてのきのう深夜の地震には驚きました。福島沖を震源とする最大震度6強の地震は、村でも震度4を観測しました。東北新幹線が地震によって乗客を乗せたまま脱線しました。それによる負傷などはなかったようで一安心です。こちらも都内へ向かう時はほとんどが新幹線利用。高架や鉄橋上などでの脱線などを想定すると「さあ、大変」とつい思い、そんな時の心がけも必要なのかと考えてしまいます。

わが村は、県内でも太平洋宮城県側に最も近いところですから震度4を上回ったところがあるかもしれません。我が家では、棚の本や食器などは落ちませんでしたが、ほかはどうだったでしょうか。

我々は、地震列島に暮らしていることをあらためて思わせられた夜でした。毎年どこかで大きな地震があります。それぞれの部署で、そして個々にも備えには万全を期しましょう。

おかしなブナの新芽

先週歩いた里山でのこと。それほど大きくないブナのそばを通ったら、冬の時にしては異常なほどに芽をふくらませた枝をみせる幹がありました。

雪折れなどした枝が雪上に落ちると、どうしてなのか正常な枝よりも早く新芽を出している場面はよく目にします。しかし、見たところどこも折れていない正常な枝が、今の季節にこんなに芽を大きくしているのはなぜなのか不思議に思えました。それほど暖かくもなかった今年の冬、なんぼなんでも、この幹の新芽のふくらみは早すぎるからです。

同じ林にあるブナでも、春の芽吹きの早さや秋の木の実の熟期には幹によって大きなちがいがあるもの。「もしかしたら、この幹は、とてつもなく早く芽吹く極早生ブナなのかなァ」「それとも、幹か枝のどこかに何かトラブルがあって、芽を早くふくらませたのかなァ」などと思いながらカメラにその新芽をおさめてみました。いつも記していますが、身近な自然にもよくわからないことがいっぱいあるものです。

▼きのうで予算特別委員会の審査は終了、委員会は全会一致で予算案を可決としました。今定例会議の本会議は、18日の議案審議で終了となります。

予算案審査はじまる

来年度予算案の審査が、特別委員会で昨日と今日の日程で進められています。

審査にあたっては、村の各種計画、実現を要すべき住民要望に沿っているか、あるいは決算審査や一般質問などで議論された内容のなかで、予算に反映されるべきという点が考慮されているかなどをふくめて議員各位は予算案とむきあいます。

依然と比べ、予算案の説明書では詳細な「概要書」が配られるなど相当ていねいになっています。それらをもとにして、村全体の行政を視野におき予算案の審議にのぞむわけですから、議員には以前にも増して入念な質疑準備が必要となります。そうでなければ、充実した予算案審議にならないからです。きのうは一般会計の質疑がすべて終わりました。昨日の審議を経て、質疑と答弁双方の側では、それぞれどんな感想をもたれたでしょうか。

▼過ぎた土曜日は中学校の卒業式へご案内をいただきました。新型コロナ禍なので来賓は3名だけの限定出席。それでも、在校生や保護者は全員参加での式典でしたからその分はホッとしました。

しかし、新型コロナ感染防止を考慮し、式典恒例の校歌斉唱は1番だけ。式典にはあたりまえだった吹奏楽の演奏はなく、卒業生や在校生たちの別れの歌もないので、比較的短い時間で式典は終わりました。

第75期となる今年の卒業生はいつもよりかなり少なくて11人。クラスの人数は少ないですが、最高学年としてとても頼りにされ、見事な活躍をみせてくれたみなさんでした。

そんなお子さんたちの晴れ姿をみる保護者の方々の感極まった涙の表情を目にし、卒業生と共に、保護者のみなさんへも「難儀して育てて、こんなに立派になって、おめでとうございます。」と、心のなかでお祝いをしました。

ロシアのウクライナ侵略に抗議決議

11日は3月定例会議2日目の本会議を開きました。

会議は、3議員による一般質問の後、陳情1件を採択。その後に、議員発議による「ロシアのウクライナ侵略に抗議する決議(案)」を全会一致で可決しました。

決議は次のようになっています。

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ロシアのウクライナ侵略に抗議する決議

ロシアによって2月24日に本格化したウクライナへの侵略は、平和の国際秩序として国連憲章がかかげる「主権の尊重」「領土の保全」「武力行使の禁止」などに反する行為であり我々は厳しく非難し抗議する。

ロシアは、この侵略の渦中で核兵器による威嚇を示し、軍の特別態勢入りも表明した。こうした侵略と核兵器使用をほのめかす脅迫的な動きは、非核平和を宣言する村の議会として断じて容認できないものである。我々はロシアに対し、武力行使の即時停止、軍のロシア国内への撤退、国際法を遵守した即刻の対応を強く求める。

また、わが国政府におかれては、国際社会と連帯し、ウクライナの平和がとりもどされるよう、あらゆる外交手段を通じて一層の力を尽くされるよう強く要請する。

以上、決議する。

令和4年3月11日
東成瀬村議会

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▼きのうでパラリンピックが閉会した。

平和の象徴、分断ではなく多様性を認め合うことにこそ意義があるオリンピック、パラリンピック。しかし、パラリンピックはロシア・プーチン政権の暴挙によって、大会に参加できない選手も出た。閉会式でパーソンズ会長は、「平和への希望」をのべるとともに、「選手から、世界のリーダーたちがインスピレーションを受けることを望む」という旨をのべ、開会式に続いて平和の尊さをうったえた。

この大会に初出場した甥は、アルペン座位の4種目に挑んだ。パラリンピック以前にも、欧州や国内の大会などで世界や国内の人々の優れた技や競技にかける姿勢に触れていただろうから、自分の技の到達点がどの位置にあるかを一番よく知っていたのは本人だろう。そうしたなかで、健闘した甥にも心からの拍手をおくりたい。

競技の道に進む中で、世界や国内の先輩・同僚たちから、競技だけでなく、人としての生き方についても学ぶことが多くあったと思われる。そうしたことを糧にして、新たな鍛錬を重ね前進することを願いたい。

すべてのパラリンピアンのみなさん、10日間の感動をありがとう。

名峰・東山あれこれ

村から望む県境の名峰が、これからはとりわけひきたつ季節となります。それぞれの頂や稜線の真っ白さがいっそう青空に映えるようになるからです。

栗駒山塊、焼石連峰とならんで、村の名峰にあげられる東山もそのひとつ。

いずれも県境部にある山々ですが、東山は登るだけではなく、ビューポイント付近の国道すぐそばからすばらしい山岳景観をながめられることでも人気のある嶺です。

東山は、向かって左のドカッとした山容の東山(東山森・1,117㍍)と、右側の奥にある秀麗な姿の東山(1,116㍍)とがあり、地元では2つの峰とも「東山」と同じ名をつけて呼びます。その呼びかたは、それぞれを前東山、後ろ東山とか、上東山、下東山ともいいます。かつて土地の長老から、どちらをどう呼ぶかお聞きしたことがありますが忘れてしまいました。地元の者でないので、どちらが前だか後ろだか、上(かみ)だか下(しも)だかいまも私には区別が分かりません。

左側の大きな東山(東山森)には登山道がなく、右側奥の秀麗な東山には登山道があります。登山道のある東山には残雪の上を歩き登ったことがありますが、道のないでっかい山容の東山にこちらはまだ足を踏み入れたことがありません。東山森の頂きには、マタギの熊狩りやノウサギ狩りでも向かったことがないのです。おそらく村の山々のうちでも「人がほとんど入らない山」の筆頭格にあげられるのがこのどっしりした方の「東山森」です。

そんなこともあって、「いつか、仙北街道・柏峠方面から雪上の東山森登山を」と思っていますが、まだ考えだけにとどまっています。村の山でありながら、なかなか足を向けることができない、そんな所もわが村にはあるのです。

村のいずれの名峰も県境深山に位置しますから、里山の雪解けがはじまるこれからが頂の白さが映えるとき。春山の雪上歩きや山岳スキーなどでこれらの嶺をめざす人々は、「早く4月が来ないかなァ」と、積雪が堅く締まる季節を心待ちにしているでしょう。実は、私もそういう者のうちの一人です。

(写真は、最初が焼石連峰の三界山や南本内岳、南の森など。次が2つの東山峰)

自家栽培のピーナッツ

昔は「南京豆」と読んだ落花生・ピーナッツ。

この豆、われら子供の頃、稀にごちそうになれるのは千葉県産などの国内産だったのでしょう。先輩の家族に千葉や南の地方に就職している方がおられて、そこから贈られてきていた水飴やサツマイモなどとあわせていただくことが時々ありました。

あれから60数年、そのピーナッツの今は、店頭に並ぶ多くの商品が中国産。国内産は値が張ってなかなか求めにくくなっています。

食の安心安全を考えれば、なるべく栽培や保存などに薬を使わない食べ物を求めるのは当然の理で、よく食べるピーナッツもそれは同じ。

ありがたいことに、このピーナッツを村でも栽培している方が増え続け、我が家も、そんな農家の方から栽培の仕方、乾燥方法を教えてもらい2年ほど前から「自家栽培の豆」をうれしくいただけるようになっています。

童たちも大好きなピーナツツ。今年もひきつづき無農薬、化成肥料なしで「もっと多く栽培を!」と意気込んでいます。

昔のソリ引きを想う里山歩き

まだ2㍍前後の積雪がありながらも、雪下ろしはやらなくてよくなった季節入りです。

きのうは、役場で用務を果たしての後、生活用水の取水口点検がてら気分転換を兼ね、自宅後ろの里山を3時間ほど歩きました。

歩いたのは集落でもっとも大きな沢、岩井沢流域。この沢は流域がやや広くて林が多く、むかしから杉やブナなどのソリによる搬出がよく行われていたところです。

中学校を卒業して直後の今から50数年前には、こちらもそのソリ運材にはじめて携わった沢です。深山のブナ材の搬出で利用されるソリは、急斜面を自重で滑り降りるバチゾリと、平坦部の搬出ではソリに食用油を塗った大ゾリが使われます。危険だし重労働なのでその作業に就くのは男だけ。

しかし里山の搬出で使われるソリは、田んぼへの堆肥運搬などでもつかわれたカナジョリ(カナゾリ)です。そのカナゾリ引きの主役は集落の女性(アバ)たち。カナゾリは、文字通り滑り面に鉄が打たれているので「カナゾリ」。主に緩やかな勾配の雪道をつくり、荷の重さと人の引き力で微妙に雪道を下ります。道があまり平坦だと全力を振り絞って引かなければソリは動かず、時にはソリが止まってしまい仲間から応援を受けたり、稀に荷を下ろすことも。

反対に、道の勾配がややきつい所では、荷を積んだソリが暴走しがちなので、「うまっこ」と呼ぶブレーキ用の材木などを雪道に接するように取り付けたり、「マッカテゴ」と呼ぶブレーキ装置をソリの前部に据えて急坂を下ったものです。アバたちもふくめ私らが作業の時は、それらの装置などつけずに、体をありったけ斜めにして両足を雪面につけ、ソリを押さえ、全身でブレーキをかけながらソリと下ったもの。今想えばかなり危ない作業でした。

この沢を歩くと、50数年前、集落のその女性たち(現在90歳前後の方々ですから、当時は40歳代前後のアバたち)と混じって、みんなで汗を光らせ、語り合い、笑い合って杉材引きをしたことが鮮明に頭にうかびます。記憶はありませんが、この沢を、一日、4回前後は往復したのでしょう。カンジキ跡のある雪上は、その時とほぼ同じ風景です。

その当時に伐られた杉の跡地にまた杉が植林されましたが、その杉ももう抱きまわされないほど太くなりました。そんな杉を見て、当時から経た年月の長さを偲びます。50数年も経てば、厳しい雪国でも樹木はこんなに生長するのですね。

さてきのうのことです。郡境まで上がれば里山といってもかなりの標高となりますが、きのうは雪がやや深くて上まではムリ。雪崩箇所に気をはらいながら、時に上をよく見て、時に急ぎ足で斜面を横切り、沢の源流部となる8分目ほどまで上がりました。今回は入道・菅ノ又方面まで足を伸ばし矢櫃方面を経由して帰宅です。

里山といっても中腹まで上がれば雪はまだ2㍍をはるかに越えています。厚い雪に押さえられながらもしなり強く生きるユキツバキの常緑が雪の白さに映えます。

杉にからまったフジと杉の幹の妙に目をやったり、太いサルナシの蔦に見ほれたりしながらの歩きで、残念ながら、森の生きものとくに期待していたノウサギとのご対面はゼロの歩きとなりました。今はノウサギの繁殖行動期となりオスとメスがともに行動した足跡が雪につく季節ですが、足跡はごくわずか。この地ではノウサギは激減しています。

▼7日で締め切られた一般質問の通告。今会議では3名の議員が質問に立ちます。

貯蔵モノの味を楽しむ日々

冬の間、我が家の食卓から途切れないのはキノコや山菜たち。

みんな、塩蔵や乾燥、瓶詰めなどにされていたものです。山菜はほとんどが塩蔵で、圧倒的に多いのはサグ(エゾニュウ・シシウドの仲間)。サグは煮物やおでんの具としていちばん多くつかわれます。それに次ぐのはワラビで、ワラビは塩蔵だけでなく、近年はゼンマイと同じように乾燥モノの味覚を我が家は特に好んでいます。(写真は塩蔵モノのワラビ)

山菜の乾燥モノといえば、村ではやはり昔からゼンマイが味でも価値でもだんとつの人気一位。我が家も、たんぼの畦そばに植えたゼンマイだけで、一冬毎朝の味噌汁に入れてもだいじょうぶなほどたくわえられています。

キノコは、それぞれの種がもつ特徴や価値にあわせて貯蔵の方法を分けます。まずもっとも量の多い塩蔵モノの代表格はサモダシ(ナラタケ)とナメラコ(ナメコ)。それに次ぐのが各種ホウキタケの仲間で、ハナホウキモドキやウスムラサキホウキタケが主となります。いずれも、味噌汁や煮物につかいますが、サモダシは、伝統食の「納豆汁」には欠かすことのできぬキノコです。

ミャゴ(マイタケ)なども、老菌にちかい株は塩蔵となります。味噌漬けで重宝されるトビダゲ(トンビマイタケ)や珍味のノギウヂ(エゾハリタケ)も、味噌樽の中にたっぷりと漬け込まれています。

瓶詰めでは、山菜ならネマガリタケノコ、キノコなら上物のマイタケ、シシタゲ、オオヒメジ(ネズミヒメジともいう、ホンシメジ)、ハタケシメジ、コナラ(シモフリシメジ)、クリフウセンタケがならびます。(写真は、シシタケ、マイタケ、ハタケシメジ、クリフウセンタケ)

貯蔵モノ、とりわけ塩蔵モノがおいしく食べられるのは雪のある冬の間だけ。あとひと月も経てば、食卓の主役は徐々に山菜の新芽たちへと交代をはじめます。

3月定例会議はじまる

4日、3月定例会議が始まりました。18日までの日程で予定した通りの審議が行われます。

開会にあったっては、ロシアのウクライナ侵略行為への抗議をこめて次のような言葉をあいさつに入れました。

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ところで、この3月定例会議を前にしまして、ロシアによるウクライナへの侵略行為が発生し、いま現在もその暴挙は進行中であります。

この侵略は、国際法や国連憲章に明らかに反するもので、先日開かれました国連総会の緊急特別会合では、圧倒的多数で「対ロシア非難決議案」が採択されました。

わが国におきましても、国会の衆参両院をはじめ、秋田県議会など全国の地方議会でこの暴挙を非難する決議が次々とあげられております。

非核平和宣言のわが村としても、今般のロシアの侵略行為は決して許容、看過できるものではなく、私は強い言葉でこの侵略を非難し、ウクライナからの即時無条件完全撤退をもとめたいと思います。

そして、一日も早くウクライナに平和がとりもどされるよう、戦禍の下で過ごされているウクライナ国民と、侵略反対の声をあげている世界の人々へ、この会議の開会にあたりまして、激励と連帯の声を寄せたいと思います。

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会議では、続いて施政方針と行政報告、議案の上程と説明が行われました。施政方針と行政報告の最後に、村長から「5月の村長選挙には出馬しない」旨の発言がありました。

▼4日からきのうにかけては、パラリンピックの開会式やアルペン競技などのテレビに注目の日々でした。

このパラリンピックの開会式では、国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が世界の人々にむけて「………オリンピック、パラリンピック開催期間中の休戦は、国連決議として193の国連加盟国の創意で第76回国連総会で採択された。それを尊重し守るべきもので、違反があってはならない……」という旨をふくむ挨拶をされ、最後に「ピース!」と、声音を強めました。この発言は尊い内容をふくんでいて、ある意味、歴史的な重みをもった挨拶と私はとらえました。

▼猛吹雪の時間の長さとしてはおそらく「こういう荒れ空はこれで終わりだろう」というほどの一日が過ぎ、久しぶりに本格的な雪寄せの朝となりました。

鳥の動きにも春が

きのう、役場でいつものように朝の用務を果たしての帰り、道路沿いの電柱に一羽の鳥が留まっていました。

トビより少し小さいタカの仲間で、ノスリに似ていますが羽色がノスリより少し黒っぽいので別のタカかもしれません。同じ場所で時々みかけるタカですから、この電柱は、彼のエサとなるネズミや鳥などの生きものを捕獲しやすい場所なのかもしれません。春になればネズミたちの野外活動もこれまでより活発になるでしょうから。

そのタカを見つめて帰宅し玄関まで来たら、家の前を雁の群れが県境方面をめざし低空で飛んできました。100羽以上の群れで、北の地へ渡るこれからはよく見られる様です。雁の飛来地でならごく普通の光景でしょうが、村でこんなに低く飛ぶ雁の群れを見るのはそう多くはないことです。

▼村議会は今日から3月定例会議がはじまります。災害対策特別委員会をはじめとする議会の諸般の報告、村長、教育長の施政方針と行政報告、議案の上程と説明がなされ、常任委員会では陳情審査も行われます。