小さな春をまた一つ

四季を分ける節目で、旧暦は2月の立春からを春としていますが、気象庁では3月から5月までを春としているそうです。

その春がはじまった3月。清水の湧口ではノゼリが軟らかな緑を少しずつ増し、草丈をほんのちょっぴり伸ばし始めています。まだ摘むにはかわいそうなのでそのままにしておきました。豪雪の村でも、小さな春を感ずる様子がこのように一つずつ増えています。

むかしは、もっともっと多く見られたここの湧水のノゼリ。ほかの野草に負けたり、生育土壌の悪化など環境の変化でしばらく前から植生は激減しています。わずかにのこっているここのノゼリ。この先もう少し経って雪解け水が増える頃になると、草丈が伸びて摘み取り頃となります。

むかしはこの清水の流れにもカジカが棲んでいました。雪解けの頃になるとカジカは産卵期をむかえます。セリ摘みでセリの根株に指先を挿すと、卵をかかえておなかを大きくしたカジカがノロノロとした動きで手のひらにのることもありました。

はるか60年前のそのときのセリの緑とカジカの姿、そして感触を、わたしの記憶と手指はいまでもよくおぼえています。この小さな湧水の流れにはもうしばらく前からカジカはおりません。

ヒラ(底雪崩)の季節

まだ2㍍前後の積雪の村ですが、ここ幾日かの寒気の緩みと雨天により集落すぐそばの里山ではヒラ(底雪崩・全層雪崩)の発生が増えています。

地面の雪をそっくりそのまますべて滑り落とすヒラの跡には、黒い土肌が斜面にむきだしとなり、そこには多年生の緑の草株がいっきょにあらわれます。それを見逃さないのはカモシカやノウサギたちで、これからのヒラ跡では、日中に活動するカモシカが草や柴木を食んでいる姿がよく見られます。

地肌が見えた斜面にはこれからの陽射しが真っ先に注ぎ、温められた地面には野草の新芽もいち早く芽を出します。そうなるとそこの急斜面は、生きものたちに加わって山菜採りの人々が向かう場所ともなります。雪崩の急斜面は雪庇からの残雪崩落や落石もあってとても危険なところですが、山菜採りにとってはとってもありがたい「天然の畑」でもあるのです。

2㍍越の積雪なので、我が家前の小沢もほとんどはまだ厚い雪でふさがっている状態です。でももう3月、寒気の緩みとともに沢を覆っているこの雪も次第に融け落ち、いったんは一年でもっとも水が細くなった流れも日を増す毎に水が増え流れの全体が見えるようになるでしょう。人々は雪がとけて川がよく見えるようになることを「沢、明いだ」「川、明いだ」と言います。

ところで、きのう1日で71年をすっぱりと生きたこちら。今日からは数え72歳のはじまりです。3月1日はむかしから県内各高校の卒業式がいっせいにはじまる日。今年もこんなコロナ禍ですのでどんなかたちの式典となったか詳しくは分かりませんが、卒業生とご家族のみなさん、そして学校のみなさんおめでとうございます。

この3月1日には、わたしが季節指標のひとつとしているマンサクの花を毎年思います。なぜマンサクかというと、3月1日になれば、国道342号の成瀬川沿い増田「真人へぐり」(ヘグリは川沿いの急斜面を歩く道のこと)」にマンサクが咲きはじめるからです。

その年の春の訪れが早いか遅いか、この「ヘグリ」に咲くマンサクの花で私は季節の進みを覚ります。果たしてきのう、今年は花が咲いていたのかどうか。2月があまりに長い期間寒かったので、今年の開花はおそらくまだだと思うのですが。

議案説明の全員協議会

4日に開会する3月定例会議を前に、会議の日程を決める運営委員会や議案説明の全員協議会がきのう開かれました。

今定例会議では、当初予算案とあわせて大きな柱となる「総合計画」の議案も提出されます。すでにその「素案」については説明をうけており、その後に議会や教育委員会などから寄せられた意見も反映して堤出される原案があらためて説明されました。

定例会議は4日に開会され、11日に一般質問、15、16日に予算特別委員会、18日に条例案などの議案審議という運びです。

歴史の教訓に反するロシアの暴挙

ロシアによる国際法や国連憲章にそむくウクライナへの侵略にたいし、世界はもとよりロシア国内でも「侵略やめよ」の世論がひろがっている。

プーチン大統領は、この侵略にあわせて「核兵器保有大国」の権威をかさに、こともあろうに核兵器の言葉をもち出しての「脅し」まで公言した。

国際法違反の罪とともに、核の先制使用をちらつかせウクライナの主権をおかした行いはどこからみても許されるものでなく、世界の世論がこの暴挙に怒りをもって声をあげたのは当然だろう。抗議行動は日増しにひろまっている。

「非核平和」を宣言しているわが村は、役場庁舎正面に祖国と世界の平和をねがう看板をかかげている。今般のロシアの侵略行為は、その宣言に込められた平和希求と核兵器を許さぬわが村の意思に反するものであり、この雪のむらからも、「ロシアの非道、無法を許すな!ウクライナ侵略を止めよ!」の声を強く発しておきたい。庁舎外観

この侵略を止めさせる最大の力は「世界の世論」と「ロシア国内の世論」にあるだろう。

第二次世界大戦をはじめ、暴政やファシズム、他国の主権を侵害する行為にはしった近・現代の世界の為政者は、自国と世界の「世論」をもっとも警戒し、世論を味方につけようとあらゆる策をこらした。

当時のかれらは、その策のひとつとして圧政の法体系で国民から自由と民主主義をまずうばい、新聞やラジオなど宣伝媒体を通じて国内の世論操作に執心したことを識者はのべる。その結果、侵略を犯した側の国では、国民の多くがその誤った政治と侵略戦争賛美報道のなかで戦争に突き進むようにされた。そしてここでもうひとついえるのは、過去の我が国や近・現代の歴史をふりかえれば、いつの時も、政を誤っている為政者がもっとも恐れたのは、その理不尽にしたがわない世論が大きくなることで、私たちは先の大戦の歴史などからそれも学んだ。

われわれの社会がかちとってきた民主主義の到達水準に比べれば、ロシアの民主化には抑圧のもとで少なくない困難があるようだが、そういう中にありながらも、ロシアの勇気ある人々が「侵略反対」で声をあげ行動している。ロシア国内で勇気あるその声がさらに大きくなることをまずのぞみたい。

侵略されているウクライナの人々への何よりの励ましと支援は、そういう世論の力ととらえ、ロシア国内をはじめ世界から「プーチン政権の侵略・横暴を許すな」の声をあげつづけることがもとめられている。ウクライナの子供や市民の命を救うために。ウクライナの主権と領土をまもるために。武力の行使を今すぐやめさせるために。侵略行為で命を奪われる若い人々を救うために。こんな非道をまかりとおらせてはならない。

厳寒が続いた村

しばらくの間普通でない雪の天気が続きました。

きのう村内をぐるっとまわりましたが、春らしさを少し感じ始めていた山里はまた真冬に戻ったかのような雪風景となりました。

わが集落・入道地区の雪の様子はこんな状態。まもなく2月を終わろうとしているのに2㍍をはるかに越える積雪ですから、今冬は「一人前の豪雪の冬」ということになります。

我が家の入り口となる通路にも連日の吹雪で雪庇が発達、そろそろ落としてやらないと「危ないな」と思っているところです。

これから先は暖気が流れ込んだり雨天が予報されています。雪が下ろされていない空き家に積もった雪は雨天などで荷重が何倍にもなり、積雪も緩みます。通行者や隣家などに危害が及ぶような箇所では注意や備えを万全にしましょう。

ゆっくり本を読める日々

真冬と同じ厳寒が続く日々となりました。道路に吹き溜まる朝の雪寄せはいつものように多いものの、屋根は地吹雪で積雪量はそれほど増えず、野の雪の深さも最高時よりはかなり下がっています。それでもわが集落で2㍍は越えていますが。

そんな按配ですから屋根のマブ(雪庇)を落としには上がりますが、雪下ろしを本格的にするほどでもない日々となりました。荒れ空なので休日も山歩きにも気分がのらず、家の中にじっとこもり、きのうはすでに読んでいた本を棚からまた取り出して読書にふけるときを過ごしました。

おかしなもので、そうして取り出す本は、何度も何度も読み返しを続けているほぼ同じ本です。それらは決まって、宇宙のこと、地球のこと、山のことなどの様々な著書や、東京の古本屋で求めた井上ひさし著の「にほん語観察ノート(中央公論新社)など。

今回は、それらに加え、了翁禅師研究会編の「名僧了翁さん」―その人と業績―(イズミヤ出版)も再度読み直してみました。湯沢市幡野に生まれた江戸時代の名僧了翁禅師は、上野のあの寛永寺に寿像と頌徳碑があり、「教育、人づくりと福祉」などいわゆる「利他」の心で人々に崇められたと史実として伝えられる高僧です。

その彼が、わが村、わが集落の龍泉寺で少年時代に得度、それを記念する碑が有志によって境内に建立されていることは以前にもこのブログで少し記したことがありました。先年、上野の寛永寺を訪れ境内の寿像と塔碑を目にし、そのときの様子もやはりこの欄でご紹介したことがあります。

村の歴史を綴る郷土誌にも12ページにわたり特筆されている了翁禅師。僧としてのはじまりの土地であった龍泉寺で、時に12歳からあしかけ3年の歳月をこの雪深い地で過ごす中、修行のさらなる高見をめざそうとした彼の思いはどこからきたのか。利他に徹して成し遂げたことのあまりの大きさと、その生きかたには感ずることが多くあります。写真はその龍泉寺山門の今日の様子です。

読書の多くは前述したように棚に積んでいたものの読み直しですが、雪作業にあまり体をとられることなく、かといって農作業もまだない私の2月下旬~3月は、一年でもっともゆったり過ごせるうれしい月日となります。

宇宙に目をむけ、地球の成り立ちを再度学び、山のガイド本で人々の山旅の楽しさと列島の奥深さを知り、時に偉人の生き方を考えさせられてもらい、好きな作家の言葉にふれることが気軽にできる。私の今これからは、日中にゆっくり本が読めるうれしい時のはじまりとなるのです。

うれしい青もの野菜

豪雪の村の冬、その季節は貯蔵の野菜を除けば青もの野菜がぐんと少なくなるときです。

一方、関東など南の土地では露地栽培で冬の野菜が今も獲れているようです。先日は、若い頃1年間住み込みの農業研修でお世話になった相模原のSさん宅から、自宅の農園で栽培されているブロッコリーやレタス、ホウレンソウをいっぱい贈っていただきました。

おかげで、我が家の食卓には久しぶりに青もの野菜がにぎやかにならび、相模野の台地で育った緑豊かな味を楽しむことができました。

▼きのうはやはり真冬日。今日もどうやら続けて氷点下以下の一日となりそうです。村ではこれが今冬最後の真冬日となるのでしょうか。この季節特有の地吹雪で国道は一瞬まったく視界がさえぎられるホワイトアウト状態に。ハザードランプを点滅させて自分の存在を相手に知らせながら走行する車が多く見られました。

こういう時の高速道路も危険がいっぱい。ホワイトアウトだと進んでも止まっても追突の危険がつきまといます。きのうはホワイトアウトが原因とみられる事故も全国ではあったようです。

家のまわりには吹雪がびっしりとまとわりつき、さながらブリザード下の南極基地を見るような様となっています。

 

臨時会議と予算内示会

18日は、村議会臨時会議と全員協議会が開かれました。

臨時会議の議案は、冬期交通対策費が豪雪の影響でかかり増しが見込まれ、3,290万円を追加補正するなどの補正予算案で可決されました。

全員協議会は、来年度予算案の内示とともに、次期総合計画の素案に対する議員からの意見をのべる場として設定されたものです。

来年度予算案は、5月に村長選があるため骨格編成となりますが、一般会計の総額は35億4,600万円(前年度当初予算比2㌫増)となります。

次期総合計画についてはパブリックコメントも終わり、議員からの素案に対する意見などもふまえ原案が整えられ、3月定例会議に議案として堤出されるはこびです。

▼新雪がそれほど深くないので、自宅前の河川敷や向かいの山の斜面をワカンジキで時々散策の日が多くなります。

今朝は猛烈な吹雪で気温もマイナス7℃、予報は真冬日を告げ、村はいったん厳冬に戻りました。でも、山の斜面には雪ダンゴロ(雪まくり・湿った雪が斜面をころがる中で大きな塊になった状態)が増え、川の岸辺のネコヤナギもさらに目立つようになり、一日ごとに春が近くなっていることを感じます。今日のような地吹雪は春を知らせる荒れでもあるのです。

おだやか日和にワクチン接種

きのうも村はおだやかな一日となりました。

朝方には降雪も少しはあり、久しぶりに早朝の道路に除雪機械が走りましたが道路脇に寄せられた雪はほんのわずか。夕方まで陽射しも注ぐ予想外のお天気となりました。

ほんわりと薄く降り積もった雪に陽射しがあれば、雪の村は枯れ木の山に桜花が咲いたような景色に変わります。

▼村の新型コロナワクチンの3回目接種が始まっており、きのうはこちらも「なるべく早めに予防を」と、モデルナ社のワクチンを申し込んでいて接種を終えました。

▼冬の北京オリンピックが最終盤に入り、雪氷上のスポーツのすばらしさを感ずる日々が続きます。

県内有数のスキー場をもつ村ですので、スキーやスノーボード競技にはみなさんとりわけ関心が深く、すぐれた技への感動の毎日でしょう。

今年は村の中学生もスキー競技で大活躍。すでに村のホームページで紹介されているように東成瀬中学校2年生の石綿響さんが全国中学スキー大会男子回転の部で5位入賞のすばらしい成績をおさめ、その快挙を讃えるお祝いの幕が役場庁舎にかかげられています。

石綿さんはまだ2年生。今後の活躍にも大きな期待がもたれます。スキー場をもつ村として、とってもうれしい2月の出来事、あらためておめでとうございございました。

▼スキーということでは、3月からはじまる北京パラリンピックに、甥(横手市増田・湯ノ沢出身、福島県在住)が出場することになりました。

高校の時、スキー練習中に大けがを負ったのですが、その後もスキー競技への道を追いつづけ、座位スキーでがんばってきた末での出場です。「どうか、自分の満足できる滑りができるよう」にと祈っているところです。

豪雪の村内をめぐる

おとといまで降雪のない日が5日間も続き、その前後2日間も9日は2㌢、16日は3㌢だけの降雪(いずれも役場所在地の田子内で)。昨日も早朝の道路除雪機械出動はなく、降雪はしばらくの間休んでくれました。

今日からはまた雪雲が流れ込むようでしたので、「その前に、いったん、村の雪状況を視ておこう!」と昨日村内全体をまわりました。

横手東成瀬線の法面落雪危険箇所は、その都度落雪防止対策で除排雪の措置がとられてきました。しかし、それでもまだ斜面に張りついている雪が一定量あり、過日の災害対策特別委員会でも「早めの対応を」という指摘が委員からありました。それから一週間後の昨日、その箇所の全面的な雪落しと除排雪の作業がすすめられ、斜面の雪がきれいに取り払われ現場は安全な状態となりました。

国道342号・川通地区の落雪箇所も、適宜雪落し措置が講じられているようですが、それでもここにはまだ斜面の一部で落雪の可能性がある箇所に一定量の雪が見られます。斜面に張りついたまま落ちずに済めばよいのですが、現場をよく確認した対応がひきつづきこの箇所には必要と思われます。

ウルイの畜舎や間木のシイタケ菌床栽培施設、谷地のトマト栽培用などのパイプハウスは、一時2㍍50㌢をこえる積雪となったこともあり、除排雪作業に懸命となったしごとの跡が見えました。

成瀬川の最も上流部集落の菅ノ台はこんな雪状態でした。集落入り口にある案内看板も積雪に埋もれてもう見えません。かってここには豊かな稲田があったのですが、現在水稲を作付けしている方はおりません。柳でしょうか、田んぼに生えた広葉樹が年を増す毎に背を高くし、近年は道路から集落(4戸)をのぞむ視界をさえぎるようになっています。

災害対策特別委員会でもとりあげられた道路に落雪の危険がある田子内の空き家については、村内業者さんのボランティアによるご尽力で危険箇所の雪除去がおこなわれた跡も見られました。早速の対応はありがたいことで、業者さんに心からの感謝を申し上げます。

今日からはまた降雪がみられるようですが、まもなく3月です。今冬は積雪量が多いので、空き家などの屋根や斜面からの落雪、そして雪崩に注意をはらわなければなりません。

雪崩は、雪解け時のヒラ(底雪崩・全層雪崩)とともに、堅く締まった積雪の上にいっきに大雪が降り積もり、その新雪が猛スピードで滑り落ちるワス(表層雪崩)にも要注意です。いずれの雪崩でも過去の村には悲惨な事故例があります。これからの季節は、村の雪害事故の歴史を振り返りそこから教えを学び備える時でもあるのです。