お盆につきものトビダゲ(トンビマイタケ)

昔から村では「お盆の料理につきもの」といわれ、県南地方の町の朝市でも人気第一キノコのトビダゲ(トンビマイタケ)が、それほど良い発生をみせていないようです。

写真は、今年のお盆の直売日に出そうと集落のAさんが採ってきたトビダゲを写したもの。Aさんは食べ頃の幼菌を一定量採取できたようですが、ほかに集落でお盆にブナの大きな森へ通った山仲間の方々は「小さな株をほんのわずかしか採れなかった」あるいは「採れたが、発生量は平年より多くない」と語っていました。所の条件によって極端な豊凶の差があるともいえます。

こちらはめずらしく、毎年採るなじみのブナの枯木や半枯れ木数本にトビダゲをめざしてはまだ一度も通っておらず、発生の正確な状況はわかりません。どなたも足を運ばない枯れ木ですので、もしかしたら出ているかもしれません。そのうち、ノギウヂ(エゾハリタケ)を採り(撮り)に行くついでに立ち寄ってみるつもりです。通常はお盆が食べ頃の終わりとなるキノコですので、たとえ出ていても噛み切れないほどの老菌になっているはずですが。

トビダゲの幼菌は、この地方ではマイタケと同じ程度の市場価値がある値の高いキノコ。「日照りトビ」ともいわれ、炎天の続く気候が発生の必須条件とみられるキノコです。今年は発生が遅いのか、それとも6月以来もふくめこの8月まで続く長雨で菌の生長がさまたげられていてこのままやや不作で終わるのか、なんともいえません。

年によっては発生の盛期がひと月も遅れることがあるキノコですので、「これから出てくるかも」と、キノコ採り人たちはまだわずかの期待を持って日照りの日々を待ち続けます。この季節にいっせいにカオをだしているはずのハギモダシ(ハナホウキモドキ)も今年はまだ発生ゼロ。やはり、春以来の天候が菌たちの活動になんらかの影響を与えているようです。

成人式

きのうは村の成人式でした。

お盆恒例の成人式が新型コロナ禍で計画通り行えなえず、令和3年に予定された方々については今年の1月に延期して実施しています。したがって今年は一年に二度目の成人式というめずらしい年になりました。

令和4年の新たな村の成人式該当の方は25名。うち村内居住は14名、県内居住4名、県外居住7名ということです。出席の方は19名でした。

これで私の成人式でのあいさつは最後となります。お祝いの言葉では、いつの成人式の方々へ申し上げてきたことと同じように政治にむきあうことの重要さと平和をまもることの意義の大切さをうったえました。

私から新成人に言葉をのべるとすれば、この2つは欠かせないと思ってきたからで、毎年同じ内容であることを承知しながらも、あえて同じことを繰り返しうったえてきたところです。

大雨警報のお盆

県内は北から南まで大雨警報のなかでのお盆入りとなりました。北部や由利本荘市では大小河川の氾濫が連日のように報道されています。

村内では、3年ぶりに帰省された方々もおられたようで、迎え盆の13日、わが菩提寺境内もここ2年ほどとはちがったにぎやかさに見えました。

14日の村は、一時の雨はあったものの比較的おだやか。このお天気をいちばん喜んだのは花火遊びを楽しみにしていた童たち。「火」と「花」には童はもちろんのこと人の心が寄せられるもの。これを考えた方の商才には感心してしまいます。

きのうは運動がてら、合居川渓谷入り口に咲くこちらは本物の花ソバナをながめにブナ林の斜面へ1時間ほど入りました。

歩く途中、足下にマムシがいるのを目に。急斜面で柴木に手を伸ばす所だったので、気がつくのが遅ければ「危ない!」と少々緊張した場面もありました。

暦は立秋を過ぎ「残暑」の季節。ヤマブドウの実もやや紫色を帯び始めた粒も混じるようになっています。

斜面には、この谷で太さでは5本の指に入ると思われるブナの大樹があります。何百年もの間、林の変化を見続けてきた森の主のような幹ですが、まだ外見には朽ちた様子が見られず木肌はつやつや。同じブナでも健康長寿が保たれている老樹なのでしょう。そのそばにいると、何㍍もの豪雪に耐えすっくと枝を広げている幹から「元気の素」をいただけるような気になります。

 

稲穂出そろい傾ぎはじめ

明日はお盆。お正月を迎える時の「待つ」気分と少しちがい、お盆は「今年も早お盆が来たか」と一年の大きな節目が過ぎることへのさみしさをおぼえるほうが深いのは私だけでしょうか。

コロナ禍ではありながら、今年はお盆の帰省客も一定数はみられると思われます。しかし、わが地元集落の恒例の「夏祭り」は感染症拡大の状況を考慮し今年も中止となりました。
感染症への「慣れ」と「疲れ」がいわれますが、体調によっては命にかかわるウィルスに変わりはなく油断は禁物。大勢での屋内飲食をともなう祭りの内容を考えれば、感染防止のうえから中止は賢明な策といえるでしょう。

そうして迎えるお盆。異例の前線停滞で県北部や青森などで豪雨被害が続いています。被災されたみなさんへ心からのお見舞いを申し上げます。

田植えが比較的早かったわが家では、稲穂が出そろい傾ぎ初めました。この先も雨天が続くようなので、万全の適期防除とはいえませんがきのう午後ムリして病害虫防除の薬剤散布に繰り出しました。稲作農家は降水確率の高いどんよりの曇り空をながめながら、最大の敵カメムシが悪さをしないうちの防除に「さて、いつとりかかるか」と思案の日々となります。

盆ばなこ盛り

村で「盆花こ」(ぼんばなこ)と呼ぶオミナエシの花がわが家周りで真っ盛りです。

このオミナエシは野生種ではなく栽培種。妻が花卉園芸産地の千葉・館山や由利本荘市の花栽培先進地農家で研修後にこちらと結婚。今から40年ほど前の何年間か、リンドウやオミナエシ、キキョウを栽培、市販していました。その当時の種が家周りに増え、いまでは隣家の庭先にまで群生範囲をひろげているものです。

村では、以前なら赤土の見える裸地の多い原野などに生えていた薬草のセンブリ、それに花の美しいオキナグサ(毒草)と同じようにオミナエシもよく見られました。しかし今では3種の野草が生えるような条件の原野が少なくなり、まったくといってよいほど野生種の花は目にできなくなりました。

そんなこともあって、わが家では、田んぼの畦周りや土手などにもオミナエシの株を植え、花を愛でるようにしています。オミナエシは花期が長く、これから稲穂が稔る頃、そして稲刈りの後までもと、ずう~と花を楽しむことができます。

民間の力活用の定住促進住宅建設

PFI的手法による借り上げ型賃貸住宅建設の地鎮祭がきのう行われました。

この新しい定住促進住宅建設は、村が民間事業者に土地を無償貸付し、その民間業者が事業資金を調達して建設を行うとともに維持管理もし、村が30年間一括してそれを借上し料金を支払うシステムです。

この手法による村の事業は初めてで、今回は、1LDK(45㎡程度)の集合型住宅(2階建て)を10戸建設します。場所は若者定住促進住宅に隣接する田子内天神林地内で、約1500㎡の敷地面積となります。

村の住宅建設は国の補助金や過疎債などを財源として平成13年度から30年度までに28戸が建設され、ほかに定・移住対策として平成27年度から令和2年度まで6戸の空き家活用住宅も運用されています。

今回の新たな手法となる事業により、移住される方々の住宅確保はもちろんのこと、住宅事情を理由に村から離れる方をなくすことへの効果も期待されています。

県南3ヵ町村議会議員の集い

予定通り5日は羽後町の盆踊り会館を会場に県南3ヵ町村議会議員連絡協議会(羽後町、美郷町、東成瀬村)の研修交流会を開催。

講演をお願いした安藤豊羽後町長さんからは、年間売り上げ5億円に達しようとしている「道の駅」建設の経緯と現状、抱負について語って頂きました。

安藤町長さんは講演の締めくくりに「お互いに善政を競い合いたいもの」という旨を語られました。県南3ヵ町村議会議員連絡協議会は、平成の市町村合併を経て、県南で自治を進めることになった3つの町村がよびかけあって設立したもの。

3町村の交流を通じ「互いに切磋琢磨しあって住民のためになる自治を」が設立の趣旨でした。閉会にあたり私からも、「切磋琢磨を大切にしたい。善政の競い合いにはまったく同感」との思いをこめてお礼のごあいさつを申し上げました。

コロナ禍で準備にいろいろと気苦労をおかけした阿部養助議長さんや事務局をはじめ羽後町議会のみなさん、そしてご多忙のなか講師をお引き受けくださった安藤町長さんへ、あらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

3年ぶりの研修交流会の開催でしたが、前にも記しましたように2部の意見交換会はコロナ禍拡大のなかにあり中止としました。来年はわが村が当番地。来年こそ「4年ぶりで全日程が通常どおりできるように」とのぞみをかけ「それぞれより旺盛な議会活動につとめよう」と誓い合いました。

▼きのう7日は集落の共同作業へ。道路(国道、村道)や公園の草刈りで、集落全体をきれいにしてお盆を迎えようとする恒例の作業です。

機械的に1年を半分に分ければ6月で半年ですが、雪国の村に生きる私にとっては「お盆8月が季節分けの大きな節目」。いつもこの欄で記すように昔から村人は「盆過ぎれば秋風吹く(あぎがぜふぐ)」といいました。8月半ばには夏の終わりを感ずるからです。そういえば暦もきのう7日が立秋でした。

二十四節気は古来の中国で生み出された季節分けということですが、その多くは村の季節の移ろいにもよく見合っています。

出穂はじまる

集落でやや田植えの早かったわが家の田んぼは、1日あたりから水稲の「はしりっ穂(ぽ)」(出始めの穂)が見え始めました。集落の水稲、今年はならして出穂がやや遅れているようです。

農作業小屋軒先のタマゴタケは次から次へとカオを出し続けています。相変わらずその紅色の美しさに魅入られ時々カメラを向けます。

盛夏に映えるのは農道沿いや田んぼ土手に咲くカンゾウの花。この花が終わりに近くなる頃、村はお盆を迎えます。相変わらず新型コロナの感染記録全国最多が続くなかです。村への今年の帰省客の動向ははたしてどうなるか気になるところです。

今日午後は羽後町で県南3町村議会(羽後町、美郷町、東成瀬村)の3年ぶりの交流研修会が行われます。講師に安藤豊羽後町長さんをお願いしての研修会です。残念ながら第2部の懇親会は、コロナ禍を考慮し相談のうえ中止となりました。

花の百名山、盛夏の焼石岳山行(その2)

花の百名山を世に知らしめた高原の広き花園・姥石平を迂回し、夏の花の代表格タカネツリガネニンジンの花ロードを進む。一休み予定のスゲイシ(南本内川最上流域)まできたら、なんと雲海から頭を出した岩手山、早池峰山が遠望できた。

これにご来光があれば今回の山行の願いは果たせたのだが、陽はもう高く昇り、時すでに遅し。「もしかしたら頂上まで行かずここで待てば、ガスがなく目的のご来光が望めたかも?」などと語り合ったが、今となってはなんともならず。雲海はやはり今朝もあったのだと思うと、一時消えかけていた悔しさがまた募ってきた。「あ~あ、残念無念」である。

ただ、雪渓上部からの雲海とご来光を望めるこの場所は撮影にはなかなかよいポイントであることを確認できた。これは今後に向けてひとつの収穫となった。雪渓-雲海-岩手山-早池峰山-ご来光、ここはそんな写真を撮れるまたとない絶景地点となるかも。

花が終わり伸びた花柱が羽毛のように美しいチングルマ。キンコウカやタチギボウシの群落を過ぎ、9合目南本内分岐でまたゆっくりと休む。焼石神社へ参拝しながら咲き始めのミヤマリンドウを撮る。

今年とりわけ残雪の多い鳥海山を真西にのぞみ、タカネナデシコなどを愛でつつ下る。途中、人の背丈をはるかに越す迫力のサグ(ミヤマシシウド)が、まるで花火のような花をつける中を過ぎ、イワテトウキの高貴な香りと花、チシマフウロ、トウゲブキ、キオン、マルバダケブキなどを左右にながめて再び焼石沼の岸辺へ。

ここの草原には南限種ともいわれるエゾクサイチゴの実が熟し始めていて、高原のイチゴをゆっくりとごちそうになり沼岸で一服。サンカヨウのほんわかと甘い実も口に含む。沼では大きなイワナが岸辺近くを悠々と泳いでいる。

登る時タゲ(岳)のすゞ(湧水)に浸しておいた桃太郎トマトと一夜漬けのキュウリは、手を3秒間以上は浸していられぬほど冷たい清水に冷やされている。それを囓り活力をつけてあとは一路黙々と下山のみ。

途中、登山道のぬかるみ整備のために上ってきた作業の方々と出会い、「ご苦労さん」とご挨拶。そのご一行のうちのSさんは、今回の夜行登山にお誘いしたうちのお一人。行き会ったSさんからの開口一番は「ご来光、えがったべ」であったが、あいにくの残念無念を告げた。なので、またの機会を暗黙のうちに確かめ合ったような気分にこちらはなった。

車到着11:35分。駐車場は関東ナンバーも含めほぼ満杯。花の百名山はやはり人気がある。単独、男女のお二人連れ、あるいは家族らしい3人連れなどの人々と復路ではすれ違った。タクシーで登山道まで来られたというやや高齢の東京の方もおられた。こちらは術後の体調をやや心配したがだいじょうぶ。健康体を再確認できた貴重な山行でもあった。

花の百名山、盛夏の焼石岳(その1)

29日、自宅前から夜10時少し過ぎに出て、秋田側登山道始点の駐車場に着き歩き始めが午後10:37分頃。車道では獣の姿は目に入らず。月光はほとんどなく満天の星空だ。

クマや最近出没するようになったイノシシのこともあり、お互い突然の出会いを避けるために時々「オーッ、ホーッ」などの声を上げながら歩く。こちらは、術後の体調にほんのちょっぴり心配もあり歩きはややゆっくりとする。

林を明るくしてくれるような月光はないので、ヘッドランプと懐中電灯の明かりを頼りに、時に語り、時に黙々と歩く。ブナの樹間からこれから向かう東方面の空に星が光る。いちばん大きく輝くやや赤い星は「惑星だろうか」などと思いながら歩く。

8合目手前の「タゲのすゞ」(すゞは湧き水の意)に桃太郎トマトとキュウリの一夜漬けを浸す。いつもの山行のように帰りの元気づけとしていただくための活力材だ。

沼に到着深夜12:55分。星空がとっても素敵。岸辺で少し休み、頂上に向かう。登山道はつい先日に草木が刈り払われたばかりで歩きやすい。9合目分岐に午前1:33分着。

やはり星空を満喫する。ここからは東焼石岳・夏油コース方面に入るため姥石平に向かう。いつもとは逆のコースどりをしたのは、夜の岩越えが危ないことを何度も体験していて、もうこちらは高齢者なので「危ない夜の岩道は避ける」こととしたため。その分歩く時間を多く要するが、ご来光までの時間をたっぷりとっていたので急がず登る。

9合目からの迂回コース登山道は刈り払いがされておらず、道に草が覆い被さり足下のよく見えない箇所が多い。夜だとなおさら見えず危ない。それに草木の夜露でズボンも靴も靴下も濡れてびっしょり。初めから雨具をつければよかったが、「気温がそれほど低くないので」と油断してしまった。こちら側登山道の刈り払いも早くとりかかってほしいもの。

頂上着は翌30日、午前2:43分。まずは靴をぬいで靴下の濡れをしぼり、肌着を着替える。これまでの夜行登山時とちがい気温はそれほど低くない。しかし、そうしているうちに空模様がだんだんおかしくなり、星がひとつも見えなくなった。西からの風に流された濃いガス(霧)にまわりはすべて覆われてしまう。「さあ残念、4:30分の日の出までにガスがなくなればいいが」と、祈るような心で待つ。しかしガスは晴れない。だが「写せる準備だけはしておこう」と、二人とも、早池峰山方面のやや南から出るご来光に向けて三脚にカメラをセット。待つ、待つ、待つ。真っ暗闇の花ふたつはその時の写真。

結局、ガスはまったく晴れず、ご来光は望めずに終わり。それでも、雲海などを期待して頂上で2時間ほど粘ったがダメ。仕方なく頂上夜明けの花々をながめ、朝食を軽くとり、やむなく来た道を下山だ。あとは姥石平の花々をながめる楽しみに気持ちを切り換え、花の百名山の夏を写し、スゲイシ(南本内川最上流域の雪渓のそば)でゆっくりと一服だ。