全国大会準備の会議

全国町村議会議長会の都道府県会長会議と豪雪地帯町村議会議長会の総会等いくつかの会議があり、13日午後都内に向かいました。

会長会や豪雪の総会は、11月26日開催予定の全国大会の議案などを準備するための会議です。決議、要望、大会の運営、実行運動方法、政党との懇談など、大会開催にともなうすべての内容を確認し合いました。

長く大会に出席していますが、大会準備の段階での会議に出るのははじめて。全国的に、あるいは地域的に町村のかかえる課題は山積しており、それに加えて新型コロナ禍に関連する新たな諸課題にむきあわなければならない現状も町村はかかえています。

この日までに全国各地域毎の要望などは整理され届けられていますが、それも含め、議案、要望等に新たに生じた課題や状況を反映しなければなりません。それら全体を考慮して議案の整理準備に尽力されてきた事務局のご苦労などを拝察しながら会議の時を過ごしました。

定宿としているホテルは、まだ宿泊者が以前のようではまったくないらしく、朝食をとる人々も極端に少なし。感染者数がぐんと下がってきているとはいえ、新型コロナにより首都の街も、そして農山村も、くらし・経済の困難、活動の萎縮が続きます。

▼宿泊したホテルは皇居のお堀にすぐの所。夜明けと共に目覚めたら、部屋のカーテンに一匹のカメムシが留まっています。「おやッ、ここにカメムシ?」です。びしっと閉まっているホテルの窓、まさか外からカメムシが入ってきたのではないのでしょう。

とすると、このカメムシは、こちらのカバンか着衣に潜んでいたものが出たのか、それとも前泊のどこかのどなたかが連れてきたものかなどと、心の戯れをしながら虫を見つめた後ゴミ函に捨てました。自宅では、屋内に侵入した大量のカメムシを捕獲するのが日課ですが、まさか首都のホテルでカメムシ捕りをすることになるとは。

山岳遭難救助に大切な地名図

全国的にキノコ採りの遭難が多発しています。

世界有数の豪雪地方のわが村は山菜とキノコがとりわけ豊富な所。そういうこともあって、他県からも多くの方々がおとずれる春のタケノコ採りを主にして山岳遭難がほぼ毎年発生。村の予算には毎年そのための捜索費用も計上されてきました。

その捜索活動に警察や消防とともにあたるのが、消防団を中心にした村の遭難救助隊です。

救助隊については、これまでも、そして先日も少し触れましたが、遭難救助活動の先立ちとして山の地理に詳しい隊員がいわば「道先案内人」になって道のない山での先導にあたります。

遭難救助隊員は、消防団員や元団員のなかでも山に詳しい人々、山菜・キノコ採りプロやプロ級の方々、山に詳しい元消防署員、猟友会員、元猟友会員などで構成されます。

その彼らが「いざ有事」で活動にあたる時、捜索活動をより効果的にすすめるため、山や沢、尾根などの名前を詳しく記した地形図を持ちます。図には、隊員や捜索本部全体がわかりやすいよう、地図上に記されていないこの土地固有の尾根や沢などの呼び名が記されています。この名は土地の狩猟者(マタギ)や山人などによって古くから伝えられてきた地名です。

名だけではなく、一部の必要な案内もこの地形図には記されていて、これらも頼りにしながら行方不明者の捜索救助活動は続けられます。

村の山岳遭難(山菜・きのこ採りが主)は、大きく分けて栗駒山系と焼石岳山系の二つでおきるため、この二つの山系の地名図が用意されているということです。明通沢やほかの胆沢川支流寄りの山系などでも遭難は時々発生しますが、発生頻度が少ないのでそこまでの図はつくっていません。

こちらが遭難救助隊に加わってからは、この地形図をポケットやリュックに収め、時々それらに目を通しながら捜索活動を進めてきました。隊員は主に「焼石山系に詳しい方」と「栗駒山系に詳しい方」の2つに分かれますが、双方そのどちらでも捜索活動に加わらねばならぬことが多く、互いに「詳しくない山」で活動する時には、隊員にとってこの地形図がとても頼りになるのです。

カメムシを捕らえるクモ

秋と春、山間の家屋に「不法侵入」のカメムシ。

このカメムシ、身を護るために液状の物質を発します。毒素ともいえるこの物質は、その悪臭とともに大切な衣類に付着すれば黄色く滲むなどの被害も出るため、日常生活上は「最悪の害虫」とさえいわれるほどにやっかいな虫です。種類はちがいますが、果樹やお米の粒にも大きな被害を与えるカメムシもいて、農業にとっても困った存在の虫です。

もちろん、食物連鎖のうえでは害だけでなくなんらかの益役を果たしているかもしれませんが、「困った害虫」、「最大級の悪さをはたらく昆虫」という印象はぬぐいきれません。

そのカメムシの天敵となる存在は何かよくわかりませんが、カエルはカメムシを食べるということを聞いたことがありますし、死んだカメムシなら食べているカラスを見たこともあります。

その程度の認識でいたこのほど、そのカメムシを捕らえているほかの虫がいました。それはクモ。我が家の窓に糸を張っているクモ。その糸にカメムシが絡め取られていて、早速、糸の主のクモがカメムシを食べていたのです。カメムシは死んでしまっていて悪液を発することができなくなったので食べているのかどうかわかりませんが、クモがカメムシを食べるということをこの歳になって初めて目にしました。

人間のほかに、カメムシをもっと大量に駆逐できる強大な天敵があらわれることを願っていますが、なかなか天は人間だけに都合の良いそのようなはからいをしないようです。雪が降り積もるまでも、そして雪が積もれば越冬した家の中でと、秋から春までカメムシとの長く真剣な「格闘」がまた続きます。

これから都内への出張の際は、上着のひだやポケットなどに潜んでいたカメムシが突然出てきて、首都圏の空に舞い飛ぶこともたまにあります。時には、電車の中などでも。

カタツムリの子供たち

家まわりの草むらに倒れた木がありました。その木が朽ちてきたら、それにサモダシ(ナラタケ)がきれいにカオを出しました。

それをありがたくいただき、湯を通して処理しようと容器に移した妻が「あッ、カタツムリの子っこ(子供)が、えっぺぇ(いっぱい)」と言います。

ナメクジならキノコに取り着くことがよくあるからわかりますが、こんなに小さなカタツムリがキノコに着いているということは、カタツムリもキノコが好き(食べるのが)ということのようです。

生まれてどれほど経ったのかまだこんなに小さな体です。まもなく迎える雪の季節には何かに潜り込んで冬を越すのでしょう。冬ごもりに入るまでの秋の季節、彼らの主食はもしかしたらキノコなのかもしれません。

順調に進む水道工事

村の簡易水道統合・更新事業は、現在進められている中部地区(岩井川・入道集落)の整備工事で終了となります。

中部地区にある我が家も給水を受ける世帯であり、量水器までもふくめ配管の工事がこの工区ではほぼ完成とみられるほどに進んでいます。

夏から配管工事の全体状況を目にしていました。随所での国道横断掘削や歩道掘削をはじめ、場所によっては機械もはいれないような野や、民家そばに縦横にめぐらされている狭い道路などを人力で掘削し配管する工事の様子を見る度に、この事業に要する費用の大きさへ考えが及びます。村の起債も、この水道事業が大きな比率をしめています。

更新・統合では、大がかりな工事あり、細々とした工事あり、時には予想もしなかった難工事もありです。全国の自治体には、水道設備の老朽化にともなう更新の必要なところが多いようですが、こうした水道施設の更新整備は、事業費を考慮すればたやすくは取り組めない大きな課題であるとされます。わが村で導入している配水場の膜濾過設備などもふくめ、こうして工事全体を目にすれば、その事業の大きさ(費用の大きさ)への理解をより深めることができます。

我が家そばには、これまでよりも背高の新しい消火栓(雪国仕様でしょう)も据えられ、この工区では配管工事はほぼ終わった模様です。中部地区の工事は来年度に完工の予定で、それで村の上水道施設の更新は終わります。

味の代表格ハタケシメジ

今日は、キノコ界では味の王様とされるシメジの仲間でもとびっきりの美味さをもつハタケシメジに登場してもらいます。

キノコ通の方によっては「ホンシメジより美味しい」とも評価されるハタケシメジ。

今年は顔出しがいつもよりかなり遅れたので半ばあきらめていましたが、自宅周りを散策がてら毎年発生してくれる草むらをのぞいたら老菌状態の株がいくらか見られました。

味がすこぶる上等なうえにサクサクとした歯ごたえがあるハタケシメジ。菌列をつくり生育条件がよければ見事に大きな株となってホンシメジよりも大量に採れます。「ハタケ」などとごく平凡な冠がつけられていますが、通の間では垂涎の的ともなっているキノコです。私には、最も出会いたいキノコが5種ほどありますが、そのなかでも欠かせぬのがこのハタケシメジ。

今年は、ホンシメジと同じように生育環境はよくなかったらしく、株の数も大きさも平年よりかなり劣るようで、本来の見事な姿は見られません。

出し味・食感がすばらしいので、ヤマドリモダシ(クリタケ)やサモダシ(ナラタケ)と交互に、いものこ汁(里芋)、うどんやそうめんの具、味噌汁で毎日美味しくいただいています。

山岳遭難救助活動の先導者

私が山入りする県境深山渓谷のひとつ合居川には、集落のSさん(写真)も同じように入ります。

山菜やきのこ採り、釣り人、登山者などが遭難したときに活動を担う村の山岳遭難救助隊は、村の狩猟者、山菜・キノコ採りのプロ級の方々、元営林署作業員など、山の地理に詳しい人々で構成されてきました。

Sさんもそのお一人で、山に詳しいだけでなく湯沢雄勝広域消防の署員、分署長の職歴があり、遭難救助活動のプロとしての経験も長くあります。消防署退職後もそれらの経歴を活かし村の遭難救助隊に所属。「いざ有事」の時には頼りにされる存在です。

そんなSさんとこのほど谷の道で出会いました。二人とも「おっ、同じ山に入るが、キノコ採りでいっしょになったのは初めて」と語り合い、二人が入る国有林での過去の遭難救助事例や、滝などにはばまれ動きが制約される危険な谷での救助活動のことなどをふりかえりました。

Sさんもこちらもその日はもちろんミャゴ(マイタケ)が目当て。こちらが向かったのは午後でしたが、Sさんは、この谷のうちでも今ではどなたもほとんど入山しない、一般人は入山できない渓谷奥深くへ朝早くから滝をいくつも巻いて入った様子。背にしたナガタデ(収穫物を詰める道具)に採り頃のマイタケを詰め帰ってきた途上でした。荷が肩にくいこまぬよう昔風のヘナガデ(背中当て・背追い道具の一種)も着けています。

我々が入るこの谷には、昔なら早春から秋にかけて、ゼンマイ、キノコ採りのプロ(Sさんの父親もそのお一人)の方たちが幾人か入りました。彼らは、それぞれの採り慣れた場にむかって、一歩誤れば100㍍を越す谷底に転落するような危険な斜面を横断し、道の草木を払い、滑る箇所の小岩を削って角をつくり、崩れた土を寄せて踏み跡をつけ入山していました。

でも、今はこの谷に入るプロの方はゼロ。森林管理署も常に歩けるような路の確保を今はしておらず。もちろん昔の我が家のようにブナ林の払下げをうけての伐採や集材機・索道でのケーブルによる搬出事業もなし。すでに県境近くまでこの谷ではブナを伐り終え、作業のための人も入らなければそのための山道の確保も必要なくなったというわけです。昔はこの谷から尾根を伝って花の百名山・焼石岳へ通ずる道もありました。

しかし、前述の理由でこの谷のいずこの沢も尾根も、藩政時代からあった人の踏む路跡はすべて廃れてしまい、山入も沢歩きも昔よりかなり困難になっています。この谷でいったん遭難事例が発生すると、捜索救助活動は容易でない課題と直面します。したがってSさんのような方々は、この谷では最も頼りになる遭難救助隊員となるのです。村にはSさんのようにそれぞれの山岳地理に詳しい遭難救助隊員がほかの地域にも幾人かおり、やはり「いざ」の時には警察や常備消防からも、同行する捜索隊員からも頼りにされる存在となります。

▼今日は、サモダシ(ナラタケ)とヤマドリモダシ(クリタケ)の写真を載せておきます。もう10月、今年もクリタケが出る季節となったのです。

最後は、この間採ってきた真っ白なノギウヂ(エゾハリタケ)の佃煮です。味噌漬けや佃煮にすると飴色となり、歯ごたえがよく、お酒の好きな方ならきっと肴にぴったりの具となるはず。我が家では、お茶請けでも好まれます。

 

紅葉の栗駒山と須川高原

水稲の収穫作業をすべて終えてむかえた3日の日曜日。晴天と休日が重なったので、めずらしく「紅葉の須川高原に行ってみるか!」と、午後に娘と二人向かいました。

村に暮らしていれば「紅葉の時期、休日の須川高原は車が混むから行かない」が「常識」のようになっています。晴天となれば混みようはなおさらで、おとといなどは高原で長年商いをしているTさんが「午前中は車が動けぬほど混んだよ」と語っていました。

こちらが向かった午後3時近くになったら車はやっとノロノロ動いていましたが、駐車場はその時刻でもほぼ満車状態。国道へも駐車の長い列がまだいっぱいで、須川高原温泉の方でしょう、駐車場への車の出入りを円滑にしようと道路で交通整理に懸命でした。

午前中の「車が動けぬほどの混み」はいつものこと。こちらも混む時期に向かってみて久しぶりに、車、くるま、クルマと、人、人、人の多さにたまげてしまいました。さすが「日本有数の紅葉の山」といわれる栗駒山だけのことはあります。緊急事態宣言が解除されたり、警戒ステージがやや下がったといってもまだコロナ禍。それでもこういう混みようです。おとといは、南麓・宮城側の温泉や登山口も同じように混んだでしょうから、栗駒山は登山道も頂上も今年最大の人混みとなったはずです。焼石岳も同じだったでしょう。

大型バスでの団体の方もありますが、多いのはやはり自家用車での登山者。温泉側からのぼり栗駒山を経由して秣岳コースへ下る登山者も多いようで、須川湖に通ずる県道仁郷大湯線(旧有料道路)を登山姿で歩く方がずいぶん多く見られました。岩手、宮城、秋田など東北各県はもちろんのこと、車には広く関東方面のナンバーも見られます。

こちらは池塘に浮かぶヒツジグサの草紅葉をゆっくりながめて過ごしました。きのうは1日の高原を少し載せましたが、それから2日経ったら高原の色づきはぐんと進みました。

車がやや空いてきてからは須川高原のキャンプ場に上がり、やや高見からも栗駒山方面や遠く焼石方面、胆沢平野や太平洋沿岸近くの五葉山方面をのぞみました。その瞬間、美しいアオバトが4羽ほど目前に留まるうれしい場面もありましたが、写真は間に合わずです。

駐車場のすぐ隣にありながらも公営キャンプ場まで足をのばしたのは久しぶりのこと。10代後半から20代始めの頃、このキャンプ場でファイヤーをよく囲みました。薪からの大きな炎が星空に上り、その薪が時々崩れて火の粉が舞い、それに照らされる人々の輪。薄明かりの中、多くの登山者たちと歌を唄った当時の心熱き時代に思い出は遡りました。

いつの年だったか、キャンプファイヤーでバイオリンを奏でた方がおられました。その時の曲目は忘れましたが、キャンプ場でバイオリンを演奏する姿というのは極めてめずらしく、その弦の響きが今も記憶の片隅に残って離れません。ここはそんな青春時の忘れがたき思い出の残る円形のキャンプファイヤー場です。

朱沼神社祭り

10月1日は須川湖畔に鎮座する朱沼神社の恒例の祭り日。

今年は、新型コロナ禍のため内容が縮小された祭りとなりました。当日は、台風16号の遠因もあってあいにくの雨天となり、参列者の中にはコートを着用する方が見られるなどやや肌寒いなかで神事が執り行われました。

紅葉が例年よりかなり早いといわれる今季の須川高原。紅葉にも「00百名山」というのがあるのかどうかわかりませんが、栗駒山の紅葉は全国的にも有名で、今年も頂上付近の色づきを新聞やテレビが度々報道しました。

1日現在では、須川高原温泉や栗駒山荘のある温泉付近が色づき盛んになり始めていました。昨日とおとといは紅葉に休日がばっちりと重なり、訪れた人々は登山コースで、あるいは散策しながら、車窓から、さらに露天風呂を楽しみながらと、高原の錦模様をたっぷり観賞できたと思われます。

キノコ界の重鎮シシタケ登場

今日も秋真っ盛りにあわせてキノコの話題です。

今回登場するのはシシタゲ(シシタケ・コウタケ)。村でよく食べられるキノコの中には大きさと発生量に特徴のある種として、トビダゲ(トンビマイタケ)、ミャゴ(マイタケ)、それにきのうご紹介したノギウヂ(ヌキウチ・エゾハリタケ)とならんでシシタケがあげられます。

こちらが過去に目にしたシシタケの中で最も大きかったのは傘の直径が30㌢を少し越えていて、それはまさに名は体をあらわすというほどの大物格でした。

そのシシタケ、今年は多くの土キノコたちが不作なのと同じでこちらが通ういくつかの採り場の発生量は極めて少なく、山によってはたった一本だけとか姿がゼロの所も。

写真は、そんな不作の中でもがんばって立派な形を見せた株で、シシタケ特有の姿がよく保たれています。

同じ土きのこのホンシメジも発生期に入りましたが、こちらもシシタケと同じかあるいはそれ以上の不作です。やっと姿を見せた株も勢いよくは生長できず、フニャフニャしたまま老いていました。彼らにとって今年の度の過ぎた干天続きは大きな痛手だったようです。