山岳遭難救助活動の先導者

私が山入りする県境深山渓谷のひとつ合居川には、集落のSさん(写真)も同じように入ります。

山菜やきのこ採り、釣り人、登山者などが遭難したときに活動を担う村の山岳遭難救助隊は、村の狩猟者、山菜・キノコ採りのプロ級の方々、元営林署作業員など、山の地理に詳しい人々で構成されてきました。

Sさんもそのお一人で、山に詳しいだけでなく湯沢雄勝広域消防の署員、分署長の職歴があり、遭難救助活動のプロとしての経験も長くあります。消防署退職後もそれらの経歴を活かし村の遭難救助隊に所属。「いざ有事」の時には頼りにされる存在です。

そんなSさんとこのほど谷の道で出会いました。二人とも「おっ、同じ山に入るが、キノコ採りでいっしょになったのは初めて」と語り合い、二人が入る国有林での過去の遭難救助事例や、滝などにはばまれ動きが制約される危険な谷での救助活動のことなどをふりかえりました。

Sさんもこちらもその日はもちろんミャゴ(マイタケ)が目当て。こちらが向かったのは午後でしたが、Sさんは、この谷のうちでも今ではどなたもほとんど入山しない、一般人は入山できない渓谷奥深くへ朝早くから滝をいくつも巻いて入った様子。背にしたナガタデ(収穫物を詰める道具)に採り頃のマイタケを詰め帰ってきた途上でした。荷が肩にくいこまぬよう昔風のヘナガデ(背中当て・背追い道具の一種)も着けています。

我々が入るこの谷には、昔なら早春から秋にかけて、ゼンマイ、キノコ採りのプロ(Sさんの父親もそのお一人)の方たちが幾人か入りました。彼らは、それぞれの採り慣れた場にむかって、一歩誤れば100㍍を越す谷底に転落するような危険な斜面を横断し、道の草木を払い、滑る箇所の小岩を削って角をつくり、崩れた土を寄せて踏み跡をつけ入山していました。

でも、今はこの谷に入るプロの方はゼロ。森林管理署も常に歩けるような路の確保を今はしておらず。もちろん昔の我が家のようにブナ林の払下げをうけての伐採や集材機・索道でのケーブルによる搬出事業もなし。すでに県境近くまでこの谷ではブナを伐り終え、作業のための人も入らなければそのための山道の確保も必要なくなったというわけです。昔はこの谷から尾根を伝って花の百名山・焼石岳へ通ずる道もありました。

しかし、前述の理由でこの谷のいずこの沢も尾根も、藩政時代からあった人の踏む路跡はすべて廃れてしまい、山入も沢歩きも昔よりかなり困難になっています。この谷でいったん遭難事例が発生すると、捜索救助活動は容易でない課題と直面します。したがってSさんのような方々は、この谷では最も頼りになる遭難救助隊員となるのです。村にはSさんのようにそれぞれの山岳地理に詳しい遭難救助隊員がほかの地域にも幾人かおり、やはり「いざ」の時には警察や常備消防からも、同行する捜索隊員からも頼りにされる存在となります。

▼今日は、サモダシ(ナラタケ)とヤマドリモダシ(クリタケ)の写真を載せておきます。もう10月、今年もクリタケが出る季節となったのです。

最後は、この間採ってきた真っ白なノギウヂ(エゾハリタケ)の佃煮です。味噌漬けや佃煮にすると飴色となり、歯ごたえがよく、お酒の好きな方ならきっと肴にぴったりの具となるはず。我が家では、お茶請けでも好まれます。