水稲の収穫作業をすべて終えてむかえた3日の日曜日。晴天と休日が重なったので、めずらしく「紅葉の須川高原に行ってみるか!」と、午後に娘と二人向かいました。
村に暮らしていれば「紅葉の時期、休日の須川高原は車が混むから行かない」が「常識」のようになっています。晴天となれば混みようはなおさらで、おとといなどは高原で長年商いをしているTさんが「午前中は車が動けぬほど混んだよ」と語っていました。
こちらが向かった午後3時近くになったら車はやっとノロノロ動いていましたが、駐車場はその時刻でもほぼ満車状態。国道へも駐車の長い列がまだいっぱいで、須川高原温泉の方でしょう、駐車場への車の出入りを円滑にしようと道路で交通整理に懸命でした。
午前中の「車が動けぬほどの混み」はいつものこと。こちらも混む時期に向かってみて久しぶりに、車、くるま、クルマと、人、人、人の多さにたまげてしまいました。さすが「日本有数の紅葉の山」といわれる栗駒山だけのことはあります。緊急事態宣言が解除されたり、警戒ステージがやや下がったといってもまだコロナ禍。それでもこういう混みようです。おとといは、南麓・宮城側の温泉や登山口も同じように混んだでしょうから、栗駒山は登山道も頂上も今年最大の人混みとなったはずです。焼石岳も同じだったでしょう。
大型バスでの団体の方もありますが、多いのはやはり自家用車での登山者。温泉側からのぼり栗駒山を経由して秣岳コースへ下る登山者も多いようで、須川湖に通ずる県道仁郷大湯線(旧有料道路)を登山姿で歩く方がずいぶん多く見られました。岩手、宮城、秋田など東北各県はもちろんのこと、車には広く関東方面のナンバーも見られます。
こちらは池塘に浮かぶヒツジグサの草紅葉をゆっくりながめて過ごしました。きのうは1日の高原を少し載せましたが、それから2日経ったら高原の色づきはぐんと進みました。
車がやや空いてきてからは須川高原のキャンプ場に上がり、やや高見からも栗駒山方面や遠く焼石方面、胆沢平野や太平洋沿岸近くの五葉山方面をのぞみました。その瞬間、美しいアオバトが4羽ほど目前に留まるうれしい場面もありましたが、写真は間に合わずです。
駐車場のすぐ隣にありながらも公営キャンプ場まで足をのばしたのは久しぶりのこと。10代後半から20代始めの頃、このキャンプ場でファイヤーをよく囲みました。薪からの大きな炎が星空に上り、その薪が時々崩れて火の粉が舞い、それに照らされる人々の輪。薄明かりの中、多くの登山者たちと歌を唄った当時の心熱き時代に思い出は遡りました。
いつの年だったか、キャンプファイヤーでバイオリンを奏でた方がおられました。その時の曲目は忘れましたが、キャンプ場でバイオリンを演奏する姿というのは極めてめずらしく、その弦の響きが今も記憶の片隅に残って離れません。ここはそんな青春時の忘れがたき思い出の残る円形のキャンプファイヤー場です。