自治功労の表彰式

今冬の最深積雪を記録し真冬日が続いたきのう、県町村議会議長会の自治功労者表彰式と理事会があり秋田市へ向かいました。

議会事務局提供

表彰式で、当議会からは副議長とわたしが23年以上の議員在職ということで授賞の席に並びました。二人ともおなじ年に議員につき、副議長、議長の職務についたのも同じ年で、それから足かけ16年間ともにその任をつとめてきています。そうしたこともあり、きのうは当事者として、いろんな場面での活動や出来事などを振りかえる表彰式となりました。

毎年この日の集まりでは、県内の議長さんたちから村の雪のことがたずねられますので、きのうはこちらから先に「役場前で2.2㍍、わたしの集落で2.5㍍、最も多い集落で2.8㍍です。」と、この日に最も深い積雪を刻んだおおよその数値をお知らせしました。
きのうからまた積雪は少し増えたのかな。

みなさん「ホォーッ」の声をあげていましたが、同じ特別豪雪地帯でも、特別の字の前に「超」の字がほしいほどに村の雪は桁違いに多いことを今年も知っていただきました。同じ雪国といわれる県内でも、雪の規模はまるで村は「別世界、異国」のような所。ここは集落で毎年2㍍~3㍍も積もってくれる世界ですからね。

会議のあった県庁裏手の市町村会館玄関は写真のように10㌢前後とみられる雪状態です。もっと海辺近くやにかほ市沿岸南部などと比べたら、村をみる「別世界感」はいっそう強くなるにちがいありません。

ムゲ山(向山)

日曜の朝、思わぬ陽射しがあったので成瀬川の岸辺に立ち寄りました。

その日の朝は除雪車出動なし。真冬日が続いていたので2日ほどまた降り積もった新雪も軽く雪原は歩きやすい状態です。その歩きやすさと陽射しについ誘われ、急きょ9時過ぎ、自宅前の「ムゲ山」に上がりました。

歩き始めてすぐに杉林の中で目にしたのは、何かの鳥がタカの仲間の猛禽類に襲われた跡。雪上に小羽がちらばっています。今々襲われた様子で、羽には新しい血と肉片の着いているのもあります。羽の大きさや様子からして狙われたのはカケスでしょうか。

ムゲ山の稜線は北西の風当たりが強く、ここにはいつも大きなダシ(雪庇)ができます。そのダシは、自重に耐えきれず崩れ落ちるまで塊となって膨らみ続けます。最短距離で稜線に上がるにはダシの切れ目を選んで通ります。ダシにおさえられている樹木をみれば、雪の厚さは4㍍以上。ダシの越え所はどこか?その時に役に立つのは動物の足跡。この日はノウサギが上り越えた足跡を見つけ、それを目印にたどってダシの上に上がりました。

ムゲ山のうち大きなヒラ(底雪崩)が毎年落ちるキノギッピラは、樹木が少なくわが集落を眼下にのぞむのに都合のよい所。ここまで上がればキノギッピラの頂部に行き、そこからまたダシの切れ目を選んで斜面に下り、集落の一部を望むのがお定まりのコースです。

ここのヒラ(底雪崩)は今年はまだ落ちていなくて、ひび割れができはじめています。昨年春は例年より大きなヒラが落ちた大斜面です。ひび割れの1㍍ほど上まで刺激しないよう静かに下りて止まり、まずは冬の集落をながめ、朝に立ち寄った川筋も見下ろしました。(13日の集落は積雪2.5㍍前後、今年もそれと同じような大雪崩が落ちるでしょう。)

ダシの上では手のとどく高さにあるヤドリギの緑と、小鳥たちの食べ残したその木の実が目に入ります。雪の世界の生きものたちと人にとっては、わずかな緑も、わずかな木の実もありがたしです。ノウサギが好物のコサバラ(コシアブラ)の樹皮を食べた跡も随所に。


集落をながめた後にはまた稜線に上がり、ダシの根元で危なくない箇所を選んで椿川方面がのぞめる尾根に向かいます。一部には崩落したり落ちる寸前のダシもあります。稜線の一箇所だけ、積雪ゼロ、ダシ(雪庇)もできずに土肌が見えます。ここは強烈な風の通り道で雪がすべてとばされてしまう所。こういう所は、数ある冬山歩きの中でもめったに見られません。常に風の強い地形が、こういう積雪ゼロのめずらしい様をつくるのでしょう。

期待した陽射しはすぐに隠されてしまい、手がかじかむほどに真冬日の雪が舞うお天気になりました。今年の私の冬山歩きはどうもお天気にあまり恵まれません。椿川方面の真冬の集落の様子を眼下に、連休の滑りを楽しむスキー場方面の人々を真正面に眺めて、すたこらさっさと下りへ。こんな歩きやすい雪の里山でも2時間ほどを要しました。

真冬の大森山へ(その2)

下山は、雪状態がよいので少し遠回りですが大森沢経由にすることを頂上で決めシャガヂアゲに下りました。ブナの林の中で「生きものたちと出会えるかも」と思ってそのコースをとったのですが、出会いはありませんでした。沼又も大森沢もノウサギの足跡はほんとに少なし。昔とは生きものたちの様子が違います。とくにノウサギは極端に少ない。

下り初めて登山道を越え大森沢支流のサガサ川かっち(最上流部)で大森山を振り返ったら、さっきまでこちらがいた頂上に人の姿が見えます。二人です。もう20分ほどこちらが頂上にいれば「冬山を楽しむ者同士」のご挨拶ができたはずです。彼らはおそらくスキー場から上がり県境尾根沿いに大森山を目指してきたのでしょう。こちらが大森沢と胆沢川本流境の林を歩いている間に県境尾根をスキーで滑り下る姿が垣間見られました。そのスキーの跡は目にしませんでしたから、またスキー場方面に下りたのでしょう。

大森沢は、まだ大森山トンネルのなかった昔、村の愛林組合が岩手の旧水沢営林署(愛宕担当区)から国有林のブナ材払い下げ(全山皆伐ではなく選択伐採)を受け、材の搬出とナメコ栽培をした山の一部。岩井川馬場の畜舎から歩いて県境の尾根(ハッピャクヤアゴ)を越え、バヂゾリや大じょり(しらしめ油を滑り面に塗った木製で幅広の大きなソリ)で雪上の般出を行った山です。男たちは歩いて現場に着き、深い雪を掘って根元を出し時には直径1㍍を越すブナ大木を伐倒、重労働の極みともいえる大きな丸太を運ぶソリ仕事、また夕には県境の尾根を上がり越え馬場まで歩く。そんな毎日を過ごした若い当時を思い出しながら、当時伐り残されたブナの林を下りました。

昨年はブナグリ(ブナの実)が一部の木では結実しました。林の中には実を食べようと木に登り下りしたクマの新しい爪跡や実のついた枝を折った跡がいっぱいの幹もあります。

緑の苔がびっしりの枯れ幹や、不食ですが眺める楽しみの真っ白なキノコが生えている枯れ木、それに晩生のムギダゲ(ムキタケ)が凍ったままで生えている枯れ幹もあります。程度のよいムギダゲを少し摘みポケットに入れ、後日、味噌汁でいただきました。

下り尾根の左方は胆沢川本流の上流部。今は流れがすべて雪で覆い尽くされ、その雪の厚さは5メートルほどはあるでしょうか、瀬音のまったく聞こえない川はその下を流れています。

一方、右方の県境尾根を見上げれば、そこは厚いダシ(雪庇)の塊が積み重なっているところ。横手盆地からわが村を吹き抜けてきた北西の強い風が運ぶ雪が、尾根に溜まり続けてできる最大級のダシです。そのダシが自重で欠けドーンドーンと大きな音をたてて底雪崩とともに落ちる場面も、スロモーション映像のように偶然目に入りました。

県境の壁尾根直下にある大森沢の橋は、雪のほとんど積もらない国道342号夢仙人大橋とはちがいこんなに雪がかぶさった状態です。橋を渡る前にまずどこが橋の中心部かを見定めます。渡り初めても、時々右を確かめ、左を確かめ、橋の基部からはずれて落下しないようなるべく真ん中(雪上の真ん中ではなく橋そのものの真ん中)を歩くのが肝心。橋上の雪は沢の下流(南)側に大きく偏り被さっているからです。この日は吹雪でなくてよかったのですが、それでも真冬の橋上歩きはいつものように緊張します。真冬、とくに風が強く視界が悪い吹雪時の橋渡りは危険で、そういう時は橋を渡らずにやむなく川筋に下りて林を上りトンネルに向かうこともあります。欄干が見えない真冬の雪の橋歩きはなるべく避けるべきです。

国道342号の夢仙人トンネルができた直後、冬の赤滝を眺めにあのトンネルを二度ほど真冬に歩いたことがあります。それに比べればこちら国道397号大森山トンネルは約半分にも満たない長さ。しかも直線で出口が見えますから、灯りのまったくなかった真冬当時の夢仙人トンネルほどの不気味さはありません。大森山は長年歩き慣れているからということもあります。

東側半分以上は舗装路面が出ているトンネル内部。カターンカターンとカンジキの爪音が響く中を進みます。北西の風がまともに入るトンネルは冷たく寒~いですが、それだけに村側に抜け出たらほっこりとあたたかな空気が体をつつみました。あとは一直線に最短距離を下るのみです。

途中、ヤマドリの新しく大きな足跡を発見。足跡は小沢に向かっていたので「食事中のオスヤマドリだな」とその方向に進んで立ち止まったら、2㍍ほど前の雪のカゲ(土肌が出ている沢の一部で食を摂っていた)から見事な尾羽のオスヤマドリがドドドドドーッと羽音を鳴らし一瞬で飛び去りました。いいかげんなシャッターを押したら、飛ぶ鳥の姿がなんとかわかる状態で写されていました。画像は別にして、目にすることができたので、それだけでも満足の観察山行となりました。

久しぶりの遠出なので、ほとんど歩き続けの7時間。車に到着は2時50分。歩きやすかったからでしょう翌日に疲れはのこりませんでしたから、まだ体力はだいじょうぶのようです。それでも、真冬の雪山単独遠出歩きはそろそろムリになったのかなと思い始めた山行でした。通常はもっと雪が深くて一人ではハデ漕ぎ(ハデは深い雪のこと。漕ぐはラッセルの意)が難儀。若い時のように長い距離のハデ漕ぎは出来ませんからね。

この日の朝、クォークォーと聞き慣れた声がします。空を見上げたら、雁の群れが北へむかい初めています。暦は春、生きものたちの五感も「春近し」をとらえているようです。しかしそれから一週間、村は寒中と同じような天気がぶり返し、連休明けの今日から明日も真冬日、いったん下がった積雪がまたグンと増えそうです。

常任委員会による雪状況視察など

きのうは村議会常任委員会の新規起業に関する調査活動が午前に、午後は村内の雪状況視察がそれぞれ行われ同席、同行しました。

雪状況の視察では、雪と関わる生活道路の改良、ほぼ管理放棄とみられる空き家や雪下ろしがまったく不十分で危険な住家、道路の落雪危険箇所や見通し不良箇所、道が凍って車両が滑り危険な箇所、雪の重みでゆがんだ菌床しいたけハウス、ウルイ畜舎の屋根雪による軒の損壊箇所や雪崩危険箇所などを視察しました。

雪下ろしや当面の落雪防止策など、早急に行動をおこさなければならない課題もあり、それらは視察後の講評で議員各位から「対策を急ぐべき」旨の発言がありました。

会議を終え帰宅途中に携帯電話が鳴ります。なんと、いましがた視察し「早急な対策をとるべき」と話し合った国道の落雪危険箇所に「今、雪が落ちている。危なかった」と同僚議員からの連絡です。

早速現場に向かい確認。走行車線直下への落雪で「小さい車なら危なかった」とその落雪の上を通ったばかりの同僚議員が語った言葉通りの様子です。写真(最後から3枚目が雪が落ちる前の午後2時42分の視察時の様子。最後から1枚目と2枚目が同じ現場の落雪した後の午後5時21分の様子)のように現場を見れば危険は瞭然で、車への直撃でなくて幸いでした。こういうことが過日にも起きていたので「関係機関による早急の策を」ということがこの日も語られたばかりだったのです。

2月半ばまでは積雪深が最大にむけて更新される年が少なくなく、今日からしばらく厳寒の戻りも予報されています。気のついたことは早くお互いに伝え合い、今後は事故なく春を迎えたいもの。警戒と備えをゆるめずにもうしばらく気をつけあいましょう。

▼夜は、先に全家庭に配布された村のハザードマップ(案)について、調査を行った県と関係事業会社、村による説明会があり出席。ご説明をお聴きし、土砂災害の危険箇所について「地質上の特徴をよく調べて、一律でない注意喚起の方策」などを、地元の過去の山地土砂崩落の事例を引きながら求めました。

真冬の大森山へ(その1)

きのうは久しぶりに真冬の大森山まで向かい、ほぼ7時間ほどの山歩きで体を鍛えました。

国道397号冬季通行止め地点からの歩き始めは7時45分。朝の降雪がなくカンジキを履けばほとんど足が沈まないほどの雪状態なので歩きははかどります。途中の雪上には、リス、キツネ、テン、ノウサギ、カモシカ、ヤマドリなど生きものたちの足跡がよく目立つ雪状態です。テンとヤマドリの足跡が交叉している場面などを見ると、捕る、捕られるものたちの厳しい自然界の様子を連想してしまいます。

この季節のヤマドリが好んで食べるウメボドゲ(ツルウメモドキ)の実がゆっさりの蔦もあります。雪の上に落ちた実はノウサギもよく食べます。

国道沿いの雪崩は前日あたりに一度落ちたばかり、土肌が見えます。日当たりもよいので春には山菜がいち早く芽を出す斜面なので、生きものたちも私もシーズンのはしりをいただきに向かう急斜面です。雨が降ったせいか沼又沢は2月初めにしては水量が多いようです。

国道歩きは途中まで。村の簡易水道取水口付近で国道と分かれ、林の中の最短距離をほぼ直線で焼石登山道入口方向へ上ります。60年ほど前でしょうか、雪上の春山で木材搬出をした当時に山小屋のあった「すすこや(今はすずこやと呼ばれているが、むかしの山人や狩人らはすすこやと呼んだ)」の手前で新しいノウサギの足跡を目に。

その足跡は、夜の活動を終えたウサギが柴木の下に伏せる時みせる「隠れの技」の跡。その技とは、まずはジグザグの曲がりを繰り返し、いったん踏んだ道を途中で引き返します。狩人はこの動きを「戻りを踏む」と言います。戻りを踏み始めると、その直後に今度は大きく横に2㍍以上ほぼ直角に大きく跳ねて追跡者の目をくらまします。狩人はこの横飛びを「とっぱね」と呼びます。「とっぱね」は隠れ技の最終段階で、この足跡を見つければウサギはその界隈すぐに伏せています。

警戒心がとくに強い個体などは、稀にとっぱねを2回、あるいは3回も見せることがあります。きのうは、その隠れ技の足跡と、ウサギがブナの若木下に伏せていた跡を写しておきましたので、やや詳しく記しました。ノウサギそのものは私をとっくの先に見つけて脱兎のごとく逃げた跡で、姿を目にすることはできませんでした。

焼石登山の林道終点着は10時半。歩き始めからおよそ3時間。「足が重くなったから、ここから1時間はかかるな」と、頂上方面を見上げここで立ったまま初めて小休止。午後は晴れの天気予報を期待しての山行だったのに空は曇りのままで残念。ここまで上がったら寒くなったのでヤッケを着て頂上をめざします。

県境稜線では、ブナに着いた雪が白い輝きで目を引きます。陽射しがあればもっと美しい景色が見られたはずです。頂上近くになったら雪が堅くなり、木製のカンジキの爪では雪(氷状態)に爪がよく刺さらず滑るほど。北西の風がまともに当たり続ける西側頂部だからです。雪原の一部は雪というより一部は氷状態です。冬の富士登山や日本アルプスなどでの滑落なども、雪庇の踏み抜きとともにこれよりもはるかに厚く堅い氷面で足を滑らしておきるのでしょうか。なるべく雪の柔らかなところを選んで頂上に到着です。

頂上到着は11時45分。写真を撮りながらでも歩き始めから約4時間で上がったことになります。歩きやすい雪状態だったので、冬山としてはめったにないほど早く着いたことになります。

「ここまでの真冬の単独行は、これが最後かな?」とまずは記念の写真を撮り、360度の視界がひらける景色ながめをじっくり。この山の頂上は標高(1149.5)の割には視界がよくひらけ、それで雪山歩きの方には人気があります。

空は曇りながら鳥海山もまずまずの姿で見え、東には、権四郎(南本内岳)、サンサゲェ(三界山)、南の森などの焼石連峰。南には、仙北街道の尾根筋の向こうに東山、栗駒、秣があり、山の形はわかりませんが高松、神室や虎毛なども視界の中に入っているのでしょう。それらの背後には月山の一部らしい真っ白な稜線も薄く見えます。北には眼下に私がクマ猟やキノコ、山菜採りで入った合居川渓谷の嶮しく大きな谷がドーンとひかえ、岩手西和賀町南本内川渓谷境の尾根の向こうには薄く真昼岳や和賀岳方面が。それらの東寄りにかすかに岩手山の輪郭も確認できます。「晴天だったらなァ」とため息をつきながら眺めは終了。寒いので頂上での昼食は止めにしてすぐに下山開始です。

約半世紀前のソリ仕事を思う雪の沢

明日7日、議会常任委員会による雪状況調査が行われます。

そのためもあって、きのうは村全体の雪の様子を事前に視てまわりました。すでに議会として昨年夏に視察している地区要望箇所も雪と関わる課題がいくつかあり、それらの箇所も再び視察予定です。豪雪時の現場をみれば要望内容がさらによく理解できますから。

菌床しいたけのハウスも、村内では写真のように一部で雪による損壊が発生しています。

豪雪の地では、菌床しいたけハウス、トマトハウス、水稲育苗ハウスなどを雪の重圧からまもる作業はまさに「雪との格闘」です。ビニールをはずした骨組みだけのハウスでも、2㍍50㌢前後をすでに記録した大柳谷地地区では、骨組みの損壊を防ぐための懸命の除雪が行われていることは先にお知らせしたとおりです。

▼きのうは自宅裏手の沢にも少し入りました。雪消し用に引いている生活用水の取水口にゴミが詰まるので、時々取り除きに向かうためです。

沢の取水口までは1㎞ほどあるでしょうか。カンジキで踏み歩くこの沢の雪道は、昔の女たちと混じって雪の上をソリ(鉄じょり・カナジョリと呼ぶ、滑り面に薄い鉄を打ったソリ)で杉の丸太引きをした道。それはこちらが20歳前の頃です。

この沢とは別に雪上の仕事で忘れないのは、バヂゾリというソリ引きでの「ユギ(薪材を運ぶバヂゾリに使う長さ4㍍ほどの長木2本)担ぎ」という作業の難儀でした。滑り下りて薪をおろした後に、薪を積むそのユギを担いで上るのはなんともきつい作業でした。

ユギ担ぎはバヂゾリ作業の助手の仕事ですが、それとは違いバヂゾリに乗ってソリを操るバヂ乗り(勾配が緩いと時には引きもある)仕事はその難儀に「危険」がつきまといます。助手ではなく「乗り」の方は、定時制高校に学んでいた頃、沼又オドリ山国有林でのわずかの操作体験しか私にはありませんが、おそらくそれは、山林労働のなかでは最も危険「怖い仕事」といってよいでしょう。村内ではこのバヂゾリで命を奪われた方もおります。私もそのオドリ山でブナ材を搬出したバヂ乗りの時、難に遭い、怖い目に遭っています。運良く命も助かりケガもしませんでしたが。

 

バヂゾリ作業は、材を運んで滑り下りる時は「怖々」、材をおろしての上りは重いバヂゾリ全体を肩に乗せてのバヂ担ぎですから、「ユギ担ぎ」と同じで「苦役」以外にふさわしい言葉はみつかりません。「恐怖と苦役」それほどにバヂゾリ作業はきつい労働でした。

おかしいもので、難儀をしたことは記憶のひだに細やかに刻まれていて、毎年、春が近くなれば50年ほど前のカナジョリとバヂゾリ、2つのソリでの木引き(丸太搬出)の当時を思いだします。(写真は、40年ほど前の胆沢川国有林内、バヂゾリのブナ材搬出作業)

黄砂が目立つ立春

節分の日の暦を妻が剥いだ立春の昨日。早暁から午前中の雨で積雪深はずいぶん下がり、落雪構造の屋根にあって落ちきれないでいた雪もほとんどが滑り落ちました。

雨は雪をズンといったん締めてくれましたので、除雪作業は大きく一息つけることに。今後の降雪(最終段階の積雪増)に向け、雪国の人々はいわば鉢巻きの締め直しをして雪と格闘する最終章の月を過ごすことになります。

我が家のたんぼがある河岸段丘の地は、雨で積雪が下がってもまだ2㍍は越えているでしょう。風下で雪がたまる窪地などは、大きな段差がほとんど均されていますから、その倍以上の積雪深があるはずです。

雨の中、簡易物置小屋の雪下ろしでその雪原を歩いたら、きのうもふれましたが雪に土色が目立つようになりました。やや早めながらおそらく黄砂でしょう。雪の季節はまだふた月も続くものの、遠い大陸から運ばれたこの土の色を視れば、「ほう、春近しだな」と、冬構えでいた心と体が少しゆるみます。

人は6回目の雪下ろし、鳥は食の確保に懸命

同じ秋田でも31日現在の積雪が沿岸部の県庁界隈では10㌢以下、積雪はほとんど無し状態(写真)なのに、同じ日のわが集落の積雪は2㍍越え。

村の積雪は下がったり増えたりを繰り返しながら2日にはまた新雪がドッと重なりました。後の週間予報では3日~4日に雨マークもみられましたので、「雨をあてないうちに下ろそう」と2日は今冬6回目の雪下ろし。

1月を過ぎた村。そのいずこでも柿の実は鳥たちにほとんどをたべられ残りはごくわずか。柿がなくなったのを知った鳥たちは予想したようにナナカマドやウルシの実に集まり始めています。

週末の所用を果たしに村内をめぐっていたら、残りの柿の実やナナカマドを啄む鳥(ムクドリの仲間?)たちが群れで、あるいは数羽で、寒中の食の確保に懸命の姿が見られました。

▼きのうは、村と議会の地元要望などでお世話になっているみのり川信英代議士の新春のつどいが湯沢で開かれ出席。

挨拶の最後に立たれた長老格後援会長さんの言葉は、重鎮らしく深い意味が込められていると受け止めました。仕事柄、様々な集いに参加していますが、久しぶりに重みのある言葉に触れる機会となりました。

私は折にふれて政治家の言葉を引くことがあります。たとえば印象に濃く残っているそれら政治家の一人として元衆議院議長をつとめられたI氏の言葉があります。それは確かあるテレビ番組で語られたのをお聴きしたのですが、「多数(意見・意思)がまちがっていたという歴史もある。だから、少数意見も尊重しなければいけない」という旨の言葉でした。「多数意思が誤ることもある」歴史を謙虚に見据えるこういう姿勢に私は注目し共感をもちます

与野党問わず、国政を担う政治家のみなさんは文字通り国を率いる最前線に立っているわけですから、内外の歴史の教訓(とりわけ二度の世界大戦)をよく学ばれ、この国の発展と平和を守る旗手として、的確で誤りなき道を拓き率いてほしいものです。

思想信条は人それぞれ、それで社会は成り立ちます。ですが、人間的な懐の深さというものはその「人それぞれ」の異なりをも超える共感を抱かせるものです。「まずは人間性」それに人は惹かれるのでしょう。

▼きのう昼時、つかの間の陽射しがあった雪の村。キツネの足跡、川岸の雪でひなたぼっこのカモ、成瀬川、そして「黄砂も混じり始めたかな?」と思われる雪原です。

FMラジオの設備などで議会臨時会議

村議会の臨時会議がきのう開かれました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議案は、FMラジオ放送中継局(エフエム秋田)の新設にともなう設備の工事請負契約や補正予算案など。

契約は、落札の電気興業(株)仙台支店と7,776万円で結ぶものです。難聴だったNHK第1放送がすでにNHKのFMで聴かれるようになっていて、さらに今度の工事でFM秋田の放送が聴けるようになれば、ラジオ放送を楽しみにしている人々は大きなよろこびです。ラジオ人気は高いですからね。それに、なんといっても災害時にこの放送は大きな役割を果たしてくれるでしょう。

▼午後は主要地方道横手東成瀬線の整備要望へ。両市村長、議長、議会常任委員長、三又、岩井川地区住民代表のみなさんとともに県議会と県庁を訪問しました。

横手、湯沢雄勝選出の県議会議員のみなさんも同席していただき、助言も受けました。建設部当局からも、ひとつひとつ物事を前進させてゆく上で積極的な見解もしめしていただきましたので、今後も課題を具体的に整理しながらの粘り強い運動が求められます。

県当局からは、国道342号と県道仁郷大湯線(昔の有料道路)、国道398号の冬季閉鎖同時解除にむけた課題についても触れられ、そのために必要なとりくみでも前向きな見解がのべられました。