エドカギ(井戸掻き・池の泥上げ)

過ぎた休日、大きなしごとの冬支度としては「これが最後!」として残していたエドカギ(井戸掻き、池の泥上げ)を終えました。

雪消し用、そして鯉を放しているエド(池)が2つあるので、そこに溜まった落ち葉や泥を掻きのぞくのはなかなかの一仕事。

今年は、休日ともあって、町に暮らす童どもも加わって、池に棲む鯉やヤマメたちとも戯れてのにぎやかな作業となりました。ヤマメは、池に注ぐ大きな用水路から稚魚が勝手に入りこみ大きくなったようです。用水路には大小のヤマメやイワナが沼又川や土倉沢の取水口から入り棲息しているのです。

作業後には、久しぶりに童たちと家周りをエノキタケ採りなどで散策。積雪がないので、落葉後の林や野原の歩きが自由にできてうれしい季節です。

▼26日は、地域おこし協力隊の制度を活用し村で起業されたIT関係の会社・東成瀬テックソリューションズ、通称「なるテック」の2022年9月期決算報告会へ。

横手市のふるさと村ドーム劇場で12時から4時まで行われた催しで、こちらは2時少し前から出席しました。

会社は、来年度も新たに30名の社員増を目標にされているようで、村へ移住する社員のための社宅建設の構想もこの日は語られました。社長がかかげられた計画や目標、社員の方々が熱く語られた想いにそって、事業が順調に進むよう期待したいものです。

▼27日は、村ホタルの会の集いへ。令和4年のゲンジボタル発生状況調査の報告や検討などの会で、各観測地点の様子や、ゲンジボタル、カワニナの飼育報告などがありました。今年は、概して村内のゲンジボタルの発生数が多かったという調査まとめとなっています。

ホタルは村の虫として定められています。それにふさわしく、生息環境を大切にする意識をみんなで心がけてゆきたいものです。

新潟・刈羽村議会が視察に

きのう、新潟・刈羽村議会の議長をはじめとするみなさんが教育関係の視察で来村されました。

2つある議会常任委員会の合同視察のようで、わが村の後には山形へ向かわれるということでした。

きのうは中学校を会場にして、まず教頭先生の説明・案内で校舎内を視察していただき、教育次長から村の教育環境について説明の後に意見交換の時を過ごしました。

義務教育の果たす大きな役割のひとつは、一人一人の児童・生徒に人間らしく生きる力の土台をつくってやることと思われます。一人一人の子供たちの成長のために、行政に必要なこと、学校運営で必要なことをどれだけていねいに確実にとりくめるか、これは国内に限らず世界全体の共通課題でしょう。

子供の教育課題では、世界的にめざすべきひとつの目標があります。それは、我が国が批准している子供の権利条約で、その第29条(教育の目的)一の(a)は、「子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的能力を可能な限り全面的に発達させること。」と定めています。

わが村は学校教育目標の柱として、「将来を生きぬく児童生徒が『知、徳、体』をバランスよく身につけることができるように、個に応じた指導を充実させる。」(村教育委員会)をかかげています。一人一人の子供たちに、知と徳と体で生きる力の土台を培ってもらうことです。生きる力全体を育くむための教えと学び、村はそれに向かって日々励んでいます。我々が「村づくりは人づくりからはじまる」の教訓をかかげ努力しているのもそのためです。

井川町議会のみなさん来村

22日、井川町議会のみなさんが議員定数と議会運営の関係などで視察に見えられました。

井川町議会は、再来年の改選期をひかえ定数削減などがひとつの課題となっているようで、平成の市町村合併をひとつの機にして、それまでの定数を4名減じ10名で運営しているわが議会の体験などをたずねるための視察でした。

井川の遠藤政勝議長さんは県町村議会議長会の副会長で、議長会の運営で共にしごとをしている間柄でもあり、こちらは副議長と議会運営委員長同席のもと互いにざっくばらんの気持ちで質疑応答を交わしていただきました。

多様な考え、意見を代表するからこそ成り立つ議会なので、「安易に一定限度を踏み超えてしまう定数削減はすべきでない」というこちら側の考えのもと、村の議会がたどってきた経緯と現状を説明いたしました。議員定数は、単にいろんな比較数値としての数ということだけではなく、議会機能を果たすための骨となる「多様性」と切れない関連があるからです。

私からは、加えて、ジェンダー平等を念頭に「構成員の半分ほどは女性であるのがこれからの議会のあるべき姿ではないか」ということも申し上げておきました。わが議会も、なるべく早くそういう面でもより多様な構成の議会となってほしいものだと思っております。

カモシカも小春日和でのんびり

過ぎた週末は、薪ストーブの焚き点け用としてつかうスギの枯れ葉集めへ。

毎年秋と春の恒例の作業で、また一つ冬支度が済みました。

作業に向かう農道から田んぼを見たら、そこにはカモシカが。すっかりふかふかな冬毛に衣替えしていて体はいかにも温かそう。小春日和のこの日、私たちからそんなに遠くない距離をゆっくり動き回り、時に食べ物を反すうして座り込み、作業をしている間ずっとそばに居続けました。

作業を終えたらいつものようにこちらは家周りの散策です。今年は里への降雪がまだないので、11月も下旬にはいろうとしていますが里山も野原も歩きは自由。

自宅のまわりには、相変わらずエノキタケやクリタケが生長中で、ジェンコシナダゲ(銭んこ撓だけ・オツネンタケモドキ)も所々に。ジェンコシナダゲは、銭の形をした撓いキノコという意味でしょうか。文字通りかみ切れないほどに撓いキノコで、私は、アシグロタケと同じように小さく切り刻んで炒め物で食したり、味噌汁、うどんやそばの出汁用としてこのキノコを楽しみます。オツネン(越年)と名がつくように、雪の中でも腐らず年を越してもまだ食べられる長持ちのキノコです。

エノキタケのあるそばの湧水が注ぐ池塘などには摘み頃食べ頃のノゼリの緑が鮮やかで、クレソンもだいぶ緑を濃くしてきました。

自宅裏手の里山にまで足をむければムキタケやナメコもいっぱい。老菌に混じっていまカオをだしたばかりの幼菌もみえますから、雪さえ降らなければまだまだキノコ採りはできそうです。

初冬をむかえたのでガマズミの実も冷気で完熟していて、口に含んだら、童の頃によく食べた甘酸っぱさをジーンと感じました。果実酒などにしたらきっと極上の味が楽しめるでしょう。初冬にはムラサキシキブの実もよく目に入ります。

国道13号泉田道路開通式典で新庄市へ

日曜日は、国道13号「泉田道路」(東北中央自動車道)の開通記念式典と祝賀会で副村長とともに山形県新庄市へ向かいました。

石井浩郎国土交通副大臣をはじめ山形県選出や関係する衆参国会議員が7名出席。ほかに山形県副知事など県関係者、山形県議会議長や県議、国交省東北地方整備局長など国交省関係、沿線の山形、秋田の市町村長や議会議長、商工や農業など各団体代表、警察、消防関係者などが出席のもとでの開通式でした。

東北中央自動車道は事業が着々と進められ、新庄・湯沢間の残る区間は県際をふくめ全線開通まであともう少しというところまできています。

秋田~山形間の国道13号については、私にも忘れられない思い出があります。実は、村内の長距離トラック運転手をしていたTさんからこちらが議員の活動をする直前の今から27年ほど前、「主寝坂トンネルが狭く、大型車同士の通行が危険。みんな困っている!」という相談があり、あの旧いトンネルの現場まで車をとばして現状を確認。ある日刊新聞に写真入りでその改良の必要性について投稿し、かなりの紙面で記事として載せられたことがありました。3枚目のモノクロ写真はその際に写したトンネルの様子です。

まだ高規格道路のなかった昔、山形に行くにも、仙台に行くにも、東京に行くにも、カナメの国道13号は通るにまことに難儀な道でした。とくに冬は、です。その後、主寝坂トンネルがいち早く高規格道路として生まれ変わり、長距離運転手さんたちが苦労したことなどは今では遠い昔語りになっています。

私が今から50年ほど前、神奈川相模原の研修先から身内の方を道案内にたのんで豚を自家用小型トラックで運んだのも当時の旧国道13号です。長かった旧栗子トンネルもそうでしたが、国道13号の各トンネルの中で、にわか作りの木製車柵から豚が逃げ出さないかと不安をかかえて夜道のトンネルを走った当時を懐かしく思い出します。首都圏~秋田間のクニャクニャ曲がって狭い国道、その要する時間の長かったことを、です。

▼式典から帰っての夕方、南本内川流域の県境まで車を走らせ、うっすらと雪化粧の蟻巣山や流域のブナ林をながめ、西には初冬の夕日を望みました。

いったん降り積もった峠道や林の雪も消えて峠まで上がることができ、積雪がまったくないので思わぬ時期の初冬景色を目にしました。でもさすが千㍍近い県境の峠、立っていると寒さで体が震えてきました。

越冬用の大根収穫

雪国の山村では「でぇご、ねば、冬、こされねぇ。(大根が、ないと、冬を越されない)」と言われるほどに、これからの人々の暮らしに欠かせぬ大切な大根。

ほとんどの家々でその収穫は終わったでしょうが、わが家はやや遅れておととい抜き取り作業を行いました。

きのうより前に収穫していた漬け物用の大根は干されていて、すでに一部は松前漬けなどで食されています。ほかは、味噌汁、鍋物、煮物、ナタ漬け、凍み大根など様々な用途に向けられます。家屋の造りがむかし風のわが家では、大根を貯蔵する「でご穴」があり、そこにもいっぱいの大根が貯蔵されます。

ただ、食生活が変わり、昔のようにノウサギ鍋や鴨鍋、クマ鍋に入れたり、大量の大根を大きな桶に漬け込む「一本漬け」もなくなりましたので、栽培する大根は以前に比べればずいぶん少なくなりました。

県境奥羽のブナの回廊をはじめとする深山は落葉が終わり、栗駒や焼石の高い峰々は雪で薄化粧の日々です。まわりの里山もすっかり葉を落として冬の様相となりました。

作業後にはいつもの散策。ユギノシタキノゴ(エノキタケ)やナメラコ(ナメコ)、ヤマドリモダシ(クリタケ)、採り・撮りを楽しみました。

シーズン最後のハタケシメジ

都内から帰っての先週土曜日、薪入れ作業をしていたらコォーコォーと空から聞き慣れた鳥の声が聞こえます。声の主は南へ向かう渡り鳥で、雁の群れがカギになっている姿でした。南への渡りとしては終わりに近い群れとなるのでしょうか。

この日はお天気がよかったので作業後には家周りをいつものように散策。落葉後なので道脇のヤブが開けて自由気ままに野原を歩くことができ、この季節の散策はとっても気分良し。途中、夏場はヤブに覆われて見えなかった地面に極晩生のハタケシメジの株が見られました。

これはシーズン最後のハタケシメジ。初冬に思わぬ高級キノコとの出会いです。ハタケシメジはホンシメジと並ぶ優れた味に加え、老菌になっても崩れにくく虫がつかないことでも注目されるキノコ。名前には「ハタケ」がつくのでごく並みのキノコのようにとらえがちですが、こちらが「高級」の言葉をあてているように優れモノのキノコなのです。

同じヤブの倒木にはナメコも見えます。粘りが強くて熱を放しにくいナメコは、木枯らしの季節の味噌汁には最適の具。アッつい味噌汁で体をあたためてもらいました。もうとっくに落葉が終わったブナの森深山では、大きなブナの倒木にカネ色に輝く晩生のナメコたちがいっぱい出ているでしょうが、今年はまだ向かえずです。

2回目の部落長(自治会長)会議

今年度2回目の部落長(自治会長)会議がきのう開かれ議会代表として出席。要望は、村と議会が合同で各地区から受けているためです。

各部落(自治会)から、春に1回目の会議で出されていた要望について、その対応状況や今後に向けた村の方策と考えがあらためてしめされた会議です。

すでに実現された要望も一定数あり、来年度の予算化、あるいはそれ以後にむけて検討が進められている内容もしめされました。また、20年以上も前から積み重ねられている「継続要望」についても村の対応策が個々に説明された厚い文書も出席のみなさんに配られました。これは平成12年頃頃からの要望について詳細な対応策や考えが記された「地区要望を遡れる文書」であり、各地区の代表にとっては地区のこれまでを知る上で、あるいは今後の要望を提出する上で参考になる文書です。

▼きのう午後は家屋や農機具格納庫の冬囲いにとりかかりました。今後も、お天気や行事日程などを見つめつつ機会をみて少しずつ冬支度にとりかかる日々となります。今月中の冬支度はムリと思っていましたが、この調子だとなんとか済ませられそうで、気が少し楽になりました。

冬囲いの材料を取り出そうと雨を防ぐ覆いをはがしたら、そこには蜂がいっぱい冬ごもりしていました。数えたら50匹ほど。別の冬囲い資材の板の間にはジャゴムシ(アネコムシとも言うカメムシのこと)もわんさか溜まっています。彼らは人間のくらしと結びついて冬ごもりすることに慣れてしまったようです。

日が暮れ始めた頃に作業をいったん中断して家まわりを散策。草木の葉っぱがほとんど落ちてさらに見通しのよくなったヤブには、ユギノシタキノゴ(エノキタケ)が黄金色に輝いて遠くからもよく目に入ります。

積雪さえなければ、これからしばらくは家周りの散策がてらにエノキタケやナメコ採りができ、天然キノコの入ったおいしい味噌汁やおでんを毎日いただくことができます。

11月に入ったら村の五十集屋(いさばや・魚屋)さんの棚にハタハタがよく並ぶようになり、わが家でも時々いただくような季節になりました。ハタハタは、まだ12月の本格的漁の時よりもブリコ(卵)は小さいのですが、私はむしろ今の季節の脂っこくて軟らかいブリコの入ったハタハタが大好き。初冬は食の楽しみがいっそう増す時でもあります。

知事との行政懇談会

きのうは、知事と市町村議会議長との行政懇談会で秋田市へ。

佐竹秋田県知事をはじめ副知事、県教育長、県警本部長、県各部長や理事、各地域振興局長など県幹部職員のみなさんも出席での恒例の懇談会です。

以前は双方の議長会がそれぞれ単独で行っていた知事との行政懇談会でしたが、平成の市町村合併後、一定年数を経て後、市議会議長会と町村議会議長会が合同で行うようになりました。

今年は町村議会議長会が開催準備と進行担当の当番年であり、私の方から開会の挨拶をのべさせて頂きました。

会は、あらかじめ市議会議長会、町村議会議長会から提出されていた8項目の要望・提案について県側からの回答説明があり、意見交換が交わされた後に知事の総括的な発言で締めくくられました。

今回の個別の要望や提案とはまた別に、この日の懇談会での発言もふくめこちらがこれまで出席した集いでの発言をうかがえば、知事は二つの課題にとりわけ着目していることがわかります。それは、今後の国と世界の情勢をめぐる大きな課題として「食料」と「エネルギー」の自給や安定確保が極めて重要であるということです。

9日に開かれた全国町村議会議長会の全国大会でかかげた決議や宣言、要望などでも、これらの課題の重要性がいろいろな側面から重視され盛り込まれています。食料と再生エネルギーの確保で地方、とりわけ東北、秋田は重要な位置づけをもつ県であり、ある意味、国をささえるこの二つの根幹を考えればこれからは「真の地方の時代」と呼べる時期がくるととらえるべきかもしれません。

そのためにも、課題実現の前提となる環境をととのえるうえで医療環境の充実や道路整備など8項目の要望・提案や、意見交換で出された農業振興策やエネルギー関連などは重要なものであり、県のなおいっそうのご尽力に我々は期待するものであります。

会場を別に移しての後段の意見交換会。コロナ禍で毎年見送られ今年は3年ぶりの開催となりました。互いに深く濃く通じ合う上でこの交流の場は貴重なものであり、今回もいろんなことを学び心を通わせあえる場となったはずです。

町村議会議長全国大会などで都内詰め

先週8日から11日までは、連続して会議や要望活動があり都内での行動が続きました。

最も大きな規模の行動は9日の第66回町村議会議長全国大会で、コロナ禍にあっても久しぶりにNHKホールで通常規模の参加者数で開催されました。

大会は、望月達史事務総長の司会で幕が開き、副会長の中城重則 高知県中土佐町議会議長の開会の言葉ではじまりました。まず、会長の南雲正 新潟県湯沢町議会議長の開会挨拶があり、続いて大会の意義を鮮明にする「宣言」が、副会長の八鍬太 山形県舟形町議会議長から提案され決せられました。

この後には来賓のご挨拶が続きました。総理の出席がなかったのはめずらしいことで、岸田文雄内閣総理大臣のメッセージが望月事務総長によって読み上げられました。

細田博之 衆議院議長、長浜博行 参議院副議長のあいさつに続き、柘植芳文 総務副大臣、デジタル田園都市国家構想担当大臣、地方創生担当大臣代理の和田義明 内閣府副大臣、与党代表として遠藤利明 自民党総務会長、全国町村会の荒木泰臣 会長の5氏からあいさつをいただきました。また出席された衆参両院の国会議員のご紹介もされました。コロナ前の大会では、こうした挨拶や紹介の時に大きな声が壇上からも会場からもあげられていたのですが、感染防止でそうした発声はひかえられる大会運営となりました。

大会は、佐藤洋治 青森県板柳町議会議長、足立初雄 愛知県幸田町議会議長、山口憲一郎 長崎県長与町議会議長の3名の議員団で議事が運ばれました。議事の最初は「要望」で、提案は、理事の寺本清春 三重県川越町議会議長、次に「決議」の提案が理事の荒川政義 山口県周防町議会議長からなされ可決。

続いて3つの特別決議の提案に移り、「地方議会の位置付けを明確に規定する地方自治法の改正等の早期実現を求める特別決議」が理事の西口尚 兵庫県香美町議会議長より、「新型コロナウイルス感染症対策及び経済対策等に関する特別決議」が理事の渡久地政雄 沖縄県伊江村議会議長より、「東日本大震災等の大規模自然災害からの復興及び災害対策に関する特別決議」が理事の渡部孝樹 北海道厚真町議会議長より提案され、すべて可決されました。

▼次に「豪雪地帯対策」へと議事は進みました。この大会はわが国土面積の半分をしめる豪雪地帯町村の振興発展を図るため「第47回豪雪地帯町村議会議長全国大会」を併せて開催しているもので、全国豪雪地帯町村議会議長会の会長職務代理者として、私から豪雪地帯対策の趣旨説明と要望の提案理由説明を行い、決せられました。

私にとって過去には、同じ首都圏で行われた別の団体の全国会議で、もっと大きな会場と出席者数5千人近い規模ほどの中での発言も経験はありますが、NHKホール壇上での発言ははじめてであり、こちらにとっては後にも先にもない体験となりました。

大会は最後に「実行運動方法」を決し、外交政策研究所代表の宮家邦彦氏を講師とする研修会へと移りました。

▼大会前の8日は自民党本部に向かい、茂木敏充 幹事長をはじめとする自由民主党幹部と大会決議の内容にそった懇談会へ。その後には、地元選出国会議員のみなさんへ大会提案予定の議長会の「要望」や「決議」をお届けし、与党のみなさんとは別会場のホテルで懇談の場での意見交換もさせていただきました。

▼大会翌日の10日は、御法川信英代議士事務所のみなさんのお世話になり各省庁へのわが村の要望活動へ。備前村長、古谷総務課長、高橋建設課長、佐々木建設課長補佐とともに、午前には国土交通省と総務省へ、午後には財務省へ向かいました。後に、衆参両院の県選出国会議員や村と関係のあった国会議員の事務所へもうかがい、村の実情を伝え要望書をお届けしてきました。いつものことながら、御法川代議士をはじめ事務所のみなさんには事前のご連絡をはじめいろんなことで大変なご足労をおかけいたしました。ここに、あらためてお礼を申し上げます。

▼都内での最後の行動は11日で、「住民の負託にこたえ、活力ある地方議会を目指す全国大会」と、その後に行われた「地方議会活性化シンポジウム」の二つの集いへ出席。大会は、全国都道府県議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会の3団体による共催で、シンポは総務省が主催し3議長会が共催のものです。柴田正敏 秋田県議会議長が全国都道府県議会議長会の会長として大会では主催者挨拶を行いました。大会で決めた決議は別掲の通りです。シンポも、より開かれた地方議会をめざすうえでとても学ぶことの多い内容でした。

▼都内滞在中は、めずらしく晴れ空が続き、それぞれへの会場移動も徒歩でうごくことができ気分良く過ごすことができました。村にいる時よりもはるかに歩行数が多く、革靴を履いて一日1万歩以上はあたりまえの日々となりました。「東京の人は村より歩く」です。

NHKホールにはいつの年も原宿駅から明治神宮、代々木公園を通って向かいます。公園も神宮の森も晩秋の風情に満ちていました。いつ見ても、ここの初冬のバラの花は心が安まります。池には、地ガモのデロガモ(泥ガモ・カルガモ)に混じって、北から渡ってきたアオグビ(青首・マガモ)もわずかながら見えます。公園で座っていたら、スズメもすぐそばに。ここのスズメはいつもこうです。エサをもらい慣れているからなのでしょうか。

徒歩でいろんな会場へ移動中の半蔵門から桜田門にかけての皇居のお堀、お堀の鳥たち、そして皇居前の松、日比谷公園。都内にいても私の視線は、生きものたちや花、木々につい向いてしまいます。お堀の向こうでは、落ち葉を風で飛ばして集める清掃作業がさかんに行われていました。ああいう場所では、風で「掃き集める」と効率が良いのですね。