カルガモの卵って大きい!

9日、家のすぐそばを散策していたら、1㍍ほどの近さの足下から突然大きな鳥が1羽飛び立ちました。それはデロガモ(泥鴨・カルガモ)です。

「おかしいな、なんで水辺より15㍍ほど離れた陸にカモが?」そう思いながら飛び立ちの所をみたら、そこには大きな卵が5つ。「巣」などとはとてもいえないただの窪みに、にわとりの卵とほぼ同じか、少し大きめかなと思われる卵があります。

こんな陸の巣で抱卵するのですから、獣たちに簡単に襲われることもあるのでしょう。我々がもっともよく目にするカルガモたちの群れ。ああやって飛んでいるカモたちは、そういう天敵からの危険を偶然にも避けられた幸せものたちなんだと思わせられました。

それから3日目の12日、卵がどうなっているかまたのぞいたら、その前5個あった卵が8個に増えています。これにはまたこちらもやや驚きです。

みな無事に雛となり、親とともに飛び立ちの日をむかえられればよいのですが、あまりにも目につきやすい所にあるので、カラスや獣たちの害を避けられるのかとっても心配です。なにしろ、ニワトリより一回り小さな体のカルガモなのに、その卵はこんなに大きく白く目立つからです。

▼14日にはたんぼに水を入れ、きのうは荒代かき。田のくろ塗り(畦塗り)を手作業でやっていることもあって、我が家の代掻き作業は、荒代掻きと本代掻きの二回です。

代掻きでは、ケラムシやミミズ、カエル、小さな虫などがいっぱい姿をあらわします。それを食べようとカラスやムクドリ、セキレイ、スズメたちが私のそばからはなれずに一日いっぱい仕事のおつきあいをしてくれます。

カラスは、カエルや大きなミミズを「そんなにたくさん食べてだいじょうぶなの」と思うほどひっきりなしに口に入れています。山の巣にいる「7つの子」たちに食べさせるためなのかな?と想像もしてみたりでした。

県町村議会議長会の新体制決まる

きのうは県町村議会議長会の理事会へ。

2年に一度の理事会役員改選がおこなわれ、会長には三種町議会の金子芳継議長、副会長には私・冨田義行、監事には美郷町議会の澁谷俊二議長と井川町の藤田俊悦議長が選出されました。

金子新会長は、北海道東北町村議会議長会の会長職も担うことになります。

今年初の議会行政視察受け入れ

雄物川改修整備促進期成同盟会の総会が、花火の街・大仙市大曲できのう開催。

雄物川の治水対策については、堤防かさ上げや輪中堤新設、河床の整備やダムなどの対策が求められ実施されてきました。しかし、平成29年7月と8月洪水による大きな被害によって、それらの対策が従来の規模と速度ではふさわしくなく、急務の課題であることをあらためて知らされました。

総会では、上流部から秋田市の河口近くまでの改修整備を求める運動を今年も全力でとりくむことを確認し合いました。

▼総会を終えて村へ急いで帰り、昼食ぬきで小学校へむかいました。この日は、埼玉志木市議会の常任委員会・市民文教都市委員会のみなさんと、市当局の市民生活部長さんが教育行政視察で村の小学校を訪問される予定になっていたためです。

みなさんには、1時から4時半少し過ぎまで、学校長と教育長の説明、授業参観、活発な質疑応答の時をびっしり過ごしていただきました。

訪問をお受けする機会というのは、相手方の情報や考えなどについて私たちも学べる大切な時であり、今回もいろんな面で参考になることの多い受け入れとなりました。昼食は村の弁当を、お泊まりもホテル・ブランを利用していただき、この面でもありがたく厚くお礼を申し上げた次第です。

部落の春祭り

10日は、早朝5時からたんぼの堰組合一同による堰普請。用水路沿いに残る雪をみて「こんなに雪が多く残っているのは久しぶりのこと」などと語りあいながら作業をすすめました。

午後には村主催による部落長・行政協力員会議が開かれ出席。

村と議会に出されていた各部落(自治会)の今年度の新規要望について、地区代表者から説明があり、それに対して村の各担当課長から現時点での考え、対応策が報告されました。

緊急性や少額の予算で実施できる要望については本年度中に具体化されるものもあります。が、多くは6月に村と議会による現地調査などを経て内容がさらに検討され、これまでと同じように次年度予算措置やそれ以後の実現という方向で対応されます。

昭和、平成と大きな市町村合併を経て、市町村の自治能力が厳しく問われるなかで我々は過ごしています。そういうなか、人口減少社会が加速し、集落単位の発展を人口・世帯維持という面からどう図るかということにも特別の関心がはらわれる時代になっています。

個性あるそれぞれの集落を発展させるカギをにぎっておられるのは、部落や自治会のみなさんの力です。毎年あげられるハード面の生活環境整備充実をはかることは大事です。それとともに、今の時代は一定の人口を維持するための部落・自治会としてのソフト面の創造性あふれる豊かな発想と行動もより深く求められます。

改選となり新たな体制を決めた議会も、一定の人口維持策をどうはかるかを、ひきつづき最大課題のひとつとしてとりくみます。議会と議員にも村政と関わる声や要望をどんどん寄せてくださるようお願いしながら、懇親会での一言あいさつと乾杯発声に立ちました。

▼12日はわが部落「山神社」の祭り日。前日には分社をもつ入道地区も祭り日。合計世帯数約215の部落で、4つの親子会の神輿やえびす俵、それに青年会や有志団体の恵比寿俵が2つ、合わせて6つの団体の担ぎ手によって部落の願いが奉納されました。晴天の祭り日。きのう奉納の練り歩きは朝から午後の2時過ぎまで続き、奉納の度にのろしの花火が山々にこだまし、小さな煙の塊が若葉を背景に浮かび広がり、春風に流れ消えました。

この祭り日になればいつの年もわが集落は山菜が真っ盛り。雪解けの遅れなどもあっていつもの年よりやや遅れ気味の山菜ですが、それでも家々の祭りの食卓には、まだ若くてやらかいウド、ホンナ、ウルイ、アザミ、シロデホンナ(ソバナ)、笹子、ワラビ、アエコ、タラノメ、コサバラ(コシアブラ)などがいっぱい。いよいよ毎日山菜づくしの「春の食」のはじまりです。野には、フクジュソウやイチゲ花、カタクリからバトンを受けた小花のニリンソウが盛り。里山の春紅葉は今がピーク。我が家のしだれ桜も散り始めです。

令和元年の戦傷病没者追悼式

毎年、春5月に行われてきた村の戦傷病没者追悼式がきのう行われました。

今年は戦後から74年。参列されるご遺族のみなさんも高齢となられ、追悼式にご出席の人数が年々減る傾向はいずこも同じようです。

しかしこの追悼は、戦争で命を奪われた方々にたいする今を生きる我々のゆるがせにできない大切な務めであり、あらゆる努力をはらって続けなければならない儀式です。

映像や著書、報道記事などで知る限りの範囲でですが、戦傷病没者各位がおかれた当時の状況を想像し、心から深く追悼のことばを申し上げ、花を献げました。

▼戦傷病没者の方々も、ふるさとに暮らしていた当時の春にきっと目にしたでありましょう幸せの青い小鳥オオルリ、華麗な羽まといのキビタキが今年も村に渡ってきました。

戦争では、多くの方々が中国や南方で命を亡くされております。これら2つの渡り鳥たちも、夏は日本と同じように中国でも過ごし、冬はヒィリピンやマレーシアなど南国に渡ります。亡き方々は、大陸あるいは南の土地で、この小鳥たちを目にすることがあったのでしょうか。たとえ小鳥たちがいたとしても、それに関心を向けられるような日々ではなかったのでしょうね。

昨年は1羽しかお目にかかれなかったオオルリ。

今年は、わが集落を巡る所用の途中でたまたま2羽がいるのを目にしました。急いで自宅へカメラを持ち出しに走り、少し間を置いてその出会い場所に戻ったら、運良く2羽はほぼ同じところに留まっていてくれました。

この2羽の青い小鳥は南の国のどこで冬を過ごして渡ってきたのでしょう。1羽のくちばしには、虫を咥えている姿も写っています。鳩は「平和の象徴」とされますが、青い鳥といえばなんとなく「幸せの象徴」を想ってしまうほどに、その瑠璃色は素敵な輝きをもっています。

一方の華麗な羽衣をまとっている小鳥はキビタキ。ここ2年ほど目にしていなくて、久しぶりのご対面です。オオルリの群れがいるところにはよくキビタキも見られます。今年は、オオルリとは一度だけの出会いでしたが、キビタキは幾度も目にしています。わが国に渡ってくる数多くの小鳥たちのなかで、こんなに雅びな羽衣を、自然と宇宙はなぜキビタキに与えたのでしょうね。

大森山と胆沢川流域へ

4日、晴天確実の予報の下で焼石登山道方面の雪上山行に向かいました。ひと月ほど前に「山へいっしょに」と約束していたAさんをお誘いしての歩きです。

実はこの山行の計画は当初6日としていて、もうお一人、若い女性のFさんもいっしょに歩く予定でいました。ところが6日の予報は曇りから雨。「標高1000㍍を越える北国の山で、初めての方々なら晴れの日以外はムリ。曇りや雨は冬山を覚悟。それに晴れ空でなければ景観眺めも台無し」ということで日程の余裕をもって6日は中止としました。

お仕事柄、5月連休は6日しか日程をとれなかったFさんには、残念の思いを込めてご連絡したという一抹もあったのです。一定の心準備と用具揃えなども申し上げていたのですから、申し訳なかったのですが、雪山歩きの悪天は油断ならずということでの決断でした。
6日は天気が急変。ひょうやあられの悪天となりましたから、判断はよかったようです。

さて、晴天に合わせてのわれら4日の歩きは風のない快晴。すでに国道397号秋田側の除雪は終わっていますが、まだガードロープなどが設置されていなくて国道は閉鎖。ために、冬と同じで今回もジュネススキー場分かれからの歩きを覚悟の山行です。
歩き始めは鳥獣慰霊碑前を7時。荒沼までは一部の近道をのぞいて雪のない舗装道路を歩き、荒沼からほぼ最短距離をとって県境の尾根に上がりました。冬よりもやや南寄りの県境の尾根に早く上がったのは、見通しのきく尾根からの展望を楽しむため。胆沢川流域と横手盆地や鳥海山、栗駒連山、仙北街道筋などの景色を歩きながら眺めるのです。
ブナの芽吹き前線は国道と焼石林道分岐付近まで上がっていて、雪上に萌えた若緑が素敵です。春山のブナ林めぐりの楽しさはこの雪の上の若葉巡りにもあります。県境の尾根到着は9時半近く。夏空のような願ってもないお天気で、しかも春霞みもそんなになく視界は遠くの山々まですこぶる良好です。視界をさえぎるもののない尾根の雪上を歩きながら、予想していた景色を幾度も立ち止まって眺め、大森山到着は10時30分頃。

頂上からは、和賀岳や岩手山、遠く北には「太平山かな、森吉山かな」と思われる山々も見え、西にはもちろん真っ白な鳥海山がドーンとひかえ、その南にはこれも真白き月山の山容がのぞまれます。南には栗駒連山や東山、仙北街道の尾根もくっきり。東には私の好きな三界山をはじめ焼石連峰の山々も。寒くないので頂上ではゆっくりと過ごせました。

この日は、体力の状態をみて「三界山か、それがムリなら柳瀞の湿地に咲くミズバショウとリュゥキンカ群落を眺めに」とも予定していましたが、下からの歩きでしたし、ここまでの景色眺めで満足の山行でしたのでそれ以遠に足をのばすことを止め、帰りは大森沢の林を下り、ブナと胆沢川の本流景色を楽しんでトンネルへ。岩手側の除雪機械はまだずっと下流側にいるようで、誰もいない胆沢の大橋から川景色をながめ真っ暗なトンネルをくぐって帰路につきました。途中、エノキタケやコゴミ採りも楽しんで。

▼きのうは、県南高規格幹線道路建設促進期成同盟会の監査がありました。各同盟会の総会や監査などが集中するシーズンとなりました。

改選後の初議会開かれる

10連休ということもあって、改選後初の村議会が連休明け直後のきのう開かれました。

今回の議事は、主に議会と議会に関係する人事を決めること。すでに全員協議会などで運営の段取りがとられていましたので、本会議は効率よくすすみ終えました。

私は再び指名推選で議長の職務をつとめることになりました。村の未来を担う子どもたちに、豊かな自治の村を引き渡すのが私たちの大きな務めであり、村民から託された10人の議員の責務は、それを思えば思うほど重いものがあります。

役割を果たすための個々の議員のつとめとともに、議会ですからその「総合力」の発揮がとても大切と思われます。そのために、斬新な考えを失わず、自分の職責をしっかりと果たさなければと決意しております。令和元年の始まりの月、連休明け最初、改選後初議会と、初、初、初の新鮮な気分で一同スタートとなりました。今後4年間、よろしくお願いいたします。

須川高原雪上散策の素晴らしさを全国へ世界へ

令和元年のブログは10連休明けではじまりです。

26日は国道342号の開通式、夜はPTAによる小中学校職員の歓送迎会。

28日は部落の共同作業の始まりで、基幹用水路の清掃や国道沿いのゴミ拾い、村の城下公園の冬囲いはずしと清掃などにみんなが繰り出しました。みんな、この時期としては多すぎる公園の残雪に「こういうことは、久しぶり」と語り合っていました。

この日の村内は、清掃作業を行った集落がほかにもいくつかあったようです。

連休の晴天に誘われ、訪れていた童らとともに須川高原まで上がってみました。目的は、高原の雪上歩き。所々に、前日に積もった新雪(国道も一時通行止めに)がありましたが、風邪気味で体調を少し崩している童は「だいじょうぶ」と、ブナと高原のゆっくり雪上歩きに満足していました。

散策の林では、雪上で満開のマンサクの花、ブナの実を食べようと枝を折った昨年秋のクマの行動の痕跡や、雪上に落ちているキノコ(カノガ)を拾ったり、新雪上に残されたノウサギの前夜の行動跡なども目にすることができました。もう少し経てば、今だからこそ入れる湿地のミズバショウやショウジョウバカマなども随所で眺めることが出来るでしょう。そこは雪が消えればみんなチシマザサ(ネマガリタケ)の厚い樹海となってしまうところ、「歩くなら、雪上の今」なのです。

県境部、わが栗駒山荘は駐車場が満杯。須川高原温泉はこの日まだ営業をはじめていませんでしたが、一関側からも車がどんどん上がってきていました。どちらの駐車場そばも高い雪の壁がドーン。何十年もここで経営しているお土産店栗駒屋さんのご主人は、その雪の壁の上にピンクの幟をたて、尋常でない今年の雪の多さを強調していました。

里山の芽吹きやヤマザクラとイタヤカエデの花で彩られる「春紅葉」も、今年は残雪の白さが多いのでいつもの年と違った素敵な趣です。秋の紅葉が美しい所は、「春紅葉」もお見事。それに花も加わり、山々は「さあ、これから、はじまるぞ」の希望に満ちた萌えぎ色に輝いています。たんぼ脇の小花たちも残雪のそばでシーズン最後の花の楽園を随所で見せていて、童らとともに過ごした畦削りや耕起の合間に、小さな花見も楽しみました。
自宅のまわりでは、コゴミやエノキタケも真っ盛りです。

連休には、久しぶりで焼石登山道方面を大森山から胆沢川筋まで雪上歩きにも向かいました。また自宅そばでは、オオルリやキビタキなど、わが愛する小鳥たちともご対面できました。それらの様子は、後にご紹介したいと思います。

▼今日は、4月に改選後初の村議会が開かれます。