隣にある老いた柿の木は今年は実が豊作でした。どなたにももぎ取られずに冬をむかえた実は、寒気にさらされて熟し、渋もぬけて、きのう一つ、今日また一つと雪上に落ち始めています。
それをお目当てとするのは、日中にはカラスやキツツキなど鳥の仲間たち。夜には、テンがいちばん多く訪れ、樹上や雪上で動き回った跡がのこります。時にはムジナ(タヌキ)らしい足跡も。食べ物が極端に少なくなる雪国の冬、かれらにとって熟した柿は願ってもないほどの大ごちそうなのでしょう。
われわれが子どもの頃は、雪の季節に成っているジュブジュブに熟れた柿は、やはりめったに食べられないごちそうものでした。でも今は、野の木の実だけでなく、もぎとられない柿の実にさえ「食べ物」としての関心をもつ子どもや若者はごくわずかでしょう。
昭和の後半もそうだったでしょうが、平成とは、食べ物について「飽食」という言葉がよくつかわれた時代であったことを、雪の上に落ちたままのおいしそうに熟れた柿の実や、貯えていて、いま食べ始めたヤマグリの実を目にしながら思います。