北海道の震災で岩手宮城内陸地震の教訓を思う

北海道胆振東部地方を震源にして6日午前3時8分頃に起きた震災被害が深刻です。悲しいニュースが連日伝えられ、「大変だな、かわいそうだな」とつぶやきながらテレビを視る日々です。被災された方々へ謹んでお見舞いを申し上げます。

山崩れの様子を目にして思い起こしたのは、記憶に鮮明な2008年6月14日の岩手宮城内陸地震です。栗駒山の宮城側や岩手側を主にして発生した山体崩落と多くの山肌が崩れた様は、火山灰土のもろさを同じ山麓に暮らす私たちに教えました。

岩手、宮城側の山体がもろかったのは、ちょうど今回の北海道の火山帯と同じように栗駒山の噴火による火山灰が、偏西風によって運ばれ山脈の東側山麓に積もっていたためでしょうか。手元にある岩手宮城内陸地震時の写真を見ると、あのときの山が崩れた跡の山肌の白っぽい色と、今回の地震で崩れた厚真町吉野地区の山肌の白っぽい色はよく似て見えます。

あの時、震源から近いわが村も同じような強い揺れに襲われました。しかし、火山灰が積もった山脈の東南部のようではなかったためか山肌の大きな土砂崩落は村側ではわずかの範囲に限られ(その様子は今も北ノ俣沢など国道から望めます)、崩落規模も大きくありませんでした。

村側での大きな被害は、主に盛り土箇所の国道や橋にあらわれ、宿泊施設などの構造物にも一定の被害がありました。でも、山脈の東南側に比べこちらは、山体そのものは安定していました。そういう素人比較からみても、「地震時の崩落危険度は土質によって大幅に違う。火山灰土は危ない」という教訓を私たちは知りました。

2004年10月23日の中越地震時には、ある団体がとりくんだ震災現場の研究視察に「村の防災のために」と村職員のみなさんと私が職員の運転する村の車で中越まで向かいました。震災翌年の3月のことです。研究者や自治体関係者など全国から集まった一行は、長岡市や小千谷市に入り、雪の中の山古志村にも向かいました。

当時の山古志村は全村民避難中で誰もおらず、役場庁舎は震災直後と同じでガタガタに壊れたままで、もちろん庁舎内は無人状態でした。ここでは、火山灰土ではなく、日本最大の地滑り地帯のひとつといわれる泥岩層によるとされる特有の山の崩落も直に目にしました。

そういうこともあって、火山列島、豪雨多発、台風列島、豪雪、地滑り多発の我が国で、これまでおきた火山灰土や地滑り地帯特有の崩落事例が、全国の大地震時の防災体制にどれだけ教訓として活かされていたのかと思いながら報道を見つめています。