焼石の花たちに会いたくて(その3)

まわりの景色がほとんど見えない頂上を下り、この日はじめて登山者の方と行き会いました。岩手側からは次から次へと、若いカップル、中高年のカップル、若い集団、中高年集団、時にファッション雑誌に登場するような女性の集団、単独などの方々が登ってきます。

この時間に頂上、もしくは頂上直下まで到着ですから、こちらと同じように早く出発してきたのでしょう。あるいは銀明水の山小屋に泊まっての方がおられたのかもしれません。
姥石平はハクサンイチゲとミヤマシオガマが真っ盛り。ユキワリコザクラもまだ過ぎないでいてくれました。濃い霧のなか、ハクサンイチゲの真っ白群落は遠くからだとまるで残雪のようです。花盛りだと、同じ白でも色が生き生きとして濃く感じます。何事も、「盛り」というのはこういう生き生きした姿となって見えるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発は金明水の山小屋からでしょうか、夏油方面に通ずる道からも登山者が次々見えます。姥石平から9合目への分岐道に入ると私と逆に頂上からの周回コースをたどる方々とも再度出会いました。焼石山行ではこのコース歩きも素敵で欠かせません。昨年には登山道もかなり幅広く刈り払われましたからとっても歩きやすく、みなさん喜んでいるでしょう。

このコースは焼石のなかで最も残雪が遅くまで見られる所。南本内川の最上流部にあたるシゲイシ斜面の雪渓はまだ登山道を一部覆い、9合目直近の湿地も大きな雪田のままで、その上を通る時は寒さがさらに増しました。


 

 

 

この時間になったら秋田側から登ってこられた方々もどんどん続きます。8合目ではなじみの山仲間の同期生Fさんとも行き会いました。山歩きのご達者な彼は、6月恒例の焼石登山や仙北道踏査など毎年多くの方々のリーダー役として歩きつづけられていて、この日が今年の焼石登山日ということでみなさんといっしょでした。一行には80歳のお方も。

こちらは天気に恵まれませんでしたが、その時までにはだんだんと空が明るくなってきました。「オレはウンが悪かったが、みなさんは良さそうだ」などと笑いながら言いましたが、それはお天道様の一時の見せかけだったようです。午後になっても霧も風も止むことなく、帰りに5合目シャカヂアゲから焼石方面を振り返ったら連峰は何にも見えずでした。

お天気は一日そんな様子でしたが、霧の中の花景色、水滴の着いた花々も、後にゆっくり写真でながめたら「それはそれでまた風情があるもの」と思ったりもしているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻へのおみやげにと「タゲのすず(湧水)」をボトルに詰め帰路へ。途中、秋田側からの登山者ともひっきりなしに行き会いました。20~30歳代と思われる恋人同士か、ご夫婦らしい姿もあれば、中高年のご夫婦らしいお姿も。単独行も。

「ほう、去年から実がついていたのだろうか?」などと、ネズモヂ(アカミノイヌツゲ)の赤い実をながめたりしながら駐車場到着は正午バッチリ。駐車場には車がほぼ満杯、ほかの空き場所にも車はいっぱい。しかしいずこでも、互いを呼び合うホーイホーイのタケノコ採り声は聞こえず。なので、この日はタケノコ採りより登山の方々多しとお見受けしました。

 

 

 

 

一昨日(その1)の最初部分に載せた水たまりのなかの白いたまご状の写真は、クロサンショウウオの卵がはいった卵のうでしょうか。私はよくわかりません。この季節、この水たまりには毎年のように卵が産みつけられ、このように大きくなった卵のうが目立ちます。

昨日のハクサンチドリたちの写真の次あたりに、ちょっと変わったチドリ花がありましたが、これはテガタチドリなのでしょうか。わたしには、くわしくわからないことがいっぱいの自然と花の山です。

 

焼石の花たちに会いたくて(その2)

焼石沼の手前、タゲのすず(岳の湧水・清水のこと。いつのまにか「長命水」などという名がついたりもした)がある近くでは、お目当てのキヌガサソウがよく咲いていてくれました。山行後半の姥石平からの周回コースでもはじめてこの花をみました。「キヌガサを拝めただけで、来たかいがあり」と思ったほどです。すず(湧水・清水)で喉をうるおし、次は残雪そばの湿地に咲くミズバショウ、リュウキンカなどをとっくりと眺めます。

沼の草原はやっと雪が消えたばかり。もう少したつとここの代表的な花景色となるミヤマキンポウゲやノウゴウイチゴとならんでおいしい実をつけるエゾノクサイチゴの群落はもちろん花の気配もまだなし。でも、雪消えの早い登山道にはそれらが咲き始めています。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沼の周囲でいま圧巻の花景色はリュウキンカとミズバショウ。それに、ミネザクラが満開で、三界山を背景に借りたりしながらこれらの花々を撮り続けました。そばには、これはなんでしょう?苔か植物かわからないおかしなモノもあり、カメラにおさめておきました。

 そうしている間も風は強くなり、霧もますます厚くなって吹きつけ、服が濡れ始めました。寒くもなり、手がややかじかんできましたので雨具を着けて上へ向かいます。

8合目前後からの登山道はおよそいつの季節も「花の道」。ミヤマキンポウゲやシナノキンバイ、ミヤマキンバイでしょうか、それらをはじめ、ハクサンチドリ、エゾノクサイチゴ、キバナノコマノツメ、イワハタザオの仲間が見られます。お目当てのミヤマオダマキも花真っ盛りの二株の姿と出会うことができました。この花、焼石では希少種でしょう。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

  いつものように9合目焼石神社では諸々を祈願。そばの岩上には少し散り始めたチングルマが顔を見せ始めます。そこからの少しの間の岩渡り越えはチングルマの花の道でもあり、花リレーではやがてそれにミヤマダイコンソウも加わります。

頂上近くになったら、ミヤマシオガマ、そしてこれもお目当てのユキワリコザクラの仲間がほんの少し見られます。これらの花々は姥石平が本場なのでそこではあまり時間をとりません。ここから先はカメラのレンズに水滴が着き、一回シャッターを推しては水滴を拭いての繰り返し。こんな荒れ空の下での「花見」もそうはないことです。

頂上到着8時25分。強風と濃霧の流れるなか、濡れるミヤマシオガマとイワカガミ(コイワカガミ?)を撮り、一休みもなく岩手側の登山道へ下りました。ガスが濃くて周りがほとんど見えず、頂上では一瞬方角がわからなくなり、「はて、どっちだっけ?」と下りる道をさがしたり。

姥石平への周回コースをとったのは、下りる途中のイワウメと、姥石平の広大なハクサンイチゲとミヤマシオガマ群落、ユキワリコザクラの仲間、ヒナザクラ、チングルマたちをながめるためにです。

▼世界が注目していた歴史的とされる米朝首脳会談が行われました。この会談実現から学ぶべきは「対話こそがものごと解決の最大のカギ」ということでしょう。「話せばわかりあえることができる」です。今会談は出発点、合意された内容の実現に向けて今後も対話、協議が着実にすすめられることを期待したいものです。

焼石の花たちに会いたくて(その1)

高嶺では春と初夏の花が隣り合わせてみられる季節入りの10日、花の百名山・焼石岳に向かいました。この日出会いたいと思っていた花はキヌガサソウ、ツバメオモト、リュウキンカ、それにミヤマオダマキとハクサンイチゲ、ユキワリコザクラとヒナザクラです。

妻には出かけるとき「キヌガサソウに会いに行く」などと告げていました。

山行にとってもっとも気になるのはお天気。前日から予報に注目していて、当日も朝4時の予報では村は「晴れ」。「これなら、今日は、いい景色がのぞめるぞ」と期待。林道終点の駐車場から歩き開始は4時37分。駐車場には、予想に反してシーズン真っ盛りなのにタケノコ採りのみなさんはまだおらず、登山の方らしい様子の車が1台だけです。

 

空は曇り、東からの風が吹き下ろします。歩き始めてすぐ目につく花は、マイズルソウやエシャガイチゴ(胆沢川イチゴ・ノウゴウイチゴのこと)、ズダヤクシュやカタバミの仲間など。いつもなら早暁からタケノコ採りでにぎわう登山道には、前記のように人の姿も声もまだ無しで、ブナの森は予想に反して静か。聞こえるは風の音と鳥の声のみ。

大森山の裾がのびる登山道五合目シャガヂアゲの県境付近は、合居川と胆沢川の分水嶺がしばらくの距離で続きます。天正の滝に落ち込む合居川渓谷の流れのうち合居大谷から分かれるドヤノサ(どやの沢・合居沢)の最上流部はこの県境までのびていて、そこには吹きだまりの雪がまだ沢いっぱい見られます。今はほとんど通いませんが、ここらは、むかしから最もシーズン遅くまでの私のタケノコ採り場でした。

登山道沿いには、ミツバオウレンやイワカガミの仲間、ツマトリソウもよく目につきます。


県境の稜線から胆沢川へ下り始めると、すぐに下方から瀬音がきこえてきます。川まで下りたら登山道に雪が残る箇所も一部あり、「これなら、キヌガサソウはまだ拝める」と見込みました。川原沿いにはミズバショウとリュウキンカも見え始め、ムラサキヤシオツツジやシラネアオイも時に見られます。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブナ林の中にはユギノシタキノゴ(エノキタケ)も出ていて、上がるにつれ低木のムラサキヤシオやタムシバの花は盛りです。登山道を歩きながら私がいちばん数多く目を注ぐのはツバメオモト。たいがいはもう花期をすぎていますが、雪解けの遅い箇所には、花かたちも葉っぱのかたちもほれぼれする姿がいくつか見られました。凜としていて清楚で、高山植物ではありませんが私はこの花に妙に惹かれます。


時々林のなかの花たちにカメラをむけながら、8合目の焼石沼周囲到着は6時48分。ここまで上がったら風がさらに強くなり、濃いガス(霧)が東から勢いよく流れ下ってきます。立ったまま朝食をとり、まずは周囲の花たちをながめました。

アカショウビンが渡ってきました

何日ぶりの雨だったでしょうか、待ちこがれていた8日の雨はこれこそ「慈雨」。妻に植え付けられてから一度も雨にうたれていなかった野菜たちはぐったりしおれていましたが、恵みの雨でなんとかシャンとした姿勢を保てるようになりました。

6月にあんな夏日、真夏日が続き、しかもにわか雨さえしばらくの間なかったのですから、こんな6月はめずらしいという年のうちにはいるのでしょう。おかげで、根張りが弱く赤茶けていた田んぼの早苗もいくらか緑を濃くしてきました。ただし、もうほとんどダメそうな株も目立ってきましたが。きのうは脊梁越の冷たい風が肌寒くて、我が家は薪ストーブで暖をとりました。

ところで恵みの雨が降ったその8日、朝夕毎日続いている田んぼの水見回りに向かったら、林の方角からまことによく響くキョロロロローンの鳥の鳴き声が聞こえてきました。

すぐに「あっ、アカショウビンだ」と声で確認、急いで自宅にカメラをとりに戻り、林の中に入りましたが、鳥はやや遠くへ離れたらしく、声はきこえるが姿はもちろん見えず。(この鳥の姿はなかなかおがめないのです)。

実は、その一週間ほど前、早朝にたんぼのワラビ採りにでかけた妻が、「アガショウビン、鳴ぐけぞ(鳴いていましたよ)」と言ったのを聞いていたのです。その後、こちらが朝夕のたんぼに向かっても、ちょうどその時には声がなかったのですが、どうやらまだ声が聞こえるということは、この範囲で棲息しているということでしょう。妻は、何年か前にこちらといっしょにいる時、アカショウビンが鳴き、さらに運よく飛ぶ姿までみているのでわかるのです。我が家では、まだ床に伏している朝の寝室に、彼らの鳴き声が聞こえてくるときもありました。すぐそばの沢が生息エリアでもあるらしいのです。

妻は、半年間のパートなみ仕事をしている「直売所」にいても「合居のほうでも鳴いで、えだっけよ」と、キョロロロロローンの声を聴いたそうです。同じ個体なのかはわかりません。

2年前にもちょうど同じあたりに棲み着いていましたから、渡り鳥のかれらにとってここらは棲みやすい所なのだろうと思います。

私はアカショウビンを、あんまり美しく赤い鳥なので勝手に「火の鳥」などと呼んだりもします。その赤い鳥が8日朝に鳴いていた森は、むかしの川通り道(旧村道・いわゆるアカミチ)があったところ。その森の入り口には岩井川開墾組合が建立した「五穀神社」の石碑があります。碑には、確か「昭和17年」となんとか読める文字が刻まれています。戦中のその年にソリとかで高台へ運んで立てたのでしょうか。それは、先達・先祖の苦労の歴史をしのばせてくれる碑でもあります。

河岸段丘の川通りの台地は、我が家のたんぼもふくめ碑が建立された戦中に開墾されたのでしょうか。私は自分の父親の生家があり、私自身もそこで幼い時の数年間育った土地でありながらそのことをくわしく知りません。碑もそこへ至る山道も、カドリノ(川通野)の人々によって代々まもり継がれてきました。まれに、遠く県外からこの社のない神社を参詣に訪れる方もおります。その方にとってはきっと「ありがたい、遠くの神様」なのでしょう。いつか、開墾組合や川通の台地に人々が住み着いた歴史をどなたかにおたずねしようと思っています。

岩井川集落全体と開墾された田んぼや畑を見下ろす小高い森は、仙北街道に連なる歴史の道でもあります。心を休める場所としてもとても素敵なところで、私は時々ここに通い、古の人々も一休みしたであろう高台の森にからだを癒やしていただき帰ります。

その森にアカショウビンが渡ってきてくれているのです。そこに通う楽しみがまたひとつ増えました。いつか、偶然カメラにおさめられる時があればと夢みています。

そんな素敵な赤い鳥の鳴き声が響き渡る田植えのようやく終わった山里では、ハナウドの仲間とヤグルマソウが花を満開にしています。ほかの野草にさきがけて芽をだすハナウドの仲間を、私らはウドザグと呼びます。

ウドザグは茎は空洞、臭いがあまりにきついので人はまったく食べない野草です。ただ、いち早く新芽をだすために、厳しい冬を越し緑の草を待っていた野のいきものたちにとっては春一番最初のごちそうらしく、これはこれで豪雪の土地では大切な役割をはたしている野の草なのです。


 

 

 

集落そばの里山でも、大雪崩跡にはまだ残雪が見られます。雪崩の直撃で倒された木々がそこには横たわり、堅い残雪のある狭い範囲のそこは季節はまだ春。サンカヨウが咲いていて、ワサビ、アエコ、コゴミなどが今でも食べ頃で芽を出していました。そばには、今々ツキノワグマがサグ(エゾニュゥの仲間)の茎を食べた跡も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのうは、今年はじめて焼石岳へむかいました。

朝4時、「晴れの予報」をたよりにまったくの晴天を期待して向かったのですが、8合目からは冷たい東風と濃い霧が流れる中、雨具をつけての歩きとなりました。強い風にガスですから、カメラのレンズにはたちまちのうちに水滴がつき、それを拭いては撮りの繰り返しをしながら高嶺の花たちを拝んできました。後日、その山行の始終と花の百名山の初夏の花たちをお知らせいたします。

6月村議会はじまる

議事日程のはじめに、佐々木健夫議員から提出されていた一身上の理由による議員辞職願いが議題とされ、許可されました。

佐々木議員は役場の課長職員を途中退職して現村長と連続二回の村長選をたたかい、その後には村議として連続4期目(来春4月が改選)の職務途中にありました。

佐々木議員は、健康をそこねて議会へ出席できなくなるまで毎議会の一般質問に立たれ、議案審議でも旺盛な質疑をおこなっていただきました。在職中のご活躍に心からの感謝を申し上げたいと思います。議員は辞職となりましたが、早く健康を回復なされて、今後も村発展のために、村政へのいわば「ご意見番役」として様々なかたちでご指導をお願いできればと思います。長い間のご活動ほんとうにご苦労様でした。ありがとうございました。

さて、村長選後初の議会となったきのうは、3月に骨格予算としてくまれていた一般会計にも政策予算が加えられ、村長行政報告の前段では、村長選の公約などをもとにした施政方針がのべられました。

議会事務局提供
議会事務局提供

よく6月議会は国保議会といわれるように、今年度の国保税の税率を決める条例改正案や、監査委員の選任同意案、平成30年度各会計予算の補正、同じく29年度予算の補正にともなう専決処分報告、除雪ローダ購入の財産取得案などが提案されました。

会議は、様々な理由による日程調整にせまられ、19日に一般質問、20日に各議案の議決の本会議開催となります。その間に予算特別委員会も開かれ、14日には先に提出されていた各地区要望についての常任委員会と村当局合同による現地視察も計画されました。

▼先月につづいて辞職議員が2名となり、定数の6分の1が欠員となったため村議の補欠選挙が必要となりました。選挙管理委員会により今後選挙日程が決められます。

山からも房総からも旬の味覚

先週に採ってきていたネマガリタケノコが、母と妻の手によってきれいな瓶詰めにされました。

 

 

 

 

皮をむくのは主に母。瓶詰めの作業は妻の役割。こうして二人の作業をみていると(とくに瓶詰め)は、山から採ってくるしごと以上に難儀であることがよくわかります。

手抜きをして失敗したらすべて腐敗しオジャンですし、できるだけ美しく仕上げなければとタケノコの寸法そろえや詰め方への工夫にも努めますから、瓶詰め作業は責任も大です。

そうしためんどうな作業をようやく経て、今年も立派な瓶詰めをたくさんつくってもらいました。タケノコ大好きの子供や童、身内の方々は、一年を通じてまた山の幸を楽しむことができるでしょう。

山で採取時の感覚でも「今年のタケノコは出来がいい」でしたが、瓶詰め作業でも「ええ、タゲノゴ、だごど(質の良いタケノコですこと)」と、めずらしく褒められました。

 

▼毎年ネマガリタケノコの季節になると、房総半島・館山の花卉農家Sさん宅からおいしいビワの実がとどきます。「ビワはいつもの年より少し遅れたのかな。館山では、トルコギキョウが咲き始めた」もうそんな季節だそうです。

議案説明をうけ、部落長・行政協力員会議へ

6月定例会議にむけた議会の運営委員会と全員協議会がきのう開かれました。

議会事務局提供

会議は7日に開会、19日と20日の本会議日程となり、この間に陳情審議や予算特別委員会の審査も行われます。

きのう午後は部落長・行政協力員の会議もありました。村と議会あてに提出されていた各地区要望について村当局側から現段階での考えが説明されました。

議会事務局提供

議会の会議、部落長・行政協力員会議では、水稲の「苗問題」での現状・原因把握などについても「状況を聞きたい」旨の発言があり、これまでの主な経緯や現段階で把握している情報について当局側から説明がされました。いずれ、「何が主たる原因なのか」そこが早くわかりたいところです。

連日の6月真夏日

20年ほど前になるでしょうか、島根のぼたん島を訪れた際に求めてきた二種のぼたんが今年も紫と白の花を見せる季節となりました。

 

 

 

 

鉢植えのヤマシャクヤク(3枚目の写真)はわずかの花開きを見せて散り、きのうもおとといもまだ6月初めなのに国道設置の温度計は30℃をこえる真夏日。今日もその暑さはつづきそうです。早朝、たんぼ脇の道路をカタツムリが横断していましたが、湿り気が好きな蝸牛も、この時期のこの猛暑には「おやッ?」でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

きのうは、7日からはじまる村議会6月定例会議の下準備に。今日の運営委員会で全体の日程が決められ、全員協議会で議案の説明がおこなわれます。

仙台キノコ同好会

2日、仙台キノコ同好会の5人の方々が来村されました。

同会では10月6~7日の両日、恒例の一泊きのこ観察会(30数人の参加予定)を村の周囲を主な会場として予定されております。実はこの観察会は昨年に村を会場にと計画されたのでしたが、参加会員のみなさんが同じ宿泊施設に泊まれるほどの空き室がなかったために村での実施は断念、岩手県へと会場は急きょ変更されたということです。

ホテルブランにお泊まりいただくのはおよそ20年前にやはり同じような観察会をこの地で行って以来のこと。今回は、観察会の担当の方々がそのための下見と事前打ち合わせを主な目的としての来村です。

観察会の会場は20年前と同じようにこちらがあらかじめ内定していて、その現場2箇所をきのうはご案内、昼食は秋に宿泊予約しているホテルブランでとっていただきました。

この日は村の直売所へご案内したり、わが家の転作たんぼで栽培しているワラビ、ミズ、ウルイを、道路沿いではミツバ採りなども楽しんでいただきました。

秋の観察会は、脊梁山脈のブナとミズナラの森が一箇所、里山のナラ林が一箇所と、二つの森歩きを予定しております。今から、当日の好天を祈っているところです。

仙台キノコ同好会は今年創立50周年をむかえ、2月には郡和子仙台市長さん等をお招きしての記念祝賀会も行っております。毎年発行の会誌も50周年記念特集号として編集されており、その記念誌を楽しみながら興味深く読ませていただきました。

 

 

▼ところで、きのう全県小中学生将棋王将戦が秋田の将棋道場で行われ、東成瀬小学校4年の杉山秋君が準優勝という見事な成績をおさめました。

決勝で杉山君が対戦した相手は秋田市保戸野小学6年生で、「とても強い子」といわれていた方のようです。内容でもその方とほぼ互角にたたかったということですから、「これは、すごい」です。まだ4年生、今後の活躍がたのしみですね。

「負げだ」苗

村内各農家(JAから委託されて苗を育てている農家も含む)へ、水稲の育苗センターから供給された芽だし苗の発芽・生育状況が極端に不良だったため、急きょ雄勝管内のみならず県内から苗の補充策がとられたことは先に記していました。

その補充された苗にも供給元のちがいによって生育の充分・不十分のばらつきがあったらしく、たとえば我が家で購入した苗はどこから補充された苗でしょうか、根張りが昨年までのものと比べ良くなく土もボソボソで、植え付け作業に手間取ったことはこれも先に記しました。実は、それとほぼ似た例はほかにもあったようです。

それからほぼ一週間、あれほどお天気がよかったのにその苗の育ちがよくなく、本来の苗の緑ではなくて苗全体が赤茶け葉先が枯れています。こんなことは我が家としてはめったにないことですが、ある篤農家の方は、根張りが良くなく、成長のかなり進んだ苗で、しかも平場である程度育った苗だと、こういう冷涼な水・気候環境のもとでは、「負げるごどがある」などと語ります。緑色の薄い苗はその「負げだ」印しなのでしょうか。

水稲は初期生育がひとつのカナメ。こんな色状態ですが、「負げで遅れでぉ、苗死なねば、なんぼがなば、一人前に育ってくれるべェ」と、緑の薄いたんぼを見つめています。