広域行政でも送別の集い

きのうも別れの言葉が多く交わされる日となりました。

異動となった商工会事務局長さんがご挨拶でみえられ、夜には広域市町村圏組合の管理者を退任となる斉藤湯沢市長さんや定年や転任をむかえられた職員のみなさんとの送別会も催されました。

斉藤管理者は、氏が旧稲川町議時代からのつながりで、広域行政で8年間をともに過ごす縁ともなりました。こちらが広域市町村圏組合議会にはじめて選出されたのが平成11年春で、以来、ともに広域行政で過ごした職員さんの多くも次々と定年をむかえています。

管理者と消防長や次長など勇退、定年退職、転任のみなさんの労をねぎらい、ご苦労に感謝しながら言葉を交わし合った2時間は、時局柄、あのことこのことと話題がまことに豊富で、あっという間に時が過ぎてしまいました。

▼先日ご紹介したネコくんは、今も遠征を繰り返し我が家前を時々通ります。そのたくましさは並ではありません。この歴戦を思わせる面構え、生きる力の強さ、彼からわれわれが学ばねばならぬことがいくらかはあるような気がします。

 

別れの日々です

きのうは小中学校の離任式の日だったそうです。子供たちとお別れの言葉を交わされた後でしょう、11時から役場庁舎内でも、転出される先生方との小中合同でのあいさつ会がいつものように行われました。

職場・同僚との別れ、地域との別れ、そして何よりも子供たちとの別れという定めがある教職員のみなさんにとって、異動発表後のこの月末は、4月からの新たな職場でのスタートにむけた気持ちの切り替えとあわせて、なかなかつらくて複雑な心境におかれる日々と察せられます。

子供たちをしっかりと育てていただいたことへの感謝とお礼を込めながら、新しい任地でのご活躍をお祈りして一言ご挨拶を申し上げました。

▼それが終わってすぐに、村のために尽力された方や小中学校で今年度スポーツや文化・芸術活動ですぐれた成績を上げ活躍された児童生徒のみなさんの表彰式へ。晴れ晴れとした表情で賞状を受けるみなさんの姿、外も春本番に少しずつ近づいていますが、みなさんの笑顔で会場内は春のようなほっこりとした雰囲気につつまれました。

何かの遺跡みたい

冬の間、除雪機械で道路から寄せられた雪がたんぼや畑に盛り上がっていました。道路の除雪がほとんど必要なくなった今、その寄せられた雪をユンボーで掘り崩して消えやすくしている作業が村内各地で進められています。

ユンボーが堀り置いた雪の塊は「あれ、なんだか古代文明の遺跡みたい?」とでも思える「雪塊群」が並んでいるように見えます。

3月末はまだ寒し。ビニルハウスで野菜苗を準備しようとしている方々も、「雪、ながなが、けねぇ(雪が、なかなか消えない)」と語っているそうです。大雪でなかった割には残雪量の多い、寒い春が続いています。

それでもまもなく4月。まわりはまだ1㍍を越す積雪ですが、清水の湧くそばでは、やわらかな新芽とともにつぼみを膨らませたワサビが見られるようになりました。

バヂジョリ(バチゾリ)集材の頃

亡き父が小さな木材業を営んでいた。若い頃は私も家業に従事し、今ではほとんど見られなくなったワイヤーロープを張っての集材架線技士として集材機械の運転を主な仕事とし、冬場はティーラーを操る運材役をつとめ、バヂジョリ(バチゾリのこと・わが岩井川ではソリをショリと呼ぶ)集材の助手(バチゾリの操作は熟練が必要で、この集材法がわが村では最後になった頃に、わずかの操作経験しか私にはない)もかなり長くつとめた。

バチゾリは、いつかも記したことがある。傾斜のきつい雪道でいっきに木材を滑り下ろすソリで、木材とともにソリに乗り、あるいは半乗り状態でソリを操り、雪道からはずれないよう滑り降りる運搬法である。それで、その仕事は主には「ソリ引き」ではないので「バヂ乗り」ともいわれた。木材搬出の山仕事では土ジョリ(土ソリ)とともに最も危険な作業で、ひとつまちがえばソリにはさまれて死や大けがを招くこともある。この仕事で亡くなられた村人もおられるが、全国規模でみればそういう悲惨な事例はほかにもあるだろう。

とくに前日のソリ跡がカチンカチンに凍っている朝一番のソリは急傾斜だけに危険だらけ。したがって木材はすべてをバヂゾリに載せず片方だけソリからはずして雪道に接続させブレーキの作用をさせる。それでもスピードが増すのでさらにソリそのものにも手動の鉄製ブレーキをつけ、さらにそのブレーキがよく効くようにと、とっさに柴木をあてがう用意もするためそのための小枝も幾本かソリに積む。これがほかのソリとちがうバチゾリの構造と操作の特徴である。傾斜の緩い道では、材を引きずったままソリを懸命に引くという難儀も時に加わる。戻りはソリ全体を担いで上がる。危険と重労働の繰り返しである。

写真は、40年前の1977年(昭和52年)の春、胆沢川上流の通称ハヂベェテェ(八兵エ平)で、当時の岩手県水沢営林署から払い下げをうけた国有林のブナ材を、バヂゾリで運ぶ仕事をしていた当時、わが家に働きに来ていた人々である。むかし、胆沢川上流のブナ国有林は、岩手の地でありながらわが村岩井川の愛林組合によってひろく利用され、国有林のブナの払い下げも長年受けた。その組合は短角牛放牧組合と似た存在だった。

国道397号沿いの胆沢川上流部、大きな砂防堰堤のある「かいち橋」周辺より西北の林は、ほとんどが組合に択伐(必要なブナ材だけ選んで伐る)として払い下げられ、我が家はその材を春はバヂジョリや大ジョリ(木のソリに食用油を塗ったソリで、村では荷重の大きな材を運ぶ作業に使われた)で、夏は集材架線で搬出し販売するしごとを長年続けた。

さて、そのバヂゾリ。荷をソリに載せる時は材を転がし一方を担ぎ上る。それに使われたのが「ガンタ」と呼ぶ道具。載せた後はいっきに滑り降り、帰りはソリ全部を担いで急坂を登る。雪で肩と背中が濡れるのを防ぐために最良の作業着は犬の毛皮で、バチ仕事にはこの毛皮が欠かせなかった。徒歩で集落から県境の尾根を越え現場に着き、みんなそういう重労働なので、昼はとにかく飯の量が多くなければ。写真は、村のバチソリ集材最後の頃の様子。「魔法弁当」が出始めの頃で、まだ大きな「二食弁当」に詰めた昼飯を食べている姿もある。40年前のエシャガ(胆沢川)の春山仕事はこうだったという記録である。

雪降るなかの卒園式

過ぎた週末は、これぞ「寒のもどり」の雪降り。今冬最後の除雪かな、と思いながら土曜日朝はトラクターを動かすことに。

▼その前日は保育園の卒園式へ。昨年から祖父母の出席もみられるようになったお祝いの式は、外に大きな名残雪が流れ降るなか行われました。

19名の卒園児たちが、親へ「ありがとう」とのべる姿は、ほんとに可愛いものです。よく育ってくれた、よく育ててくれた、と、子供たち、親、家族、保育士のみなさんへ感謝しながら、胸が熱くなるひとときを過ごしました。

▼きのうは同じ県内でも太平洋側のように降雪が少なく、春の訪れがわが集落よりも一月近くは早いでしょう象潟経由で酒田市へ出かけました。日本海側であっても、暖流が寄せる土地は積雪がゼロ、少し大げさにいえば「異国」のような印象をうけます。鳥海山をはさんで東、西のわずかな距離での気象のちがいに驚く3月の末です。

平野が雪解けの季節は、山容全体が真白き鳥海山の秀麗さが際立つ時。北へ渡る前の白鳥が飛び交う横手盆地、にかほ市方面、酒田市土門拳記念館方面からと、東、北、西、南から鳥海山の麓を一周して眺め、月山、最上川河口、そして穏やかな日本海をながめつづけました。

映画「おくりびと」のロケ地で知られ、夕日の景色がすばらしいという酒田市の日和山公園界隈では梅が咲き始め、桜のつぼみもだいぶふくらんでいます。里山では、サシボ(オオイタドリの新芽)採りをしているのでしょうか、お年寄りの姿がちらほら見られましたが、風はやはり今年はまだ寒しです。

成瀬ダム工事事務所開所式

彼岸明けというのに時折の吹雪模様、肌寒い一日となったきのう。成瀬ダム工事事務所開所式が、役場向かいへ新築されていた国交省の工事事務所で行われました。

式は、国交省東北地方整備局河川部長畠山愼一氏の挨拶ではじまり、関係する市町村長の除幕によって事務所が開所となりました。

ダムの通称「本体」といわれる堤体の工事は平成31年春から始まる計画で、工事は平成36年の完成をめざして進められます。

▼開所式の前には、この3月で定年退職となる広域市町村圏組合の消防長と次長さんがあいさつで見えられました。

午後は湯沢雄勝農業委員会連絡協議会の会議で湯沢市へ。農業委員会の新たな選任制度に基づく手続きが各市町村で進められていて、公募作業が先行していた自治体ではすでに募集の締め切りがされたところもあるようです。それらのところでは定数をはるかに上回る応募数のところもあるとききます。

連絡協議会は、現体制ではいわば最後の会議であり、異動や定年で農業委員会の職務から離れる事務局長さんたちもおられて、さびしげな雰囲気と労いの心が混じり合った会議となりました。

▼農業委員会の新たな選任作業は全国的なとりくみですが、わが秋田、そして県南は、ほかにもっとたくさんの「選ぶ」動きがかさなります。

きのうは知事選が告示され、雪の中に立つ掲示板にポスターが張られていました。

管内では市や町の首長、JAの役員、土地改良区役員などもそれぞれ改選期をむかえたところがあり、議員の補欠選も予定されているようです。選ぶ側も、えらばれる側も、いろいろと重なる「めまぐるしい時がやってきた」との声がきかれます。

彼岸のお墓参り

今朝の村はうっすらと春の雪降り。今日が彼岸明けで、地元集落の龍泉寺境内にある墓地にはお墓参りの姿が続きました。

今冬は豪雪対策本部の設置もなく、降雪がそれほど多くなかった割には雪消えが遅く、我が家の墓はまだ厚い雪の下。仕方なく、「お墓のあるところは、だいたいここらだろう」と雪の上にだんごと「彼岸花」を供えお参りしました。積雪000㌢の数字よりも、お墓の雪の深さをみれば、国内・世界有数の豪雪の村でくらしている人々の姿が想像できるでしょう。

むかしは、この彼岸の頃より前までに田んぼや畑へのソリでの肥引き(堆肥運搬)を仕上げ、今頃は木材、薪炭材の伐りだしや柴木のそり出しがはじまったのです。わたしのむかしの3月は、ソリでの木出しの日々が記憶に深く刻まれています。

▼県町村電算システム共同事業組合議会の3月定例会がきのう開かれました。

松田知巳管理者(美郷町長)の招集挨拶に続き議案が上程され、総額約6億9千万円となる平成29年度一般会計予算案や監査委員の選任同意案を可決しました。歳出予算でもっとも大きな部分をしめるのは当然ながら電算管理費で、29年度の当初予算では約6億5千万円となっています。

議会には、先の八郎潟町議選を経て新しく選出された村井剛議長さんも出席、ごあいさつがありました。

きのうで私が関係する議会はすべて3月定例会を終え、来年度にむけた予算案を決めスタートできることになりました。

それぞれの町村で職員の異動があきらかとなっていて、「議会事務局長が替わる」というところもあるようです。月末から来月はじめまで、別れ、スタート、そして新たな出会いと、いずこも腰の落ち着かない日々がつづきます。

横手、三又のみなさんと要望活動

きのうは朝から夕近くまで主要地方道横手東成瀬線の要望で、雄勝、平鹿の地域振興局、県庁、県議会へとむかいました。

いつものように、整備促進期成同盟会の会員である横手、東成瀬両当局と議会代表に加え、山内・三又地区(世帯数約80)、わが村岩井川地区(世帯数約200)の自治会、部落役員のみなさんといっしょの行動です。

こちらはまだ1㍍50㌢ほどの積雪なのに秋田市はもちろん積雪ゼロ。同じ県内でも、国内有数の豪雪地である横手市と村の要望は、通年通行の実現を含め道路の雪対策を主としたもの。要望に対して、春山除雪の早期実現や現道の改良整備要望箇所などで具体的なとりくみの準備があることが県側から説明されました。

春のおとずれが少し足踏み

季節がもっと早く春へと進むかと思っていましたが、降雪などもあり雪解けは少し足踏みしています。先にご紹介したセキショウとフクジュソウのある水辺も、雪がまだ多く、花群落もそれほど広がりをみせません。我が家そばのフクジユソウ群落はさすがに斜面の日向ですから花数は増えていますが、ネコヤナギの小川もまだこんなに厚い雪です。

ただ、雪が解けた地面は次第に温められて草たちが目覚め、芽だし二番手のウドザグ(ハナウドの仲間)や山菜のヘリザグ(シャク)、それに雪国人が待ちこがれていたヒロッコ(ノビル)も顔を見せ始めています。

こうなれば、雪消の早いところでは食べ頃のアザミもおそらく新芽を出し始めたでしょう。

▼ようやく冬の寒さをのりこえられる彼岸となりました。我が家のお墓参りは彼岸明けの日ですからもう少し先です。

それで彼岸入りから彼岸明けまでの一週間、仏壇と神棚には、ご飯に変わって時々ヘラツギ(へら搗き・ぼた餅)も供えられ、加えて仏前には、キノコや山菜、畑の幸など、主に貯蔵ものが毎日お膳に供えられています。新鮮な山菜をいっぱい供えられるのはもう一月先のことです。

ところでこちらは時々、神とか仏とか、神社とか、お寺とかに触れます。私の記す神とはいわば宇宙のこと、仏とは、その宇宙が生んだ生命(すべての先祖)のことという理解の程度で二つをとらえていることを、彼岸の機会に付記しておきます。人間がつくった特定のものへの崇拝ではなく、宇宙と生命への尊敬、感謝ということで私は神と仏を見つめます。

1年、2年、3年、4年、5年、そしてこんなに立派な卒業生に

きのうは午前に広域市町村圏組合議会の全員協議会と3月定例会、午後には小学校の卒業式、夜には祝賀会へと続きました。

きのう、奥羽県境の尾根を越えて東からフカゲ(ダシとも呼ぶ東風の雲)がかかりましたから、翌日の荒れ空は覚悟していましたが、案の定、時折、大きなボタン雪が厚く降り肌寒い一日となりました。

広域組合も今年度最後の議会。この春、現任期で引退を表明されている管理者の斉藤湯沢市長さんをはじめ、消防長、消防次長も今年度で退職、それに山内現監査委員も辞任されることになり、それぞれ「これが最後」を込めてのぞまれる3月議会となりました。議会は、新たに川崎茂氏(湯沢市役所市民生活部長、議会事務局長経て平成25年3月退職)を監査委員として選任、来年度骨格予算案が可決されました。

▼小学校の今年の卒業生は16人。村内にひとつでそれも小規模校ですから、子供たちも先生も学年を問わずみんな家族兄弟姉妹みたいなもの。卒業生の後ろに並ぶ1年生から5年生のみなさんを見て、こうやって一とせごとに大きくなり立派な6年生になるまで育ててくれた先生方、そして12の春まで苦労して育ててくれたご家族のみなさんに「ご苦労様でした。ありがとう、おめでとう」の心が会場に満ちた卒業式、祝賀会でした。

帰りの外は大粒のなごり雪。むかしの卒業式でよく歌われた「♪ほたるの光 窓の雪♪」「♪仰げば尊し 我が師の恩♪」の当時を思い出しました。