いかにも山らしい山、二つの東山

所用でめぐったきのうの村内。途中、今年はじめて立ち止まって東山にむきあいました。

CIMG2794-1左の大きな山が東山(1117㍍)で、ここには登山道がありません。右奥が登山道のある上東山(1116㍍)で、地元では「とうざん」といえば山菜取りでも有名な登山道のある上東山をさします。(ここの山菜取り場所は山に詳しい方でないときわめて遭難しやすい地形で、霧も多発。熊の生息も多く人が襲われる被害も発生。いったん遭難すれば、岩手側、秋田側どこに向かっても、界隈きっての深山渓谷、あるいは断崖絶壁ですから地元の詳しい方以外は山菜採り入山は避けてください。山腹は地元の捜索隊も容易には入れず油断できない奥羽の険です。)

二つの東山はいずれも山容がすばらしく、遠くから眺めて美しい山。「上東山」「下東山」、「前東山」「後ろ東山」など、集落や人によって呼び方が様々なのもこの山の特徴です。

東山の西側山腹は村内では合居川渓谷と肩をならべる見事な断崖絶壁。そのかげ東側は岩手奥州市胆沢川支流の小出川最上流部にあたりますから険しいのも当然。

私は、登山道のある東山(上東山)には雪上を登ったことがありますが、二つの東山の間の尾根と、東山から柏峠までの北方面大部分の尾根、上東山から栃ヶ森山方面の南側尾根は狩猟当時でも足を運ぶ場所ではなく、村内でも私が足を踏み入れたことのない県境尾根の一つ。毎年「いつかは歩きたい」と、心の計画ノートに記しているところです。

その山行をなかなか実行できないでいるのにはそれなりの理由があります。なんといっても大きい理由の一にあげるのは脚力の衰え。日帰りでは、南北どちらの尾根から登っても一番疲れたところで最後に大きな落差のある稜線を登り、下らなければ目的にたどりつけないということです。途中で戻るにはもったいなくて、せっかく登ったら二つの東山を渡り歩いてどちらか一方に下りるというのが理想ですが、脚力への不安がその理想実現をさまたげています。

かって元同僚議員のTさん、元村教育委員のKさん、元村監査委員のYさん(故人)の4人で、雪の上を東山に登った日を偲びながら二つの稜線を眺め、「まずは理想の半分をいつかきっと」と、思った次第。

CIMG2785-1▼村のたんぼはまだこんなに真っ白な雪の下。山斜面や水辺から土色がどんどん広がっていますが、まだまだ村は白の世界が支配しています。

別れの日々がつづきます

異動にともない、庁舎や自宅で転出転入される方々からのごあいさつをうける日々がつづきます。

朝は消防分署長をはじめとする分署のみなさんのご訪問が庁舎であり、学校では離任式もあったようで、その後に転出される先生方の合同あいさつ会も役場でおこなわれました。
帰宅したら、これも大変お世話になった方がみえられたようで、退職あいさつの名刺がおかれていました。

同じ異動でもはたらく土地がまったく違う場所となる学校や県職員、国家公務員、そして民間などの異動、そういう職に就く方々は退職までに何度の異動(移動)をするのでしょうか。

職の定めだから慣れてしまえばどうということがないかもしれませんが、ご本人はもとより、もし家庭環境にも変化をともなう異動だと、そういう方々の心模様をいろいろと察してしまうのがこの季節です。平成の市町村大合併後は、市や町でも広範囲の移動を伴う異動が結構大きくあるのでしょう。

お世話になったわれわれは、豊かな人材を村からはなしたくないのですが、移動をともなう異動はさらにそのご本人を磨くまたとない機会でもあるはず。異動(移動)の春は人間をより成長させる季節ともいえます。

新しい任地には、そこはそこで誇れるすぐれた自治があり、また職場や地域の特徴があるというもの。みなさんの新任地での新たなご活躍をお祈りするとともに、公私ともにお世話になったことへのお礼を申し上げます。

▼そういうあいさつ会を終えて後、恒例の村の表彰式へ。功績や、スポーツ、芸術・文化で優秀な成績をおさめた方々の表彰があり、今年は副議長と当方も5期にわたって議会の職にあったということで「自治功労」の賞を授かりました。

二人とも現職であり、しかもこの仕事は「やってあたりまえ」の当然の世界ですから思いはやはり複雑でしたが、ここは率直に席にならびました。表彰は、活動をささえていただいている村民のみなさんや家族への感謝、初心を忘れないようにという一つの教えのしるしと受けとめました。

CIMG2778-1CIMG2779-1CIMG2777-1▼午後、椿川方面まででかけた途中雪を渡って成瀬川の岸辺に立ち寄りました。流れは、晴天午後になっても底石がみえる程度の薄い濁りで、川は清らか静かなもの。先日までの勢いある流れはいったんお休み状態です。雪消の早い岸辺の土手には、おいしそうな野生のヒロッコ(ノビル)が旬の顔を出していました。

野の花の開花リレーが始まりましたよ

ここ2~3日晴天がつづき、本格的に残雪が締まる「堅雪(かたゆき)」がはじまっています。今朝も、雪原の上で飛び上がっても足が雪にまったく沈まないほどバンバンに雪は固まっています。

むかしの童集団はこんな日をのがさずに山や川辺での「堅雪わたり」で、ちゃんばら用の木刀をつくったり、どじょうすくいをしたり、ままごとをしたりとなかなか忙しく、春休みのほとんどを外ですごしたものです。でも、いまの子たちはほかに向かわなければならないことがいっぱいありすぎて、集団での堅雪遊び姿はほとんど見られなくなっています。

農作業がまだ本格化しない今の季節。人里と県境奥羽の残雪、成瀬川の景色を私は仕事部屋の窓越しにゆったりとした気分で眺めます。まもなく4月なのにたんぼはまだいっぱいの雪なので気分はややゆったり。これは豪雪の村に暮らしているからこそのこと。ゆったりの日の流れにささやかな幸せを感じるのはこんなひとときです。

CIMG2757-1気温は昨日12℃をしめしていましたが、仕事部屋から見える成瀬川には、先の雨天時のような笹濁りはあまりみられません。それでも山肌に残雪のある範囲はどんどん少なくなっていますから、10℃前後の晴天だと、雪は、解けて流れるよりも解けて蒸発する割合が今の時期は高いのでしょうか。

CIMG2761-1CIMG2770-1CIMG2764-1CIMG2768-1きのうは沿岸部の花を紹介しましたが、豪雪の村も南向き斜面でチャワンバナコ(キクザキイチリンソウの仲間たち)が咲き始めました。雪さえなくなれば、土が温められ野草の目覚めは村でもいっきにすすむようです。もう少し地温が高まれば、早咲き場所のショウジョウバカマ、カタクリ、そして日向のブナ林尾根筋にはイワウチワも見られるでしょう。

まだタイヤ交換はしていませんが、朝の除雪はもうないだろうとトラクターの塩分を洗い落としました。今冬は、除雪でトラクターを動かす日時が少なく、私も、トラクターも楽をした冬でした。耕耘ロータリーと付け替えて、土と向き合う仕事にきりかわるのは4月の半ば過ぎ頃でしょう。

これから半月は、雪解けの進み具合にあわせて冬囲いを解いたり、たんぼ耕起のための段取りをしたりと、野の生きものたちと同じように人里も躍動の春がはじまります。冬の間やや運動不足で増えていたわが身の目方も、春のはたらきが始まればたちまち並にもどるでしょう。

海・山・たんぼ・工業のある暖流のまちへ

対馬暖流の影響もあり、雪が極端に少ないにかほ市象潟方面の沿岸のまち。緯度はほぼ同じでも我々のように積雪2㍍があたりまえの内陸豪雪の村に比べれば、毎度記すように同じ雪国といってもそこは雪ということでは距離は近くても「異国」のようなところ。

CIMG2727-1CIMG2728-1CIMG2729-1CIMG2734-1きのう訪れたその沿岸部の道の駅では、わが村より半月ほども早いのでしょうか、アザミやヒロッコ(ノビル)、ヘリザグ(シャク)、サシドリ(サシボ・オオイタドリ)の芽などが直売所店頭にいっぱい並んでいました。道脇のあちこちでサシドリやフキノトウを摘む人々の姿が見られ、チャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)も満開、今朝の報道ではソメイヨシノも咲き始めたということです。

CIMG2746-1まだ農繁前、晴天の日曜ということもあってでしょうか、沿岸部各道の駅は大にぎわい。公務職でよく席をともにするお隣の市や町の方々との偶然の行き会いが2度もあるほど。この日の日本海は波もいくぶん静かで飛島の輪郭もよく見え、頂部を隠しどっしりと居座る残雪白装束鳥海山の大きさもきわだちました。

CIMG2747-1CIMG2753-1帰路、かつてノウサギ猟によく出かけた仁賀保高原にあがり、所々に雪のある牧場から眼前眼下にひろがる鳥海山と日本海の眺望を繰り返し眺めました。人気の土田牧場も休日の好天とあって隣県の車なども混じり駐車場はいっぱい。動物とふれあう子供たちもにぎやか。格別の自然景観・農業・加工・観光の4つを結んだ、われわれが学ぶべき名スポットは、今年もにぎわいの季節がはじまったようです。

▼平成の市町村合併前なら、県内ではいっせい地方選挙よりも規模が大きく「3月中間選挙」と呼んだ4町の町議会議員選挙のうち、今日の投開票となる小坂町をのぞく、羽後、五城目、藤里3町の投開票がきのうおこなわれました。ともに議長会のしごとをしてきた方々、あるいはつながりの深い議員のみなさんが全員再選されました。寒いなかの選挙ですから体調管理も大変だったでしょう。みなさん、ご当選おめでとうございました。

戦争の本質を体験から聞く

「いつか機会があったら体験談を」ということをお願いしてからもう10年以上にもなっていたでしょうか、その「機会」を過ぎた連休にやっと実行にうつすことができました。

「体験談」とは戦争のこと。15年戦争末期の召集で昭和16年に中国戦線(北支戦線)にむかい、後には第36師団(島に上陸時は16,229名、終戦帰還時生存人員は4,478名・台湾、インドネシア人含む)の一員として南方激戦の地ニューギニア島で終戦をむかえた体験のことです。生の体験をお聞きする先は96歳になる伯父です。

私もみなさんと同じように戦争体験は多くの方々から耳にしていますが、「記録」するという前提で戦地の体験をじっくりとお聞きしたのはこれまで3人の方だけ。最初の方は長くお世話になった大先輩で、中国北方(満州)で終戦をむかえ、地獄のような敗走の中でソ連軍によってシベリアに抑留された方。次の方も身内で、北方の島でやはり終戦となりシベリアに抑留された母の叔父。そして、南方で九死に一生を得た今回の伯父です。

CIMG2691-196歳と高齢ながら記憶も語りも明晰な伯父。およそ3時間にわたった生の体験をお聞きする時はあっという間に過ぎました。この日、伯父の手元には一冊の本がおかれていました。著書は昭和58年11月23日に発行された「ニューギニア最後の死闘(岩手県大船渡市共和印刷出版企画部発行)」で、著者は同じ第36師団司令部付陸軍大尉であった富谷太一氏(大正2年鹿角市生。秋田県師範学校卒)。

伯父にとっては自らの戦争体験をたどるように書かれている本でしょうから、何度も何度も繰り返し読まれたらしく表紙はすり減り、そのページの多くの行間には、鉛筆、赤鉛筆、黒と緑のボールペン、折りと、いくつかの年を重ねて伯父のつけた線と印がありました。

その最初のページの余白には、伯父が読後に記したのでしょう「尊い命を祖国に捧げた将兵を偲び霊のご冥福を祈り 二度と戦争を起こさせぬよう子供又子孫につがれることを御願いたし」の字が鉛筆で綴られています。体験者の刻む言葉の重さが私には伝わります。

著者・富谷氏は本のあとがきの末尾に、「戦争は悲惨の一語につきる。これほど大きな無駄は外になかろう。無駄を出すことは破壊に通ずる。破壊は悲劇と不幸の基である。心して戦争を拒否することに徹せねばならないと思う。」の言葉を連ねています。

過去にお聞きした二人の方(故人)の北方戦線とシベリア抑留での厳しく悲惨な体験談とともに、この南方激戦の地での体験から発せられた二つの重い言葉も私はしっかりと受け継いでいかねばと思います。戦地では、殺し殺されるという直接の戦闘による死だけではなく、我々など軽く言葉にできない飢えと伝染病による無念・悲惨の死が多くあったことも事実。戦争とはそういうものであることを心に刻み、平和憲法を遵守できる国家としてあり続けるために、戦争体験のない我々世代のつとめはより大きくなっているととらえます。

春は一服

CIMG2699-1晴れたと思ったら急に雪、雪かと思ったらたちまちのうちにまた青空、変化の激しい天気が続いています。

きのうは、それに冷たい風も加わり春らしいお天気は一休み。標高の少し高い郡境や県境のブナ林は春の新雪にふわりと包まれ、この景色を朝日がまぶしく照らします。

CIMG2701-1CIMG2702-1寒いので、時折の青空が見えてもフクジュソウはきのう一日花を半開きのままでした。

CIMG2710-1童はこの冷たい風もなんのその。寒風に遊んでもらい紙飛行機をいっぱいつくって飛ばし続けていました。

彼岸明け

今日は彼岸明け。菩提寺境内にある墓地へ我が家も墓参りです。

CIMG2693-1CIMG2696-1開けの日のお墓参りが多いわが集落。いつもの年だと雪が多くて、むかしのような長尺の墓標が少ないのでお墓がどこかわからないこともあります。

CIMG2697-1お墓でいっしょになった方は「今年なば、雪、びゃっこだぁ(少ない)」と言っていました。ごらんのように今年は雪が少なく、どこのお墓も「あっ、これは、我が家の墓」とすぐにわかります。

昔の童たちは、彼岸お墓参りに供えられるダンゴを狙って、カラスより先に手にしたもので、春彼岸にはその昔を想います。今は、供えられたダンゴはきれいに片付けられますから、お寺の屋根にとまっていたカラスも、あてがはずれたと思っているでしょう。

春はこんなところにも

10年以上前に村で少しの移住生活をされ、その後長野県に定住されたOさんが、学校の春休みを利用してでしょうこの連休にお子さんたちを連れて村を訪れました。ここで生まれた一番年下のHさんもいま小学校を卒業したということです。

Hさんは記憶にはなかった自分の生まれた村をはじめて目にして、またOさんや、当時小学生だった年上のお子さんも、みなさん「わが村の雪の多さにびっくり」という感想をもたれたようです。

雪がこんなに少ない年なのに、ほかに比べれば村の積雪はやはり「異国」というほどにケタ違いの多さ。あれからひと昔10年以上経った春の村(まだ冬と思ったかな)は、ご家族の脳裡にまた新たな記憶を刻んだことでしょう。

CIMG2669-1CIMG2670-1CIMG2681-1晴天なのに風が冷たかったきのうは別にして、雪解けがどんどん進んでいます。
雪解けの進み具合は川の流れにもっともよく現れます。冬の静かな流れはとっくに終わって、成瀬川も支流もみんな勢いが強くなり本流は笹色の濁りが一日中続くようになりました。

CIMG2686-1CIMG2687-1私の散策する河川敷も、水辺や木立の根元から雪解けがすすみ、雪のなかで成長を続けるユギノシタキノゴ(エノキタケ)が少しずつながら顔を見せるようになりました。また、山里の幸(山菜、キノコ)だよりを書ける季節がやってきたのです。

今朝のごはんは、そのユギノシタキノゴの初物味噌汁でいただきです。

「難課題に道筋を」と要望活動

CIMG2614-1CIMG2617-1CIMG2620-1横手市山内三又地区を経由してわが村岩井川地区に通ずる主要地方道横手東成瀬線の通年通行などを求める要望行動が、きのう期成同盟会によって行われました。

横手市長、東成瀬村長、双方の議会議長や議会関係者、地元地区代表などが参加し、県建設部、県議会議長、双方の地域振興局への要望ということで、びっしり一日の日程となりました。

今年は、県議会の日程がちょうど我々の要望時間と重ならなかったことと、議長をはじめ県議の方々のご厚意もあって、議長、副議長、建設常任委員長、そして大関、佐藤、鶴田、柴田、土谷の期成同盟会顧問の各県議さん方にも同席していただきました。こういうことは私の経験した長い要望活動のなかでもはじめてのことであり、運動を進める者の一人として心強く思った次第です。

行動の中では、今後の運動にむけた新たな方向性についても、示唆に富む話題が具体的に交わされ、この面でも特徴的な要望活動となりました。

CIMG2622-1CIMG2624-1CIMG2626-1CIMG2628-1CIMG2629-1▼いま、保育所の卒園式から帰ったばかりです。今年卒園されるのは10名。今年はめずらしいほどに人数が少ないということもあってでしょう、祖父母にもご案内があったという式は、いつもとまたちがった感動につつまれました。

子育ての苦労は男であろうと女であろうと夫婦みな同じと言葉ではいいますが、やはり産み、乳を授け、もっともそばにいる時間の長い母親の存在は圧倒的に大きく、それだけに、こんなに立派に成長した我が子への思いはひときわ強いのでしょう、いつの年も、母さん方の涙、そして苦労された保育士さんたちの感極まる涙が光ります。

とっても立派な10名の卒園児のみなさん、そしてご家族のみなさんおめでとうございます。保育園のみなさん、ありがとうございました。

緑のセキショウから元気をもらって

CIMG2600-1CIMG2607-1CIMG2611-1雪国からの春だより。今日は、水辺でひときわ緑をひきたたせるセキショウです。

薬草としても名高いセキショウは、常緑であることから鉢物や庭園の鑑賞用としても親しまれる野草。そばにはフクジュソウも満開。

緑にやや飢えている雪の村にくらす私にとって、薬草として飲用しなくても、ただ眺めているだけで元気をもらえるセキショウはありがたい野の草です。

雪消えが進み、ヘギ(堰・用水路)にセキショウがみられるようになれば、まもなくチャワンバナコ(キクザキイチリンソウの仲間たち)が咲き始めるでしょう。

▼きのうは湯沢雄勝広域市町村圏組合の3月定例議会がありました。総額約62億8千万円の平成28年度一般会計当初予算案などが審議・可決されました。当初予算額が前年度の2倍近くになったのは、3ヵ年の継続費として予算化されているゴミ処理施設整備費の熱回収施設建設工事費(約40億7千万円)の28年度分が約34億2千500万円ほどとなるためです。施設は29年4月から本格稼働する予定で工事が進められています。