戦争の本質を体験から聞く

「いつか機会があったら体験談を」ということをお願いしてからもう10年以上にもなっていたでしょうか、その「機会」を過ぎた連休にやっと実行にうつすことができました。

「体験談」とは戦争のこと。15年戦争末期の召集で昭和16年に中国戦線(北支戦線)にむかい、後には第36師団(島に上陸時は16,229名、終戦帰還時生存人員は4,478名・台湾、インドネシア人含む)の一員として南方激戦の地ニューギニア島で終戦をむかえた体験のことです。生の体験をお聞きする先は96歳になる伯父です。

私もみなさんと同じように戦争体験は多くの方々から耳にしていますが、「記録」するという前提で戦地の体験をじっくりとお聞きしたのはこれまで3人の方だけ。最初の方は長くお世話になった大先輩で、中国北方(満州)で終戦をむかえ、地獄のような敗走の中でソ連軍によってシベリアに抑留された方。次の方も身内で、北方の島でやはり終戦となりシベリアに抑留された母の叔父。そして、南方で九死に一生を得た今回の伯父です。

CIMG2691-196歳と高齢ながら記憶も語りも明晰な伯父。およそ3時間にわたった生の体験をお聞きする時はあっという間に過ぎました。この日、伯父の手元には一冊の本がおかれていました。著書は昭和58年11月23日に発行された「ニューギニア最後の死闘(岩手県大船渡市共和印刷出版企画部発行)」で、著者は同じ第36師団司令部付陸軍大尉であった富谷太一氏(大正2年鹿角市生。秋田県師範学校卒)。

伯父にとっては自らの戦争体験をたどるように書かれている本でしょうから、何度も何度も繰り返し読まれたらしく表紙はすり減り、そのページの多くの行間には、鉛筆、赤鉛筆、黒と緑のボールペン、折りと、いくつかの年を重ねて伯父のつけた線と印がありました。

その最初のページの余白には、伯父が読後に記したのでしょう「尊い命を祖国に捧げた将兵を偲び霊のご冥福を祈り 二度と戦争を起こさせぬよう子供又子孫につがれることを御願いたし」の字が鉛筆で綴られています。体験者の刻む言葉の重さが私には伝わります。

著者・富谷氏は本のあとがきの末尾に、「戦争は悲惨の一語につきる。これほど大きな無駄は外になかろう。無駄を出すことは破壊に通ずる。破壊は悲劇と不幸の基である。心して戦争を拒否することに徹せねばならないと思う。」の言葉を連ねています。

過去にお聞きした二人の方(故人)の北方戦線とシベリア抑留での厳しく悲惨な体験談とともに、この南方激戦の地での体験から発せられた二つの重い言葉も私はしっかりと受け継いでいかねばと思います。戦地では、殺し殺されるという直接の戦闘による死だけではなく、我々など軽く言葉にできない飢えと伝染病による無念・悲惨の死が多くあったことも事実。戦争とはそういうものであることを心に刻み、平和憲法を遵守できる国家としてあり続けるために、戦争体験のない我々世代のつとめはより大きくなっているととらえます。