春の共同作業

4月29日、桜満開の下、地元集落の共同作業が行われました。今年は部落役員の改選があり、代表もふくめ役員体制が大きく交代したなか、新しい体制のもとでの初の共同作業となりました。

作業は、基幹用水路の掃除(砂利や泥、ゴミあげなど)や公園の清掃、あわせて国道沿線のクリーンアップもふくめ1時間ほどの動きとなりました。

雪解けの遅かった今年は、公園の一部に残雪もみられる中での作業でした。

作業には集落に居住しているお二人の村の地域おこし協力隊員の方々も参加。終了後には彼らのご紹介もされました。若い方々が作業に加わっていただくと、わずか二人でも集団全体がパッと若くなったように感じますから不思議なものです。

作業を終えた後、訪れた童たちといっしょに自宅前の河川敷でコゴミ摘みのひとときも。村内ではいずこでもごく簡単に採れる山菜として人気のあるコゴミ。河川敷は平地なので童たちも自由に散策でき、まるで自然の畑のようなところでおいしい山菜を摘むことができます。四季を通じて楽しむことができるここは、童たちにとって自然公園そのものです。

畑の土手に植えていた山ウドが食べ頃になり、この日は初モノをいただきました。わが集落は、雪崩跡の斜面をはじめいよいよ山菜シーズン本格入りです。

山、ふくらむ

きのうは未明に時ならぬ激しい雨となり、一昨日夜からの気温上昇もあって里山だけでなく深山の雪解けも本格化しました。

そのため成瀬川は雨と雪解けが重なる濁流となり、今年いちばんの増水となりました。

この雨天で木々の芽ぶきもさらに進み、山は新緑の範囲をぐんと広げました。きのうはそんな山の様子を「山、笑う」と記しましたが、今日の山は「山、ふくらむ」といった按配です。

里山で緑の範囲を最も広く占めるのはブナとナラ類。ブナは比較的標高の高い箇所の樹林帯で集落をぐるっと囲み、その下をミズナラの樹林帯が占めます。ミズナラ類は樹林帯としてはいちばん萌芽が遅く、里山のそれらが萌えそろえば県境深山にもブナの芽吹きが届き、その時の村は「山、うたう」とでもなりましょうか。

▼きのうはうれしい知らせがありました。幾度かここでご紹介していた村出身の岡山みさ子さん(長谷川ミサ子)さんが春の叙勲受章となったということです。29日に発表予定のようですが、病院の看護部長として、また愛知県看護管理研究会の会長としての功績が認められたことによる受章のようです。

岡山さんの生家はわが家の隣でした。先代は「気仙屋」という旅館と芝居や映画を観る劇場を経営し、父親の代には建設業を営んだ家で過ごされ、学校卒と同時に愛知へ移られました。受章を心からお祝いするとともに、まだまだこれからのご活躍が期待されている方ですので、いっそうのご精進をお祈りする次第です。受章おめでとうございました。

山笑う

芽吹きの山を「山笑う」というそうですが、村の里山はその言葉そっくりの様子となってきました。

ブナの萌えに続いて今の里山を美しく彩るのはイタヤの花とベニヤマザクラ。イタヤもヤマザクラと同じように葉っぱよりも早く花がいっせいに咲くので、特徴あるその黄緑が春紅葉の山をとりわけ素敵な模様に装ってくれます。

それにヤマザクラが所々でピンクのアクセントをつけてくれますから、里山は「あやーっ、きれいだごど!」となるわけです。こうして春の山を見れば、イタヤカエデがずいぶん多くあることを知らされます。

きのうはそんな山笑う中で、転作として田んぼに植えているワラビへ鶏ふんを施しました。田んぼへの道はようやく通れるようになりましたが、田んぼそのものもワラビの作付け地も吹きだまりには残雪が多くあり、一部では雪の上への肥料散布となりました。

今年はこの雪がなくなり田んぼが乾くまでまだしばらくかかりますから、耕起の準備とりかかりはいつもの年より遅くなりそうです。道路の法面にはキクザキイチゲやカタクリが雪解けの進みにあわせて順繰りに花開いています。もう少し経てば、花を眺めながらの農作業となります。

村議会臨時会議開く

栗駒山荘の大規模改修にともなう建築工事と機械設備工事の2件の契約案件などをふくむ議案審議で臨時会議がきのう開かれました。

建築工事は契約額が61,578,000円で横手市の(株)大和組と、機械設備工事は契約額が89,650,000円で(株)ますだ機工とそれぞれ契約するものです。議案はすべて可決されました。

会議を終えるにあたって、糯田正宏副村長と鶴飼孝教育長から5月末での辞任意向の発言がありました。5月末で佐々木哲男村長が退任(5月の村長選には出馬しないことを表明)するのを受けての表明です。

▼臨時会議をはさんで全員協議会も開催されました。全員協議会ではいつものように堤出予定議案の詳細説明がまずなされました。暫時休憩して本会議後に再開された協議会では、別の協議案件として議会側から要請していた「地熱資源調査事業について」の説明を受けました。地熱開発を計画している業者と村が関係したこの間のうごきの経緯や今後にむけた考えなどをたずねたものです。令和元年12月定例会議の閉会時前の村長発言以来、この件に関する会議の場での具体的な経緯報告・説明を久方ぶりに受けました。

議会としては今回の協議会をひとつの契機として、調査を計画しているという業者の動向や内容などを見すえ、これら再生可能エネルギー全体の課題について質疑や質問、調査活動などを通してむきあってゆくことになると思います。

村内でうごきのあるこの課題では、つい先日NHKの報道などで触れられたことなどもふくめマスコミ関係の関心も深いようです。きのうも全員協議会としてはめずらしく一部報道機関の方々や村民の傍聴もありました。

▼きのう午後は成瀬ダムに関する期成同盟会の総会と研修会が開かれ横手市役所へ。今年度は国交省東北地方整備局主催によるダム本体工事の定礎式がまもなくの5月14日に計画されています。

味噌を仕込む

豪雪の村では、四季の節目それぞれにくらしのなかでやり遂げておかなければならないことが多くあります。わが家で毎年行う自家用味噌の仕込みもそのひとつ。

何十年も使われてきた大きな味噌樽を3つ据えているわが家は、順繰りにそのうちの1つが空になりそれに毎年仕込みます。

味噌桶に原料(つぶした大豆と麹と塩で練り上げられた味噌の素)を詰め込む作業は毎年こちらのつとめ。空気が入り込まないよう隙間をつくらずびっしりと桶に押し込むのが肝心な作業です。

今の時代は原料をつくるまでは業者さんに頼みますから、こちらの作業は桶に詰め込むだけ。昔のように真っ黒な大きな釜で豆を煮た後に今度はそれをすりつぶし、さらに塩と麹で混ぜ合わせ味噌玉をつくる作業がないので、その仕事の大半を担った女性の方々の難儀はなくなりました。味噌づくりも、カナメの役割は一家のカアさん方でした。

まだ雪のある田んぼでは農作業もできないので、休日のひととき、家周りをゆっくりと散策。

雪解けの遅い原野でヒロッコ(あさつき)の新芽やコゴミ、アザミの軟らかな芽を摘み、清水の脇ではワサビやミズ(うわばみそう)の新芽を採って野の味覚をたっぷりと味わいました。

この季節の雨は、木々の萌えを一気にうながす役目を果たすようで、ブナの萌えはわが集落郡境のもっとも高い尾根部まで上りました。里山はイタヤカエデの花も咲き始め、田子内や岩井川では種蒔き桜(ベニヤマザクラ)も満開で見られます。

わが家の田んぼに通ずる道路もきのう除雪をしていただき、今後予定される堰組合の用水路掃除や転作作物(ワラビ)への施肥などでもようやく車がはいれるようになりました。

田んぼは例年より雪解けが遅く、この様子だと今月いっぱいかかっても残雪はすべて消え終わらないかもしれません。したがって農作業へのとりかかりはやや遅れそうです。

ブナの萌え800㍍ラインへ

ブナの萌えが20日頃から早くも標高800㍍ラインほどまで駆け上がりました。里山のブナ林にはまだ残雪があり、こんなに早く800㍍ラインまで萌芽が上がるのはめずらしいこと。肴沢・カヅラヘグリ(桂へぐり)上部の木々の芽吹きにはベニヤマザクラの花も加わりはじめています。

暖かな日が続いたのと、豪雪で多かった雪がさらに解けるのも比較的遅かったこと、そしてブナに花芽がとても多く着き、その花芽はほかの新芽よりも一足早く芽吹くためにこんなに早くブナ山の萌えが見られることになったようです。

国道除雪のみなさんも「今年の雪はシラパデ(真っ白な層が何層にも堅く締まった状態)で堅く、重機作業もはかどらない」と言っておりましたが、一気降り積もりの雪ではなくじわじわと降り積もった雪のために今年の積雪は堅く締まっていて、雪解けも手間取ったようです。

昔から集落のマタギたちは「クマはブナの葉ほげざげぇさ(芽吹きのことをほげるという。さげぇは境のこと)、える(居る)」と言いました。クマは芽吹き寸前のブナの新芽やタムシバの甘い花が大好き。ハナウドやサグ(エゾニュウの仲間)、カタクリなどの野草とともにそれらの木々があるところにこの季節のクマはよくあつまります。

ブナの萌えはまもなく深山にまで駆け上がろうとしています。奥羽の脊梁で冬ごもりしていたクマたちも、あまりに早くからブナの新芽が食べられるようになった春に、喜びとともに少々びっくりの思いでいるかもしれません。

写真の川や山々、花景色などは、きのう、おとといの村の様子です。緑前線が成瀬川をどんどん遡り、雪の村もいよいよ春本番をむかえました。

体も心もほんわか季節

雪解け本格濁流前の笹濁り色の成瀬川です。

雪解けがいっきに進むこれから先は、流れが濁りを濃くし荒ぶる勢いに変わります。が、それまでの今すこしの間は、成瀬川がもっとも素敵な表情を見せてくれる笹濁りの季節。私は、春のこの笹濁り色の川が大好きです。

雪解け水で水量をやや増した川は、その流れの勢いと運ばれる小石などによって冬の間に澱んでいた川底を洗い流したちまちのうちにきれいにしてくれます。雪解け濁流は夏季の洪水と同じで、川の生きものたちの棲む場所を掃除してくれる天然浄化作用の役目を果たしているともいえます。

流れの岸辺、わが家前の河川敷では、この週はじめになって山菜のコゴミがカオを出し始めました。そこには甘いカンゾウやアザミの新芽も真っ盛り。散策がてら、草丈を伸ばした分だけを順に摘み、和え物や味噌汁、おひたしで毎日おいしくいただいております。湧水のクレソンもずいぶん草丈が伸びてきました。

我々は食べはしませんが、クマたちの大好きなミズバショウも苞が開き初め、やはりクマの大好きなウドザグ(ハナウドの仲間)が緑が支配する範囲を真っ先にひろげています。

雪の下で芽を出し伸びたウドザグは、雪解け直後だと陽があたらずまだ緑化しないで赤子の柔肌のような白い色のままです。雪解け斜面では、冬眠を終えたクマたちがこのウドザグの新芽を食べ活力をつけはじめているでしょう。すでに畑松沢では、旧子連れ(ふるごづれ・昨年冬に生まれた1歳以上の大きな子グマ)の母熊が確認されています。

あたたかお天気が続き河川敷も雪解けがいよいよ最終盤。本流に注ぐ支流沢の岸辺にはチャワンバナコ(キクザキイチゲ)の開花リレーが続いています。こちらが子供の頃よく唄った「♪♪春の小川はさらさらいくよ♪♪」の唱歌そのものの景色がひろがる4月の村です。

▼体も心もほんわかとなるそんな季節の日々だけに、それとは対にあるロシアによる残虐非道な侵略をうけているウクライナの人々の悲惨な現実に思いがおよびます。人の道に反するロシア・プーチン政権の行いは、人類社会の叡智によって遅くない時期に裁かれる時がくるでしょう。ウクライナが真っ当な社会を早く取りもどせるよう、世界全体から「侵略許すまじの声をさらに強めねば!!」です。

ブナ原生林雪上歩き(その2)

丈ノ倉の展望を楽しんで後に向かったのは、小出川流域がのぞめる柏峠周辺の尾根である。
夏道がほんの一部出ている丈ノ倉上部の土をわずかの間踏んで進む。左に岩ノ目沢筋の本流、右に明通沢筋のカッチ(上部)の一部を眺め、県境(成瀬川と胆沢川の分水嶺)をほぼ街道筋に沿って東南方向に進んだ。圧雪上歩きは登山道なしなので全員自由気ままだ。

尾根は厚いダシ雪(北西からの風が運んだ雪庇)が何㍍もの厚さで積もり、そのダシ雪が低木をすべて押さえているので視界をさえぎるものはなし。しばらくの間、抜群の眺望を楽しめる尾根歩きが柏峠近くまで続く。

柏峠付近は林も尾根も雪が深くどこが峠の石標箇所なのか今はわからない。ただ、一帯の最高地点らしき平たい尾根(1018㍍)にたどりつき、ここで昼食とする。到着は11時10分。そこは岩ノ目沢と小出川の分水嶺(柏沢)で、眼下には小出川やその支流栃川、ツナギ沢、東山沢など流域の山々や谷筋がひろがる。東山もデンと目前に座している。いつかこの柏峠尾根から東山をめざしたいと思っていたが、尾根筋につながる東山北側の山麓はすべて大きな雪崩地帯と崖が多く、雪上春山の雪崩シーズン、こちら側からの登頂は我々程度の歩き技術の水準ではムリと思った。東山北東の春山雪解け期は、村内でも最も上りにくい山といえる。反対方向からの登頂なら我々でもできるだろうが。

ここでこの日の山行のひとつの目的であった「笹道わかれ」の箇所がどこかを、笹森山や大高鼻沢方面への尾根筋を見ながら柏沢方面の尾根を少し歩いて探した。しかし、その程度の歩きでは「分かれ」地点の推定はできなかった。もう少し尾根や林の斜面を「山の神」や「粟畑」方面まで下がれば確認を助ける何かがあったかもしれないが、こちらのこの日の脚力はここまでが限界、ムリに探しまわることは止めた。笹森山周辺で発生する遭難救助では、仙北街道から笹森山に最も効率よく向かう道筋を覚えることが大事で、「笹道わかれ」にこだわらず、またいつかの機会にその通り筋を知るための歩きをしたいと思う。

昼食後、リュックを置いて街道筋らしい尾根を笹森山方面へ一同で散策。歩く地点もすべてダシ(雪庇の塊)なので眺望がよく、焼石と獅子鼻はそれこそ胆沢川をはさんで目と鼻の先だ。ここでの眺望にもじっくりと時間をかけた。

12時20分、峠からの復路を歩き始めようと発つ。復路もやはり尾根筋や丈ノ倉からの展望、そして往路とはちがう岩ノ目沢の原生林を経て、帰りは沢底まで下りず尾根に上がる。かなり遠回りになったが県境の尾根伝いにどこまでも歩き狼沢カッチの尾根に着く。

それからは往きとは別のコースで一直線に竹まるぎ場(たけまるぎっぱ)まで下がった。そこで、沼又沢を渡渉してブナ林下に咲くイワウチワの小さな花群落をながめ、この日の歩きの楽しみを終えた。車到着は4時に5分前。およそ9時間の山と谷歩きは「15~16㌔ほどの距離だった」との旨を同行の地域おこし協力隊の青西靖夫さんが教えてくれた。車を駐めた周辺や国道沿いの斜面には、キクザキイチゲやカタクリ花が真っ盛りだった。

ブナ原生林雪上歩き(その1)

過ぎた17日、かねてより計画していた春山の雪上歩きに向かった。

向かった先は、胆沢川支流の岩ノ目沢流域に林立するブナ原生林と仙北街道(手倉越)柏峠周囲までの尾根歩き、そして、街道筋にのこる地名のひとつ「笹道わかれ」の箇所を確認すること。

どんな登山行でもそうだろうが、この山歩きの決行可否は天候によって大きく左右される。雪上の春山歩きは終日の晴天が予測されなければムリ。眺望が望めないだけでなく、雪上の春山は天候が急変すると冬山と同じで危険がともなうからである。濃霧や吹雪によって視界が遮られるホワイトアウトはもちろん、低体温症をはじめ悪天は次から次へと身へ危険をおよぼす。こちらもそういう体験を何度かしているし、かって、先輩や同僚のマタギたちからも遭難寸前の体験談を幾度も聴いている。だから「ムリな入山は危ない」が私の記憶からは離れない。

幸いこの日は終日にわたって願ってもない晴れ空となり、歩きには絶好の一日となった。

朝6時50分、まだ冬季通行止めが解けない国道397号の閉鎖ゲート地点を出発。一行は男女4人。こちらが71歳で最年長。これまでに山行を共にした方もおられるのでわかるが、みなさんの歩き始めの足運びの様子をみれば、皆、かなりの健脚である。

ほぼ直線コースで雪上をたどり県境の尾根に着いたのは8時15分頃。展望のよい尾根で、北から東にかけてどっしりとかまえる胆沢川上流域から焼石連峰の各峰々、雪解け期に入り本流のほとんどの雪がなくなり雪代水の流れが見える胆沢川をゆっくりと眺める。南にはこれから向かう岩ノ目沢流域・丈の倉平(じょのぐらでい)のブナ林や仙北街道筋の尾根がのぞまれ、東山や、遠くには栗駒の峰も目に入る。

休んで後に岩ノ目沢へ下がる。千古斧の音を知らぬブナの原生林に見ほれながらゆっくりと岩ノ目沢の北支沢の底まで下り、続いて仙北街道・丈ノ倉のてっぺんをまずはめざした。

雪上の原生林を経て丈ノ倉のてっぺんに向かうにはちょっとした急勾配があり、それをあがれば丈ノ倉だ。丈ノ倉頂部のほんの一部は街道の雪が解け土肌が出ている。過去の春山歩き時にはカタクリがその地面に咲いていた様子もあったが、さすがに今年は雪解けが遅いためにまだその新芽さえも目に入らない。

丈ノ倉の崖は大雪崩がほとんど落ちた後で、倉は土肌があらわれて冬ごもりを終えたクマたちが動き回るのにほどよい状態となっている。眺望の良いここに一日じっとしていれば、クマの動きはほぼ確実に目に入るだろう。吹きだまり雪上の倉の尾根では視界をさえぎるものがほとんどなし。景色眺めも抜群のところで、小腹の空きを充たしながら再度ゆっくりとここにきてはじめて目に入るようになった焼石岳もふくめ連峰の眺めを堪能した。

続々、自然の菜とキノコ登場

この季節の私の散策コースは主に雪解け直後の小川の岸辺や残雪上の河川敷。

そこには、アザミやカンゾウの新芽がカオを出し、それを摘みながら湧水の流れではノゼリも摘みます。

雪解け直後の地面に横たわる柳の枯れ木には、待ちかねていたユギノシタキノゴ(雪の下キノコ・エノキタケ)が食べ頃の大きさで所々に見られます。

豪雪の自然が育む山菜やキノコをいただけるうれしい季節がまためぐってきました。それらが食べられるようになれば、私の体は天然の元気の素を充填したようになり、「さあ、今年も、がんばるぞ!」と気合いがかかります。食べ物には「旬のもの」という言葉がありますが、新しい「野の旬ぞろいの季節」のはじまりです。