スキー場安全祈願祭

11日は村のジュネス栗駒スキー場の安全祈願祭へ。

ここでも、新型コロナを考慮し出席の人員はいつもの年より減じての開催となりました。

冬らしい天気となった今朝は、除雪車が出動しました。予報ではこの先一週間は寒気の南下で警報級の大雪可能性も告げられています。スキー場には年末までに適度な積雪があり、人里では雪下ろししなくて済む程度の降雪であればいうことなしですが、そんなに都合よくはならないでしょう。

▼休日には訪れた童を連れて、根雪前にはこれが最後と思われる雪のない土の上を歩く河川敷散策に向かいました。

所々に見られるユギノシタキノゴ(雪の下きのこ・エノキタケ)採りに興じながら、川原の石ひろい、淵への石投げを。柳の幹にフジが巻きついた姿を見た童は「グルグルッとなっているよ!」と不思議がっていました。子どもは、私とはまた少し別の視野で自然をとらえているようです。

寒中に入るまでのこの季節の成瀬川は水の勢いが激しく、それは童の目にはきっと大河のように映っているのでしょう。淵そばの崖を伝って注ぐ小沢からの細い流れ落ちを目にしたら「あっ、滝だ」と叫びます。

先日、岩を削って田んぼに水を引いた用水路跡の写真を載せましたが、水路跡がよくわからない写真でした。その滝を横切るように用水路跡はありますのでもう一度載せておきます。村のいずこの水路も同じように、機械のない時代、こんな岩を削り取って水を引いた先達・先祖たちはほんとうにたいしたもの。これは難儀して水を通した労働遺産です。

苦労をしのぶ水路跡

まだ根雪とならず積雪ゼロがしばらく続いています。

落葉広葉樹のひろがる豪雪の村では、家まわりも里山も落葉はとっくに終わり、草藪では背の高いススキなども初雪時などの積雪で倒され、見通しがよく利くようになりました。

こうなると林の中では普段あまり気づかない昔の人々が歩いた山道跡がくっきりと現れたり、家周りの川筋などでは、岩を削って田んぼに水を引いた跡が目に入るようになります。

我が家前の成瀬川、通称「さくら淵」そばにもそんな昔の水路跡が淵筋に沿ってあり、昔の人々の苦労の跡をしのぶことができます。

その水路そばには、私も長い間植え付けを委託されて作業したことのある田んぼがありました。しかし、村の沢目筋のほとんどすべての田んぼが辿った道のように、やがてその田んぼも作付けされなくなり、わずかの間にススキなどの雑草が繁茂し、たちまちのうちに樹木も増え始めています。

今年のノーベル平和賞はWFP(世界食糧計画)が受賞と伝えられました。世界で飢えに苦しむ人々は1億人。飢え状態に向かっている人々を加えるとその数は2億7千万人とWFPの代表の一人は言いました。それは、主たる原因は同じでないでしょうが、あたかも我が国のあの幕藩体制時の飢えをほうふつとさせるものです。一方に、耕作可能な大量の土地と豊かな水がある国で農地が荒れ、「飽食」といわれる存在があり、一方に、耕作不能の地に住む、億の単位の「飢え」る民がいる。これが、高度に発達した文明をもつ地球人類の2020年末の現実です。

どんなに狭い土地でも「水さえ引ければまず田んぼの開墾!」と励んだ昔の人々。お米の価値が今では想像つかないほどに高かった時代をふりかえるのに、あるいは飢餓の時代を知るのに、岩を削ってつくられたこの水路跡、そして開墾の汗を流した田んぼ跡はとってもよい歴史教材となります。

魚焼き串に最適の荻(おぎ)

茅(かや)や葦(あし)は我々が日頃よく目にする背高のっぽの草。実はそれらと同じ仲間に荻(おぎ)という名の草があることをご存知でしょうか。

茅と葦の違いなら、花穂や茎、葉っぱの姿にちがいがあるのですぐに区別がつきますが、茅と荻の区別はよほど気をつけないと区別がすぐにはつかないもの。

荻は茅ととともに、屋根の葺き草として昔から利用され、あわせて魚を焼く時の串用にも重宝されたといいます。

竹串とちがって草ですから削るに楽な荻。それなのに茎がほどよく充実している荻は焼き串に最適の材のようで、焼きイワナをつくるTさんは、毎年初冬をむかえれば荻取りに向かいます。

茅や葦のような荻の大群落は村内ではあまり見られないようで、写真の狭い群生地は、貴重なうちの一箇所となっています。

12月定例会議開く

村議会12月定例会議が昨日から始まりました。

きのうは各報告に続いて議案が上程され、常任委員会では陳情の審査も行われました。

16日には一般質問の後に予算特別委員会が開かれ、18日にすべての議案が審議される運びです。

議案から行政報告まで、新型コロナの影響や対応の事柄でいっぱいの議会となりました。雪国における12月議会の行政報告は、農業も、村がとりくむ様々な事業も積雪期の12月までに成果をみる内容が多く、役場の仕事についても、村民の仕事や活動についてもいわば1年のほぼ元締めとなるような報告がされる議会です。

行政報告や議案説明で、新型コロナウィルス感染症という言葉を使わなくて済むような時が早く来ることを願いながらの本会議の一日となりました。

夢と宝モノを届けた太陽系宅急便・はやぶさ2

小惑星リュウグウの探査を終えたはやぶさ2が帰還。サンプルの詰まったカプセルを投下した後また11年間の宇宙の旅に向かいました。

サンプルの分析はこれからですが、JAXAの人々の確信に満ちた喜びようをみれば、小惑星物質の採取も成功していることはまちがいないように思えます。

はやぶさ2は、所期の任務を為し終え地球から離れましたが、それはまるで星と星の間を航行して我々に夢と宝モノを運んでくれる太陽系宅急便のような存在。成し遂げた偉業への敬意とともに、冷たい機械構造物でありながらもそんなちょっと身近で温かな存在をはやぶさ2には感じたところです。

40年以上も宇宙を飛び続け、今なお地球へ通信を送り続けているアメリカの惑星・宇宙探査機ボイジャー1号は太陽系を脱出するまでこれから2万年もかかり、となりの恒星系に近づくには4万年もかかるということです。そのボイジャーには、45億年もの耐久性をもつ物質でレコード化された我々地球人からの膨大なメッセージデータが積み込まれていて、いつかどこかの宇宙人にキャッチされることも想定されているようです。これなどは、受け取り先不明で地球の残された寿命よりも長く宇宙を飛び続ける、さながら銀河系宅急便というところでしょうか。

さて、はやぶさ2です。今回の一連の帰還報道のなかで私がもっとも感動したのは、はやぶさ2がカプセルを放出した後、地球から遠ざかる時に撮影した地球画像の美しさです。

日本人宇宙飛行士野口さんがただいま活動中のISSから発信する地球画像の美しさは、最新の技術でつくられた機器で撮影されるだけにそれは見事なものです。が、はやぶさ2が今回届けた地球の姿も、何度見ても「すばらしい」の思いが湧き続ける画像でした。

はやぶさ2がとらえた太陽系の奇跡のようなその美しい地球。いまそこでは、いわば地球の保護者的存在でもある人類が新型コロナという魔物に襲われています。それだけではありません。地球上では、地球の保護者的存在の人類の手でその美しい地球を幾度も破壊できる量の核兵器が保持され、思想・信教など考えの違いによる争い、人の道に反する利得が源となる争いが元で、殺戮、飢え、貧困が常態化しています。

ボイジャー号、はやぶさ2やISSを含むそれら多くの探査機や人工衛星から送られてきた地球画像からは、生きる希望を伝え教えられるありがたさとともに、人類に対して「あなた方は、地球の子どもであり地球の保護者でしょう。愚かな行いや醜い争いをしている時ではないでしょう。早く正気をとりもどして!」とのメッセージのようにも私は受け止めます。今日は、国のその愚かな判断により多くの人々の命が理不尽に奪われた太平洋戦争はじまりの日です。夢と希望の象徴でもあるハヤブサ2に「ありがとう」と感謝を申し上げながら、戦争で犠牲となられた方々を追悼する一日にしたいと思います。

豪雪地のクマはお休みの季節

村のマタギたちは「冬至までに、クマは穴さ、へぇる(入る)」と言い伝えてきました。ただしそれは広義の意味のこと。根雪となる時期にもよりますが我々の長年の観察では、村のまわりに生きているツキノワグマの多くは、12月はじめの一週間ほどで冬眠の穴入りをほぼ終えるとみられてきました。

先週には、岩手県境・西和賀町と隣り合わせる土倉方面の林道そばに新しい足跡を雪の上につけたクマがいたようで、同僚がその足跡写真を見せてくれました。穴入りに向かって多くのクマが移動する12月のはじめは、林道沿いの雪上にクマの足跡がもっとも多くみられる時期なのです。同僚のみた足跡そばには昔から知られる通称「ブサ穴」と呼ばれる越冬穴がありますから、きっと今頃はそこの岩穴で半年間の長期休暇をはじめたでしょう。

中にはとんでもなく冬眠の遅い個体もいますが、雪の少ない市街地そばの里山で生きるクマ以外は今週あたりでほぼ穴入りを終えるはず。

写真は、そんなクマたちが休みに入っているであろう滝ノ沢から大柳方面までの山水景色です。

今冬は人里への根雪が意外に遅く、家周りの河川敷などでは今もユギノシタキノゴ(エノキタケ)やナメラコ(ナメコ)など初冬のキノコたちが、枯れた柳や深山から洪水時に運ばれたブナの流木に輝きを増し生長しています。

山菜の中ではめずらしく、冬をむかえても葉っぱが枯れず緑色があざやかになるワサビやノゼリ、クレソンもここではいきいき。我が家の食卓では、根雪が遅いおかげで新鮮なキノコと初冬の山菜をごちそうになれる日がまだまだ続いています。

12月議会で運営委員会など開く

きのう議会の運営委員会が開かれ、村議会12月定例会議を8日から18日の日程で行うことを決めました。通年議会なので、今年1月の招集会議で会期はすでに決めているため最終日は18日となるものです。

運営委員会にひきつづき全員協議会が開かれ、提出予定議案の説明がされました。議員各位は、審議・質疑にむけた時間を充分に確保したうえで補正予算案を審議する16日の特別委員会や18日の議案審議にのぞめます。一般質問は16日に行われる予定です。

議案では、成瀬ダム事業にともなう村有地の財産処分案件等があります。該当する財産は、ダム堤体近くの入会地で、約21,000㎡を約2,300万円で処分するものです。入会地なので部落収入分もあり、村の収入となる額はその7割の約1,600万円となり、これは今補正予算案にも計上されています。

補正予算案は、主に新型コロナ対応での国の補正予算にともなう追加や、コロナ禍により各種行事等が中止となり減額の確定した内容が多くなっています。ほかに栗駒山荘の大規模改修工事(概算で約8,000万円)を計画しての設計等委託料追加約470万円などが盛り込まれています。

村出身の方が「秋田の文芸」で最優秀賞

令和二年度あきた県民文化芸術祭2020「あきたの文芸」の入賞作品を載せた「あきたの文芸第五十三集」が先月13日に刊行されています。

母の従兄弟(旧増田町吉野出身、由利本荘市在住)のTさんが時々これに応募していて、今回は短歌と俳句部門で入賞し、その掲載誌を贈っていただきました。

俳句部門はひとつの主題で七つの句をつくるもの。Tさんは、旧吉野鉱山の廃鉱跡を詠んだ七連の句で奨励賞を受賞しています。

実は今日、身内のことをあげながらこの「秋田の文芸」をとりあげたのには訳があります。それは、今年の入賞作品の中には、村内滝ノ沢出身で現在昭島市に在住の佐藤清助さんのエッセイが、最優秀賞に輝いていたからです。佐藤さんからは、そのことをずっと以前にご連絡を受けており、受賞作も読ませていただいております。佐藤さんは、定時制高校の同窓生で私の先輩にあたります。

小説・評論、詩、短歌、俳句、川柳、エッセイの6部門で、最優秀賞、奨励賞、入選、さらに25歳以下の文芸活動を応援するグリーン賞に分けて競われる芸術祭。それは半世紀以上の歴史ある作品公募活動で、入賞するだけでもたやすいものではないといわれますから、最優秀賞は文字通りの栄誉です。

ほかにも、今回の入賞作品のなかには、俳句部門で横手市のOさんが詠まれた句に「成瀬水力発電所」が登場していました。それはもしかしたら平良の発電所のことでしょうか。

先日は、成瀬川流域が生んだ漫画界の巨匠・矢口高雄さんと、高橋よしひろさんを讃えながら、豊かな漫画文化創作の土台となったであろうこの流域の山と川のことを少し記しました。それに続いて、たまたま今年の「秋田の文芸」では、成瀬川流域に関わる人々、あるいはそこに関わる作品が入賞されていたことをこうして記すことができる。流域の山里は、どうも、すぐれた文化、芸術を生み出す何かの力があるようで、そんな感想をもちながら「秋田の文芸第53集」を読んだところです。

給与条例等改正で臨時会議

人事院勧告等にあわせて、常勤特別職と職員の給与改正のためにきのう臨時会議が開かれました。

議員報酬等に関しても同じ内容の条例改正案が発議され、3議案とも全会一致で可決されました。

早くも師走。12月定例会議は8日に始まり、そのための運営委員会と議案説明を受ける全員協議会が明日開かれます。

村と縁の深かった矢口高雄さん逝く

漫画家の矢口高雄さんが亡くなられた。村とも縁の深い方であり、矢口漫画のファンの一人として心からのご冥福をお祈りしたい。

「マタギ」や「釣りキチ三平」などで描かれた農山漁村の自然とそこに生きる人々の姿は、まるで昭和の時代がそっくり抜け出てきたように写実的で、景色もまた底抜けに美しい。当時の私などは、それと内容はちがうが「カムイ伝」や「シートン動物記」を描いた白土三平とともに惹かれた漫画家のうちの一人だった。

成瀬川流域出身の漫画家なので、描く山村の様子はどれも我々が体験した暮らしの一幕と重なる場面が多く、それに、私はクマ狩りをはじめ狩猟の場に長く身を置いていたので、マタギなどをふくめそのことでも共感する内容が多かった。

矢口さんは、わが東成瀬村と隔つ旧西成瀬村のお生まれ。そこは成瀬川支流の狙半内川流域の集落で、村と隣り合わせの山間の地だ。それだけでも我々にとって身近な存在なのだが、実は、矢口さんのご母堂はわが村のわが集落・岩井川から狙半内に嫁いでゆかれた方なのである。

村との縁はまだある。釣りキチ三平が映画化される際に、村の天正の滝がロケ地の一つともなっている。

矢口さんと同じように世界にもひろくファンをもつ村(岩井川)出身の漫画家・高橋よしひろさんが、2016年10月に「画業45周年記念祝賀会」を村で開催した時、矢口さんもお祝いにかけつけ、「母親が、東成瀬村の出身」であることにもふれながら祝辞をのべられたことを思い出す。

このように成瀬川流域は、矢口高雄さん、村の誇りでいま大活躍中の高橋よしひろさんと、二人の偉大な漫画家を隣り合わせて生み出したところ。お二人の作品の根底には、豊かで美しく緻密な自然描写とともに、人間愛にあふれた視点が貫かれているように感ずる。漫画の世界への踏み入れでは道は同じでなかったろうが、育った環境に相通ずるところがあるから、作品にも共通するようなモチーフがうまれ、その思いが貫かれたのだろうか。

昨日の朝、役場からの帰り道、木々を白く染めた雪にわずかの陽が射し込み、初冬でなければ目にできない山水の景色が目の前にひろがった。それは成瀬川流域特有の山と川と雪が織りなす四季の一コマであった。矢口さんが学校に通う頃、日々ながめ聞いたであろう成瀬川の、そのせせらぎの少し上流の川面と初冬の山風景を載せながら、一ファンの追悼の意としたい。矢口さん、すばらしい漫画、ありがとうございました。