雨水が近づけば春近しを感じます

寒の季節を経て、家々の軒下につるされていた凍み大根がちょっとした風にもプラプラ揺れるようになりました。これは水分がほぼ脱けきり完成食品に近づいている証です。

まだ週間予報に雪だるまマークはならびますが、我が家北側の鯉の棲む雪消しエド(池)も、水の色が心なし春色に感じられます。それもそのはず、まもなく雨水です。

私たちは、各地に雪祭りがおとずれそれが終わる頃になれば「まず、大きな雪降りは落ち着いた」ととらえます。それから幾たびかの暴風雪があっても、陽光、地面、水、風、草木や生きものたちの色と気に春を少しずつ感じ取るからです。

村とさほど変わらぬ緯度にあって二十四節気の季分けを考えた大陸・中国の都市も、雨水の頃になればきっと春のいぶきが気の流れに感じられるのでしょうね。

みんなが人間らしく生きられる社会に

村の芸術文化祭と方言を駆使して寸劇を演ずるシヤベローゼ大会が例年のようにきのう「ゆるるん」を会場におこなわれました。

ご案内をいただいておりましたが、眼の状態を考え今回は欠席としました。

陶芸、和紙、写真、蔦細工などなど、「えがったよ」と、ひととき場内に立ち寄った妻が語っていました。きっと寸劇も、歌や踊りなどの各演目も同じだったでしょう。

仕事と同じで、人間の芸とはほんとに多様なものですね。人はパンのみにて生くる者に非ずともいわれてきました。私たちは社会の一員として生きる糧を得るためにはたらきながら、一方で心の充実をもとめ豊かな芸術にもふれます。それにとどまらず芸術そのものをつくりだす場に身をおく方々もおられます。

その生みだされた芸は、自分が楽しみながらほかの人を楽しませ、時に感動すら与えることができます。糧を求めるだけでなく、芸の道を探究して生きる、そんな方々は、みなさん、キラリと心が輝いているようにみえますね。

「パンのみにて生きる者に非ず」などを引用し記していてのきのう夜、子供の貧困をとりあげた放送を視聴しました。子供の6人に1人が貧困のわが国。GDP上位といいながらそういう厳しく残念な現実がこの国にはあります。番組ではある母子家庭に焦点をあてていましたが、そうした家庭でなくてもたとえば家族に病気があったり、はたらけなくなったりの激変があれば暮らしがたちまち経済的な窮地にはまるというのはわれわれの多くの現実でしょう。

一極集中された富を社会のために還元させる、都市から地方までどこにもひろく存在する極端な格差の是正に総力を注ぐ、6人に1人の子供が貧困という状態を克服する、つまり憲法がうたう自由と平等、基本的人権を保障する、内政の根本はいまここにあり、でしょう。

村は世界有数の豊かな食の郷

雪国の2月、3月は、まだまだ貯蔵山菜やキノコが喜ばれて食卓にのぼる時。

我が家でも、納豆汁用に欠かせぬワラビやサモダシ(ナラタケの仲間)、煮物に重宝するサグ(エゾニュウの仲間)やウドなどが週単位で少しずつ塩出しされ、栽培しているゼンマイもほぼ毎日の食卓につかわれるため、これも乾燥モノの戻しがされます。

ほかに、妻の手で瓶詰めされていたミャゴ(マイタケ)、シシタゲ(シシタケ)、ヒメジ(ホンシメジ)、ハダゲヒメジ(ハタケシメジ)、クリカラモダシ(クリフウセンタケ)も食卓をにぎわし、塩漬けされているアガキノゴ(サクラシメジ)、カノガ(ブナハリタケ)、シトリテデ(ウラベニホテイシメジ)、ハギモダシ(ホウキタケやホウキタケの仲間たち)、トビダゲ(トンビマイタケ)、ナメラコ(ナメコ)、ノギウヂ(エゾハリタケ)そして山菜のタケノコ瓶詰めも時にその仲間に加わります。

先日のNHKは、奥会津地方の山の幸と人々のくらしを見つめる番組を放送しました。日本各地の豪雪の土地はいずこも国内最大最高級の山菜やキノコが数多く産する地でしょう。そこの冬の食卓は、旬の春や秋に見劣りしないほどに、山菜やキノコのオンパレード。

人の手をかけて育てるおいしさとびきりのあきたこまち、トマト、菌床シイタケや野菜などもいっぱい。雪国のわが村は、ほかの豪雪のまちやむらとともに国内有数、ということは世界有数のゆたかな食の郷ともいえます。昭和までの時代なら、これにノウサギやヤマドリ、カモ、川魚(もっとむかしならおそらく成瀬川に遡った鮭や川鱒も)などをふくむ動物たちの肉も普通のくらしで食されていましたから、ほんと、食は豊かだったんですね。

「翼状片」で今度は右眼を

左眼につづき右眼の手術をおととい終えました。「翼状片」という角膜の病で、黒目に薄い膜がかかるようになると乱視がひどくなり、その膜片を切除する手術です。

病の進み具合にもよるでしょうが、15分ほどの短時間で手術は終わり、日帰り治療で一週間後の抜糸というのが普通にたどる措置です。

眼の手術といえば、まことに多いのが白内障を患う高齢のみなさん。こちらと同じ日にも同じ手術室にある別の手術台には、白内障の方々らしい姿がみられました。

白内障と同じようにこちらの手術も局部麻酔でおこなわれますから、ぼやけながらも医師の手の動きがわかり、縫合のときの糸のうごきもかすかながら感じとれます。しかし、痛みはほとんどなく、患者の不安をやわらげるためでしょうか、手術室にはクラシックの曲が低く流れていて、その曲に関心がゆくほどに落ち着いた雰囲気の中で15分はあっという間に過ぎます。

昨年12月の左眼の時は、眼の玉に刃をむけられるのですから不安が少々ありましたが心配はご無用。明治、大正、昭和の初期頃にもこう素早くできたかは知りませんが、とにかく医術とはすばらしいものです。

こちらは手術を要する体験といえば、20歳代の頃に左右2つの扁桃腺を局部麻酔で切除して以来のこと。そのときは、確か椅子に座ったまま局部麻酔が施され、はさみみたいな術具でバチンバチンと扁桃腺を切りとり、入院治療でした。(40年以上前のことですから、今は、もっと改良された手術法となっているでしょう)当時のそれは、喉ということもあり術後数日間の苦痛がそうとうのものでした。それに比べたら、抜糸前までは眼がゴロゴロしますが、「眼の手術」という大事の割には安心な手術であることを両眼の体験から知りました。

また一週間、車の運転をひかえなければならず窮屈な日々となります。高所作業も片眼では危なく、そういうこともあって屋根の雪下ろしも4度目を済ませていました。とりあえず術後一週間、大雪とならないことを願っていましたが、どうも、そののぞみどおりにはならない、もしかしたら今冬最後かもしれない大雪予報が出されました。

臨時会議と美郷町への視察

一般会計と簡易水道事業特別会計2つの予算補正議案で議会の臨時会議がきのうひらかれました。補正後の一般会計予算総額は約42億3,300万円となりました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議案審議では、除排雪費や冬期交通対策費の関連予算について質疑応答があり、予算案提出、議決、執行ということへの原則的なとらえ方、当初予算と補正予算の置き方に関する原則論についても質疑が及びました。

午後には産業建設常任委員会の視察研修で美郷町役場へ。美郷町の畜産と耕種農業2つの振興策を目的につくられた堆肥センター事業の視察が目的です。

平成20年から稼働している堆肥センター事業は、総事業費4億2,900万円ではじまり、株式会社美郷の大地が運営しています。この会社の出資者は、美郷町(66㌫出資)、JA秋田おばこ、JA秋田ふるさと、町内畜産団体、町内園芸団体の5団体。正社員3名と臨時職員2~8名で運営されています。指定管理料はゼロということで、売り上げ(平成27年度の売上高は約2,790万円)で事業を運営しています。

事業の内容は産業廃棄物処理業、産業廃棄物収集運搬業、そして堆肥センターの根幹をなす特殊肥料販売(牛ふんを主体に、豚ふん、鶏ふん、モミガラを混ぜた完熟堆肥)です。販売の一事業となるのでしょうが、農地への堆肥散布も行っていて、平成27年度は約216㌶への散布実績もあります。

堆肥センターの立地場所は町内でも最も雪が多い所とされ、テントつくりの施設は雪対策をよく考慮されているように見受けられました。

販売までふくめ入念な計画のもとに事業を立案する、雪対策をふくめ施設建設後の維持費用をよく考える、なによりも住民が「あってよかった、ありがたい」と思える施設をつくる、これは自治体にとって共通してめざすところであり、意義ある視察でした。美郷町の高橋議長さん、町と堆肥センター職員の皆さん、お忙しい中、時間を割いていたただきありがとうございました。

立春をむかえて並の冬らしく

週末の寒波が過ぎてから、住家や農作業小屋など今冬4度目の雪下ろしとなりました。風が強かっただけに雪は風下となる屋根の東側に多く積もっていますから、母屋だけは風下半分の下ろし作業に止めておきました。風の強い集落では、多くの家で大きなマブ(屋根や雪原にできた雪庇)ができていました。

屋根にできたマブが予想外に成長していて、それを踏み抜いて転落の危険もあります。フギ(吹雪)の後の雪下ろしはいつの年も要注意。また、山の尾根にできた同じような雪庇を我々山人はダシという別の名でよび、これも冬の山行の人々にとっては、転落の危険や雪崩誘発などで怖い存在です。

成長しきったダシに近づくと、カンジキの爪の一踏み、スキーヤーならストックの一突き、わずかの震動でもビビーッと一気にダシがひび割れ大規模な崩落がおきます。急斜面ならその崩落がワス(表層雪崩)を誘発することもあります。近年はスノーモービルの方々や山スキーの方々の深山入りもあるようですから、大雪後のダシ落ちやワスの恐ろしさをよくよく知ってほしいと思います。

村のマタギたちから雪の山歩きを教えられた後継ぎの我々は、「大雪の後に、きづいヒラ(急斜面)を、あれぐずぎは(歩く時は)、ヘラ(狩猟専用の雪ベラ)を、ワより(自分より)下につげ(突け)」と言われたものです。場合によってはヘラのたった一突きで発生するワスに巻き込まれないためです。

もちろん雪山(特に大雪後)では急斜面を横切らないことが鉄則ですが、最短距離を選ぶ時などは希に鉄則に反することなどを私もやってしまったことがあります。しかし、あのカモシカでさえ、急斜面を横切っていて雪崩にやられることがありますから侮りは危険です。

先日の寒波で尾根筋のダシや雪原際のマブはほぼ一人前の大きさに成長しつつあります。今朝は1℃で雨、きのうから暖気で積雪は下がりましたが、だんだんと並の冬に近づき、村予算の除排雪費(冬期交通対策費)の追加補正などが必要で今日は議会の臨時会議が開かれます。

雪下ろしの合間には「雪で遊びたい」とおとずれた童たちといつもの河川敷へ。きのうは、村の要望活動で毎年お世話になっている地元選出代議士の国政報告会に出席。各方面で年内解散がささやかれるなか、加えて今年の秋田は昨年に続き地方選挙も多く、知事選、各市町の首長選、議員選が目白押し。管内では湯沢市と羽後町の首長選、湯沢市の市議選がひかえていて、どの席でもそれらにまつわる話題が豊富となった集いでした。

立春直前で厳しい寒波

今冬最強かなと思える寒波で、きのうの外は久しぶりに一日中冷凍庫の中にいるような村となりました。それは今朝も同じで寒さは続き、「少ない」と思ってきた雪もいっきにまた増えました。

ところで、人為による地球温暖化が警告されて久しいわけですが、地球誕生後の長い歴史から地球科学の分析で今後をみれば、地球はむしろ寒冷化の時代にむかっていると科学者たちはいいます。

私は小説を読むようにわくわくしながら宇宙や地球の歴史をとりあげる著書に触れることがあります。最近それらのなかでとくに心をひかれた著書があります。それは昨年10月に発行された「地球の歴史・上中下3巻」(鎌田浩毅著・中公新書)。地球科学者の鎌田氏はそのあとがきの一部で「数十年単位のミクロな時間軸で見れば、温室効果ガスによる温暖化は確かに起きている。一方、数万年単位のマクロの視座では、暖かい間氷期が終了してこれから氷河期へ向かう途上にある。」と述べています。

大陸の移動、大気と海流の循環、月、太陽、宇宙、いずれ自然に支配されているわたしたちの営み。少し吹雪けばウアーッ吹ぐゥ、少し寒ければウアーッさびィ、少し暑ければウアーッ暑ェと、口説き口説きしながら山里の四季を過ごす私ですが、何万年後にやってくる氷河期、未来の東成瀬に生きる人々はどんな愚痴をこぼしながらその時を生きているのでしょうか。

集落の様子を視に上流へ

もう片方の眼の手術の準備があってきのうは通院。その後いつものことですが、村内の積雪と集落の様子をみながら成瀬川の最も上流部にひらける菅ノ台集落まで上がりました。立春直前でこの積雪規模ですから、例年紹介しているよりはるかに雪は少ないことがおわかりいただけるでしょう。

桧山台集落に人家がゼロとなってもう数年が経ち、今は、中森の2戸とここ菅ノ台の4戸の集落が昔からの村最上流部の集落となりました。そのため冬は特別の用事がなければ一般車の国道通行はここでストップ。以前のように気軽に冬の赤滝詣とはいかなくなっています。赤滝詣などは脇においても、人が住みつづける、家があるということはほんとに大きな意味をもつことがこれでよくわかります。

ところで全国の地方どこにも増えている空き家。村も大字田子内地区から大字椿川地区までその例外ではなく、とくに人の出入りがはっきりわかる雪の地方では、玄関と屋根の雪をみれば空き家の存在がすぐにわかります。屋根には雪が多くあり、あるいは玄関に人の踏み跡も除雪の跡もなし、そこはほとんどが空き家です。

全国の雪の村や町にくらす人々は「ああ、ここは空き家、ここも空き家」と、空き家がはっきりする冬は、いずこも複雑・さみしい気分にかられているのではないでしょうか。

屋根雪を一度も下ろさない様子の空き家は、同じ空き家でも完全に「管理放棄」か、管理したくても経費がかかってできない空き家なのでしょう。それは冬をひとつ越すごとに廃墟化してゆきます。豪雪地帯の空き家問題、空き家対策は、そうでないところよりはるかに大きな難題です。

▼冬の生きものたちで一番多く目に入るのは鳥のなかまたち。酉年だからというわけではありませんが、成瀬川に毎年姿を見せているらしいきのうの白鳥たちを今回も一枚載せておきます。

▼夕べから吹雪が続いています。早朝の外気温はマイナス8℃。家の窓も壁も久しぶりに豪雪の土地らしいフギ(吹雪)まみれの様子となりました。

このままなら難儀でない冬ですが

村はずれの庚申塔がまだこんなによく見えます。我が家のように3度の雪下ろしをしたところがあるとはいえ、きのうまでの今冬は例年にないほど雪は少なしです。

過ぎた29日、風邪の治った童が「雪で遊びたい」と訪れいつもの河川敷へ。ここもいつもの1月末に比べれば積雪が少なく、雪を相手の遊び勝手もちがってきます。

雪原を歩けば、この時期になるとよく見られるユギムシ(セッケイカワゲラ)の成虫がいっぱい。村の冬に雪上で見られる昆虫はこれぐらい。俳句の季語ではこの虫を「春」としているようですが、立春の頃から動きがよけい活発になるからなのでしょうか。

この虫、微生物を食べて長い冬を生きるといわれます。生態系は多様、ほかの昆虫たちとちがい冬に休まない変わった虫と聞くと、関心度が増します。きっと、この虫を喜んで食べる鳥たちもいるのでしょう。先日、ジョウビタキが樹上から雪原に舞い降りていましたが、もしかしたらこのユギムシをとらえていたのでしょうか。なにしろ羽のない成虫、つかまえるのは容易いですから。

雪上には、樹に上ったテンが高所から雪原に大きくジャンプして降りた跡も見られました。

童と戯れていたら、近くの川下から「バンバンバンバン」の激しい連続音。「おっ、鉄砲ぶちだぞ、カモ、飛んで来るぞ」と言ったらすぐ、何十ものデロガモ(カルガモ)、アオグビ(マガモ)もなんぼか混じった群れがいくつもの集団になって飛んできました。

秋田のカモ猟期は1月末まで。「同じカモでも寒中のカモは脂がのって最も美味」とされてきました。あの連続散弾発射音と群れの数ですから、そうとうの極上カモが鉄砲ぶぢたちの手におさめられたでしょう。川は、美味の鳥肉も育むのです。