みんなが人間らしく生きられる社会に

村の芸術文化祭と方言を駆使して寸劇を演ずるシヤベローゼ大会が例年のようにきのう「ゆるるん」を会場におこなわれました。

ご案内をいただいておりましたが、眼の状態を考え今回は欠席としました。

陶芸、和紙、写真、蔦細工などなど、「えがったよ」と、ひととき場内に立ち寄った妻が語っていました。きっと寸劇も、歌や踊りなどの各演目も同じだったでしょう。

仕事と同じで、人間の芸とはほんとに多様なものですね。人はパンのみにて生くる者に非ずともいわれてきました。私たちは社会の一員として生きる糧を得るためにはたらきながら、一方で心の充実をもとめ豊かな芸術にもふれます。それにとどまらず芸術そのものをつくりだす場に身をおく方々もおられます。

その生みだされた芸は、自分が楽しみながらほかの人を楽しませ、時に感動すら与えることができます。糧を求めるだけでなく、芸の道を探究して生きる、そんな方々は、みなさん、キラリと心が輝いているようにみえますね。

「パンのみにて生きる者に非ず」などを引用し記していてのきのう夜、子供の貧困をとりあげた放送を視聴しました。子供の6人に1人が貧困のわが国。GDP上位といいながらそういう厳しく残念な現実がこの国にはあります。番組ではある母子家庭に焦点をあてていましたが、そうした家庭でなくてもたとえば家族に病気があったり、はたらけなくなったりの激変があれば暮らしがたちまち経済的な窮地にはまるというのはわれわれの多くの現実でしょう。

一極集中された富を社会のために還元させる、都市から地方までどこにもひろく存在する極端な格差の是正に総力を注ぐ、6人に1人の子供が貧困という状態を克服する、つまり憲法がうたう自由と平等、基本的人権を保障する、内政の根本はいまここにあり、でしょう。