カケスが何かを咥えて

雪下ろしと排雪しごと3日連続となったきのう、作業の合間、そばにカケスがヒラリと飛んできてケヤキに止まりました。

よくみかける鳥ですから普段はそんなに気に留めないのですが、動きがどうもいつもとちがいます。それで目を凝らしたらカケスは口に何かをくわえていて、頭を盛んにまわし木の枝にその咥えた何かをこすったり打ちつけたりしています。

何か昆虫のサナギでも入った殻なのでしょうか、おそらく食べ物だと思いますが中身はわかりません。摂れる食が極端に細くなる寒の季節ですから、彼らも食べ物探しに必死なのでしょう。

遠くでみかける時には地味な色の鳥にしか見えませんが、近くで見るとあの水色の羽模様が雅な鳥、遠目でなく近くでみて美しさが際立つ、それがカケスです。

鳥も獣も雪国のいきものたちにとって食べ物を探すのに厳しい寒中です。人里では凍み大根や凍み豆腐、干し餅づくりの季節入りです。寒らしい天気の毎日ですから、今冬は質のよい凍み食品ができあがるでしょう。

連日、屋根上しごと

きのう、おとといの村内は、雪下ろしの作業姿があちこちに見られました。でも、近年に新築や改築された住宅の多くは屋根雪の自然落下方式構造になっていますから、以前に比べ屋根に上がる家々は半分近くになっているのでしょうか。

今冬我が家の雪下ろしは住家で2回目。屋根のまぶかぎ(雪庇落とし)や下屋などの下ろしにはもっと回数が増えますが、1月半ばで今冬2度目の雪下ろしは豪雪の集落としては少ないほうでしょう。「この冬、初めて屋根に上がった」という方もいるほどですから。

それでも里の積雪は1㍍50㌢は優に超え集落によっては2㍍に近づいています。ニュースでは県内各ポイントの積雪状況を毎日伝えますが、いずれもそれは1㍍以下。それに比べれば村の積雪量はやはりとびぬけて多しです。我が家は今日の予定も含めて3日連続の雪下ろし。一部をのぞき2度目の作業をこれでしめくくります。

真冬日が続き、杉に着雪した雪が落ちずにそのままです。きのう午前は、雲の切れ間から時おり陽が注ぎ、まぶしい景色をながめながらの屋根上作業です。積雪が多くなったためか、雁の一群が奥羽の脊梁をめざして南東に向かいます。方角からして、蕪栗沼か伊豆沼あたりをめざしているのでしょうか、暗闇になってからも彼らの鳴き声が時々聞こえます。真っ暗なのによく方角がわかるもの、しかも山などの高低差も確認して飛べるものだと、彼らのもつ不思議な力にはいつも感心します。

今冬は、前半が比較的暖かく雨模様天気続きでしたので、いったん積もった雪が解けて山の土は水分たっぷり。そのために沢や川の水量も豊富で、我が家の上を通り集落の流雪溝に注ぐ用水路の流れにも勢いがあります。

年始めの中央要望会

県南高規格幹線道路(高速道)の建設促進期成同盟会による、東北中央自動車道新庄・湯沢地域間の早期事業化要望活動でこの間上京していました。

横手市、湯沢市、東成瀬村、それにお隣山形・金山町の4自治体の首長と議長による行動です。11日の午前日程を割いていただいた菅官房長官へは、総理官邸で年始のご挨拶とともに要望書が渡されました。後に衆参議員会館、国交省、財務省へとまわりました。行動では、いつものように御法川事務所の皆様に段取りとご案内でご足労をおかけしました。

往きの時の村はまだ寒波到来前でしたから穏やか。むかし、集団就職や村の出稼ぎ人が急つがるや寝台特急あけぼのを待った十文字駅も10日はまだこんな雪具合。奥羽の峰を越えれば同じ緯度でも焼石、栗駒をはさんで岩手宮城側は積雪ゼロ。ひとつの脊梁があるだけでほんとによくこんな別の世界がつくられるものと思わせられる真冬時の上京です。くりこま高原駅周辺には冬の間たんぼに水が張られている景色も目に入ります。


 

 

 

都内の宿舎は16階建て。眼下に皇居の一部である半蔵門から桜田門、国会議事堂と霞ヶ関官庁ビル、東京駅丸の内のオフィスビル街、国立劇場が望まれ、東にはスカイツリー、西には富士山もビルの間から目にとまります。行動でやや疲れた時などは、日の出、夕日、夜景、皇居の緑とお堀、富士山をながめると、日に1万4千歩ほど階段や舗装面を歩いたくたびれがいくぶん軽くなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

都内は連日の快晴でしたが、帰りの新幹線沿いの街は、福島が10㌢ほどか比較的多く、仙台、盛岡ともこちらは薄~く雪化粧。東北に入るにつれ雲が厚く、やはり脊梁を抜けたら猛烈な地吹雪の世界。それでも村の降雪量は思ったより少なし。吹雪と真冬日ですから、これは寒中そのもののごくあたりまえの天気ということでしょう。

帰った我が家の今朝はこんな雪紋様。昨日のニュースは「都内は陽射しが注いだ一日。ポカポカで、暑いです」の道行く人の声を伝えていました。長崎ではすいせんの花祭りとか。南北列島自然のあまりの違いに驚き連日の寒の季節です。

夕べからは豪雪の村らしい大雪降りです。屋根はそろそろ雪下ろしをしなければならない量に達していますが、この2~3日にはもっと強力な寒波予想もあり、どれだけ降雪が増えるかそれが気がかりです。今日、10時には役場に雪害警戒部が設置されました。

今冬初の雪山ちょっと遠出

議会事務局提供

土曜日は、例年になく穏やか天気の下で交通指導隊、防犯指導隊の初出式と新年会へ出席。

日曜日は、空気が澄み、遠くまで見通しのきく貴重な晴れ空でしたので、今冬はじめて裏山の高見へちょっとの雪上遠出。運動、雪景色、生きものたちとの出会いが目的です。

山の積雪は1㍍近くあるものの、この時期としては平年より少なめ。一度目の大降り雪は一番下層で堅くなっていますが、二度目の大降りでその上に重なった雪は柔らかく、カンジキを履いても足は15~20㌢ほど雪に沈みます。

標高が低い場所では雪の表面だけが固まり、踏む度にバツッ、バツッと雪の皮を破る音がして足が沈み、足を抜くときもわずかの抵抗が加わります。こういう雪上は歩きにくいもの。しかし標高を上げたら気温は低く、こちらでは雪がかたまらずかえって歩きやすい、おとといはそんな雪具合の日でした。

山行では歩く速度が比較的早い私ですが、それでも出発から1時間15分ほどかかってなじみの大ブナにやっと到着、ここでまずは休憩。裏山とはいえなかなか斜度もきつく、ここまで雪上をたどるにはなんぼかの覚悟も要します。途中、鳥海山もよく見えますが、上がる尾根はブナやミズナラの林が厚く、写真になるような広い間口はほとんどありません。



雪上のノウサギの足跡を見たら、一晩中活動してまもなく休みに入る時の戻り跡とトッパネ(跳び跳ね・横に大きく跳んだ足跡)があります。カメラの準備をしようと思った瞬間、大ブナのそばの小径木の根元からヤマウサギ(ノウサギ)がいきなり跳びだし、100㍍ほど走って立ち止まりました。今冬初のノウサギさんとの出会いです。

「今日なら山内・三又集落境の尾根に上がれば和賀山塊や岩手山が望めるはず」と思ってさらに上がった期待通り、ややかすみながらも岩手山までなんとか確認できました。

高見の尾根からは、さんさげ(三界山)、ごんしろ森(権四郎森・南本内岳)、たげ(焼石岳)、みなみのもり(南の森)、よごだげ(横岳)と、焼石連峰の名峰群が望めます。

南には、東山、栗駒もくっきり。スキー場ゲレンデを下る多くの方々も目に入ります。リフト終点より県境までは、晴天なのに気温が低いためでしょう、ブナの着雪が解け落ちないで見えますから、雪のまとわりついたきれいな樹幹と、真っ白に輝く鳥海山も眺めながら滑りを楽しむことができたはずです。

 

 

 

 

 

別のコースをたどった帰りには、またノウサギさんが、今度は休み穴の前で伏しているのを目にしました。直後、オスヤマドリも遠くの林内を走り、ほんの一瞬で姿を隠しました。ことのほか美しいあの羽色を近くで撮りたかったのですが、そういう余裕はありませんでした。この日は昼までの歩きで約10,700歩のカンジキ跡を記したことになります。

わが家界隈を根城のきかん坊イタチ

人家のまわりに棲み着くネズミを狙うイタチやテン、キツネ。冬になると彼らの足跡が雪上によくつけられます。

わが家の場合は、ネズミに加え、彼らの大好物の池の鯉がいて、テンとイタチは池をほぼ毎日のように周回しています。なかでも少しぐらいなら水にもぐることなど容易いイタチは池のまわりから離れません。

ここ何年もの間、池の鯉を餌食にしてきたのはこのイタチ。わが家界隈を根城にして栄養をたっぷりととっているだけに、体も丸々として丈夫。この精悍なカオと眼、小動物界のきかん坊とでもよびたくなるような姿です。ネズミを退治してもらうのはありがたいですが、鯉にまで食指をのばされると困ります。

初議会、消防出初め式

議会事務局提供

▼きのう10時、議会が招集され、会期は12月8日までの339日間と決められました。開会にあたり、つぎのような内容もあいさつの一言に添えました。

村は単独立村を選択してすでに10年を過ぎた途上にある。ひきつづき村民の負託にこたえる安定した村政運営のためには、将来を見据えた計画を着実に実施しながら、その裏付けとなる財政運営面にさらに意を注ぎ、行財政改革にもいっそうの力を注がなければと思う。

年末年始にかけては、各界を代表される方々の抱負、所感がのべられていた。その中で、「企業に求められる最大の要素は何か」という問いにある著名な経営者の一人は、それは「進化」と答えていた。人の発する言葉へのとらえ方はそれぞれ多様であると思うが、物事の前進・発展のためには、「進化」の心を常にもつ、これは教えられる言葉であった。

生物界における進化は大激動のなかでとくに大きなうごきを見せてきたといわれる。人間社会も歴史をたどれば激動を経て大きな発展を成し遂げてきたともいえる。今はまさにその激動を思わせられる時代。議会も、進化にふさわしい心がけを持続させて新しい年の活動を進めたいので、運営へのひきつづきのご協力をお願いしたい。

議会事務局提供

▼消防団の出初め式は午後2時からおこなわれました。そこでは、お祝いの言葉の後に主に次のような内容を含めてごあいさつを申し上げました。

みなさんの献身的な活動の1つに、いざ有事にそなえる日頃の訓練と大会がある。小型ポンプ操法での県大会への出場を果たされた班をはじめ、訓練に励まれるみなさんの姿は防災の要となる存在としてまことに頼もしいもの。

そうしたみなさんの活動に依るところ大きく、山菜採り遭難者の貴重な命が昨年救われた。救助された方が、捜索・救助のみなさんに発見された時にのべられた「ありがたい、助かった」というあの時の言葉が忘れられない。防災、人命救助の活動になくてはならないみなさんの存在にたいして、みなさんに命を救われ、あるいは被害の拡大を防いでいただいた方々の感謝を込めながら、ここにあらためてお礼の言葉を申し上げたい。

昨年の村内は、年末に発生した痛ましい雪崩事故までは、自然災害や火災ということでは比較的平穏な年であった。しかし、全国的には、糸魚川の大火、熊本地震を始めとする震災、さらに豪雨などの自然災害が多発し、火災でも、わが広域管内も含め全国で、それにともない亡くなられる方々の多発に社会の警鐘が年々強く鳴らされている。

それだけに、われわれ議会も、この地震列島ではいつどこでおきても不思議でないとされる大地震や、近年特徴的な集中豪雨、火山災害、そして春だけでなく積雪期全シーズンをつうじての雪崩などの自然災害や火災に備えた防災活動など、いざ有事の際の機動的な村の体制づくりに常に心がける決意で活動をすすめたい。

おっ、雪国で元日の朝にお日様

あけましておめでとうございます。雪国としてはめずらしくまことにおだやかな元旦をむかえた村でした。過ぎた年に感謝し、年はじめの空のように平穏な一年であることを、仏壇や神棚を前にして願い、大晦日と新年を過ごしました。


▼今春4月までのつとめで地元集落神社の別当役がまわり番できていて、大晦日と新年は初詣の方々にむけた準備や役目につきました。

まず年越しの日は参道の雪を除けて道をつけ、門松を据え、社の掃除。そして夜から午前にかけては参詣の方々をおむかえするつとめです。

今冬二度目の比較的多くの降雪が年末ぎりぎりにあり、積雪もやや重なって神社のまわりは雪の村らしい年越し年始となりました。元日の朝は、神社境内の杉に注いだ陽射しが木漏れ日となって参道へ注ぐほどに穏やかな空模様です。社のなかでもこの日交わされるあいさつは、「あけまして おめでとうございます」に続いて「そら(空・天気)、えぇふて(よくて)、えがったんすな(よかったですね)」そして「この、そらみでぇ(お天気のように)、えじねん(一年を通して)、えばな(穏やかであってくれればね)」でした。

▼年末28日、役場で仕事納めをした後、池や自家用水道の取水口点検で自宅裏手の2つの沢へ入り、周回しました。一度降った1㍍を超える雪も、その後の暖気でかなり薄くなり、残っている雪も堅く締まってちょうど春の堅雪シーズンのようにこの日はカンジキなしでも楽に雪上を歩けます。こんな日に十分な時間があったら焼石方面奥深くに日帰りでもむかえるのになぁ、そう思いながら高見で三界山方面をながめました。沢は雪解けもあって地面の露出範囲が多く水も豊富。そのために、用水路の取水口などには木の葉や小枝が詰まりやすく、どこの集落でも、水の取り入れには手間ひまを要しているでしょう。

▼29日は、童のお相手役で成瀬川の川向こうを渡り歩く雪上散策。川に注ぐ清水の小さな滝でのどをうるおし、河川敷の柳の立ち枯れ木に出ているユギノシタキノゴ(エノキタケ)を採り、河原で石投げをし、サシドリ(オオイタドリ)の枯れた茎を折って刀にして「たたかい」をやり、ソリに乗り、木に登り、時ならぬネコヤナギを見たりです。自宅から半径500㍍ここら一帯は、夏も冬も、童と私にとって遊びの楽園です。

娘が「門松にツルウメモドキと椿を添えたい」というので、それにならって今年は我が家も少々の飾りをつけた門松にしました。幸い、自宅から200~300㍍ほどの範囲に松もツルウメモドキも椿もあります。31日、膝までぬかる雪をこぎ、だいぶ色が落ち始めた実と緑の小枝を手折り、松に添えました。

▼年越し夜には妻と二人で童たちの大好きな納豆汁用の納豆つぶし。元日朝は、やはり、サモダシ、ワラビ、あぶらげ、豆腐など具だくさんの「納豆汁がなければはじまらない」です。そして新年、三箇日限りの「朝湯」で童と外を眺めつつ、気分大転換でゴーです。