集落を見下ろして

村商工会の新春懇談会。会を構成する方々には、初代の経営者とともに、二代目、三代目の方々が幾人かおられます。あるものを継ぐ、とくにそれが経営という場合には、初代とはまたちがった並でない苦労というものがあることを、村の外のいろいろなところでうかがうことがあります。

若手経営者のみなさんはこれからの村づくりのカナメとなる方々。彼ら自身が先代と同じようにあらゆる研鑽を積まれ、いまの時代にふさわしい経営開拓と発展を成し遂げてほしい、行政の側面からもできる限りの支援策をひきつづきとらねばと、そんなことを思いながらひとときを過ごしました。

懇談会では若手落語家によるお噺が恒例になっていて、今年は6代桂文枝師匠門下の桂三河さんが登場です。やがて、笑点とかに出るような大成を願いながら、若さいっぱいの噺をお聴きしました。落語、漫才、コント、表現方法はそれぞれちがっても、人の喜怒哀楽を趣多彩な笑いでつつみこみ表現します。なかでも一人で演ずる落語は、これは聴き手を引き込むにはほんとにあらゆる芸の技がもとめられるものと聴く度につくづく思います。

実は、演じて語るということでは演説もそれに通ずるところがあります。そのはしくれで語るつとめを時々している我々ですが、聴く方々の心に留まる語りというのは、なかなかできないものです。ある弁護士の方が、法廷での弁論で「よくできたと思うことは、めったにない」ということをお聞きしたことがあります。どんな世界でも、自分が納得のゆく語り、聴き手の共感をよぶ語りとは、むずかしいもののようです。

▼きのうは、朝のうちの天気が比較的おだやか。運動がてら、向かいの山の高見まで上がり集落を見下ろしました。ここからの景色をながめるのが好きで、冬と春はよく上がります。

こうして冬の集落の一部を見下ろすと、屋根の雪下ろしをする家と、自然落雪方式の家の区別が一目瞭然。雪下ろしをしなくてよい家が年々増えているのがよくわかります。近年は、軒先だけに特殊なトタン屋根を葺き、そこに弱い電流を流して雪を溶かし雪下ろしゼロという方法も普及しているようです。道路沿いや住宅密集地など落雪方式が無理な屋根での新しい雪下ろしゼロ方式こそ、究極の屋根雪対策となるかもしれません。

上がり始め、そばに小鳥が飛んできて止まりました。人をそんなに恐れないようです。小鳥としてはめずらしくシベリア方面から渡ってきたジョウビタキでしょうか。帰りには、カケスがなにものかに襲われ、いまいま食べられた跡が。肉も内蔵も骨も何もなし、残っているのは嘴のついた頭とあの羽だけ。飛ぶ速度の遅いカケスは天敵たちの格好の狙われ相手。おそらく何かの猛禽類に襲われたのでしょう。