青森・外ヶ浜町議会から視察団

CIMG1605-1CIMG1607-1昨日は、青森県外ヶ浜町議会の議長さんと議会運営委員会のみなさんが視察で来村されました。

議会改革、とりわけわが村の「通年議会」についてとりくみの内容をたずねるということが視察の目的でした。

こちらからの説明とそれを終えての質疑応答を通じて、むしろ学ぶのは私たちの側。住民の負託に応えようと懸命な、外ヶ浜町議会みなさんの意気の高さに感服しました。

お泊まりはホテルブランを利用頂くことをきのう知りました。ありがたいことです。前議長さんは全国町村議会議長会の副会長をつとめられた方で、ホテルの経営者でもあります。竜飛岬方面を訪れる機会がもしあったら是非立ち寄ってみたいものです。

▼先日撮りダメしていたキノコ録です。村はそろそろ晩秋にさしかかった、という季節移ろいの雰囲気を知るひとつはキノコ。

CIMG1547-1CIMG1550-1CIMG1553-1CIMG1561-1CIMG1571-1CIMG1573-1CIMG1580-1CIMG1584-1CIMG1544-1CIMG1589-1CIMG1581-1CIMG1601-1晩秋の役者として、その代表格はヤマドリモダシ(クリタケ)とムギダゲ(ムキタケ)。それにムラサキシメジ。ナメコも天然モノならば晩秋のカオ役に加えることができるでしょう。今日は、そのうちのクリタケとムキタケ、やっとカオを見せ始めたムラサキシメジ(写真は紫よりもちょっと白っぽい)です。

甘みのあるすばらしい出し味をもつクリタケは、味噌汁に、おでんなどの具にと、わが家ではとても重宝されるキノコ。ご覧のように1箇所で見事なほどの発生量をみせることもあり、収穫のよろこびも大きいキノコです。

秋の食卓、とくに「味噌汁にキノコの入らない日はない」という、私にとってはうれしい日々が、わが家ではもうしばらく続きます。最後の写真は、鍋に入る直前、ひと皮をむかれたムキタケです。

管内3市町村の議員交流会

湯沢市雄勝郡の市町村議会議員交流会がきのう開かれました。

広域市町村圏組合をも構成する3市町村。湯沢市長、羽後町長、東成瀬副村長にも出席をしていただき、当番地の羽後町で意義ある半日を過ごすことができました。

職務上、首長や議長は各種会議でしょっちゅう顔をあわせます。それにたいして、議員全体同士が、あるいは他の自治体の首長さんと議会全体が交流の席を共にすることはそうあることではなく、情報交換や、行政・議会運営などで他の考えをお聞きし、懇親を深めるうえでこの会は貴重なひとときとなります。

われわれは、いつも東の方面から横手盆地や出羽山地、鳥海山をながめますが、きのうは久しぶりに西の高見台地から穫り入れの終わった雄平の沃野と焼石連峰から和賀岳方面までをのぞみました。会場の五輪坂、いつ訪れてもここは「いい展望の地」と思います。準備と運営にご難儀をおかけしました羽後町のみなさん、いろいろとお気遣いをふくめありがとうございました。

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▼合居川渓谷の紅葉もおそらくいまは色あせはじめたでしょう。先日まっ盛りの渓谷をおとずれた時の写真を追加しておとどけいたします。それに、きのうのわが人里の黄葉もです。

童と過ごした秋の半日

童が学校休みの過ぎた日、「いっしょに遊びたい」という声を聞いてこちらも急きょ仕事の予定を変更、好天の秋の半日を山に谷に川にたんぼにと、フル回転で動きまわりました。

CIMG1435-1CIMG1503-1CIMG1454-1CIMG1469-1CIMG1505-1CIMG1466-1CIMG1481-1CIMG1482-1CIMG1485-1CIMG1498-1最初にむかったのは天正の滝とブナの森。前年に一度滝まで下りているので「滝まで下りてみたい」が童の希望。それにブナの実が大好きなので「実をひろいたい」。沢ではサンショウウオを観察したことがあるので「それもみたい」。キノコやアケビも好きなので「それもとりたい」と、童の目的はいっぱいです。

紅葉の谷と林をながめながら滝壺に下ったら、「あっ、虹だ」と童。こちらはなんにも気づきませんでしたが、滝の瀑布から生まれた霧に木漏れ日が差し、よく観るとうす~い虹がなるほどできています。大人の目ではとらえないところを、童は敏感にとらえるものなのですね。

先に滝まで下っていた高齢の方二人、それに展望台に下ってきた三人の方は童へ「こんにちは」のあいさつ。いずれも隣県の方々のようで、童も「こんにちは」の返礼。こういう雰囲気も気持ちがいいものです。

ブナ大木の下では、しばらくブナの実ひろいです。時々、実を口にいれて「おいしい」。実の美味さをすでに知っていますから、ひろうのもなかなか真剣なしぐさです。

CIMG1519-1CIMG1531-1CIMG1510-1CIMG1513-1帰って今度は成瀬川へ。秋の洪水で川の流れはここでも大きく変化しました。河川敷には砂場がいっぱいできていて、さっそく裸足になっておもいっきりのかけっこ。石つぶての「トビウオ」で楽しんだり、カジカをみたり、流木に出たナメコやブナシメジをいただいたり。川も童のうれしい遊び相手です。

CIMG1532-1CIMG1539-1川の次はたんぼへ。「トカゲをみたい」といいますが、後の予定もあり時間不足でこの日はハチュウ類とつきあう時間はなし。もう彼らも冬眠の直前というあたりでしょうか。生きものの代わりに、かなり大きくなってきたセリ摘みをして二人のレクレーションは終わり。帰り道「今日は楽しかったね」と、満足の表情で言われると、なんだか、こちらがお礼を言いたくなるような心持ちにさせられました。

ほかほか日和の赤滝

CIMG1270-1CIMG1276-1CIMG1282-1CIMG1290-1CIMG1292-1CIMG1294-1CIMG1303-1CIMG1315-1CIMG1321-1CIMG1326-1CIMG1332-1CIMG1367-1CIMG1377-118日、めずらしく娘と二人だけで立ち寄った赤滝です。今年は、村全体の紅葉が、「どうも赤が今イチ」とみなさん認めておられるようで、赤滝も、紅の映えるもみじの色づきがあまりよくないようです。

これから色づきが濃くなる黄のもみじは、いつものような見映えとなるか気になります。

CIMG1340-1CIMG1335-1CIMG1295-1CIMG1388-1CIMG1389-1滝のまわりのブナ林を散策したら、晩秋のきのこヤマドリモダシ(クリタケ)やムキタケが朽ち木によく見られます。ブナの実もすっかり落ち終わり、ブナの落葉も滝のすぐそばまで下りてきました。林のそばには極上の晩秋アケビもいっぱい。

蚊やアブもいなくなり、木々の落葉が始まり終わる晩秋の山や沢は、邪魔者無しの私たちの小楽天地。お天気よしのほかほか日和なら、滝のそばのブナ林でゆっくりと音楽を聴き、熱いコーヒーでもいただきながら読書などできたら幸せでしょうね。

CIMG1392-1CIMG1393-1帰り路、色あせはじめた北ノ俣沢を見下ろしました。わたしたちが絶景と呼ぶ地球上、あるいは宇宙をふくめてまでの景観は、眺める対象との「距離」というものがずいぶん大きな決め手となっているように思われます。

CIMG1397-1CIMG1398-1CIMG1402-1CIMG1413-1この日、通い慣れている林道すぐそばの林に二人で入ったら、コナラ(シモフリシメジ)や晩生のオオヒメジ(村ではネズミヒメジとも呼ぶホンシメジ)がポツポツと。シモフリシメジは、期待したような大発生はまだ見られません。このままのちょっとだけのカオ出しで終わるのでしょうか。

政治、小・中・高校、紅葉と、にぎやかに

過ぎた週末から昨日までは、おもむきのちがう行事がいっぱいでした。

CIMG1214-1CIMG1206-1▼16日は、恒例の年に一度の知事との行政懇談会。以前はそれぞれの議長会が別にくんでいた懇談会。全国のなかで極端に市町村の数が減じた平成合併後の秋田。そういうこともあり、いまは市議会議長会と町村議会議長会が合同で行うようになっています。

この日は、県当局の主なる幹部のみなさんほとんどと、ざっくばらんに同じ場所で言葉を交わせる貴重な機会でもあり、相互の意思疎通や「県政、市町村政発展のうえで互いにどんなことを考えているのか」ということなどを膚で感じ取るうえでも大切な懇談の場となっています。

CIMG1222-1CIMG1237-1CIMG1245-1CIMG1242-1CIMG1247-1▼17日は小学校の学習発表会へ。最初と終わりの部分を参観し、間の時間は増田高校の創立90周年記念式典へ。午後はホテルでの記念祝賀会へも出席です。

子ども仙人太鼓の響きで開会した発表会。入学式の時からすれば心も体もまた一回り成長した1年生のあいさつで始まり、終章の6年生の英語を折り込んだ劇と、全校児童によるふるさとの歌~悠久の風にのせて~の合唱、どれもみんなすばらしく、会場となった体育館は、発表会が終わるまでほとんど退席される方がいません。子たちの成長ぶりがびんびんと胸にひびくひとときでした。

CIMG1427-1▼増田高校の式典では、久しぶりに県民歌と校歌のメロディを聞き唄う列に入りました。私も増田高校出身ですが、学んだのは、全日制ではなく今はなくなった定時制課程の東成瀬分校。式典の印刷物のなかにあった当時の校長先生の名を目にし、今からおよそ半世紀前、卒業式の日にのべられた校長の式辞のはしばしを思い出しました。たしか、その方はF先生だったと思います。

祝賀会では、村の仙人太鼓のみなさんが招かれ宴に華をそえてくれました。朝には童たちの太鼓、祝賀ではその童たちを導く村のみなさんの太鼓、みんな心地よい響きでした。

CIMG1264-1CIMG1266-1▼18日は中学校の東中祭へ。全校生徒68人、人数規模は小さな学校ですが、スポーツ、文化芸術活動と生徒の活躍にはめざましいものがあります。なによりも、一人一人の積極面、個性が豊かに花開けるようにと努力されている姿勢が、発表の随所でうかがわれました。村の将来をしっかりとまもり発展させてゆく力をこの子たちは着実に蓄えている、そう頼もしく感ずる半日でした。恒例の全校生徒による吹奏楽と、やはり~悠久の風にのせて~の全員合唱は、村こそならではの演目で、生徒たちの成長が強く印象にのこりました。

CIMG1169-1CIMG1171-1CIMG1176-1CIMG1180-1CIMG1184-1CIMG1188-1CIMG1195-1CIMG1201-1CIMG0207-1CIMG0001-1CIMG0002-1▼16日、所用の合間に合居川渓谷の紅葉をのぞきました。天正の滝の周囲は予想したように今が色づきのまっ盛り。入道からは、すでに頂が真っ白になった鳥海山が里山の紅葉にうきたちます。わが人里の紅黄葉も今秋あたりが佳境入りというところでしょうか。

農地パトロール、赤滝寸感

CIMG0190-1CIMG0191-1CIMG0194-1CIMG0197-1CIMG0202-110月の農業委員会総会がきのう開かれ、会議終了後は村内の農地パトロールを役場農林課とともにおこないました。

利用されていなかったり、かろうじて保全されていた農地が、ワラビや景観作物のひまわり、それに大根が作付けされるようになった現場に足を運びました。

人の手が加わることによって村全体の農山村景観、「美しい村」が成り立つことをあらためて確認したパトロールでした。

途中、村の米利用施設や畜舎を視察。施設では、食味、品質でどこにもひけをとらない最高級のあきたこまち「仙人米」の新米が精製され、農地の有効活用と村の畜産振興とつながる飼料用米も積まれていました。

CIMG0166-1CIMG0178-1CIMG0152-1CIMG0157-1▼先日おとずれた赤滝、赤滝神社は小さな社で、能恵姫伝説に登場する湯沢市岩崎方面の方々の参詣は根強くつづいているようです。、社の壁にはそちら方面の土地改良区の方々が昭和45年7月に参詣した跡なども記されています。ここは成瀬川下流の民にとって雨乞いの社でもあったのです。

滝壺の周りは国有林。滝をすぐそばに見下ろすブナ林には、木炭をつくった旧い炭釜跡もまだ目に入ります。赤滝をそばにしての炭焼き、この釜の造り主は、たまの休憩時に釜の煙をあげながら四季折々の赤滝をゆっくりと眺めるときもあったのでしょうか。ひとりで、あるいは妻と二人でとか。

旧い炭窯のそばには、私がよく立ち寄るシラグヂヅル(サルナシ)の見事な蔦もまだまだ健在です。この蔓からも、炭焼き人はカンジキの輪を締める蔓をいただいたのでしょうか。

CIMG0160-1CIMG0162-1CIMG0164-1CIMG0167-1CIMG0171-1CIMG0154-1CIMG0149-1CIMG0139-1CIMG0133-1CIMG0131-1CIMG0126-1CIMG0122-1CIMG0183-1▼きのうの赤滝の写真少し暗すぎました。同じ日、同じ時刻に別のカメラで写した赤滝を載せました。おととい書き落としたことがひとつあります。滝の写真は、時間、季節、天候だけでなく、カメラなど機器のちがい、それになんといっても「技」のちがいで、まったく変わったものになるということです。わたしの写真は「写ればいい」という単なる記録なので「技」は別ということでご了解を。

今秋はじめての赤滝の紅葉

いつものように役場で用務を済ませた午前、村内への所用ついでに赤滝まで足をのばしました。三界山や南の森など焼石連峰はきのう朝に初冠雪確認です。議会では、20日発行となる広報の最終の編集委員会がおこなわれました。

DSC_0281-1DSC_0282-1DSC_0287-1DSC_0279-1さて赤滝。赤滝の紅葉は、私からみれば大きく分けて3つ区切りの美しさがあります。つまり、滝と、滝壺となっている渕の周囲の木々がほぼ3段階にずれて色づくからです。

とくに滝をもっとも美しく飾るもみじは樹種が様々、赤から黄まで色もちがいます。きのうは秋たけなわの赤滝第一段階の美しさというあたりでしょうか。いまはまだ緑、周囲でいちばん葉っぱが多いもみじがこれから真っ赤に色づくのが第2段階、わずかにみられるもみじが黄色に染まるのが華やぐ秋の最終章の赤滝です。

3つ区切りの美しさとともに、同じ区切りでも時間と天気で赤滝は様々な表情を見せます。

訪れる時が朝か、午前か、昼か、午後か、夕方か、その日が晴れか、曇りか、雨か、風や霧のあるなし、もうひとつ加えれば滝の流量、これらの違いひとつひとつで滝景色はみんな変化します。

それと、先の台風18号による洪水(茨城・栃木、宮城の大水害のあった豪雨)で滝壺の上下、とくに下流側は、石の配置も流れもここ数年に見られないほどずいぶん変わっています。宮城の河川氾濫で被害の大きかったのは県境をはさんだお隣の大崎市でした。赤川方面、ということは栗駒山麓方面への降雨がなみはずれて多かったことを、川の変化でまた再確認しました。

ところで赤滝。数年通い続けていますが、「これは見事」という紅黄葉を見られたのはまだ一度だけ。昨日も、晴天ながら風があり、雲がありで、色映えはやや物足りなし。滝の守り神・能恵姫様は、もっともきらびやかな姿を私にはなかなか見せてくれません。

CIMG0181-1滝への道沿いに、晩生のアケビが熟れていました。早生にくらべて食べ物はなにかと晩生は美味しです。むかしの童たちは、この季節の、晩生のアケビがおいしいことを知っていました。

栗の実の季節が終わったちょうど今頃は、熟れたヤマブドウと晩生のアケビ採り、それにブナグリ(ブナの実)拾いへと、放課後と休日のすべてをつかいました。たんぼや畑の穫り入れ仕事手伝いの合間を縫ってですが。

DSC_0295-1▼赤滝の戻り、先日眺めたいずくらの紅葉にも足をむけてみました。やはり風と雲もありお天気がいまひとつでパッとせずです。山の色づきはまっ盛りのうちにはいるでしょう。

第1回目の芥川賞・石川達三氏の蒼氓を読んで

CIMG0117-1第1回目の「芥川賞」を受賞したのが秋田県横手市生まれの石川達三氏だということを知る人は多いでしょうが、その受賞作品「蒼氓」を私は読んでいませんでした。

本をもとめるのは、買い物ついでに立ち寄る町の本屋さんや、都内への出張で立ち寄る図書数の多い本屋さんなどで、芥川、直木の両賞発表があっても、それらの受賞作品をめあてに本屋にむかったことは私の記憶にはありません。今回もそれは同じです。

そういう関心程度の私が、行きつけの本屋さんで、たまたま一冊置かれていた(私にとっては幸運にも買い残されていた)本が目に止まりました。それが写真の「蒼(そう)氓(ぼう)」です。

自分の好きな作家の著書ならそんなことはほとんどありませんが、はじめて読もうとする作家の単行本を求めるときには、近頃はとくに消費税も加わって価格も安くないことから、たいがい、解説のページをめくるなどして慎重に品定めをします。求めるに値するかどうかの思案をそうとうに巡らせ、手にとったり棚にもどしたりしてやっと決着をつけます。そもそも文学作品で単行本を手にすることは稀で、みんな文庫の発刊待ちです。

そういう私が、なぜ「蒼氓」を手にとったのかということです。「芥川賞」の初回受賞作品とはどんなものであったのか、それに県南生まれの石川氏の作品を一度はじっくりと読んでみたいという思いが強くはたらいたのだと思います。ただの県南生まれの方というだけでなく、日中戦争下に著した「生きてゐる兵隊(中央公論社)」が即日発売禁止となり、禁固4月、執行猶予3年の刑となるなど反骨の意思堅き仁賢の士という石川氏の人柄、「金環蝕」など社会派作家とよばれた権力をみる姿勢、日本ペンクラブ会長として思想表現の自由を何よりも重視した骨太き人間像というものにおそらくひかれていたからでしょう。国家のほんとうの意味での安全保障がまだ戦後70年なのに危うくなっている今、戦中当時を真摯に振り返らねばということも「蒼氓」をもとめる引き金だったかもしれません。

たった一冊の本ですが、久しぶりに「蒼(そう)氓(ぼう)」はいっき読みしました。昨年、芥川賞は150回をむかえた記念の年でした。郷土のしんぶん秋田魁新報社も昨年創刊140年をむかえ、その記念として「蒼氓」は復刊されていたのです。石川氏はお隣の横手市生まれです。

「蒼氓」は今から80年前に著された作品ですが、国家というもの、人間というもの、「人のほんとうの幸せとは何か」、今にも通ずる社会の永遠の課題をするどく問う筆力で読み手をひきます。前述の復刊は、「芥川龍之介賞経緯」として、久米正雄、佐藤春夫、山本有三、そして芥川賞、直木賞を創設した菊地寛の各氏の言葉を載せています。読めば、新人の文学賞として最も位が高いと評される賞の歴史をたどる楽しいきっかけとなります。
同じように郷土出身作家「蟹工船」の小林多喜二など、わが秋田は、なんと骨太き、権力におもねないペンの力をもった作家を輩出した地でしょう。第一回芥川賞は最後の選考に残ったのが5作。あの太宰治や高見順等の著作と選考され、「蒼氓」は受賞されたのです。

高貴な味と香りのシモフリシメジ登場

CIMG9979-1CIMG9989-1CIMG0031-1CIMG0036-1CIMG9995-1CIMG9997-1CIMG9998-1CIMG0027-1CIMG0039-1CIMG0043-1CIMG0045-1「秋の深まりがいつもの年より早い」と言われつづけてきた村。素人キノコ録のこのブログも、もう晩秋のキノコたちを載せるほどになりました。

今回登場させるのは、村でコナラヒメジと呼ぶシモフリシメジ。味の高級さと共にシメジとしてはめずらしく高貴な香りも併せ持つキノコ。高級なイメージとは裏腹に1箇所での発生量が極めて多く、何年かに一度の発生条件のよい年に運良く当たれば、ものの見事な菌列を目にすることができます。

まだ早生ものの時期でしょうが、シメジ類の発生がとてもよかった年だけに、今後に期待がもてそうです。茶碗むしやお雑煮、お吸い物には最適のキノコで、わが家では早速茶碗むしでいただきました。

シモフリシメジ(写真1~4枚目)の脇には、晩生のオオヒメジ(ホンシメジ、写真5~10枚目)もカオを出し、先の強風で落果した完熟のヤマブドウが地面のあちこちに。拾って口に含んだら、熟しているのでその甘いこと。

CIMG0114-1▼11日は村の「なるせ赤べご祭」に前半だけ出席。昔のわが集落なら時々は口にはいった赤べご肉。今はおそらく多くの方々が初めてでしょう、短角牛の焼肉を口にして「軟らかくておいしい」「脂身が少なくて飽きがこない」という言葉をたくさんお聞きしました。

村では明治40年頃から放牧飼育されはじめたといわれる伝統ある日本短角牛(赤べご)。新たなかたちで村特産の牛肉としての期待がされる赤べご。トマトなどとともに、この国土この村の条件に適合した農業としてのばしてゆきたいものです。

ジュネススキー場のゲレンデ草地をいかした夏場の焼き肉コーナーなど、ホテルブランのやまゆり温泉(口コミなどで新しい温泉の人気がどんどんひろがり、常連利用も多い)などとも結んで、ゲレンデ界隈一帯で夏期も楽しめる場づくりができれば、特産の短角焼き肉はおおいに役割を果たせそうです。短角牛の肉が少し残る骨をまさかり(斧)で割り煮込んだこれぞ本命の「どが汁」などを食した昔の頃を、つい思い出してしまいました。

CIMG0115-1▼同じ11日の午後、家族だけによる孫のささやかな誕生祝いをおこないました。息子の連合いは一人娘さん。「家」と「個」のしがらみと絆が濃くある農村で、いわゆる跡取りの立場にある息子も、一人娘の新妻も、そして双方の「家」も、相当の思案の末、横手市の新妻の地に新居を構えての生活です。世間でたまにみられる「サザエさん、マスオさん」のような世帯に彼らは似ています。こちらとしては初の「内」孫ではあるものの、私らとは同世帯でないという生活が9月末からはじまっています。

CIMG0059-1▼11日の通りすがりに合居川渓谷・柱状節理「いずくら」の紅葉をのぞきました。「もう4~5日したらまっ盛りかな」という色づきでしたから、今週はきっと見頃でしょう。

薪ストーブに切り替え

CIMG1157-1それまで小さな石油ストーブで暖をとりはじめていたわが家では、この週初めに意を決して薪ストーブを設置、温みのある本格的な暖房へと切り替えました。

北海道にむかった台風23号の影響でしょう猛烈なからっ風が吹いた昨日、雨はないので、ハサ架け稲の脱穀や終盤に入ったコンバイン刈りの作業風景が村のあちこちでみられました。

所用で通った横手にむかう途中、平鹿地域のアップルロード沿いの園地には、強風で落下したりんごがかなり見られました。もしかしたら、この間の台風よりも落ちた数は多いのではと思われるほどで、坂を転げたりんごが道路にまで落ちてきていました。

落ちたりんごを集める農家の方々が忙しそうに動き回っていましたが、果樹農家の苦労も大変なもので、強風による落果の心配は収穫が終わる11月初め頃まで続くのでしょう。りんごがある程度の値が張るのも、こういう苦労をみていればよくわかります。

こちらは、妻と共に収穫後のたんぼの水切り(排水)作業に従事。夏期の間に水管理の手抜きをした罰みたいな仕事で、連れ合いに申し訳なさを感じながらの作業日となりました。

CIMG1154-1わが家のまわりに次々とカオを出すハタケシメジ。およそ一月採り続けてきて、それでもまだ出てくれるのですからうれしいものです。いかになんでもこれが今シーズン最後のカオでしょうか、おいしそうな姿が草むらの中に見えました。お吸い物にして、味シメジのうま味をたっぷりと楽しめそうです。