林業をみればTPPの行方がわかる

県議会や市町村議会の議員で組織されている県林活議員連盟連絡協議会の総会がきのう4時から開かれ、副議長、産業建設委員長とともに秋田市へむかいました。

TPPよりはるか先に輸入が完全自由化された木材、それによって日本の山と林業がおかれた実情をわたしたちは最良の教訓としてよく知ることができます。地方創生をいうなら、木材を供給する山は、真っ先にまもり育てねばならないところ。同じ道を農がたどるなら、山とは比べものにならなぬ負の影響が農山漁村に及び、それは「国民の食」の確保危機にむかうとみなければなりません。

山のたどった道を知れば、いまおかれている農の行方を知ることにつながります。市場原理、資本の論理だけでは国土を治めることができないこと、地方創生は成り立たないことを、私たちは山をみて、荒れた、あるいは荒れつつある農地をみて膚でとらえています。

わが国の為政者は、欧米諸国が農山村の維持にどれだけ力を注いでいるか、同じように資本の発達した国でありながら、彼の先進国々と我が国の、地方に注ぐ政治の何がちがうのかをよくよく学んでほしいものです。

CIMG0055-1CIMG0061-1CIMG0060-1CIMG0063-1CIMG0064-1CIMG0066-1CIMG0070-1CIMG0072-1CIMG0068-1CIMG0073-1▼先に記しておいた肴沢の二つの神社の彫り物のこと。記録したカードが出てきましたので載せておきます。平良や下田部落の社もふくめ、むかしの人々の彫り飾りの美にむけた粋な心意気には学ぶこと大です。

都内で村のことを二つ

CIMG1418-1CIMG1400-1CIMG1404-1CIMG1408-1CIMG1416-1
23日は首都圏なるせ会、翌24日は村の要望をかかげて国会と政府への陳情活動に歩きました。

一年ぶりに馴染みの顔、顔、顔がいっぱいのなるせ会総会。各テーブルには村のアバだぢ(熟々年の女性たち)手づくりの山、畑の幸が郷土料理としてずらりとならび、どれから手をつけてよいか迷うほどのおいしさにぎやかさ。

それぞれのテーブルでは、再会を、あるいは「初顔合わせ」を喜び合う歓声や、思い出を通わせ合うしっとり話が交わされていました。

議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供

議会は、ほぼ半数の議員がこの二日間の行動に毎年参加していて、翌日は衆参両院の議員会館や国交省、財務省、総務省を訪れ村独自の要望を届け歩きました。土谷総務副大臣、佐藤総務審議官、財務省彦谷主計官、国交省野村水管理・国土保全局次長の各氏へは、直接要望書をお渡しし実情を伝えることもできました。

CIMG1422-1「今日は約1万歩近く歩いた」と語っていましたが、今回はそれでも要請先はいつもより少ないほう。舗装道路や階段と、構造物の上の革靴歩きは、これは、土を踏んでいる、あるいは車での移動生活が多い山人のわれわれにはずいぶんくたびれる動きとなります。

この行動では、いつものように御法川議員事務所のみなさんに尽力していただきました。お礼をここからも申し上げる次第です。それと、文科省につとめておられる村出身のNさんが、われわれとの出会いに多忙の中だったでしょうが貴重な時間を割いて、隣の庁舎からかけつけてくれました。職務が外国語教育の推進部門とうかがいましたので、村と村の子たちへの様々な導きや教えをいつかうけたいものだと思いました。

CIMG1426-1CIMG1428-1CIMG1429-1▼きのうは、広域市町村圏組合議会の12月臨時議会(空席の議長選出もある)を前に、組合の幹部職員のみなさんと事前打ち合わせを済ませ、午後は、村の「いのちを考える集い」へ。

CIMG1423-1役場へむかった朝の帰り、合居川渓谷奥の雲がややあがった焼石連峰・三界山や権四郎森(南本内岳)方面は、夜中の降雪で、頂きもその裾のブナの森も白の世界に衣替えしていました。

そして今朝、夕べの里は少々のみぞれ混じりとなった空模様でしたが、予報のような雪とはならずに夜が明けました。里への積雪は明日あたりか、もう少し先かと、予報と実際とのちがいに心落ち着かぬ日々がつづくようです。

新庄・最上地方の首長さん方と要望行動へ

CIMG1183-1CIMG1187-1CIMG1190-1湯沢と新庄をつなぐ高規格道路の早期実現をめざす期成同盟会の中央要望が20日にあり、19日夜に都内へ着。

報道などでもとりあげられていましたが、最近都内のホテル予約は早め早めとすすめないとなかなか「空きがない」という状況に。原因の大きなひとつは海外(とくに台湾、中国、韓国、東南アジア諸国だろう)からの旅行客が多くなっているためらしく、11月は、それに小、中、高校の修学旅行が重なっていることも季節要因のひとつにあげられるよう。

そういうことで、いつもつかっているホテルはどこも満杯。かろうじて時々泊まる半蔵門のホテルMの予約はとれたのですが、空いている部屋はびっくりするほどの高価格帯だけ。霞ヶ関、国会周辺での移動の関係もありやむなく宿決めとしましたが、「今回はいいが、この先、どうなるのだろう。全国から仕事で都内を訪れる人々のホテル確保は」などと、よけいな思案もしてみたところです。

ところで今回の要望では、はじめて山形の新庄・最上地方の首長のみなさんと行動をともにしました。時折の小話のなか「タケノコ採りで、あるいは地元の遭難者の捜索で東成瀬村に行ったことがある」などの話題も出ました。わが村は新庄・最上地方の人々によく訪れて頂いているところ。道路などの要望活動で県際交通の重要性確保が大きな課題になっていますが、そうであればあるほど、山形、岩手、宮城と接する我々は、首長や議会、団体などもふくめ、人のつながり、県際交流もさらに密にしていかねばと感じた次第です。

霞ヶ関の官庁も議員会館も、時節柄、要望行動の人々が次から次からと列に。同じ県南でも、同じ時間に別々の地元課題の要望で行動するということもあり、仙北地方の首長や議長さん方と顔を合わせながら順番待ちなどという光景も今回はありました。

議員会館や国会を訪れる修学旅行生たちも多く、昼の議員会館地下食堂もそんな一行たちで満席。「憲法にもとづき国会を開け」と要求する野党にたいし、「国会は1月開会」を表明している首相と与党。国の最高法規となる憲法とは、国会や自衛権などという根幹部分でそんなに解釈の幅があってよいのだろうか、などと自問しながら衆議院議員会館9階から晩秋の議事堂をゆっくりとながめました。

DSC_0477-1DSC_0483-1DSC_0489-1DSC_0493-1▼めずらしく、まだ雪が一度も降り積もらない初冬の合居川渓谷、天正の滝と周囲のブナ林です。カタスミとはちがう樹高7~8㍍ほどの名を知らぬ木に赤い実がいっぱい。いつもの年ならクマが見つけたらすぐにごちそうとされる実ですが、今年はブナの実が大豊作でクマはそちらへ。ですから、実は小鳥に啄まれた程度で済んでいるようです。
CIMG1202-1CIMG1203-1CIMG1205-1CIMG1209-1
CIMG1212-1CIMG1215-1▼日曜日、やり残している越冬準備のあれこれをやっと終えました。この先ずらーと雨マークが並んだ前の穏やかな日和でしたので、自宅前河川敷を散策。キノコを手にし真っ赤なガマズミを口にし、雪のない里の山と成瀬川をしっかりと目に焼きつけておきました。
▼23日は首都圏なるせ会の総会、昨日は国会、政府要望でまた都内へ。それは明日に。

数え65歳の同級会を椿山荘で

CIMG1182-1CIMG1180-1CIMG1184-1CIMG1185-1CIMG1186-1CIMG1203-1CIMG1188-1CIMG1213-1CIMG1218-1過ぎた11日と12日、岩井川小学校卒の同級会が、目白のホテル椿山荘東京で開催された。

今は退任されているが、このホテルの総支配人をつとめたTさんが同級生のひとりであり、「たまには東京で同級会を」という在村同級生たちの希望にこたえ、会場セットに協力していただいた。

およそ1年少し前から準備をすすめた集い。遠くは奈良、仙台、石巻から、近くは静岡、埼玉、千葉、神奈川など、そして村から、秋田市からと、還暦の集いを終わってから全員対象でご案内をして、5年目で顔をあわせたのは翌日だけ参加もふくめ22名。

ホテルのおいしい食事をいただき、一人一人が近況を一口報告し合い、ほぼ50年間の思い出の断片を語り合い(中学校の修学旅行でたべた羽田空港のカレーライスが美味かった。東京タワーにあがったことが忘れられない。浅草寺の思い出もある等々)、飲み、唄い、3次会までと楽しい一夜を過ごした。

CIMG1230-1CIMG1233-1CIMG1235-1CIMG1252-1CIMG1267-1翌日は日の出桟橋からクルーズで墨田川をさかのぼりスカイツリーで都内をながめ、浅草寺にお参り。それぞれ、若い頃、一度ははたらきなどで都内に足を踏み入れた上京組の同級生たちも「ホー、ホー」の声をときどきあげながら、水上、あるいはツリーから都内を観覧。

前日の語り合いにも出てきた思い出の東京タワー、13日の会議が芝の増上寺そばのメルパルクホールだったので、会議前に芝公園を散策、あれから50年ほど経った同級生たちが思い出に刻んだ平成27年の東京タワーにもカメラをむけました。

われわれをむかえた首都圏のTさん、Aさん、Yさん、もう一人のTさんには、幹事としてまるで添乗員のように2日間尽力していただいた。同級生とはありがたいものである。

そのうちの一人Tさんが、おととい18日、村に来て、東成瀬中学校の生徒たちへ「ふるさと先生」として講演をおこなったことは、きのう記しておいた。

「今度は、何年後に、00で」と、やはり、わが同級生も、女性たちが、元気です。

▼きのうは農業委員会の11月総会を開催。農地中間管理機構を経ての10年を契約期間とする貸し借り目的案件が今回もいっぱい提出・審議されました。

徳島・佐那河内村議会から視察、夜は同級の集い

CIMG1142-1CIMG1145-1CIMG1148-1CIMG1150-1四国の佐那河内村議会の議長さんをはじめとする議員さん全員が、教育行政視察で9時から12時半頃まで小学校に滞在、その視察を歓迎し総務教育民生常任委員長とともに同席しました。四国から村への教育行政視察団ははじめてということです。

わが村とほぼ同じ人口規模の佐那河内村。教育にかける議員のみなさんの情熱がこちらにひしと伝わってくる半日でした。

わたしらも久方ぶりに1年生から6年生までのすべての授業を断片ながらも参観しました。あらためて、仕事とはいいながらも、教職というものの大変さとともに、人間を育てるという特別な職業としてのやりがい、生きがいを、授業にあたる先生のみなさんの動きから感じました。

質疑応答では、多方面からの発言がありました。視察のみなさんに村の現状を正確につかんでいただくためにも、これからは議会側としても行政資料をしっかりそろえてのぞまなければ思ったところです。「そうだろう」程度で事実でないことを説明して、それをそのまま受け止めていただくような失礼はされないからです。

きのうは、中学校に私の同級生(親同士が従兄弟関係にあたる)T氏が招かれ、「ふるさと先生」として全校生徒を対象の講演をおこない今朝帰りました。ホテル椿山荘東京の先の総支配人をつとめたT氏。現在は会社執行役員を退任され関連する別の職務に就いていますが、経営者としての感覚のするどさはさすがです。

講演後の夜にはT氏を囲み、同級会。いものこ鍋や各種料理で腕をふるったのはもちろん女性たち。平良かぶ漬け、これは珍しいタケノコ漬け、大根のなた漬け、白菜漬け、シシタケご飯、この季節にめずらしいミズを混ぜたかやぎ、ゼンマイや極上の天然ナメコ、ワゲ(ヒラタケ)、ハタケシメジなど山菜・キノコをつかった各種料理、デザートは手づくりのイチゴ、ぶどう等々、テーブルには女性たちの自慢料理がいっぱいならび、どこからか「ほほう、これなば、椿山荘の料理を負げらがすぞ(椿山荘の料理にはみんな大満足)」とかの冗談がとぶほどにおいしい料理がいっぱいでした。

CIMG1159-1CIMG1161-1CIMG1168-1CIMG1170-1CIMG1181-1CIMG1157-1CIMG1178-1▼佐那河内村議会のみなさんが帰られた午後、冬囲いの残りに手をかけ、合間に川原へでかけて流木などからいつものキノコ採り。ハタケシメジも、ほんとにこれが今季最後のひと株がよく育っていていただき。ブナ流木で成長したナメコも身の厚い極上ものを。ムキタケやエノキタケも少しみられました。

根雪にならなければ、まだナメコやエノキタケはとれそうですが、一週間後の予報にははじめて雪マークがつきました。

湯沢雄勝の農業委員が一同に

CIMG1139-1CIMG1140-1湯沢雄勝地域農業委員合同研修会が羽後町五輪坂温泉「としとらんど」で開かれました。今年で5回目を数える集いで、地域の委員が情報を共有交換し合い、絆を深めるうえで、研修・交流をはじめた当初のねらいどおり貴重な行事のひとつとなっています。

今年は県農業会議事務局長(県から派遣されている美郷町・千畑出身の皆川知氏)を講師にむかえ、法改正され来年4月施行の農業委員会制度改革について講演していただきました。

委員の「公選制」が廃止され、改選任期までは現職委員の体制で委員会が運営されますが、その後は市町村長が議会の同意を得て任命する「選任制」へと委員の選出方法が変わります。

議会の同意を得る選出方法は他の委員などと同じですが、それまでにたどりつく過程、つまり同意を得るための名前をしぼりこむ手段、提案する名簿を決める方法が他の人事同意案件とはまったくちがい、地域推薦、団体推薦、さらに公募という手段をとらねばならず、ほかにも構成についての条件がいくつかあります。

改正法にもとづく政省令があきらかになるにつれ、これまでの公選制と議会や農業団体からの推薦で委員を選出する方法に比べ、考えれば考えるほど公平性などでも多くの懸念が予期され、選出後の会の運営なども、「実に複雑怪奇な内容をはらむ制度」になったと私はとらえています。

選出制度も大きく変化、そしてTPP大筋合意という最悪の結果をうけ、農業委員会はまさに戦後最大の農政激動の中で農業者の代表としての役割を果たさなければなりません。研修会も、その後の交流会でも、こういう政治のうごきのなかで「地域農業をいかに守り、振興させるか」われわれがしっかりしなければと、意思をかためた半日でした。

「改正法の全体像がよくわかってよかった」という話を会場で委員さんたちからお聞きしました。わかりやすく説明いただいた皆川事務局長さんに、ここからも再度お礼を申し上げておきます。時宜にとてもかなった研修会でした。

上小阿仁村議会のみなさんが来村

県内に村は3つ。大潟村は同じ村の名はつくが、はじまりも歴史も、そしてなんといっても村のつくりそのものが、わが村などとは比べようにも比べられない内容をもっているところ。

したがって平成の市町村合併以降わが村と同じような村といえば、今では上小阿仁村ひとつだけになってしまった。

それだけに、いわゆる類似団体としてだけでなく、自立を選択した同じ山間の村として、上小阿仁村は私たちの学びや交流の対象によくあげられ、実際、共通する様々な行政課題などで議会や集落同士の往き来などがよく行われている同士である。

昨年は、わが議会と教育長、職員がともに学校給食センターの件で視察し、おとといは、村(副村長と職員)と椿川集落の方々が、上小阿仁村の村長や職員、むこうのM集落の方々と交流の催しを開いたばかりでもある。

CIMG0009-1その上小阿仁村の議会のみなさん全員が、きのう当村に研修視察にみえられた。視察の目的は、わが村の通年議会など議会改革のことと教育行政。

互いに、通年議会などの件でも、教育行政(教育長から説明していただいた)のことでも、忌たんのない質疑応答を交わし合った。村の温泉宿に泊まっていただいたということで夜の懇親会にも同席させていただき、「お互い、おかれた条件を活かし合い、学び合い、『地方自治』の本旨を大切にして、いい村づくりを」と誓い合った。

当初お泊まり予定のやまゆり温泉ホテルブランが、清掃などのためきのうは休館日。それで、東仙歩に宿をとってくれたそうで、村にお泊まりいただいたご配慮に我々は感謝でいっぱい。お話をうかがったところ、みなさんの幾人かは、スキーの大会関係などでよくスキー場やブラン、村の宿を利用していただいた方々で、栗駒山荘を利用いただいた議員さんもおられた。ありがたいことで、これにも感謝もうしあげた。

CIMG0007-1CIMG0006-1CIMG0002-1CIMG0004-1▼そういうこともあって、きのうは午前中に住宅の冬囲いをなんとか終了。のこるは格納庫や作業小屋など。おそらく村でまだ冬囲いを終えていないのはこちらだけかも。

役場脇の「仙人様のイチョウ」が黄葉の頂点をやや過ぎた様子。大木だけに黄葉も落葉も遅く、「この葉っぱが全部落ちれば根雪になる」と、季節しめくくりのひとつの目安になる大イチョウ。そばに住む方は「おとといあたりから、葉こ、おぢはじめだ」と私に語りかけてくれた。

この先一週間は里への雪降りはなさそう。なので、今年は、目安どおりに、大粒の実と葉っぱをすべて落としきった頃に、村は根雪の時をむかえることになるのだろうか。

濃縮の5日間でした

CIMG1154-1CIMG1160-1CIMG9983-1CIMG1272-1CIMG1162-1CIMG1164-1▼11日は59回目の全国町村議会議長全国大会と第40回豪雪地帯町村議会議長全国大会がNHKホールで、13日は全国過疎地域自立促進連盟の46回目にあたる定期総会が浜松町のメルパルクホールで開かれた。合間には都内ホテル椿山荘での同級会にも出席。

前段の大会では、東日本大震災からの復興と大規模災害対策の確立、地方創生の推進、町村税財源の充実強化、TPP大筋合意への懸念・危惧にともなう説明・情報提供と農山漁村への万全対策、参議院選挙制度改革は都道府県単位の代表が国政参加可能な選挙制度へ、などの内容を柱とする特別決議を採択。そしてこれは私の記憶でははじめてのことだが、沖縄の米軍基地問題を重視して「日米地位協定の見直しに関する特別決議」が提案された。以上6つの特別決議は満場の拍手で決まった。バラと風景は初冬の代々木公園の一隅。

衆参両院議長、地方創生相、自民党幹事長などの来賓挨拶を受けた大会は、宣言、25の要望、9つの地区要望も決議した。豪雪の大会も、そういう地域に暮らす人々へは特別な対策があらゆる面で必要なことを政府への要望として決めた。大会は多忙な来賓に配慮してだろう12時からの開会であったが、参院予算委員会があってらしく首相は欠席、副首相の出席もなく、首相のメッセージを議長会側が代読するというめずらしい場面もあった。

▼13日の過疎の総会は、過疎対策事業債の必要額確保など8つの決議と地方創生と人口減少の克服などを求める6要望を採択。こちらの総会には高市早苗総務相も来賓出席され、あいさつの最後に「過疎債ソフト事業枠の有効活用を」という旨を強調された。会長の島根県知事をはじめとする役員が、関係国会議員等への要請活動を総会直後におこなった。役員改選があり、新役員としてわが村の村長も監事職に就き、この要請活動に加わった。

CIMG1282-1CIMG1284-1CIMG1290-1CIMG1292-1CIMG1295-1
CIMG1306-1CIMG1310-1CIMG1324-1CIMG1334-1
CIMG1335-1CIMG1322-1CIMG1348-1CIMG1349-1▼きのうは亡父の一周忌法要をごく身内だけでおこなった。ちょうどこの日は、村内の東成瀬中学校19期会恒例の同期会、地域交流センター・ゆるるんでは、「能恵姫ものがたり」と「雨月ものがたり」公演へのご案内もあったのだが、いずれも法要で欠。村に移住されて久しい五里台の杉山さん夫妻の妹で東京芸術座の俳優佐藤アズサさんと子どもたちが演ずる「能恵姫ものがたり」は、前日のリハーサルを覗いた。わずかの時間で、よく子どもたちをこれほどまでにまとめあげたものだと感服。子たちのいきいきしたうごきと目の輝きがいい。杉山さんのギター、娘・春さんのリコーダーの響きがとても効果的とおもった。

CIMG1352-1CIMG1358-1CIMG1365-1CIMG1378-1アズサさん一人舞台の「雨月ものがたり」は、リハーサルとはいえ私の目を釘づけにした。前段の「能恵姫ものがたり」で、子たちとの演技直後だから、まったく空気が別の演目に「気」を集中させるには大変だったと思うが、そこはさすがである。

CIMG1390-1公演を計画しささえたスタッフや、厚い支援体制をとってくれた村など関係機関や団体、村内外のみなさんに「ありがとう」と感謝を申し上げるとともに、演じた佐藤アズサさんと子たち(音楽は杉山さんと春さん)に「すばらしい心のプレゼントを観客のみなさんにありがとう」と、重ねてお礼を申しておきたい。

新工法で完成間近の院内トンネル

CIMG1151-1CIMG1137-1CIMG1139-1CIMG1148-1CIMG1146-1県南高規格幹線道路建設促進期成同盟会による院内道路の下院内トンネル工事の現地視察会がきのうおこなわれ、副村長、建設課長、職員とともに出席。管内の市町村と議会の代表、大仙以南の市と町の担当者などとともに舗装工事中の現場をみました。

トンネル内では、厚さ4㌢のアスファルトの上に目地のないコンクリート舗装作業がまっ盛り。これはスリップフォーム工法という新しい舗装工法で、大型ナマコン車に満載のコンクリートが車線片側4㍍すすむと1台分の生コンがなくなるという速さで、米国製の機械がたちまちのうちにコンクリをのみ込み、路盤を造っていました。この工法は今後の主流になるようです。

ただ、機械が進化しても最後はやはり人の手による仕上げが欠かせぬよう。まるでひとつの作品を仕上げる芸術家のようなはたらく人々の手際の見事さで、舗装路面は我々の目の前で次々とできあがってゆきました。機械の進歩も、人の技も、その巧みさはたまげたものです。

トンネル内の照明も、旧来の高圧ナトリウムランプ(オレンジ色)から、すべて白色LED採用ということ。これにより、照明器具の価格は2割増しとなるものの、電力消費量は半分以下、ランプの寿命は約4倍となり、しかも電球交換が不要となるなど、LEDはここでも省エネ社会への大貢献をはたしています。白色はドライバーにとっても安全な明かりとなるようです。わが村の集落街灯も、経費削減の見地ですべてLEDに切り替えられますが、国内既存トンネルの照明もいずれすべてがそうなるのでしょう。

待望の院内道路は長さ約3㎞、来年度に供用開始される運び。期成同盟会の最終目標は東北中央自動車道の新庄までの貫通であり、この20日にはそのための中央要望会も合同で予定されています。

CIMG1152-1▼農耕民族、とりわけ稲づくり農家にとって、きのうは一年の収穫に感謝する旧暦9月29日「刈上げの節句」にあたる日。節句に餅はつきもので、昔はどの農家もこの日に餅つきをしたものですが、今はそれは少数派。ほとんどはコンビニやスーパーからの買い餅ですませているのでしょうか。

こちらはそういう日であることさえ失念していましたが、妻は、わが家の神棚に餅と御神酒をそなえ、「豊作、どうも、ありがどって、オメ分も、おがんだがら」と、天に一年の収穫を感謝したようです。

見事な飾り彫りの社二つをもつ小集落

CIMG0197-1CIMG0199-1CIMG0196-1先日の通りすがり、なんとなく肴沢の二つの神社が気になり境内に足を向けました。

そばにありながら「彫りものの飾りがなかなかのもの」というその実物をながめたことが一度もなく、いつか立ち寄ってみたいと思っていたからです。ところが、その時写したカードをどこかにしまい忘れ、「もう一度」と今朝また立ち寄ったらもう社は固く冬囲いされ彫刻は見えません。春の芽吹きのときにでも、見事な中身をご紹介いたします。

そんなに大きな集落ではないのですが、見事な飾り彫りで造られた社を二つももつ肴沢集落。村郷土誌によれば、この地区の南方前山沢、元山沢目一帯は、県内有数の金、銀、重晶石のやま(戦後バリュウムの需要増で重晶石は昭和25年頃国内最大のやま)として藩政時代から戦後まで時々の閉・休山をはさみながらも栄え、多いときには600人(大正年代)もの人々が働いたと記します。肴沢はその前山や元山鉱山の根城となった集落。だからでしょう、八坂神社と山神社は、そういう特異な歴史をうかがわせるつくりです。

本題からはなれますが、肴沢については村郷土誌がつたえるなかに私の興味を引いた別のことも記されています。それは鉱山の精錬に用いた動力源のこと。

郷土誌は「用水について、選鉱に供する水は選鉱所を遡ること三0間の渓谷から木樋を以て之を導き、また精錬用水は南方五町余の渓谷から山腹に沿い、木樋を以て導き、供用した。」と記します。私が注目したのはそれに続く以下の部分「さらにこの用水を利用して上射水車二台を設置した。一は径二三尺七馬力、他は径一八尺五馬力で、鉱業所内の諸器械を運転する原動力となった。」これで一日三千貫(約11㌧)の鉱石を選鉱したというのです。上射水車とはどういうものかわかりませんが、小型水力発電で必要な動力をまかなったということに注目です。

境内に立てば、やまが盛りだった往時の人々の声と姿が、すぐそばに聞こえ、見えるような覚えにとらわれます。当方の亡き祖父の日記にも、昭和の頃、自分や家族が肴沢の鉱山(カネやま)で鉱石運びや木炭扱いの作業などにあたったことが記されています。亡き父も若い頃、部落の人々と同じようにカネやまに働いたことがあると聞きました。

▼村のパンフレットでも紹介されていますが、ほかにも、平良や下田の部落の社など、飾り彫り物で名の通った社が村にはまだまだあります。