五里台へ移住の杉山さん6冊目の著書

埼玉県の大宮から村に移住してまもなく丸17年をむかえようとしている五里台の杉山彰さんが、6冊目の著書を手がけ、このほど無明舎出版から発行されました。

CIMG2973-1CIMG2974-1著書は、マンガ あきた伝統野菜。リアルでユーモアたっぷり、そんな杉山さん独特の作風にあふれるマンガを楽しみながらとっても学べる内容で、私も初めて知ることがたくさんあり勉強になりました。もちろん、あきたの伝統野菜ですから、村の平良かぶ(でぇらかぶ)も2ページにわたって描かれていますよ。

CIMG2976-1杉山さんは、既刊のコミックエッセイ「秋田の村に移住しました。(無明舎出版)」で一家のくらしをマンガに描いています。できれば、それらをさらに発展させて、農山村に生きる、生きてきた人々のささやかな日々の暮らしの全体を、たとえば人の機微にあふれたサザエさんやちびまる子ちゃんのようなかたちで(あれは、まち暮らし世帯のようなので)、仮想の農山村の一家をえがいた杉山風マンガがつくりあげられたら楽しいだろうなぁと思ったりもしています。

年代的にも創作意欲が充実、最高潮のところでしょうから、請う、象徴的な次作をです。

▼きのう夜は、副議長とともに、小中学校PTAによる教職員などの合同歓送迎会へ出席。教職員のみなさんは、それぞれ新しい任地でのお仕事をはじめられたばかり。職場スタイルや土地柄、教育環境など、前任地とのちがいを感ずる日々がきっと続いているでしょう。

子が育つ上で、親と同じほどに教師の役割は大きい。僧侶、神官、牧師などになぞらえて「教師は聖職」といわれた過去を記憶していますが、人間の基礎を築くしごとということでは、宗教上の職などとはまったく別の次元で大きな役割を教師は担っていると思います。みなさんに感謝し活躍をご期待しながらのおよそ2時間半の集いは、あっという間に中締めの時となりました。

きのこと、完全無農薬・無化学肥料で育つ山菜は健康維持の源

CIMG2829-1CIMG2918-1CIMG2948-1今日は、漬け物のきのこと山菜をとりあげます。村の方ならすぐにわかるこの飴色の食べ物。そう、わが集落ではノギウヂと呼ぶエゾハリタケというきのこの味噌漬けです。

ノギウヂは、発生箇所がごく限られることから村では最高級品に数えられ、むかしも今も味噌漬け用のキノコとしては最も人気の高い食材。

もう一つの真っ黒はトビダゲ(トンビマイタケ)というきのこ。こちらも味噌漬けとして珍重され、写真のような若くて柔らかい菌(採取前は真っ白かクリーム色でサンゴのような美しいきのこ)なら村では前述のノギウヂや天然ミャゴ(マイタケ)と同じほどの価格で店頭にならびます。(食通ならご存知でしょうが、冬の横須賀ではおいしい魚として有名なアマダイが㌔5000円ほどの高級魚と先年ききました。ノギウヂもトビダゲの幼菌も価格ではそれに匹敵もしくは上回る高級品のきのこといえます)

CIMG2832-1CIMG2957-1山菜やきのこの貯えものは、年中を通してわが家の食卓には欠かせぬ食材。写真のようなよく塩蔵されるサグ(エゾニュウ・シシウドの仲間たち)、ウドやアイコなどは、新鮮な山菜がまもなく本番に入るので、貯蔵モノがおいしく食べられるのはそろそろ終わり時、食卓からひとつ、またひとつと顔を消します。

が、きのこたちだけは漬け込み(ブナハリタケ(写真の白みがかったきのこ)、トビダゲ、、ノギウヂ、ナラタケの仲間、サクラシメジ、クリフウセンタケ、ハナイグチ、ウラベニホテイシメジ、ホウキタケの仲間)が桶や樽の中に、あるいは瓶詰め(ホンシメジ、シモフリシメジ、コウタケ)がまだたっぷりと貯えられていますから、年中食卓に並びつづけます。

わが家では栽培しているゼンマイの乾燥モノや、瓶詰めのタケノコもほとんど年中食べるようなもの。食に、完全無農薬と無化学肥料で育つ山菜とキノコがあるから、こちらの健康なくらしは成り立つようなものです。

▼きのうは農業委員会の4月総会。議案の審議終了後は今年一年の農作業標準賃金・料金を、農協センター長からも出席いただいて協議。個別の事情など様々なことが議論にあがりましたが、「個別の事情にあまり踏み込まず標準を決めるのがしごと」という協議役割が重視され、全体として生産資材等も大きなうごきがないことからすべてを据え置き、前年と同じ賃金・料金と決定されました。

CIMG2958-1時折の吹雪模様もあり終日小雪が舞ったきのうに続き今朝も真っ白な村。初雪の頃を思わせる寒の戻りでしたから、妻は「そんま、正月来るぞ」と冗談を放っていました。ふんわりと積もったそのなごり雪、忘れ雪ともいうのだそうですが、その白い薄衣に、今朝はまぶしく春の陽が注ぎました。

土が見えるとにわかに忙しく

CIMG2926-1いつもの年より雪が少ない分、雪解けもぐんと早まっている村。それでも、わがたんぼはごらんのようにまだ雪があり、ただいま最後の雪解け真っ最中。

休日は、身内の法事にでかけたり、冬囲いをやっと解き終えたり、転作わらびに鶏糞を施したり、雪解けの進み具合にあわせてたんぼの水切り泥上げに少し手をかけたりで、たちまちのうちに過ぎました。

たった6ヶ月後にはまたやってくる冬をひかえて、雪のない季節にやってしまわなければならないことに精を尽くす「仕事なら、なんぼもある」、雪国の雪のない半年がいよいよ人里でははじまりです。

深山も雪消えが進み始め、ザーザーと勢いを増した瀬の音が仕事部屋まで聞こえてきます。本格的な雪解け濁流が始まりましたから、瀬の石底では卵をいっぱいにしておなかをふくらましているカジカが、まもなくの産卵にそなえているでしょう。

CIMG2928-1CIMG2940-1子供の頃から親しんできた河川敷の自然公園もきのうまでに雪がほとんどなくなり、柳の倒木にはユギノシタキノゴ(エノキタケ)がちらほらと目につくように。おかげさまで、新鮮な天然きのこの味噌汁をしばらくは途切れずいただけるでしょう。

CIMG2935-1ここの湧水脇にあるワサビは、数年採らないでいたら数を少しずつ増しています。もうしばらくそのままにしておいて植生をひろげた何年後かに少しいただこうと思っています。ただし、これはそれまでに大洪水がこなければという条件つきです。

CIMG2938-1チャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間たち)は、土壌成分や日当たり具合など植生地のちがいによって色も様々。河川敷には、ひときわ色鮮やかな花の群れがところどころにあり、そういう美には、やっぱり歩みを止めてながめてしまいます。

CIMG2942-1▼今朝になったら、天気予報どおりにうっすらの雪景色。先日の沖縄は30℃をこえる真夏日、北海道でなくてもこちらの今朝はマイナス1℃。同じ列島で30℃近くも気温のちがう真夏と冬が同居する「ここは、なんと不思議、神秘の国」を実感する春です。

この子たちの未来が平和でありつづけるように

CIMG2911-1CIMG2914-1保育園の入園式がきのう行われました。今年の入園児は昨年の途中入園も含め、0歳児と1歳児が12名、2歳児1名の計13名。「今日現在の在籍数は,0歳児4名,1歳児10名,2歳児12名,3歳児12名,4歳児15名,5歳児17名,総計70名での船出です。」と園長だより「紙ふうせん」に記されていました。

こういう構成の70名の園児に養護と教育で対応する保育職員は、理事長兼事務長、園長、副園長、栄養士、事務員、保育士、フリー保育士、病後児保育士、看護師、保育補助員、調理員など全体で25名。

3人の子(双子の長男長女、次女)がいた我が家では、すべてといってよいほど乳幼児育ては妻にまかせ「昔風、保守的」であった私でも、妻のその難儀さはわかっていたつもりです。それを、お仕事とはいえ3歳未満の子たちもふくめ、よそ様の子を保育という職責をもってあずかるというのは大変なことと、職員のみなさんをみて毎年思います。

そしてもうひとつ、過ぎた入学式でも、この入園式でも、思うのは子たちの未来のこと。

人はある程度齢を重ね、私のように65歳を過ぎてくると、自分の命の先行きはだいたい見通しがつくようになり、それまでの間には、願望もふくめて自然にも社会(政治・経済)にも激変はないだろうと思いたくなります。

現実には、千年に一度規模の大震災があったばかりですし、列島各地には今後それほど遠くない年以内の大地震の予測警告もされ、世界の政治経済も激動の火だねがいっぱいです。でもそれらは自分の目で確かめられる年代の範囲です。

問題なのは、入学、入園した子たちを含めたこの子たち、そしてこれから生まれてくる子たちのもっと先の未来のことです。私がもっとも近くに歴史を感じいつもたぐり寄せるのはやはり第二次世界大戦、15年戦争を境にした「昭和」のことです。戦争という過酷と戦後の平和を、間接、直接に身近で過ごしてきた戦後直後といってよい昭和26年3月生まれの私は、憲法に基づく戦後の平和維持こそ我が国発展の最大の源ととらえます。

ところが、大多数の憲法学者や内閣法制局長官の職にあった方も「違憲」とする見解の法案が強引につくられ、憲法のその平和条項に反する動きがここにきて加速しています。

子たちの平和な未来に責任をおえるのは今を生きるわたしたちです。予測できないことの多い自然災害の被害をはるかに上回る人間の仕業による戦争という人災は、戦後これまでの我が国のように国民の誤りない判断力が多数でさえあれば防ぐことができます。70年前のあの悲惨を繰り返さないために、この子たちが戦渦のない平和な日本と世界に生きられるよう、大人としてのつとめをはたす、子たちの平和な未来を保障しなければならない。これが、親たちに抱かれた新入園の幼子を、そして在園児たちをみての私の強い思いです。

新鮮、希望、期待、緊張

小学校10名、中学校33名の入学式がきのうの午前、午後にそれぞれ行われました。

CIMG2897-1CIMG2899-1CIMG2902-1CIMG2898-1小学校は例年よりぐんと少ない数の新入学となり、今年の卒業生が多かっただけに最近ではめずらしく100名をわずかに下回り、児童数98名の学校でスタートとなりました。

小学校の校長は羽後町の高瀬中から転入となった先生です。管内のいちばん西側の地域から今度は管内の一番東側の地域にはじめてうつられたということですから、新入学となった子供たちへの式辞をのべられる姿と言葉に、ひとつの新鮮さをやはり感じました。

CIMG2906-1CIMG2908-1CIMG2904-1一方、中学校の校長は、この春まで小学校の校長をされていた先生で、先月に同じ子たちへ卒業の式辞をのべ送り出したばかり。こういうことはめずらしいことでしょう、今度は同じ子たちをむかえる側に立ち、そういう立場にあることを言葉にこめながら心あたたかい式辞をのべられました。村のこと、一人一人の子たちをよくわかっている校長先生ですから、保護者のみなさんも、生徒や学校全体も、大変に心づよいことでしょう。

保育園や小学校で先月は涙、涙の別れの式でしたが、今度は目を生き生きと輝かせて、緊張と期待と笑顔の入学式です。今日は保育園の入園式。これで村は、みんなが新年度にむかって、さあゴーです。

雪の少なかった様子を記録しておきます

きのうは村立小・中学校の始業式がおこなわれたようで、転任された教職員のみなさんの合同あいさつ会が午後に役場で行われました。

今年の異動規模は小さく、しかもみなさん同じ湯沢雄勝管内からうつられた方ですので職場への適応はすばやくなされると思われます。東成瀬で教鞭をとるのははじめてという方が多いようですので、教える側も、教えられる子らも、希望と期待がいっぱいで、明日からの校内にはしばらくの間、新鮮な春の気が漂うでしょう。

CIMG2890-1CIMG2886-1CIMG2888-1CIMG2891-1CIMG2895-1▼雨降り天気の後にはからりと晴れ渡った春空ですから、成瀬川もいよいよ本格的な雪解けの流れへと川面の趣を変えています。雪の少なかった年を、集落北側日向の山々の様子で記録しておきます。

今冬の積雪が少なかったので、集落からのぞむヒラ(底雪崩)の常時発生箇所は積雪の多いいつもの年と様子が違います。写真のように斜面が急角度で岩肌の多い箇所はいつものような雪崩がありますが、斜面がやや緩く地肌が岩よりも土の多いところでは、雪の重さが小さく滑り力が弱いからでしょう、そこは雪崩とはならず雪が着いたままです。

CIMG2885-1この季節はヒラ(底雪崩)の怖さを直接知ることができる時。底雪崩で大量に落下した雪の塊は、雪というよりもほとんどが氷に近い堅い塊。この塊一つでも体に当たったら人間などひとたまりもありません。雪解けの斜面で早く芽を出した野草を食べているカモシカが雪崩に直撃されるのも、きっとこんな場面なのでしょう。

CIMG2892-1CIMG2894-1▼午前、午後と役場での用務を果たす合間は少しずつの冬囲いを解いた昨日。なんと、囲いの中の軒下にオスヤマドリ1羽分の羽がそっくりあり、骸は骨まで含めてなにもなしという光景が突然目の前にあらわれました。ここらで餌を探していてテンかイタチに襲われたのか、それとも飛翔中によくある猛禽類に襲われ、ここで衝突死したのか、死因はそのどちらかでしょう。

現場はエド(井戸・池)の脇。エドの鯉を狙って冬の間は冬囲いにイタチが常駐し、テンもひっきりなしに立ち寄っていますから、ヤマドリの死因は別にして、囲いの中にヤマドリを引きずりこんで肉と骨まですべてたいらげたのはこのイタチかテンでしょう。ヤマドリを食べられるなんて、テンならまれにあることですが、もしイタチだとしたら、それは一生に一度の幸運、大ごちそうだったにちがいありません。

春の言葉をあてる対象が一つずつ増えて

今日は、過ぎた週末に切りとった春のおとずれをいくつかご紹介です。

CIMG2806-1群生地で満開となったフクジュソウ。村のフクジュソウ群落は、北側斜面や標高の高い集落をのぞけばいずこも花盛り。肴沢など名のある群生地では、晴天だと国道からでも花の黄金色がわかるほど。

CIMG2809-1小川のせせらぎそばには、盛りのヒロッコ(ノビル)がいっぱい。これは早速「ヒロッコかやぎ鍋」で旬の香りと歯触りを、初物としておいしくいただきました。

 

CIMG2814-1CIMG2822-1毎年ご紹介している湧き水口のミズバショウもやっと芽を出したばかり。そばには、雪のなかで芽を出したのでしょう、まだ緑に染まらないアザミが柔らかい色で春の陽を浴びていました。アザミは細かく刻んで生のまま味噌汁のお椀に浮かべ、これも初物の香ばしさを楽しみました。

CIMG2818-1湧水といえばたいがいワサビはつきもの。取り立ての野のワサビで食べる刺身などは、山村にくらしているからこその食の小さなぜいたくともいえるでしょうか。

これまでは主に塩蔵、瓶詰、乾燥と、貯蔵もので野の味覚を食してきましたが、まもなく新鮮で若く活きのいい山菜たちが食卓から途切れない季節をむかえます。今年は雪解けが早い分、山菜の採れ始めも早いようです。ポパイのほうれんそうのように、山菜やキノコから活力をもらう当方にとって、今年はいつもの年よりも早く体が活性化できるかもしれません。

成果が長く続く施設であることを願い竣工式へ

議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供

1日、村の学校給食センターと食肉加工センターの竣工式と祝賀会へ議員各位とともに出席。食肉加工センターは県も重視している事業であり、中島副知事も式でごあいさつを述べられました。

CIMG2882-1村の牧場資源や立地条件をいかした産業振興策の一つとして、畜産は欠かせない要素です。村の伝統であった赤ベゴ(日本短角牛)飼育が、食肉加工での雇用確保とも結びついて新たなかたちで発展をめざす土台となる施設が、昨年の飼育舎に続いて竣工しました。

小さな村としては財政投下の大きいこの一連の大型施策実現を、全会一致で議決してきた議会の責務はひきつづき重いととらえます。とくに食肉加工センターは、通常の工場誘致とはかたちのちがう新たな事業展開であり、財政投下規模と建設目的にそう成果が長きにわたってあがり続けられるよう、様々な面で議会としてのつとめに今後も力を尽くしていかなければと思いました。

▼春休みの童と久しぶりに締まった雪の上と水辺に戯れました。めざすは、元棚田で段をいくつも豪快にジャンプしながらの堅雪のソリ乗り、それに清水の湧口でのセモリ(ヘモリとも呼ぶ、サンショウウオ)取りとサワガニ取り。

CIMG2837-1CIMG2843-1何度も体験しているので水辺での遊びは手慣れた童。水生昆虫のおかしな幼虫をつかまえたり、サンショウウオは簡単に見つけることができませんが、石を起こしては「あっ、サワガニいる」と目を輝かせ、やっと発見のサンショウウオには「ウワーッ」と歓声をあげていました。

CIMG2848-1童が入学前の頃は、サンショウウオは薬だからと、そのままその場で生きたまま呑みこみ「むかしは、こうやったんだよ」と童にとっては驚きの踊り食いを教え、「もう1回やって」などと喜んだりしていたものです。でも今年は「ダメ、かわいそうだから呑んではダメ」と言ったり、「呑んでみて」と言ったり遊び心は複雑な様子。1年経つと、童にいんな変化・成長のあることが遊びでもわかるものですね。もちろん手にしたサンショウウオもカニも生きています。

CIMG2857-1CIMG2856-1いろんな生き物が棲む清水湧口のミズバショウはいまやっと芽を出したばかりです。童は、雪上に落ちている桐の実やフジの実を親たちへの「おみやげ」にと拾い、「あっ、キノコある」と、ユギノシタキノゴ(エノキタケ)を見つけたり、バッケ(フキノトウ)もいっぱい手に。まわりを見て雪解けの様子がわかり、これで今冬の雪上遊びはおしまいと思ったらしく、「楽しかったね」の言葉をのこして帰りました。

伝えられる食とくらしの知恵

CIMG2798-1CIMG2796-1冬の間、わが家の食をささえた越冬用備蓄野菜もその役割を次第に終えようとしています。

ジャガイモは年間を通じてほぼ毎日味噌汁へ。大根は冬の間の味噌汁をはじめ様々なかたちで食卓へと、わが家の食生活には欠かせぬ二つの野菜。それだけに、たくさんの量が蓄えられますから食べきれず、とくに大根は春には大あまり。

余る分はさらに利用が予定されていて、すべて春の日差しで干され最後の蓄えにむけられます。寒中に凍らせて水分を抜く凍み大根に加えて、大根は一本も余すところなく利用されるありがたい野菜です。

▼大根などとはちがいますが、くらしの常備としてわが家に欠かせぬのは、虫刺されや打撲、傷などの治癒・消毒につかう薬草オトギリソウ、それにお茶代わりに毎日いただくクロモジ。いずれも畑の土手やすぐ家まわりにある野の草、野の木を手軽に利用します。

CIMG2791-1これらをつくるのは母のしごと。いまは、昨年から乾燥していたオトギリソウを刻んで焼酎やホワイトリカーに浸す作業にとりかかっています。こうして備えられたオトギリ液は、一年のうちに2~3回は、虫刺されなどがあった身内や知り合いから「オトギリソウほしい」の声がかかって利用されます。こちらも一度この液を患部に塗ったことがあり、ちょうど消毒・殺菌液オキシフルを塗ったときのようなピリッとした痛みが走りました。

CIMG2784-1CIMG2800-1▼もうひとつの知恵は、村の手作り和紙に励んでいる「成瀬和紙の里」のみなさんの技。和紙の原料となるこうぞを雪にさらしている光景です。ここでつくられる和紙を原料とした作品を私は二品(写真)求めつかっています。一つは名刺入れ。もう一つは小さなバッグ。

強い和紙にさらに独特の技法を加えて丈夫につくっているだけあって、頻繁に使う名刺入れは何年たっても大丈夫。年を経るごとにむしろ柔らかくなり使いやすくなっています。和紙って、ほんと丈夫で美しいものですね。

いかにも山らしい山、二つの東山

所用でめぐったきのうの村内。途中、今年はじめて立ち止まって東山にむきあいました。

CIMG2794-1左の大きな山が東山(1117㍍)で、ここには登山道がありません。右奥が登山道のある上東山(1116㍍)で、地元では「とうざん」といえば山菜取りでも有名な登山道のある上東山をさします。(ここの山菜取り場所は山に詳しい方でないときわめて遭難しやすい地形で、霧も多発。熊の生息も多く人が襲われる被害も発生。いったん遭難すれば、岩手側、秋田側どこに向かっても、界隈きっての深山渓谷、あるいは断崖絶壁ですから地元の詳しい方以外は山菜採り入山は避けてください。山腹は地元の捜索隊も容易には入れず油断できない奥羽の険です。)

二つの東山はいずれも山容がすばらしく、遠くから眺めて美しい山。「上東山」「下東山」、「前東山」「後ろ東山」など、集落や人によって呼び方が様々なのもこの山の特徴です。

東山の西側山腹は村内では合居川渓谷と肩をならべる見事な断崖絶壁。そのかげ東側は岩手奥州市胆沢川支流の小出川最上流部にあたりますから険しいのも当然。

私は、登山道のある東山(上東山)には雪上を登ったことがありますが、二つの東山の間の尾根と、東山から柏峠までの北方面大部分の尾根、上東山から栃ヶ森山方面の南側尾根は狩猟当時でも足を運ぶ場所ではなく、村内でも私が足を踏み入れたことのない県境尾根の一つ。毎年「いつかは歩きたい」と、心の計画ノートに記しているところです。

その山行をなかなか実行できないでいるのにはそれなりの理由があります。なんといっても大きい理由の一にあげるのは脚力の衰え。日帰りでは、南北どちらの尾根から登っても一番疲れたところで最後に大きな落差のある稜線を登り、下らなければ目的にたどりつけないということです。途中で戻るにはもったいなくて、せっかく登ったら二つの東山を渡り歩いてどちらか一方に下りるというのが理想ですが、脚力への不安がその理想実現をさまたげています。

かって元同僚議員のTさん、元村教育委員のKさん、元村監査委員のYさん(故人)の4人で、雪の上を東山に登った日を偲びながら二つの稜線を眺め、「まずは理想の半分をいつかきっと」と、思った次第。

CIMG2785-1▼村のたんぼはまだこんなに真っ白な雪の下。山斜面や水辺から土色がどんどん広がっていますが、まだまだ村は白の世界が支配しています。