この子たちの未来が平和でありつづけるように

CIMG2911-1CIMG2914-1保育園の入園式がきのう行われました。今年の入園児は昨年の途中入園も含め、0歳児と1歳児が12名、2歳児1名の計13名。「今日現在の在籍数は,0歳児4名,1歳児10名,2歳児12名,3歳児12名,4歳児15名,5歳児17名,総計70名での船出です。」と園長だより「紙ふうせん」に記されていました。

こういう構成の70名の園児に養護と教育で対応する保育職員は、理事長兼事務長、園長、副園長、栄養士、事務員、保育士、フリー保育士、病後児保育士、看護師、保育補助員、調理員など全体で25名。

3人の子(双子の長男長女、次女)がいた我が家では、すべてといってよいほど乳幼児育ては妻にまかせ「昔風、保守的」であった私でも、妻のその難儀さはわかっていたつもりです。それを、お仕事とはいえ3歳未満の子たちもふくめ、よそ様の子を保育という職責をもってあずかるというのは大変なことと、職員のみなさんをみて毎年思います。

そしてもうひとつ、過ぎた入学式でも、この入園式でも、思うのは子たちの未来のこと。

人はある程度齢を重ね、私のように65歳を過ぎてくると、自分の命の先行きはだいたい見通しがつくようになり、それまでの間には、願望もふくめて自然にも社会(政治・経済)にも激変はないだろうと思いたくなります。

現実には、千年に一度規模の大震災があったばかりですし、列島各地には今後それほど遠くない年以内の大地震の予測警告もされ、世界の政治経済も激動の火だねがいっぱいです。でもそれらは自分の目で確かめられる年代の範囲です。

問題なのは、入学、入園した子たちを含めたこの子たち、そしてこれから生まれてくる子たちのもっと先の未来のことです。私がもっとも近くに歴史を感じいつもたぐり寄せるのはやはり第二次世界大戦、15年戦争を境にした「昭和」のことです。戦争という過酷と戦後の平和を、間接、直接に身近で過ごしてきた戦後直後といってよい昭和26年3月生まれの私は、憲法に基づく戦後の平和維持こそ我が国発展の最大の源ととらえます。

ところが、大多数の憲法学者や内閣法制局長官の職にあった方も「違憲」とする見解の法案が強引につくられ、憲法のその平和条項に反する動きがここにきて加速しています。

子たちの平和な未来に責任をおえるのは今を生きるわたしたちです。予測できないことの多い自然災害の被害をはるかに上回る人間の仕業による戦争という人災は、戦後これまでの我が国のように国民の誤りない判断力が多数でさえあれば防ぐことができます。70年前のあの悲惨を繰り返さないために、この子たちが戦渦のない平和な日本と世界に生きられるよう、大人としてのつとめをはたす、子たちの平和な未来を保障しなければならない。これが、親たちに抱かれた新入園の幼子を、そして在園児たちをみての私の強い思いです。