もう50年近くもむかしの1970年秋の通称「東成瀬地震」の際、それまで長く取水していた自家用水道の湧水口から出る水が急に少なくなりました。
あの大地震の後には、集落のいくつかの「すず水(湧水)」にもそうしたことがあったらしく、大地震による地層のずれなどで地下水の通り道がふさがれたり狭くなったりは、村だけでなく、国内の温泉地もふくめよく聞くことです。
村の上水道もそうですが、水源に自然の湧水を利用できるということはとっても幸せなことです。ただ、何百年何千年単位の長い歴史のうちには、地震による影響でそういう可能性もゼロではないということを我が家はあの時知りました。
東日本大震災時に沈下した港の地盤が今度は隆起しているといいます。規模は小さいですがそれと同じようにあのわが村の地震の後も地下の層は少しずつ動いていたのでしょう、水の出はその後10年以上たっていくらか回復しました。その際、「予備に」と、その水源から500㍍ほど離れた別の水量豊かな湧き口からも水を引き、水源の貯水池に補充しました。春、夏、秋、冬と見回りや掃除に出かけるのはそれらの水源です。
天気がよかったきのうも、その水源見回りに出かけました。途中では、数百㍍近くにわたって滑り落ちてきたヒラ(底雪崩)が、本沢を大量の雪塊で塞いでいます。こんなのに直撃されたら一発で終わりです。山は2㍍ほどの積雪ですが、湧水口そばの支沢を雪が完全に隠すほど多くはなく、清水の流れが見え、音が聞こえます。
水源は沢のかなりの上部にあります。ここまで上がれば、ついでに郡境の尾根まで向かう山歩きにたいがい切り替えます。雪が締まっていてきのうの歩きは楽々です。
なじみのブナ林に立ち寄り、三又の集落を左に、右にタゲ(焼石岳)をはじめとする焼石連峰をながめながら見晴らしのよい尾根で一休み。帰路はいつものように岩井沢へ下りです。久しぶりに1万歩を少し越えるカンジキ履き歩きとなりました。
きのうはめずらしく斜度がもっともきつい最奥部の尾根を下りました。歩き慣れない方には転落の危険があり無理なコースです。眼下には、大きく開いたヒラ(底雪崩)の割れ口があります。このヒラはここの沢では最大級で、200㍍ほどを毎年落下します。そこは私の山菜採り場となりますが、雪消がもうはじまったこういう急斜面は多年草や柴木が多く、カモシカやノウサギ、ヤマドリたちの絶好の食事場でもあります。急斜面では、ブナの枯れ木についているサルノコシカケを、見上げるのではなく見下ろすということも。
きのうで66歳を満たし、67歳への道を歩き始めることになりました。年金受給世代でありながらも、はたらくということではまだまだまったくの現役。体はやや老化でも仕事は現役という自身をよく考えながら、責務を果たし続けねばと思います。