地吹雪のなか秋田市へ

きのうは議会関係の自治功労者表彰式と理事会で事務局長とともに秋田市へ。

表彰は全国町村議会議長会の表彰伝達と県町村議会議長会の2つ。いずれにも元職や現職の議長さんたちが名を連ね、議会表彰は五城目町議会が受けられました。

八郎潟町議会は改選後(無投票)の初議会が明日開かれるということで、新しい議会人事構成がここで決まる運びのようです。

県議会の定例会開催中で、知事は代理出席のあいさつ、当然県議会からの出席はなく、町村会長として当村の佐々木村長が二人目の来賓あいさつに立たれました。

今回は例年になく表彰者数が少ない年でした。それぞれの町村で、改選の年によって議員の入れかわり数に大きな特徴があることをしめすもので、議会によって入れかわりには年による大きな波があることを表彰式から感ずることができます。

猛吹雪かと思えばお日様が照ったり、変化の激しい天気の中の高速道往来でしたが、寒中と同じ気温下、同じ吹雪でも寒中とはやはり寒さの趣が違います。それは雪原を勢いよく走る地吹雪を見れば「春がそこまで来ている」を感ずるからでしょう。

凍みを利用したこんな加工食品も

「あれっ、鏡餅?」と思いましたが、これは搗いた餅ではなく、米粉などを活用して固め、冷凍・乾燥後に味をつけて揚げ物にされた「かゆ餅」という名のお菓子の元。

お菓子は村の加工研究会の母さん方の手によるもの。自然冷凍で乾燥されている場面ですが、きれいな吊り下げに目がひかれました。2枚目の写真がその仕上げ品で、直売所などにならびます。

▼我が家の鉢物として今花をつけているのはサザンカだけ。切り花を除けば花とは縁のない雪国の冬。それだけに、玄関でほぼ一冬咲き続けるサザンカは、家族の心をほっこりとさせてくれます。冬は、体とともに心の芯もぬぐだめ(温め)ねばです。

知恵と勇気を見せる鳥たち

週末、所用であちこちをまわっていての通りすがり、国道上にカラスがフワリと飛んできて口から何かを道に落としました。

そうです、よく見かけるカラスのくるみ割り芸当です。私の前を通った車のタイヤでそのクルミは見事に割られ中身の食べられる状態になっています。厚い積雪のあるこの時期、いったいどこからクルミを探し出してきたのか、いや、探したというより、おそらく秋のうちにネズミやリスのようにどこかに蓄えているとしか思えませんが、まずは、クルミを蓄えているであろうカラスのその知恵に感心。さらに、リスのように堅い実をかじる術がないカラス、こんどは道路に実を落として人様のタイヤでつぶし割らせるその知恵。これには感心を通り越してその賢さに「いやぁ、まいった」です。

身近なことでありながら自然には不思議がいっぱい。いつか、カラスのクルミ貯蔵庫を探し当ててみたいものです。

知恵だけでなく勇猛でも知られるカラスの仲間たち。先日のテレビでは、ナワバリに侵入したクマタカを撃退しようと堂々とたたかいを挑むカラスよりもはるかに小さなカケスの姿を報じました。普段なら天敵として襲われる相手なのに、侵入者にむかう勇気、クマタカはついにその場から飛び立ちました。

同じ仲間のカラスもナワバリをまもるためならタカなどの猛禽類によく向かっていく姿を目にします。彼らには知恵もあれば勇気もある。我々がお手本としなければならないところが、生きものたちの姿にはよくありますね。

▼春への橋渡しとなるこの季節特有の地吹雪が一定間隔でやってきました。きのうは気温もマイナス6℃。屋根にも、雪原にも、尾根にも、「へり」の風下にはどこにも大きなダシやマブができ、窓にも久しぶりに寒中のような雪が吹きつけました。

大きなヒラ(底雪崩)の始まりです

わが集落の南側、堰堤(平良発電所導水路取水口)上の急斜面に比較的規模の大きなヒラ(底雪崩)が見られました。きのうはひと月先の気候を思わせるような暖気でしたから、ほかにも底雪崩のおきたところがあったでしょう。大柳地点ですでに積雪2㍍越え、これからの斜面は、大小を問わず要注意です。

わがたんぼ脇の雪庇も、ふくよかさをさらにまして女性的な美を成長させてきました。雪庇の裏側斜面では、そこを歩いたキツネが、柴木の根元から足に土をつけて出てくるネズミを狙った跡がありました。

そばの小高いミズナラの森に棲むタヌキの群れは、相変わらず2つの穴から出入りして外歩きもしているようです。いったい、いまの季節、どんな食べ物を目的に穴の外へでるのでしょうか。穴の中には、何かの蓄えもしているのでしょうか。

冬眠もせずに、主にいきものをとらえて豪雪の冬を越すキツネ、テン、イタチ。そしてタヌキも冬はおそらく肉食が主でしょうが、かれらのたくましさにはいつも感心してしまいます。雪上にのこされた彼らの足跡、それは夜中に必死で獲物を探す姿と重なって見えます。

85歳で燃えさかる若者の心を小説に

若い頃、長く仕事でお世話になったN氏から、おととい少し厚めの封筒で便りが届きました。

開封したら、中に収まっていたのは小説。そこには「冠省  突然で恐縮ですが、自作の小説を一編お送りしました。八十五歳になって初めて手掛けた創作です。実は義兄(姉の夫)が前大戦で戦死したのですが、戦後七0年間、この件が忘れられず、「ボケないうちに」と思って書き纏めてみた次第です。――ご笑覧いただければ幸甚です。皆様のご健康とご自愛を願って  早々」と記された言葉が添えられておりました。

N氏は、私がお世話になった当時から、話し言葉、文章の論理が明快で、かつ難しいことをやさしくわかりやすく表す文書というものに心がけられた方でした。それだけに、私などは、文書の書き直しでよく厳しい指導をされ、直された後の文書は骨と肉がなくなって皮だけしかのこらなかったということも度々ありました。

しかしこちらは義務教育時代の大半は学校の学びがまったくいい加減、そのため土台がほとんどできていませんでしたから、そういう指導をされた割には成長できずその状態が今も続いています。脇にそれますが、封建社会の寺子屋に通った子たちのように、「子供時代に読み書きの基礎を徹底して養っておくべきであった」は、私の痛恨の思いです。とにかく小中学校と、学びからあまりに遠いくらしを過ごしてしまいました。

さて、公立高校の教諭も務められたN氏は、すでに大冊を含めた社会運動史などいくつかの論文で編集・執筆者として活躍され、今なお研究論文などで健筆を振るわれております。しかし、「当時のN氏を思えば思うほど、まさか、小説を著すとは。それも85歳で、戦争と愛を主題にした作とは」と、まず驚きました。

小説の内容は、公立病院の医師であった義兄(独身)が軍医として南方戦線に召集され戦死するまでの実話を基にした創作です。国のちがいをこえて、平和の尊さと、人間愛、戦争というものをはさんで時に熱く時に深く燃えさかる若者たちの愛を掘り下げたものです。創作は、主人公をめぐって、祖国にのこした相思相愛の許嫁と戦地で出会った外国人女性の心の葛藤などをあらわしたもので、いっきに読み手をひきつける力が文章にはあります。

年齢を知らされなければ、おそらく85歳の方が著した作とは思われないいわば「青春小説」。この熱い心がちりばめられた創作を読ませていただき、「まだ数えで66歳の自分など、年寄りじみたことを言ってられないな」と、己を振り返ったところです。

▼屋根から下ろした雪がこのように積み重なり、我が家はいつもの冬のようにもう少しで二階の窓から出入りできるほどになっています。ほぼ平年並みの積雪でもこうです。今後この高さが増さなければよいのですが。

常に行財政改革の徹底を視野に

きのうは議会の2つの常任委員会の調査活動があり会議が開かれました。

議会事務局提供

一方の委員会では、公共施設の維持管理や村財政の現状と財政見通し等について、もう一方の委員会では、椿川に建設された循環拠点施設(くん炭製造施設)と田子内の食肉加工センターの稼働、運営状況について、それぞれ総務財政課長、企画商工課長の説明を受け、午後にまたがって質疑応答が交わされました。

総合計画が定める事業進展を着実にはかりながらも、村の安定的な財政確立、そのためにも住民本位の行財政改革の徹底が我々には常に求められます。こうした各種の調査活動が、委員会としても、議員個人としても、今後の議論や提言、提案に活かされていくものと思われます。

▼きのう午前は手術後の抜糸の日と決められていました。これで再び両眼が明き、やや遅れて会議に出席。両眼への点眼がまだしばらく続きますが、まずは病からも窮屈さからも完全解放されました。

こちらにとっては値の張る「サングラス」を、紫外線対策「眼はカナメだから」ということで提供していただき、とくに雪原では今後常用することにしました。再発しないよう養生につとめながら、また雪の山に出かけたいと思っています。

雨水が近づけば春近しを感じます

寒の季節を経て、家々の軒下につるされていた凍み大根がちょっとした風にもプラプラ揺れるようになりました。これは水分がほぼ脱けきり完成食品に近づいている証です。

まだ週間予報に雪だるまマークはならびますが、我が家北側の鯉の棲む雪消しエド(池)も、水の色が心なし春色に感じられます。それもそのはず、まもなく雨水です。

私たちは、各地に雪祭りがおとずれそれが終わる頃になれば「まず、大きな雪降りは落ち着いた」ととらえます。それから幾たびかの暴風雪があっても、陽光、地面、水、風、草木や生きものたちの色と気に春を少しずつ感じ取るからです。

村とさほど変わらぬ緯度にあって二十四節気の季分けを考えた大陸・中国の都市も、雨水の頃になればきっと春のいぶきが気の流れに感じられるのでしょうね。

みんなが人間らしく生きられる社会に

村の芸術文化祭と方言を駆使して寸劇を演ずるシヤベローゼ大会が例年のようにきのう「ゆるるん」を会場におこなわれました。

ご案内をいただいておりましたが、眼の状態を考え今回は欠席としました。

陶芸、和紙、写真、蔦細工などなど、「えがったよ」と、ひととき場内に立ち寄った妻が語っていました。きっと寸劇も、歌や踊りなどの各演目も同じだったでしょう。

仕事と同じで、人間の芸とはほんとに多様なものですね。人はパンのみにて生くる者に非ずともいわれてきました。私たちは社会の一員として生きる糧を得るためにはたらきながら、一方で心の充実をもとめ豊かな芸術にもふれます。それにとどまらず芸術そのものをつくりだす場に身をおく方々もおられます。

その生みだされた芸は、自分が楽しみながらほかの人を楽しませ、時に感動すら与えることができます。糧を求めるだけでなく、芸の道を探究して生きる、そんな方々は、みなさん、キラリと心が輝いているようにみえますね。

「パンのみにて生きる者に非ず」などを引用し記していてのきのう夜、子供の貧困をとりあげた放送を視聴しました。子供の6人に1人が貧困のわが国。GDP上位といいながらそういう厳しく残念な現実がこの国にはあります。番組ではある母子家庭に焦点をあてていましたが、そうした家庭でなくてもたとえば家族に病気があったり、はたらけなくなったりの激変があれば暮らしがたちまち経済的な窮地にはまるというのはわれわれの多くの現実でしょう。

一極集中された富を社会のために還元させる、都市から地方までどこにもひろく存在する極端な格差の是正に総力を注ぐ、6人に1人の子供が貧困という状態を克服する、つまり憲法がうたう自由と平等、基本的人権を保障する、内政の根本はいまここにあり、でしょう。

村は世界有数の豊かな食の郷

雪国の2月、3月は、まだまだ貯蔵山菜やキノコが喜ばれて食卓にのぼる時。

我が家でも、納豆汁用に欠かせぬワラビやサモダシ(ナラタケの仲間)、煮物に重宝するサグ(エゾニュウの仲間)やウドなどが週単位で少しずつ塩出しされ、栽培しているゼンマイもほぼ毎日の食卓につかわれるため、これも乾燥モノの戻しがされます。

ほかに、妻の手で瓶詰めされていたミャゴ(マイタケ)、シシタゲ(シシタケ)、ヒメジ(ホンシメジ)、ハダゲヒメジ(ハタケシメジ)、クリカラモダシ(クリフウセンタケ)も食卓をにぎわし、塩漬けされているアガキノゴ(サクラシメジ)、カノガ(ブナハリタケ)、シトリテデ(ウラベニホテイシメジ)、ハギモダシ(ホウキタケやホウキタケの仲間たち)、トビダゲ(トンビマイタケ)、ナメラコ(ナメコ)、ノギウヂ(エゾハリタケ)そして山菜のタケノコ瓶詰めも時にその仲間に加わります。

先日のNHKは、奥会津地方の山の幸と人々のくらしを見つめる番組を放送しました。日本各地の豪雪の土地はいずこも国内最大最高級の山菜やキノコが数多く産する地でしょう。そこの冬の食卓は、旬の春や秋に見劣りしないほどに、山菜やキノコのオンパレード。

人の手をかけて育てるおいしさとびきりのあきたこまち、トマト、菌床シイタケや野菜などもいっぱい。雪国のわが村は、ほかの豪雪のまちやむらとともに国内有数、ということは世界有数のゆたかな食の郷ともいえます。昭和までの時代なら、これにノウサギやヤマドリ、カモ、川魚(もっとむかしならおそらく成瀬川に遡った鮭や川鱒も)などをふくむ動物たちの肉も普通のくらしで食されていましたから、ほんと、食は豊かだったんですね。

「翼状片」で今度は右眼を

左眼につづき右眼の手術をおととい終えました。「翼状片」という角膜の病で、黒目に薄い膜がかかるようになると乱視がひどくなり、その膜片を切除する手術です。

病の進み具合にもよるでしょうが、15分ほどの短時間で手術は終わり、日帰り治療で一週間後の抜糸というのが普通にたどる措置です。

眼の手術といえば、まことに多いのが白内障を患う高齢のみなさん。こちらと同じ日にも同じ手術室にある別の手術台には、白内障の方々らしい姿がみられました。

白内障と同じようにこちらの手術も局部麻酔でおこなわれますから、ぼやけながらも医師の手の動きがわかり、縫合のときの糸のうごきもかすかながら感じとれます。しかし、痛みはほとんどなく、患者の不安をやわらげるためでしょうか、手術室にはクラシックの曲が低く流れていて、その曲に関心がゆくほどに落ち着いた雰囲気の中で15分はあっという間に過ぎます。

昨年12月の左眼の時は、眼の玉に刃をむけられるのですから不安が少々ありましたが心配はご無用。明治、大正、昭和の初期頃にもこう素早くできたかは知りませんが、とにかく医術とはすばらしいものです。

こちらは手術を要する体験といえば、20歳代の頃に左右2つの扁桃腺を局部麻酔で切除して以来のこと。そのときは、確か椅子に座ったまま局部麻酔が施され、はさみみたいな術具でバチンバチンと扁桃腺を切りとり、入院治療でした。(40年以上前のことですから、今は、もっと改良された手術法となっているでしょう)当時のそれは、喉ということもあり術後数日間の苦痛がそうとうのものでした。それに比べたら、抜糸前までは眼がゴロゴロしますが、「眼の手術」という大事の割には安心な手術であることを両眼の体験から知りました。

また一週間、車の運転をひかえなければならず窮屈な日々となります。高所作業も片眼では危なく、そういうこともあって屋根の雪下ろしも4度目を済ませていました。とりあえず術後一週間、大雪とならないことを願っていましたが、どうも、そののぞみどおりにはならない、もしかしたら今冬最後かもしれない大雪予報が出されました。