臨時会議と美郷町への視察

一般会計と簡易水道事業特別会計2つの予算補正議案で議会の臨時会議がきのうひらかれました。補正後の一般会計予算総額は約42億3,300万円となりました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議案審議では、除排雪費や冬期交通対策費の関連予算について質疑応答があり、予算案提出、議決、執行ということへの原則的なとらえ方、当初予算と補正予算の置き方に関する原則論についても質疑が及びました。

午後には産業建設常任委員会の視察研修で美郷町役場へ。美郷町の畜産と耕種農業2つの振興策を目的につくられた堆肥センター事業の視察が目的です。

平成20年から稼働している堆肥センター事業は、総事業費4億2,900万円ではじまり、株式会社美郷の大地が運営しています。この会社の出資者は、美郷町(66㌫出資)、JA秋田おばこ、JA秋田ふるさと、町内畜産団体、町内園芸団体の5団体。正社員3名と臨時職員2~8名で運営されています。指定管理料はゼロということで、売り上げ(平成27年度の売上高は約2,790万円)で事業を運営しています。

事業の内容は産業廃棄物処理業、産業廃棄物収集運搬業、そして堆肥センターの根幹をなす特殊肥料販売(牛ふんを主体に、豚ふん、鶏ふん、モミガラを混ぜた完熟堆肥)です。販売の一事業となるのでしょうが、農地への堆肥散布も行っていて、平成27年度は約216㌶への散布実績もあります。

堆肥センターの立地場所は町内でも最も雪が多い所とされ、テントつくりの施設は雪対策をよく考慮されているように見受けられました。

販売までふくめ入念な計画のもとに事業を立案する、雪対策をふくめ施設建設後の維持費用をよく考える、なによりも住民が「あってよかった、ありがたい」と思える施設をつくる、これは自治体にとって共通してめざすところであり、意義ある視察でした。美郷町の高橋議長さん、町と堆肥センター職員の皆さん、お忙しい中、時間を割いていたただきありがとうございました。

立春をむかえて並の冬らしく

週末の寒波が過ぎてから、住家や農作業小屋など今冬4度目の雪下ろしとなりました。風が強かっただけに雪は風下となる屋根の東側に多く積もっていますから、母屋だけは風下半分の下ろし作業に止めておきました。風の強い集落では、多くの家で大きなマブ(屋根や雪原にできた雪庇)ができていました。

屋根にできたマブが予想外に成長していて、それを踏み抜いて転落の危険もあります。フギ(吹雪)の後の雪下ろしはいつの年も要注意。また、山の尾根にできた同じような雪庇を我々山人はダシという別の名でよび、これも冬の山行の人々にとっては、転落の危険や雪崩誘発などで怖い存在です。

成長しきったダシに近づくと、カンジキの爪の一踏み、スキーヤーならストックの一突き、わずかの震動でもビビーッと一気にダシがひび割れ大規模な崩落がおきます。急斜面ならその崩落がワス(表層雪崩)を誘発することもあります。近年はスノーモービルの方々や山スキーの方々の深山入りもあるようですから、大雪後のダシ落ちやワスの恐ろしさをよくよく知ってほしいと思います。

村のマタギたちから雪の山歩きを教えられた後継ぎの我々は、「大雪の後に、きづいヒラ(急斜面)を、あれぐずぎは(歩く時は)、ヘラ(狩猟専用の雪ベラ)を、ワより(自分より)下につげ(突け)」と言われたものです。場合によってはヘラのたった一突きで発生するワスに巻き込まれないためです。

もちろん雪山(特に大雪後)では急斜面を横切らないことが鉄則ですが、最短距離を選ぶ時などは希に鉄則に反することなどを私もやってしまったことがあります。しかし、あのカモシカでさえ、急斜面を横切っていて雪崩にやられることがありますから侮りは危険です。

先日の寒波で尾根筋のダシや雪原際のマブはほぼ一人前の大きさに成長しつつあります。今朝は1℃で雨、きのうから暖気で積雪は下がりましたが、だんだんと並の冬に近づき、村予算の除排雪費(冬期交通対策費)の追加補正などが必要で今日は議会の臨時会議が開かれます。

雪下ろしの合間には「雪で遊びたい」とおとずれた童たちといつもの河川敷へ。きのうは、村の要望活動で毎年お世話になっている地元選出代議士の国政報告会に出席。各方面で年内解散がささやかれるなか、加えて今年の秋田は昨年に続き地方選挙も多く、知事選、各市町の首長選、議員選が目白押し。管内では湯沢市と羽後町の首長選、湯沢市の市議選がひかえていて、どの席でもそれらにまつわる話題が豊富となった集いでした。

立春直前で厳しい寒波

今冬最強かなと思える寒波で、きのうの外は久しぶりに一日中冷凍庫の中にいるような村となりました。それは今朝も同じで寒さは続き、「少ない」と思ってきた雪もいっきにまた増えました。

ところで、人為による地球温暖化が警告されて久しいわけですが、地球誕生後の長い歴史から地球科学の分析で今後をみれば、地球はむしろ寒冷化の時代にむかっていると科学者たちはいいます。

私は小説を読むようにわくわくしながら宇宙や地球の歴史をとりあげる著書に触れることがあります。最近それらのなかでとくに心をひかれた著書があります。それは昨年10月に発行された「地球の歴史・上中下3巻」(鎌田浩毅著・中公新書)。地球科学者の鎌田氏はそのあとがきの一部で「数十年単位のミクロな時間軸で見れば、温室効果ガスによる温暖化は確かに起きている。一方、数万年単位のマクロの視座では、暖かい間氷期が終了してこれから氷河期へ向かう途上にある。」と述べています。

大陸の移動、大気と海流の循環、月、太陽、宇宙、いずれ自然に支配されているわたしたちの営み。少し吹雪けばウアーッ吹ぐゥ、少し寒ければウアーッさびィ、少し暑ければウアーッ暑ェと、口説き口説きしながら山里の四季を過ごす私ですが、何万年後にやってくる氷河期、未来の東成瀬に生きる人々はどんな愚痴をこぼしながらその時を生きているのでしょうか。

集落の様子を視に上流へ

もう片方の眼の手術の準備があってきのうは通院。その後いつものことですが、村内の積雪と集落の様子をみながら成瀬川の最も上流部にひらける菅ノ台集落まで上がりました。立春直前でこの積雪規模ですから、例年紹介しているよりはるかに雪は少ないことがおわかりいただけるでしょう。

桧山台集落に人家がゼロとなってもう数年が経ち、今は、中森の2戸とここ菅ノ台の4戸の集落が昔からの村最上流部の集落となりました。そのため冬は特別の用事がなければ一般車の国道通行はここでストップ。以前のように気軽に冬の赤滝詣とはいかなくなっています。赤滝詣などは脇においても、人が住みつづける、家があるということはほんとに大きな意味をもつことがこれでよくわかります。

ところで全国の地方どこにも増えている空き家。村も大字田子内地区から大字椿川地区までその例外ではなく、とくに人の出入りがはっきりわかる雪の地方では、玄関と屋根の雪をみれば空き家の存在がすぐにわかります。屋根には雪が多くあり、あるいは玄関に人の踏み跡も除雪の跡もなし、そこはほとんどが空き家です。

全国の雪の村や町にくらす人々は「ああ、ここは空き家、ここも空き家」と、空き家がはっきりする冬は、いずこも複雑・さみしい気分にかられているのではないでしょうか。

屋根雪を一度も下ろさない様子の空き家は、同じ空き家でも完全に「管理放棄」か、管理したくても経費がかかってできない空き家なのでしょう。それは冬をひとつ越すごとに廃墟化してゆきます。豪雪地帯の空き家問題、空き家対策は、そうでないところよりはるかに大きな難題です。

▼冬の生きものたちで一番多く目に入るのは鳥のなかまたち。酉年だからというわけではありませんが、成瀬川に毎年姿を見せているらしいきのうの白鳥たちを今回も一枚載せておきます。

▼夕べから吹雪が続いています。早朝の外気温はマイナス8℃。家の窓も壁も久しぶりに豪雪の土地らしいフギ(吹雪)まみれの様子となりました。

このままなら難儀でない冬ですが

村はずれの庚申塔がまだこんなによく見えます。我が家のように3度の雪下ろしをしたところがあるとはいえ、きのうまでの今冬は例年にないほど雪は少なしです。

過ぎた29日、風邪の治った童が「雪で遊びたい」と訪れいつもの河川敷へ。ここもいつもの1月末に比べれば積雪が少なく、雪を相手の遊び勝手もちがってきます。

雪原を歩けば、この時期になるとよく見られるユギムシ(セッケイカワゲラ)の成虫がいっぱい。村の冬に雪上で見られる昆虫はこれぐらい。俳句の季語ではこの虫を「春」としているようですが、立春の頃から動きがよけい活発になるからなのでしょうか。

この虫、微生物を食べて長い冬を生きるといわれます。生態系は多様、ほかの昆虫たちとちがい冬に休まない変わった虫と聞くと、関心度が増します。きっと、この虫を喜んで食べる鳥たちもいるのでしょう。先日、ジョウビタキが樹上から雪原に舞い降りていましたが、もしかしたらこのユギムシをとらえていたのでしょうか。なにしろ羽のない成虫、つかまえるのは容易いですから。

雪上には、樹に上ったテンが高所から雪原に大きくジャンプして降りた跡も見られました。

童と戯れていたら、近くの川下から「バンバンバンバン」の激しい連続音。「おっ、鉄砲ぶちだぞ、カモ、飛んで来るぞ」と言ったらすぐ、何十ものデロガモ(カルガモ)、アオグビ(マガモ)もなんぼか混じった群れがいくつもの集団になって飛んできました。

秋田のカモ猟期は1月末まで。「同じカモでも寒中のカモは脂がのって最も美味」とされてきました。あの連続散弾発射音と群れの数ですから、そうとうの極上カモが鉄砲ぶぢたちの手におさめられたでしょう。川は、美味の鳥肉も育むのです。

雪が多くないのでヤマドリも助かっている様子

美郷町、羽後町、東成瀬村、3町村議会議長会の協議会がきのうひらかれ、今年の活動計画を話し合い情報交換を行いました。

平成の市町村合併を経てつくられた協議会では、お互いの自治を学ぶうえで参考になることが多く、私どもも、議会活動や議会事務、政策推進の面で羽後、美郷の事例にいくつかを学んできました。今年は、この後6日に美郷町の農業関連策を視察に常任委員会が訪れる予定もくまれています。

▼きのう午前、降雨の下での役場からの帰り道、国道沿いの斜面にヤマドリのメスがうずくまっていました。寒中になり大地が厚い雪に覆われると、彼らがエサを摂る場所は雪の積もらない沢や雪が崩れ落ちて土肌の出る斜面、積雪の影響を受けないウメボドゲ(ツルウメモドキ)やヤマブドウの実、漆の仲間の木の実などに限られてきます。(昨秋はヤマブドウが不作、いつもと違い冬に実のついている蔦はほとんどありませんでした。)

ヤマドリは、木の実の豊富な秋にはたっぷりの栄養をとれるので蓄える脂肪も多く、この脂肪は野生鳥獣の中では「最高級の脂」とされ、ダギニグ(抱き肉・胸肉)と調和されたお吸い物料理や焼き鳥は狩人の間では究極のごちそうとされてきました。(ただし、狩猟法でメスは捕獲できずオスヤマドリしか捕獲できないという定めがあります)

秋は脂肪も多く体が丸いヤマドリも、寒中以降は摂れる食べ物の質・量が少なくなるためでしょう、だんだんと脂肪が落ちて体も細くなります。でも、今年は比較的雪が少なく食べ物を摂れる範囲が多いのか、このメスヤマドリはまだふっくらと丸い体型を維持しているように見えます。

このメスヤマドリ、天敵に襲われず春をむかえることができれば、恋の季節を経て、いっぱいの子たちを連れる姿と出会えるかもしれません。

土にはたらきかける人々の集い

金曜日は湯沢雄勝の「わくわく農業活性交流会」(管内の担い手連絡協議会など主催)、土曜日は「村の農業を語るつどい」(村の田畑会主催)と、いずれも農業の担い手組織のみなさんのつどいへ出席しました。

▼「わくわく」の講演では、業務用米の重視が語られました。また事例発表の一人として、村農林課主任のSさんが、わが村の農業振興策をわかりやすく説明。「若いのに、立派な発表」と私に声をかけてくれた村外の方がいて、うれしくなりこちらもうなずきました。

▼村のつどいでは、東北農政局秋田支局の菊池満氏が、新たに導入されようとしている「農業の収入保険制度」について、仙北市西木町の赤倉栗園代表 赤倉一善氏が「栗栽培家業から稼業へ」と題してそれぞれ講話をされました。

TPPと抱き合わせだった農のコスト論が盛りです。コスト低減をはかるは農商工すべての産業に共通する課題でしょうが、「農」の部門で国際的な「競争力」が強調されるとき、それは少しちがうと疑問視したくなります。欧米など農産物大量輸出国が、農にどれだけの保護政策をとり国家予算を注ぎ込んでいるか、そのもとで、国家の安全保障戦略として「食と農」を結びつけ、対外戦略をたてていることにもっと注目したいものです。

わが国の食は、麦、大豆、家畜飼料等々、輸入相手国の動きにほぼ命運を握られています。「食」の根幹は国内でまかなうという欧米の安全保障政策に学び、消費者もふくめた国民全体が、安易なコスト論にはめられないことが、世界人口の爆発的増加のもとでますます大切と思われます。再生可能エネでエネルギー自給率を高める(これは地方自治体としても課題)ことへの重視と同じで、食の根幹は自前で確保する。そのためには日本国内における農のコスト論には限界があることを見つめながら独自の経営努力をしたいものです。

それに、国内では「いつおきても不思議でない」とされる大都市を襲うであろう大地震も必ずきます。その時に、都市部の方々(その多くは農山村出身の身内の方々でもある)が頼りとするのは、たとえば米味噌がほぼ一年分蓄えられている農山村、飲料水も豊富で、いざとなったら一定期間の大規模避難受け入れもできる農山村の家々や施設でしょう。対外的な安全保障政策とともに、地震国日本固有の大規模災害時の安心確保のうえからも、農のコスト論に安易にはまってはならない。国家としてのコストがある程度高くついても「農山漁村を維持しておかねば」という世界先進地の国づくりにも目をむけねば、です。

▼沿岸部を中心に風が強かった金曜日。人里は案外おだやかでしたが、寒中の焼石連峰では、南よりの強風のもとで積もっていた粉雪が舞い上がりを続けます。名峰・さんさげェ(三界山)も、頂からまるで噴火煙のような雪煙がうまれ北へ流されていました。

その写真を撮ろうと車を降りたら、しだれ桜の幹にアオゲラがとまっていました。この鳥が止まっているということは、桜の幹内にも虫の何かがつき始めているのでしょうか。

現行体制で最後の地域農業委員会研修・交流会

湯沢雄勝地域農業委員会連絡協議会による合同研修会と交流会がきのうわが村を会場に開かれました。平成の市町村合併後につくられた連絡協議会ですが、郡市でこうした組織をつくり、研修・交流会を続けてきたのは県内にもあまり例がないでしょう。

毎年持ち回り開催してきた集いで、例年11月頃に行われていたものですが、昨年11月は種苗交換会にあわせた県の農業委員大会の会場が湯沢市であったことや、3年に一度のそれぞれの委員会管外研修で日程を割かれたことなどもあり、今年度は年明け開催に変更していたものでした。

時あたかも新しい農業委員会法にもとづく新体制に移行する年でもあり(現体制での任期は7月)、研修テーマも県農業会議総務企画部長の松田功氏を講師にお迎えし、それにふさわしいお話をしていただきました。

湯沢市、羽後町、東成瀬村とも、先の12月議会で農業委員と農地利用最適化推進委員の定数条例を決めており、全国、県内の市町村と同じように農業委員だけでは大幅に現数を下回っています。

そういうこともあり、「戦後続いた現組織体制での最後の研修・交流会、」「同じ顔ぶれとしては、おそらく最後の集い」ということを、当然ながら意識された日となりました。

今年度は、議会の3市町村交流会もわが村が当番で天候快晴。きのうも、寒真っ最中の時でしたが、つかの間のとても穏やかな一日。開催当番地として、お天気に助けられた28年度でした。

今冬3回目の雪下ろし

週間天気予報をみて、行事予定をみて、屋根の積雪量をみて、「今日しかない」と、昨日今冬3度目の雪下ろしに上がりました。

もうひと降り重なってからでもよかったのですが、今日から催し事がいろいろあり、それでやや早めの3度目下ろしです。

まわりはだんだんと2㍍近くの積雪に近づき、いつもの豪雪の村らしくどっしりと厚い雪に大地が覆われ、ようやく「これで、あだりめェの、冬ィ、なった」そう思える落ち着いた景色がひろがります。

▼先日「何かを咥えていたカケス」を載せました。その何かがわかりました。あれは「イラガ」、刺されるととっても痛い毒蛾の仲間が入った繭のようです。もちろん、カケスはあの繭の中に食べ物が入っているということを知っていたのです。

繭の中で生きるのは普通はサナギでしょうが、イラガの場合はまだ完全なサナギにならない「前蛹」という幼虫の状態で冬を越すということです。繭は、昆虫の仲間としてはめずらしく堅くできていて、かなりの圧力を加えないと破れないほどといいます。

大きな幼虫が冬に食べられるわけですからカケスにとっては大のごちそう、咥えた繭を木の枝に打ちつけたり、こすりつけたり、真剣なうごきの意味がわかりました。堅い繭、幼虫のような「前蛹」、ここでくらしながら、自然って、生きものって、まだまだ知らないことがいっぱいです。

地方の盛衰が国の運命を決める

寒の真っ最中ですから、いつもの年なら行事のない日や時間には雪下ろしや除排雪に明け暮れの日々のはず。しかし、昨日までは雪は降るものの雪と向き合う作業時間が案外少なく、その分、物事をじっくり考え、読んだり、みたりする時間が多くとれます。

たとえばその考えるなかでとくに意をはらうのは、中・長期にわたる村の展望についてです。地方自治体流にいえばそれは総合計画、経営体ならば経営ビジョンでしょうか、つまり何をめざすかの「戦略」、そしてそのためにどんなことをやるかの「戦術」です。

実は、議会だよりへの年頭のあいさつの中で、平成の市町村合併時に村が単独村の道を選択したことにふれました。規模の大小や財政見通しの良し悪しを問わず、この時にわれわれ市町村は大きな選択を強いられました。その時、中・長期の展望をにらんだということになるでしょうが「単独村でゆく」という方針を村はとりました。こういう選択を、しかも期限付きで迫られることは行政史上にそんなに多くあることではないですから、ここでは「戦術」ではなく、最も大きな正確な「戦略」をもつことを地方は問われたといえます。

そして平成の合併はひとまず終止符を打ち、それから10年以上の年月を経ました。村の選択がまちがっていなかったというのは当事者である村内の大方の見方でしょう。それと同じようなことを、県内の元行政に携わった少なくない方々などからも「あんたのどごろは、ええ、判断をした」との声として寄せられます。客観視としても、自治を「戦略」としてしっかりまもったということはきわめて貴重なことだったとされているのです。

そして、10年以上を経た自立の村のこれからです。人口減少全体をとらえて、よく「村はこのままでやってゆけるのか」ということが言われます。しかし、人口規模での心配ということでは、人為の市町村合併以外、自治体が自然消滅した事例はないはずです。

全国には、何十年も前からわが村より人口の少ない町や村が一定数あり、1000人以下の町村もしっかり自治を保っています。たとえばそこの一部集落が消えることはあっても自治体そのものが消滅したということは聞きません。「地方消滅」の言葉に踊らされない、憲法が定める自治の権利とは、そう容易く人口云々で「消滅」されるものでないことを心得ておきたい。むしろ、地方の盛衰で国の運命こそ定められると思うべきでしょう。

一方で、立てた自治の「戦略」をよく見つめ、必要なら練り直し、100年の大計とまでいかなくとも10~20年スパンで常に「戦略」を新鮮にし、視野においてしごとをする、これが集団としてはこれまでに増して求められると考えます。個としても「そのために、その年ごとに、自分(自分の持ち場)は、どんなしごとをするか、しなければならないか」公職に身を置くものの一人一人として、その心構えを離さずつとめを果たさねば、です。

▼我が家の軒下には蜘蛛の巣がいっぱい。軒には彼らが越冬しているのでしょうか、それを狙ってか、シジュゥカラの仲間が冬にはよくやってきます。小鳥は、よくはたらきます。