彼岸のお墓参り

今朝の村はうっすらと春の雪降り。今日が彼岸明けで、地元集落の龍泉寺境内にある墓地にはお墓参りの姿が続きました。

今冬は豪雪対策本部の設置もなく、降雪がそれほど多くなかった割には雪消えが遅く、我が家の墓はまだ厚い雪の下。仕方なく、「お墓のあるところは、だいたいここらだろう」と雪の上にだんごと「彼岸花」を供えお参りしました。積雪000㌢の数字よりも、お墓の雪の深さをみれば、国内・世界有数の豪雪の村でくらしている人々の姿が想像できるでしょう。

むかしは、この彼岸の頃より前までに田んぼや畑へのソリでの肥引き(堆肥運搬)を仕上げ、今頃は木材、薪炭材の伐りだしや柴木のそり出しがはじまったのです。わたしのむかしの3月は、ソリでの木出しの日々が記憶に深く刻まれています。

▼県町村電算システム共同事業組合議会の3月定例会がきのう開かれました。

松田知巳管理者(美郷町長)の招集挨拶に続き議案が上程され、総額約6億9千万円となる平成29年度一般会計予算案や監査委員の選任同意案を可決しました。歳出予算でもっとも大きな部分をしめるのは当然ながら電算管理費で、29年度の当初予算では約6億5千万円となっています。

議会には、先の八郎潟町議選を経て新しく選出された村井剛議長さんも出席、ごあいさつがありました。

きのうで私が関係する議会はすべて3月定例会を終え、来年度にむけた予算案を決めスタートできることになりました。

それぞれの町村で職員の異動があきらかとなっていて、「議会事務局長が替わる」というところもあるようです。月末から来月はじめまで、別れ、スタート、そして新たな出会いと、いずこも腰の落ち着かない日々がつづきます。

横手、三又のみなさんと要望活動

きのうは朝から夕近くまで主要地方道横手東成瀬線の要望で、雄勝、平鹿の地域振興局、県庁、県議会へとむかいました。

いつものように、整備促進期成同盟会の会員である横手、東成瀬両当局と議会代表に加え、山内・三又地区(世帯数約80)、わが村岩井川地区(世帯数約200)の自治会、部落役員のみなさんといっしょの行動です。

こちらはまだ1㍍50㌢ほどの積雪なのに秋田市はもちろん積雪ゼロ。同じ県内でも、国内有数の豪雪地である横手市と村の要望は、通年通行の実現を含め道路の雪対策を主としたもの。要望に対して、春山除雪の早期実現や現道の改良整備要望箇所などで具体的なとりくみの準備があることが県側から説明されました。

春のおとずれが少し足踏み

季節がもっと早く春へと進むかと思っていましたが、降雪などもあり雪解けは少し足踏みしています。先にご紹介したセキショウとフクジュソウのある水辺も、雪がまだ多く、花群落もそれほど広がりをみせません。我が家そばのフクジユソウ群落はさすがに斜面の日向ですから花数は増えていますが、ネコヤナギの小川もまだこんなに厚い雪です。

ただ、雪が解けた地面は次第に温められて草たちが目覚め、芽だし二番手のウドザグ(ハナウドの仲間)や山菜のヘリザグ(シャク)、それに雪国人が待ちこがれていたヒロッコ(ノビル)も顔を見せ始めています。

こうなれば、雪消の早いところでは食べ頃のアザミもおそらく新芽を出し始めたでしょう。

▼ようやく冬の寒さをのりこえられる彼岸となりました。我が家のお墓参りは彼岸明けの日ですからもう少し先です。

それで彼岸入りから彼岸明けまでの一週間、仏壇と神棚には、ご飯に変わって時々ヘラツギ(へら搗き・ぼた餅)も供えられ、加えて仏前には、キノコや山菜、畑の幸など、主に貯蔵ものが毎日お膳に供えられています。新鮮な山菜をいっぱい供えられるのはもう一月先のことです。

ところでこちらは時々、神とか仏とか、神社とか、お寺とかに触れます。私の記す神とはいわば宇宙のこと、仏とは、その宇宙が生んだ生命(すべての先祖)のことという理解の程度で二つをとらえていることを、彼岸の機会に付記しておきます。人間がつくった特定のものへの崇拝ではなく、宇宙と生命への尊敬、感謝ということで私は神と仏を見つめます。

1年、2年、3年、4年、5年、そしてこんなに立派な卒業生に

きのうは午前に広域市町村圏組合議会の全員協議会と3月定例会、午後には小学校の卒業式、夜には祝賀会へと続きました。

きのう、奥羽県境の尾根を越えて東からフカゲ(ダシとも呼ぶ東風の雲)がかかりましたから、翌日の荒れ空は覚悟していましたが、案の定、時折、大きなボタン雪が厚く降り肌寒い一日となりました。

広域組合も今年度最後の議会。この春、現任期で引退を表明されている管理者の斉藤湯沢市長さんをはじめ、消防長、消防次長も今年度で退職、それに山内現監査委員も辞任されることになり、それぞれ「これが最後」を込めてのぞまれる3月議会となりました。議会は、新たに川崎茂氏(湯沢市役所市民生活部長、議会事務局長経て平成25年3月退職)を監査委員として選任、来年度骨格予算案が可決されました。

▼小学校の今年の卒業生は16人。村内にひとつでそれも小規模校ですから、子供たちも先生も学年を問わずみんな家族兄弟姉妹みたいなもの。卒業生の後ろに並ぶ1年生から5年生のみなさんを見て、こうやって一とせごとに大きくなり立派な6年生になるまで育ててくれた先生方、そして12の春まで苦労して育ててくれたご家族のみなさんに「ご苦労様でした。ありがとう、おめでとう」の心が会場に満ちた卒業式、祝賀会でした。

帰りの外は大粒のなごり雪。むかしの卒業式でよく歌われた「♪ほたるの光 窓の雪♪」「♪仰げば尊し 我が師の恩♪」の当時を思い出しました。

「医療は人道(仁道)業」

年に二回開催されている雄勝中央病院の運営委員会がきのう開かれ出席。

聞き間違いでなければ、院長先生は「医療すなわち人道(仁道)業」と語られます。ふるくから医は仁術ともいわれてきました。人を思いやる心で、医療というものの本質を最も大事にされながら経営努力にも力を尽くし奮闘されている病院のみなさんには、毎度のことながら頭が下がります。

地域社会に必要な医療体制を万全にすることは本来なら国の責任でなすべきことでしょう。国においては大都市へ、地方では県都へ一極集中が促進される政策がとられるもとで、「経営」が頭をもたげ過ぎると医療の本質からはなれることにつながると思えます。運営委員会は、その点、医療の本質というものを離さずに課題をかかげ議論されていますから貴重です。

国のかたちやしくみはちがうでしょうが、我々人間社会がつくりあげた医療制度で、いま最も先駆的な到達にある国はどこなのでしょうか。我が国のすぐれた制度到達部分を大切にしながら、医師偏在、看護師不足など大課題となっている問題解決のために、この国には「何が足りないのか」、国政の根本が問われていると考えるので、「世界の先進にも学ばねば」といつもこの会議に出る度に思います。

一般質問は二議員

本会議3日目のきのう、一般質問が二議員によっておこなわれました。

この日は、議会傍聴は初めてでないかと思われる方々をふくむ岩井川地区のみなさん5人もお出でになり、傍聴をよびかけていた議会側としてはうれしい一般質問の日となりました。

▼午後のひととき、「気分転換に」と自宅前の河川敷をカンジキ履きで散策。まもなく彼岸入りですが、3月初めに見られた春のおとずれを知るネコヤナギやフクジュソウの開花も、その後の吹雪や低温続きなどで一休み状態、あるいは新雪の下になっています。

それでも、湧水や小川など水辺の雪解けは着実に進み、今年最初のユギノシタキノゴ(エノキタケ)が顔を出していました。春の香りをいただこうと、野鳥たちも啄んだ様子のあるノゼリもきのうは少し手にしました。

エノキタケが出るのは河畔林の柳の枯れ木。立ち木の中にも枯れ始めがあり、枯れの兆候がわかるのは幹の中に虫が棲み着いたとき。それはキツツキたちがあけた穴の跡で確認できます。ここには、アカゲラ、アオゲラ、コゲラの仲間たちがよく飛来します。老いた柳は、その最後に木虫とキツツキを養い、倒れてからも各種キノコと虫を養い土に還ります。

ノウサギ巻き狩り、天然美味食材の宴

村猟友会恒例のノウサギ巻き狩りの12日。夜にふわっと重なった雪の上にはノウサギの新しい足跡がよくのこっています。カンジキを履いてもズホッズホッと足が雪に二度沈みし歩きにくく、やや肌寒し。でも時々晴れ間があり、風はなくまずは申し分のない狩り日。

今冬の最深積雪を3月10日に記録した椿台は200㌢、大柳は218㌢で、豪雪対策本部などが設置されない年にしては、めずらしく3月半ばに積雪が案外多い春です。そういう雪の多さもあり天気の条件もよかったのでしょう、巻きでは6羽(6匹ではなく、村のマタギたちはむかしからノウサギは鳥のような数え方もした)のノウサギ猟果があったようです。

夕刻からの宴では、ここの宿でしか味わえない、野生獣特有の臭いを消す独特の調理術でつくられた骨ごとぶつ切りのまことに美味なウサギ鍋、希少なロース肉と肝臓の刺身、腸の即製塩辛など「豪華」な料理がならび、捕る趣味(むかしは生業でもあった)につきものの「ホラ噺」などをふくめ愉快な懇談が続きました。

当日狩られたノウサギはすべてその場で競りにかけられるのが近年は恒例となっていて、バブルの頃よりは値が低いですが、一羽8千円ほどが競りでは平均相場となっています。競りといえば昔のクマ狩りの宴では、生薬として用いる高価な熊の胆をはじめ、皮、背骨、手足の骨、肋骨、頭、オスの性器、脾臓、脂肪(皮下脂肪、内臓の脂肪)、腸(時には肉の一部も)など、肉以外のほとんど体の部位が競りにかけられ、熊の胆だけで30万円代のときもあれば、30数年前のある日など、一晩で75万円ほどの合計競り値になったという記憶もあります。

狩り人にとっては、猟のスリル・醍醐味への魅力もさることながら、競りもまた楽しなのです。なにより、競りは座がにぎわって愉快になりますからね。写真の笑顔をみればその雰囲気がおわかりいただけるでしょう。

当日、用水路取水口に詰まったゴミ掃除にむかいました。雪原のノウサギの足跡をみれば、多くは二匹が同じようなコースをたどっています。それに、「しょんべん、ぶっちらす」とマダキが表現してきた尿の茶色跡がしきりに残されるようになります。いずれも繁殖期特有の行動と印しです。昔から「春ウサギは、すぐそばに2羽いるがら、油断するな」と教えられたもので、雪国のノウサギ猟は、季節の別や新雪の深さ加減によって、12月、1月、2月、3月と、それぞれノウサギの生態に違いがあり、それをよく知ることが腕前上達の秘訣とされてきたのです。どこにいるかを知る、これは猟・漁に共通の技です。

ノウサギが繁殖期に入った3月半ば、用水路取水口の沢はまだこんなに雪があります。厚さは2㍍ほどでしょう。夏に童と戯れるヤマメやカジカが棲む小さな淵も今はまだひっそり。頭上にはヒラ(底雪崩)がぱっくりと割れ目をつくっています。その淵を取り囲む雪上にも、まもなく太公望の足跡がつけられます。まぶしい春も間近です。

晴れの3月、別れの3月、涙の3月

10日には村議会予算特別委員会が特別会計の審議を終えました。11日には中学校の卒業式と祝賀会、きのうは村猟友会のノウサギ巻き狩りへご案内をいただきました。

今年の中学校卒業生は21名。70回目の卒業式は折しも3月11日の挙行。開会冒頭、東日本大震災の犠牲者へ黙祷が捧げられました。11日が休日でしたので議会は前日に黙祷を行ないました。原発事故被害も重なりいまだ続く被災地の苦難を思い、命の重み、生きていることのありがたさ、普通のくらしの大切さを教えられる日々が続きます。

卒業式は、文字通り1つの業を終えてむかえる晴れの日ですが、業を終えるまでの晴れの日に到る3年間、教えられる側にも教える側にも、共に学び合った生徒同士にも、そして小さな命を授かってから15の春まで我が子を育てた親御さんにも、積み重ねた様々な思い(苦労と喜び)がよぎるのでしょう、胸にせまる場面が続きました。卒業生の歌、在校生も共にならんでの全校合唱、在校生全員の吹奏楽器演奏のなかの入退場にも、東中の個性と誇りが光ります。

私どもの時代には、40名をこえるクラスの大多数がこの中学卒業式の後にすぐ働き手として親元から遠く離れ、あるいは地元にのこっても准働き手として社会に半巣立ちしました。子を離す親も、親と家から離れる子も、そういう意味でもむかしの3月はいろんな理があってつらい月でしたから、今は、親も子もその点では幸せということができるでしょう。

私が知るわが山里の鳥や獣たちの世界は、親にささえてもらうのは長くてもツキノワグマの1年半ほど、ほかの生きものたちは一年もたたずに親元から離され独立しなければなりません。人間社会は、ていねいにていねいに生きるための力を子供に備えさせ、15年で教育の「義務」を区切りますが、今はほとんどが高校まで進み、それより上の教育もごく普通。さらに18年間人生を学べばこれまでの成人と同じで昨年からは選挙権も与えられるようになっています。

18年間の長い学びの末の権利、社会人としての体験と学びは少ないでしょうが、18年間も長く人生を学ぶのですから、巣立った存在として認められるのは当然なのですね。この卒業の日のわが中学校生徒たちの凜とした成長の姿、あと3年たてば、社会を動かす原動力のその一員に彼らはもうなるのです。もう大人の仲間入り間近、立派に成長された卒業生のみなさんの前途にいっぱいの幸せあれ、です。

予算案審議はじまる

議会事務局提供
議会事務局提供

村会計の今年度補正予算案と来年度予算案の審議が特別委員会で行われ、きのうは補正予算案と来年度一般会計予算案の審議が終わりました。

全員協議会、本会議と、二回の議案説明を受け、議案配布から審議までも一定の日数を置いていますから、議員はそれぞれ質疑にむけた用意が十分にあり、全議員の発言で旺盛な議論が続きました。

以前の予算案審議は本会議方式で、答弁に立つのは課長。それが今は定例会議の予算案審議はすべて委員会で行われますから、課長以外の職員も出席で、時に彼らも答弁をおこないます。質疑には、特別なことが無い限り原則回数制限をせず納得ゆくまで聞けるという柔軟性をもたせていますから、議論が深まる環境はしっかりと整っているわけです。

今朝も連続して雪寄せ。でも、この後の天気予報や時々の陽の差しよう、肌に触る風の流れから、トラクターを動かしての除雪はいよいよお終いに近づいたと感ずる月半ばです。

鮎が岩井川で、スーパーヤマメ、うれしい報告

広域市町村圏組合議会の3月定例会を前にしてのきのう、提出予定議案の説明や、当面の課題などについて担当課長さんたちから説明をうけました。

▼成瀬川漁協の総会資料が届き、その事業報告の冒頭、鮎について「岩井川地区では8月に1人一日12匹から20匹くらい釣れていた」という記述がありました。

昨年は降雨量が少なく流量減でアユの釣果が成瀬川流域全体ではよくなかったようです。そういう悪条件の中、「岩井川でよく釣れた」という報告をうれしく読みました。こちらは何十年もの間組合員でありながら釣りはほとんどしませんが、「きっとよく育つから何十年前のように岩井川地区にも鮎放流を」と役員さんたちに促しの言葉を投げかけ、それが実現していたからです。

同じ報告で昨年は「遡上鮎は確認できたが、いつもより少なかった」とあります。遡上鮎とは天然鮎のことでしょうか。そして事業計画では「鮎に関しては、成瀬川の鮎は姿形もよく、味、香りとも絶賛されております。また渓流魚に関しても県内外の遊漁者より、スーパーヤマメ(30㎝以上)」がよく釣れると好評です」とも述べられています。鮎といい、スーパーヤマメといい、もちろんイワナもそうでしょうが、成瀬川の豊かさをこれらの報告からあらためて確認できました。

そういう豊かな川は村の宝です。この清流を保つ努力をひきつづき村をあげてとりくまねばと思い、漁協の資料から「魚や、釣り人たちがとらえたほんの一コマ、現状」をご紹介したところです。

▼今朝は久しぶりに車庫前の除雪にトラクターを動かしました。作業をしていたら、国道を東から西へ向かってくる一匹の猫が。ここらでは数年前から顔なじみの猫の朝帰りです。
そういえば、最近はあんまりあの「おだけ声」を聞きませんが、発情期の春です。

何日かぶりに自分のねぐらに帰るところでしょうか。遠出をするところをみるときっと雄猫でしょうがたくましいものです。この猫、大ケガで足をひきずったり、顔から血を流したりと見かける時は重傷から軽傷まで負傷姿がざらですが、今朝はどこもケガがなく除雪後の国道を車などほとんど恐れずトコトコと歩いています。

こちらは、この猫を「ど根性ネコ」とひっそり名付けています。時に重傷を負いつつ、雪国で、これだけたくましく冬の遠征をできるネコはそうはいないでしょう。こういう姿を見ると「ほほう、たいしたもの、オレも、高齢者などと言ってられないなぁ」と、どこか彼に励まされます。ど根性ネコくん、夕べまで、どこで遊び暮らしてきたかも、だいたい想像がつきます。