ふたたび力士像です

先日載せた神社の力士像のうち、一部抜けていた像がありましたので、八坂神社以外の力士像をもう一度まとめてご紹介いたします。

最初の4つの力士像が平良の山神社。次の4つの力士像が下田の水神社。そして最後の8つの像が田子内天神社の彫りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社の四角で屋根をささえているように、または四方からの災厄を防ぐかのようにみえる力士像。強面、するどい視線、見つめていると、何かの力をいただいたような気にもなります。神社と相撲・力士の縁は日本が育んだひとつの歴史。いま注目を集めている大相撲の力士のみなさんは、そういう神聖な歴史を学ぶ機会とかがあるのでしょうか。

雪にお似合いのユギノシタキノゴ

重たそうな雲の切れ間から時折青空がのぞいた日曜日。久しぶりに河原の散策へ出かけました。

散策といっても、河原はもう40㌢ほどの積雪でツブ足(雪具をつけない長靴だけの足格好)での長歩きは無理。一年ぶりにカンジキを履いての散策です。

草木の葉っぱもすっかりなくなり、河原に生い茂っていた葦や茅も雪に倒され、藪も重い雪の下になっています。ですから、足はやや雪に沈むものの、歩きを邪魔する障害物がなくなり河川敷は自由自在に歩けます。冬の散策は、この自由自在というところにもひとつの魅力があります。

草木が冬備えの状態になっているので、冬は小鳥たちのうごきもよく目にはいるようになります。枯れ木をつつくアカゲラ、群れで飛び交うシジュウカラ、いつも単独行動のミソサザイと、小鳥たちは動きを止めずに忙しそうです。

倒れた枯れ木の多くは雪に覆われてしまいましたが、まだ雪の下にならないでいる枯れ木や、立ち枯れ木には、ムギダゲ(ムキタケ)やユギノシタキノゴ(エノキタケ)が時々みられます。

 

 

 

菌類とはなんとなんと幅広い生きもの。こういう寒さがあってこそ繁殖できるのですから不思議なものです。ユギノシタキノゴは、やっぱり雪があってからのほうが写真にもお似合いで、見目形だけでなく、雪に触れるとおいしさもいっそうひきたつような気がします。

河原の伏流水に育つノゼリ(土が深く肥えていて、まっ白く長い根が特徴)と、同じ場所にやはり増え続けているクレソンも摘み、キノコと新鮮軟らかな野の緑菜をおいしくいただきました。ペロペロ粘りのムキタケと天然エノキタケのあっつい味噌汁に天然の緑の菜をちょっとちりばめ、ふうふう吹きながらごちそうになる。山里にくらす幸せを感ずるのは、こんなごく普通の朝餉夕餉のひとときです。

各集落の神社彫り物のすばらしさ(その2)

今回は下田の志茂田神社(水神様)、それに肴沢の八坂神社と山神社の3つの社と彫り物をご紹介します。

いずれも、前記の田子内天神社、平良の山神社と同じように、関心ある人々の目をひきつける彫り物が施されています。ネット・SNSでも天神社の力士像などは紹介されています。

神、仏、神社、仏閣、あるいは自然にたいする人々のとらえ方が、今とは同列に論じられない時代に建立された社でしょう。それにしても、社とむらをまもるためでしょうが、昔の人々は何事につけても省略のない手のこんだ施しをしたものです。

 

 

 

 

志茂田神社の本殿、拝殿の彫刻も見事ですが、八坂神社とともに4角に何故「建築力士像」といわれる彫りをしつらえたのか、これは大字田子内地区の天神社、平良山神社も同じで、県内のほかにも多くあるようですが、竜の彫りとともに、私たちを不思議の世界へ誘うに充分すぎるほどの宝が村にはいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

こういう彫り物をしたとき、社を建てた当時の村の様子がよくわかる何かの古文書があれば、当時の人々のくらしぶりや考えがもっとよくわかるでしょう。しかし、村の郷土誌も、古い神社の歴史については「口碑・言い伝え」でしか記することができなかったようで、これら彫り物についてもとくに記述していません。

証拠に基づく定説がなく、推測の域にとどまる説しかないからと思われますが、なぜ、これらの彫りの由緒が記されなかったのか、不思議に思えることの一つではあります。

▼村議会12月定例会議が1日に開会され、行政報告と議案の提案などが行われました。この日には、村ホタルの会の今年の生息状況調査検討会にも参加。夜には商工会の年末懇談会と、今年を締めくくる師走の集いが早くも始まりました。

各集落の神社彫り物のすばらしさ(その1)

「神社の冬囲いをしないうちに」と心に留めていて、10月31日、役場に向かった足で大字田子内地区の神社を一年ぶりに巡りました。

おとずれたのは田子内天神社、平良山神社、下田の志茂田神社、肴沢の八坂神社と山神社の二つの社。主なお目当ては、社殿そのものに施されている重厚な彫り物。

ある出版社の社長さんが私に「このパンフレットはいい。センスがまるでちがう」との旨を語った村紹介のパンフレット「とっておきの旅」にも、村の誇るべき遺産として載せられているこれらの彫り物。これだけの彫刻を施すには大枚の代価(お金、お米)を用意することと、すぐれた彫り師への依頼が必要だったでしょう。

そんなことなどまで考えながらそれぞれの神社の正面、四隅、側面に配置されている彫りを眺めていると、江戸の昔に引き込まれそうになります。昔の人々は、なんともすばらしい宝を後の世にまでのこしてくれたもの、ありがたいことです。

ほかの集落の神社にはなかなか立ち寄る機会がないもの。なるべくたくさんの彫り物をご紹介しようと、今回は田子内天神社と平良の山神社にし、後に下田(志茂田神社)と肴沢の神社をご紹介します。

広域市町村圏組合の臨時議会、議長選出

湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の臨時議会がきのう開かれました。
28年度会計の決算審議を主目的として開かれる議会ですが、今議会は、湯沢市議会が改選後の初議会でもあり、組合議会の議長が空席となっているため議長選挙も行われました。組合議会の新たな議長には湯沢市議会議長の佐藤功平氏が指名推選で選出されました。

広域議会の副議長職に就いているため、このところ2年に一度はこういう任務で臨時の議長職となり、議会前の全員協議会、そして議長選挙までと議事進行をつとめました。

湯沢市議会から選出された広域組合議員のみなさんのうち、議長を含むお二人はベテラン議員でかつて広域議会で共に仕事をしたことがあります。ほかは広域議会は初となるやはり市議会の大ベテランの副議長さんと、今回の市議選で初めて議会で活動することになった若手のみなさんです。

それぞれの議会の長い歴史のなかでも、1期目の若手のみなさんが広域議会で活動するというのはおそらくこれまでにそうはなかったこと。それだけに「期待しています。がんばってください」という旨を、フレッシュ雰囲気いっぱいのみなさんへ語りかけました。

平成28年度決算額は、歳入が約62億2千万円、歳出が約61億9千4百万円となりました。前年度比で歳入歳出が約28億円も増となったのはクリーンセンター整備事業(ごみ焼却場)の最終年度で事業費が最大となったためです。職員給与一部改正案などをふくめ議案はいずれも可決、認定されました。

▼長年続けていた猟銃の所持をやめ、今はワナの免許所持で猟友会に所属しているこちら。免許はあるものの猟にはまったく出かけていませんから、ここしばらくは獲物を自分で解体し食すという作業はやっていませんでした。食べるのは、全部解体された後にみなさんからいただいた鳥や獣の肉、あるいはすでに鍋に入って調理された肉で、自分が解体に手をかけた肉というのは何年もの間ありませんでした。

それが、先日、鴨を丸ごとそのままでいただいたものですから、羽をむしり、内蔵、骨、肉、血管、食道、気道、そして少々の血の塊と、久しぶりに生きものの体に刃物をあて、食べられるかたちに分ける作業を体験することに。切れ味するどいナイフで腹を割き五臓六腑をすべてみるのでちょっとした「解剖学教室」みたいです。

こうして生きものの死と直接むきあい、解体の作業を体験する、あるいは観るということも人には大切です。生きものを食べるという行為、「肉」というものは、こういう作業を経てはじめて人の口にはいるもの。それだけに命の尊さを思い、命を奪った結果の「肉」は、大切に残さずいただかなければならないということを、いつかある集いで語ったことがあります。きのうは、あらためてそのことを強く思いながら包丁、ナイフを動かしました。写真は、解体後の抱き肉(胸肉)と骨付き肉です。とってもおいしくいただきました。


 

12月議会を前に議案説明の全員協議会

議会の運営委員会がきのう開かれ、村議会12月定例会議の日程を1日から8日までとすることを決め、1日は各行政報告を、7日には一般質問が行われる予定です。

その後の全員協議会では、特別職や職員の、報酬、給与等の改正案や、人権擁護委員の諮問案、各会計補正予算案など提出される議案の説明が行われました。

久しぶりに風もない穏やかな晴天となり、焼石連峰のさんさげぇ(三界山)や権四郎森(南本内岳)の雪山姿が青空を背景にくっきり浮かびました。

所用を果たしながら集落を回ったら、猟仲間で大ベテランのAさんが「20日の雪の後に、里山にいたクマたちの多くが県境の深山渓谷に向かった足跡をいっぱい見た」と語りました。あの雪で、先週に穴入りを覚悟し、夏のうちに自分が決めていた冬ごもりの穴へまっしぐらに向かったのでしょう。里山でも、クマの足跡の多さが「すごかった」との体験談をお聞きしました。

まだ里山にモソモソしているクマたちも、この後にまた強い寒波がくればおそらくほとんどが越冬穴に向かうでしょう。もちろん、わざわざ深山にむかわなくとも、里山にも越冬用の穴を確保しているクマたちもたくさんいますからね。

そのAさんから、「ほら、食え」と、シベリア方面から渡ってきたのでしょうアオクビ(マガモ)を1羽丸ごといただきました。解体調理はこれからですが、寒さきびしくなるなかでの脂のよくのった「鴨鍋」のつつきあい、そして抱き肉(胸肉)の焼き肉、これは猟仲間がいるからこそ時々いただけるうれしいごちそうものです。

知事と市町村議長との行政懇談会

知事と市町村議会議長との行政懇談会がきのう県市町村会館で開かれました。

知事をはじめ副知事、教育長、県警本部長、県の各部長、幹部職員のみなさんとわれわれ議長が会議で席を共にするのは年に一度のこの会議だけ。

両議長会から提出される要望とそれへの県側の答えを聞くというのが会議の最大の目的ですが、後に、じっくりと会話できる時間がとられているということも、出席者同士、地域の情報やいろんなことを学び合ううえで貴重な場となっています。

県の幹部さん、県央部や県北の議長の方々から、いつものように「雪はどうですか?」と聞かれましたので「50㌢前後の積雪です。雪下ろしをしている方々もいます」と答えたら驚いていました。秋田市内は積雪ゼロ、「こちらとは世界がちがいます。異国のようです」と、世界有数の豪雪の村と沿岸部の雪なしの土地を比べて申し上げておきました。同じ県でこんなにちがうのですから、たまげてしまいます。

その雪の村は今朝-6℃。きのう秋田の会議に出かける前、所用で村をまわったら「雪が重いので屋根に上がった」「屋根にいっぱい溜めると後で下ろすとき難儀なので、まず一回目の下ろしに上がった」と語る方が各地におられました。積雪量だけでなく、湿り雪なので重量があるようです。「20年ほど近く前にもこんなことがあった」と語る方もおられました。よく記憶されているもので、私の頭の記憶ポケットにはそれがまったくありませんから、記憶というものには大きなちがいがあるものです。

50㌢ほどの積雪をみると屋根に上がるのがここらのごく普通の人々の動き。ですが、こちらは、まだ11月ということもあり、時間もありませんでしたので、「そのうち3分の1ぐらいに雪は減るだろう」とタカをくくってきのうまでは屋根には上がっていません。

根雪を覚悟しながら保育園発表会

人里に初の大雪となった20日朝。すでにみなさん除雪機械を初稼働させていたでしょうが、こちらはその時都内にいました。その後週末にも予報どおりの雪がきて、24日朝にはわが家も除雪機械の初出動、翌日朝も「ほほう」と思うほどに積もった雪を続けて除けました。

保育園の発表会があった25日は、朝だけでなく日中も雪降りが断続し、その降りようを見て「11月中に雪下ろしをしなければならないかな?」との冗談と本音が半々混じった会話も笑いながら交わされていました。

村はもういずこも厚い白の世界、これで根雪を完全に覚悟です。こちらの記憶ではめずらしいほどに根雪の訪れの早い年となりそうです。

そんな雪の世界に映えるのは木の実たち。ニシキギの仲間(昔はこの柴木で掃除用の柴ほうきをつくった)、そしてウメボドゲ(ツルウメモドキ)の、赤、紅、黄、それにウルシの仲間の房実が家まわりのあちこちにいっぱい。地面が厚い雪に覆われたこれからは、小鳥やヤマドリたちがこれらの実をめざして飛んでくるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼保育園のなかよし発表会は、観るわたしたちの側が子供たちから元気をもらう日でもあります。子たちの保護者はもちろん、おじいさん、おばあさん(祖父のみなさんもその多くはお若いですからこの言葉はどうも適当でないかも)もかけつけますから会場はいつもの年のように満席。

子たちひとりひとりの個性ある表現、うごきに、例年のようにあたたかい拍手が続きました。苦労して育ててきた日々のことが目にうかぶからでしょうか、その成長ぶりに感激してでしょうか、会場から注がれるご家族のみなさんの視線にも熱いものを感じた半日でした。子供って、ほんとに宝ものですね。保育士さんをはじめとする保育園のみなさん、発表会の準備に縁の下の力持ちをされたみなさん、ごくろうさま、ありがとうございました。

地方自治に関わる二つの大きな集い

▼20日は地方自治法ができてから満70周年を記念する式典と記念シンポジウムが東京国際フォーラムホールAで開かれました。式典には約3500人近くの地方自治に関係する団体代表などが出席。平成の市町村合併で町村数が大幅に減じた今(平成11年の町村数2558が平成22年で941)では、公的政治の全国からの集いとしては規模の大きな式典です。

総理、衆参両院議長、最高裁長官が出席のもとで天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、主催者の野田総務大臣が挨拶をのべられ、自治功労者の表彰に続いて3権の長がそれぞれあいさつをのべられました。天皇の退位時期の予測が報道され国民の関心が大きくなっている時だけに、両陛下に注がれる会場の視線と雰囲気は、これまで私が体験した時とはやはり趣がちがう独特のものを感じました。式典の内容からして当然の配慮でしょうが、10時半からおよそ30分間の式典のうちは、報道関係者以外の写真撮影が禁じられていますので、その時の様子を思い起こしながら記しているところです。

この日は、衆議院選挙後初の国会代表質問が行われる日で、式典は11時で閉会、その後に衆議院本会議が開会されていました。

式典後のシンポジウムでは、この類いの集いとしては避けられない時間の制約があるなかで、写真の方々が説得力と個性あふれる持論を展開されました。パネリスト各位の経歴と実績をみればおわかりのように、記念シンポにふさわしく地方自治のカナメは何か、厚みとともに新鮮さいっぱいの議論をお聞きすることができました。

私のメモの中には、「資源を活かした個性あるまちづくりを」「今後は住民自治の活性化を」「災害対応では、恒久的な国の法支援体系が必要」「国から予算をもらってくるのが地方政治家のつとめという時代ではない。自分の地域だけでなく国をかえるという意識で」
「大人が町の魅力、誇りを子供たちに語ることが大切。一次産業を豊かにしたい」「地方政治に住民が関わることが大事。そのためにも首長と議会の能力を高めること」などをパネリスト各位の発言の中から抜き出し記しています。最後のメモには、ある首長が語られた「議員の質問には、ズラ(聴き取りがあやふやでちょっと言葉が正確でないかも)さず、まっすぐ、まともにこたえる答弁につとめるよう職員に言っている」という旨の発言も記しています。さすが、全国的に注目されている首長さん、よく一人一人を見て、しかも具体的な忠告をされ、こういう場で、それを発言できるものです。

シンポまでの合間には、東京消防庁音楽隊による吹奏楽演奏のひとときもありました。政治経済の中心で過度といわれるほどに一極集中がすすみ、国民のはたらきの財産も多くが集められなんでもそろう首都東京。総務省下の消防庁音楽隊の生の響きをはじめてお聞きしました。

▼21日は、翌日に開かれる町村議会議長全国大会で決議する内容などをふくめ、県町村議会議長会による県選出与党国会議員への要望と懇談会がグランドアーク半蔵門でおこなわれました。同じ会場では、いくつかの県の議長会や離島関係などの議長会も行われていましたから、町村議会議長全国大会が開かれたこの週と、町村会の全国的な集いが行われる来週の都内永田町周辺のホテルや会議場は、地方政治に関わる人々のすがたが多くなる11月末でしょう。

▼22日は61回目の町村議会議長全国大会。解散総選挙後初の代表質問が20日から続きこの日も参議院の本会議日程がありました。ために、再任となった大島衆院議長の挨拶はありましたが、首相も副首相も総務大臣も出席できずのなかでの大会ということに。過去10数回この大会に出席していますが、これはめずらしいことでしょう。

大会は、写真のような項目の決議とともに、東日本大震災及び熊本地震からの復旧・復興と大規模災害対策の確立、地方創生のさらなる推進、町村税財源の充実強化、参議院選挙における合区の解消、地方議会議員の厚生年金制度への加入実現を求める5つの特別決議と35の要望を議決しました。

出かけた日の夜から20日にかけての村は、時ならぬ大雪降り。電話先の妻は「えったでに、おが、降って、わっぱがだ。どでんした。えの後ろなば、ひじゃかぶより上のゆぎつもった(いっきょに、たくさん、降って、こまった。びっくりした。家の後ろだと、膝丈を上回る積雪だ)」の旨を言いました。

その時、皇居に沿い桜名所で名の高いお堀千鳥ヶ淵では、土手で 刈られた芝草の片付けが行われていました。ややきつめ傾斜の土手草を集める業者さんたちは、大きなシート模様の道具に竹の熊手で枯れ草を集めていました。首都の最も中心部で垣間見たシンプルな道具の熊手とシート。散策のときになんだかホッとする光景に出会い、しばらくの間眺めていました。

明治神宮の森と代々木公園は紅葉がまだ見られます。公園で休憩していたら足元には人慣れした鳩だけでなくスズメも。危険無し、警戒がなければ野のスズメもこういう姿を見せます。安心が続けば警戒が緩む、人社会の自然災害対応を暗示させるような気をもちながらスズメを見つめるひとときも。この間の都内は晴れではあったものの風も冷たく小春日和とはいえず、いつものポカポカ天気はひとつもなかった4日間でした。

 

 

 

 

 

 

 

22日夜遅くに、「ひじゃかぶ越えほどに雪降った」村に帰り、きのうは親戚筋に連なる方が急逝され、会葬に向かうという日となりました。

 

 

今朝のわが集落への除雪車出動はありませんでしたが、湿り雪が切れ目なく降る朝となりました。これで雪国人の多くは根雪を覚悟したかも。

里に積雪前の仙人様の大イチョウと大日向山

寒波がおとずれる前の17日、所用の途中で立ち寄った仙人様の大イチョウです。

この大イチョウ、村ではもちろん、県南でもイチョウとしては樹齢が長い方に入るでしょう。村の象徴「仙人」地区で永きにわたって村や村を行き交う人々の歴史を見つめてきた大樹。一時は「幹に鋸目を入れられ倒されそうになった」というお話を何十年も前に持ち主の方からお聞きしたことがあります。

 

大樹だからでしょうか、成る銀杏の粒がほかのイチョウよりよほど大きく、昔には「ここのイチョウの実がほしい」と特別に買い求めにこられた商い人がおられるほどで、その道では名の通った大樹ということです。

 

 

 

 

 

 

 

▼同じ日に立ち止まって眺めた大橋場からの大日向山と田子内橋(美しい村の象徴の橋)、成瀬川の初冬の景色です。

大日向山のブナはこの日も新雪をまとっていましたが、この写真の範囲のブナの森(村有地で滝ノ沢集落の入会林)だけでも、私の知るクマの越冬穴が二つあり、写真には入らないその周囲の範囲を含めればこの界隈には村のマタギたちが昔から知る冬眠穴だけでも合計5つほどはあるでしょう。

それらは、岩穴、土穴、ブナの根元の穴と、住みかのつくりは多彩で、私が新たにクマと出会ったそのうちの一つの穴は岩と土が組み合わされた見事な高級穴。

今年も、まもなく穴入りの師走が近づいておりますが、果たしてこの穴の今冬の棲み主は、どんな顔と姿をしたクマとなるのでしょうか。