美しいキノコとの出会いは今年最後かな

過ぎた土曜日、つかの間の散策でいつもの家前の河川敷へ。

19日あたりから強い冬型の寒気が来そうなので「雪が積もらないうちの最後の散策を」とふらりと向かったら、成長しきった少々のムギダゲ(ムキタケ)やカノガ(ブナハリタケ)とともに、さあさあ、こんなに美しい輝きの晩生ナメラコ(ナメコ)がいっぱいです。

期待していなかった出会いだけに、そのうれしいこと。あっちに寄りこっちに寄りしながらしばらく眺め、シャッターを押し押ししました。

 

昭和22年の大洪水までは田んぼ続きだったというここの河川敷(川と石の下には昔のたんぼ作土の層が厚くあるはず)には、県境や深山の森に倒れたブナやミズナラ、トチやイタヤの木が、洪水に運ばれ毎年どんぶらこどんぶらこと流れ着き、それらの枯れ木には多種のキノコが顔を出します(まれにマイタケも)。一方、河畔林のなかで倒れた柳やニセアカシヤにも出るキノコあり。我が家前は、いつもご紹介するように私にとって四季を通じて童たちとの遊びの楽園でもあり、魚や鳥、生きものたちとの出会いの楽園でもあり、さらにきのこと山菜の楽園でもあります。

美しい輝きのキノコだよりを載せられるのは、これが今年の最後となるでしょう。

▼最後の写真2枚は、この間も少し触れました猛毒キノコのニガクリタケです。先の写真で紹介したニガクリタケよりもこちらは同じキノコでも色がやや明るく、食タケのユギノシタキノゴ(エノキタケ)やヤマドリモダシ(クリタケ)により近い色の個体です。もっと似ている色の個体もありますから、ニガクリタケは侮れないのです。こんな小さなキノコで子供をはじめ一家の何人かが死に至ったという例も国内にはあるようです。

くどいようですが繰り返しておきます。食べた量や個人差もあるでしょうが、食べれば、ほとんど死に至る恐ろしい猛毒キノコが、食タケと似た形と色で、同じ木に並んで出ていることもあるのですからやっかいなのです。楽しさおいしさと恐ろしさ、キノコは天国と地獄からの二つの世界からのつかいのようなもの。なぜ猛毒のつかいがキノコにもあるのか、不思議なものですね。

心も体もあっちにこっちにの3日間

▼17日は、県町村電算システム共同事業組合の祝賀会へ。県内すべての町村が組合のシステムを稼働させたことにともなう祝賀会で、平成24年の組合設置以来の念願の全町村稼働到達のお祝いです。

この共同事業によって町村の電算事業にともなう経費の大幅な削減がはかられており、その成果は貴重です。

 

▼18日は湯沢で開かれたある会議に出席した後、村の「いのちを考える集い」へ。自殺予防で活動されている村内の団体「のぞみの会」によって毎年開催されている集いで、県総合保険事業団の船木修氏、臨床心理士の戸田麻美氏、NPO法人蜘蛛の糸理事長の佐藤久夫氏の講師御三方の講演や、北秋田市のコーラスグループ「コールつくしんぼ」のみなさんの合唱がくまれていました。

いずれのお話も、コーラスも、とても勉強、参考になり、心がほっこりとなるものでした。県内とはいえ遠方からこうして村にお越しいただいたこと、それに、ためになるお話をお聞きすることができたことにこの場からもお礼を申し上げます。

講師の佐藤氏は山歩きをよくされるそうで、栗駒山には毎年何回も登られているとのこと。講演の中の写真にも「これは、栗駒へ往く途中のブナです」と、紅葉の季節の写真がスクリーンに映し出されました。こういうかたちで村を思っていただけることって、ありがたいものですね。戸田氏も職務の関係で村に幾度もお越しいただいているそうです。

▼その集いが終わってからは村の4つの農業法人の収穫祭へ。これも毎年行われている今年一年の収穫を祝う集いです。

今年の天候不順は農作物にとっては結果として大きな打撃。とりわけ稲作では収量の減もあり、耕作規模の大きい経営体は「祭りをするほどに収穫を喜べる状況ではない」というのが率直な気分だったかもしれません。それでも、来年への展望をもって収穫祭はにぎやかに行われました。会場では、急きょ、4つの法人体でつくられている協議会名で今後の経営に関わるいくつかの項目で「村への要望書」が村長に渡される一幕もありました。

村が大きな予算で政策を提起し、それにやる気をもってこたえた4つの法人経営体です。個別の担い手農家も含めて彼らは村農業のささえであり、美しい村を維持発展させるためには農地をまもる彼ら担い手の存在が必須です。それだけに、村民や、内外を問わず行政機関からの期待も大きいわけで、その期待にこたえるよう経営体としての大いなる努力前進を願い乾杯の発声に立ちました。写真は村特産の旬の平良かぶ。とってもおいしかった。

▼19日は部落神社の秋祈祷。伍長の役割で雪の中参詣へ。終わって後はまた都内に向かい、今朝は地方自治法70周年記念式典に出席。22日まで諸行事が続き都内滞在です。

雪の線が下りてきました

きのう朝の村は里山の中腹あたりまで積雪線が下がりました。そこに時折の陽射しがあると、雪の有る無しを境にして二つの景色が比較の美を見せる初冬特有の雪の村に変わりました。

まだ積もりはしなかったものの、人里にも雷模様の寒気に運ばれ大きなボダンゆぎ(雨雪)が時折勢いよく降ったきのう。やがて今朝には家々の屋根を薄~く白くしていました。

朝、そんなお天気模様を家の中から眺めていたら、ガラス戸の外に大きなクモがするすると下りてきて途中でピタリと停止。雪を見るようなこんな寒気なのに、冬ごもりをしないでどうしたのでしょう。「朝のクモは縁起がよい」は村の俚諺ですが、それが初冬のクモですから、「おっ、これは、何か、特別によいことがあるのかな?」などと思いたくなるものですが、ごく普通の一日となりました。でも、なんでこんなに寒いのにまだ冬ごもりしないでいたのか、不思議です。

木の葉、草の葉の散った今は、家まわりの私の散策路の木の実たちが目に映えるとき。何かの宝石か小宇宙の星々を見るようなノブドウの実、日ごとに美しさを増してくるツルウメモドキは初冬の木の実の美の女王とでもいえましょうか。                                                         そんな木の実を眺めるたんぼ脇の道には、初冬をむかえた動物たちの忙しそうな動きの足跡がふたつ。一つはクマ、ひとつはキツネでしょうか、我が家から200㍍ばかりの道のやや軟らかな土の上に二つくっきりとならんでいました。クマはまだ小さな若グマのようです。この季節主食のドングリが凶作、クリを除けば主な木の実も不作気味でしたから、越冬のためのエネルギー源、脂肪を蓄えるために最後の食確保にクマは懸命なのでしょう。

散策といえばつきものはキノコ。写真の最初の2枚は傘も柄も厚い晩生のナメラコ(ナメコ)。中はすべてユギノシタキノゴ(エノキタケ)。最後の一枚は猛毒のニガクリタケ。キノコ紹介の本などでは「初冬に出るキノコに毒キノコはない」と記されたものがありましたが、毒キノコでも晩生のものがありますから要注意です。たとえばこの猛毒のニガクリタケ(悲惨な死亡例も時折ある)もそうですし、毒とされるようになったツチスギタケの仲間なども初冬の地面にまだいっぱい見られます。猛毒のニガクリタケは、晩生のヤマドリモダシ(クリタケ)やユギノシタキノゴと同じ枯れ木に、隣り合わせ混じって生えていますから、とくに注意が必要です。写真のニガクリタケは色に特徴があり識別が簡単ですが、中には食キノコ類ととても似た色もあるので油断ならないのです。


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことは別にして、里でも雪を見るようになったらやはりユギシタキノゴの発生は旺盛、我が家の味噌汁は毎朝キノコ、キノコ、ユギノシタです。積雪がなければまだまだ私の家周り散策がてらのキノコ取りは続くでしょうが、この週後半は雪予報マークが並びました。そろそろ、今年のキノコだよりは閉め時かもしれませんね。

儲け空で薪入れ

きのうは、朝の予報ではかなり高めの降水確率だったのに、役場から戻ったらなんと陽射しが見え始めました。それで予定を急きょ変え薪入れ作業に集中することに。

雨の確率が高いのに午前中は雨無し。こういうときです「もうけぞら・儲け空」というのは。おかげで冬の間に焚く薪をほぼ間に合うほど格納することができました。

用水路の草刈りなど細かい冬支度はまだ諸々ありますが、お米、味噌、大根、白菜、にどえも(じゃがいも)等々の主な野菜も半年あるいは一年分の蓄えができたし、燃料もたっぷり運び入れたので、まずはこれで雪のくにで冬を越せる支度はととのいました。今年の我が家は農作業も遅れましたが、冬支度を終えるのがこんなに遅くなったのもめずらしいことです。

なるせ会、中央要望

3日間の都内滞在予定が迫っていたので、11日、雨模様ながらも急きょエドかぎ(井戸掻き・池の掃除)作業に。

出来れば小春日和の時に、童たちを加えてにぎやかにのどかに鯉たちと戯れてほしかったのですが、もたもたしていると雪がきそうでやむをえずの急ぎ仕事となりました。

池の鯉は見事に育っていて、毎年のことながら、ピカピカ鱗とたくましい姿形を目にすれば、魚ながらも彼らから元気をもらえたような気になるのですから不思議なものです。これで残す冬支度はあと一つ、薪入れ作業だけとなりました。

▼12日は、村の「首都圏なるせ会」の総会へ議員の半数と参加。往路、こまち車内からの岩手山も、かなり麓まで新雪をうっすらとまとっていました。

29回目を数える総会はいつものように江東区砂町文化センターで。天候不順の中でも、農家や村人の努力で豊かに収穫された山里の幸、味のよくしもった村伝統のカスベ料理などが、スタッフの母さん方の手によってふるさとの自慢の食としてテーブルにはいっぱ い。個性あふれる懇親会は最後のふるさと合唱を二回も繰り返し盛会で閉じられました。


ご出席いただいている来賓のみなさんと交流・会話を楽しめるのもこの集いの大変うれしいところ。今年のこちらは、お隣岩手県の旧胆沢町ご出身の方々でつくられている「在京いさわ会」のみなさんとの会話のひとときをほかよりも長く過ごさせていただきました。

胆沢地区の郷土のみなさんとは、旧胆沢町の時代から古道仙北道を縁として現在も続く村との交流があります。焼石岳や胆沢川流域に関わるわが村とわが地元部落の歴史、藩政時代の水沢が東北キリシタンの一大拠点といわれただけに、岩手側胆沢の下嵐江集落とキリシタンの関わりなど、私にとっても知りたいことがこのお隣町にはいっぱいあります。ほかのみなさんとのお話もありますから懇親の時間はあっという間に過ぎてしまいました。

▼13日は、例年行っている村の中央要望へ。村と村議会が合同で重ねてきた活動で、国政と関係する村の当面課題について国会議員や関係省庁に直接お伝えする行動です。

関係する国会議員の事務所へうかがい、国交省、総務省、総理官邸では菅官房長官へ。やがて夕暮れとなってからは財務省へと歩き回りました。村のこの活動によって、NHKラジオ第一の難聴地域解消策など全国に教訓をひろげたとりくみもあり、今回の行動でも今後の成果にむすびつくと思われるうれしいひとときもありました。小さな村ながら、自治というものの大事さを感ずるのはこういう時でもあります。行動の段取りをくんでいただいた御法川代議士と、ご案内いただいた代議士事務所のI秘書さん、直接応対いただいた菅官房長官や金田代議士、すべての議員事務所のみなさん、そして総務省の事務次官をはじめとする各省の皆様へ心からのお礼を申し上げます。


 

成瀬ダム事業で行政懇談会

村議会は、成瀬ダム事業の事業主となる国交省成瀬ダム工事事務所との行政懇談会をきのう開きました。

恒例となっている年に一度の懇談会で、今年春からは役場前に建設された新事務所で執務されている工事事務所の所長さんと管理職のみなさんに出席していただきました。

会議では、ダム事業概要や今後の計画(とくに本体工事関連や水源地域ビジョン)などについての説明をお聞きし、後に質疑応答が行われました。平成29年度の成瀬ダム事業予算は約70億円。その一部内容となる国道付替えトンネル工事、さらに本体関連工事(ダム堤体部となる箇所の成瀬川左右両岸基礎掘削工事)や原石山運搬路工事も進められているため、今年からはダム現場の視察にも向かいました。

きのうは冷え空に雨。焼石連峰の名峰、県境のさんさげぇ(三界山)もうっすらと雪化粧しましたから、鳥海山などは新雪が重なり白さの範囲をいっそうひろげているはず。

▼市議会改選後の初議会が7日に開かれた湯沢市議会。新しく決まった佐藤議長さんと松田副議長さんが就任のあいさつできのうお越しになられました。

広域市町村圏組合と議会を構成する管内3市町村は、お互いに連携を強めつつそれぞれの特徴を活かした自治につとめています。市議会のメンバーも大きくかわったようですが、今後も切磋琢磨し合いながらきずなをいっそう深め、ひきつづき広域行政の発展にも力を合わせてとりくみたいものです。

初冬の一コマ

先日、水道タンクの掃除に出かけた裏山の沢筋。落葉がほぼ終わり草木の藪がだいぶ見通し良くなった樹下におかしな形の紅色をした草の実が見えます。そうです、目に入る機会はそんなに多くないツチアケビの実です。

「滋養強壮に効果あり」とよく薬草の本に書かれておりますので、果実酒にして、お酒よりも話題の素としてみなさんに楽しんでもらおうと思っています。

我が家では一月ほど前から薪ストーブを利用していて、今は真冬とほぼ同じサイクルで朝の5時前から夜の11時頃まで昼夜連続燃焼でストーブは活躍します。

いつ初雪があってもおかしくないほどに夜朝の冷えも増してきたこの頃、妻の育てるサザンカも、日ごとの寒さを感じて次々と花を開いています。小春日和だと、花には今年最後の蜜を求めてでしょう、いろんな虫たちが止まってくれます。

昆虫たちもほとんどは冬ごもり、蛇やかえるも姿を見るのはまれ。池の鯉も水が冷たくなったのでしょう、隠れ家にこもり姿を見せるのは小春日和の日だけになりました。

初冬家まわりの野の幸

きのうは立冬。となれば、さあ、いよいよわが家まわりのユギノシタキノゴ(エノキタケ)も真っ盛りの季節入りです。

半月ほど先にサモダシ(ナラタケ)が群生していた倒木を紹介しましたが、今度はその同じ枯れ木にユギノシタキノゴの群生です。これだけの群生と出会えるのは数年に一度のこと。今年はこのキノコにとっては生育環境がよかったようです。

童たちも大好きなユギノシタ。黄金の色をそのまま保つために塩漬けではなく「瓶詰めにしよう」と、早速めんどうな作業に妻はとりかかりました。

天然のエノキタケは、まずはこの素敵な色を楽しみ、口にしてはペロペロ粘りとシャキシャキの歯ごたえを楽しみます。おいしいのは味噌汁やおでんなどの具。くせのないキノコですので、あらゆる料理にむきますが、私がいちばん好むのはなんといっても食欲をそそる黄金色と粘りがいきる味噌汁。

家まわりの里山の木々も葉っぱをほとんど落とし、小径木のミズナラ枯れ木の幹や根元には晩生のヤマドリモダシ(クリタケ)やムギダゲ(ムキタケ)がまだ食べられる状態でよく目に入ります。我が家では味噌汁やおでんの具として、熱いキノコをふうふう吹きながら初冬を過ごす体を温めつつ楽しく味わいます。

部落長会議

議会事務局提供
議会事務局提供

村と議会では、毎年春に各部落からの要望を提出してもらい、その内容を部落・自治会の代表から聞く会議を提出直後に一度開き、それについての村の一定の見解をまず伝えます。その後に、具体化にむけて対応するため当局と議会合同で要望箇所の現地視察を行うという活動スタイルを長年続けてきました。

今年もその現地確認を行ったうえで、来年度にむけた要望に対する現段階での考えを部落長に伝え、意見交換をし合う二度目の会議がきのう開かれました。

今年提出の新規の要望だけでなく、これまでの要望でまだ未解決の項目などについても、「なぜ、できないのか」の内容を記した文書も出席の一同にしめされ、村と議会は地区要望へのていねいな対応につとめています。

小回りのきく自立の村の政治は、地区要望実現のうえでもすみずみまで自治機能を果たしているのです。

▼ようやく冬囲いを仕上げ、越冬用の白菜やだいこんも収穫を終えて屋内に運びこみました。まだ大きな冬支度は2つ残っていますが、晴天が少なく、行事もたてこんでいて、冬をむかえる準備がすべて終えられるのはもう少し先のようです。

▼「ナメコ食べたい」の童の声と顔を思いだしながら、先週末も自宅周りの川辺散策でシーズン最後となるナメラコ(ナメコ)、ムギダゲ(ムキタケ)と出会うことができました。これから真っ盛りとなるユギノシタキノゴ(エノキタケ)は、草やぶの中でも黄金のように輝いていますから遠くからでもたやすく見つけることができるようになっています。

アケビは蔦の葉っぱをだいぶ落としていて、晩生の実がこれも遠くからでもよく目につきます。こちらが子供の頃は、彼岸の頃に続きこの晩秋のアケビ採りにもガキ同士で熱中したもの。晩秋のアケビは見つけやすく甘みがより濃かったので、ヤマブドウもぎ取りといっしょに毎年忘れられずに向かったものです。この頃になるとスズメバチなどの心配もまったくなくなりますから、里山は童たちの天下みたいなものだったのです。

胆沢川上流のブナの森は冬に衣替え

先日から童を一時保育することになり、1日午後、眠りを誘うために車を利用し胆沢橋まで上がって来ました。

ブナの森は、大樹も低木もすっかり葉っぱを落としきり見通しがきく冬の山に変わっています。胆沢川ではイワナの産卵ももうとっくに終わった頃。ノウサギも体を真っ白な毛皮に変え、森の王者クマは、冬ごもり前の食確保に懸命のうごきをしているでしょう。

晩秋になると草木の葉っぱが落ちて森の木の実の出来不出来の様子がよくわかってきます。私の目にうつる範囲では、今年の森は晩秋の時期のクマたちの主食に値する最もあてにしているシダミ(ドングリ)が凶作、それに並作かな?と思いこんでいたヤマブドウも実をつけた蔦がどうも少なく全体としては不作のよう。とくに越冬用の脂肪を蓄えるためにはドングリは必須のような食べ物ですから、クマさんたちはいつもの年とちがう山の様子にこまっているでしょう。今年は、加えて隔年結実のブナの実もほぼ皆無です。

「山の木の実が不作の年は、クマの穴入り(冬眠)が早い」と、私たちはクマのうごきと山の木の実の関わりをとらえてきました。その通りだと、根雪の時期による影響もありますが、いつもは12月始め頃になる冬ごもり開始が今年は11月中にはほとんど終わるということになるのでしょうか。脂肪を充分にとれないまま冬ごもりに入れば、初夏に交尾し晩秋までまだ子宮に着床していなかった受精卵(着床遅延)は、母親の栄養が十分に確保されないために着床できず流れるという現象もおきるようです。となれば、「来春2月頃に生まれるワガゴ(若子・子グマ)は例年より少なくな」るということも考えられます。

里山にとくに多いドングリが凶作なら、晩秋のクマは食をもとめてどこにむかうでしょうか。須川高原など、亜高山帯のナナカマドの実などは、今年の彼らにとっては例年以上にとってもありがたい食となっているはずです。

▼きのうは、今年最後の部落の共同作業。部落の生命を育む用水路の草刈りや砂利あげ、公園の清掃と冬囲い、神社の冬囲いなどがそれぞれの分担でおこなわれました。

この共同作業が終わればまもなく冬。みなさん「まだ、ゆぎ降ってくるなぁ。えぢねん、たづなぁ、はやなぁ(また、雪が降ってくる。一年経つのは、早いものですね)」の言葉が交わしあわされました。