緑黄色野菜が恋しい季節

若い頃に農業研修で1年間お世話になった相模原のSさん宅から、ブロッコリーやホウレンソウ、キャベツ、ニンジンなどをたくさん贈っていただきました。

雪国の厳寒、これからの食卓は貯蔵している緑黄色野菜がどうしても不足しがちで、こんな時に取れたて新鮮な緑黄の野菜はとってもうれしいものです。

今冬の関東地方はまれにみる雨なしお天気が続いたようで、ホウレンソウなどはその影響で生育がやや本調子ではないようです。でも、緑を恋うこちらにすれば、それはなんとなんと立派もの。

贈っていただいたそのホウレンソウを見たら、若い頃に相模原の畑で仕事をしていて冬に育つホウレンソウを見て「雪が降らないと冬でも露地でホウレンソウを栽培できるんだ」と、村と彼の地のおかれた自然環境のちがいに少々驚いたことを思いおこしました。

倒木、雨天、雪崩が水路を塞ぐ

降雪がほとんどなく雨混じりのお天気が続いたここ数日。おかげでふだんの除雪作業は無しで過ごすことができ、気も体も休まりました。

寒中、雨天の後には「雨返し(あまげえし・あまがえし)」の荒れ天気がくることをみんなわかっていて、道行くあいさつでは「あど、おっかねえ。おが、荒れねば、ええのもな(後がこわい。あんまり、荒れなければ、よいが)」のことばがよく交わされました。雨天後の荒れは覚悟していますが、大荒れとならないよう願うばかりです。

休日のこちらは、別の雪掘り大仕事がありました。池の水量が落ちたので点検にまわったら小水路から水があふれていたのです。原因は、水路そばの杉の木が二本倒れ、水路にその倒れた杉の枝が被さり、そこに流れてきた木の葉や木の枝が日を経るごとにどんどん溜まり、とうとう詰まりが極みに達し溢水していたためでした。

12月、湿り気の多い大雪で杉の幹が折れる現象がとても多くあった村や県内でしたが、それが水路に倒れればこういうことになるわけです。村内でもこれと似たような水路への害はほかにもあったと思われます。

通水復旧のために水路を覆っている深い雪を掘り、水路を開けて倒れた木を片づけ、詰まった枝や木の葉を取りのぞくのはなかなかの作業です。でも、今後の荒れ天気がくる前にすべての詰まりを除いておかねばなりませんから、いざ、奮い立っての雪よけと、ノコとナタを手にしての柴木の除去作業に集中しました。1時間ほどで障害物の除去は完了。

時ならぬ雨で沢の水も今冬は多く、それに春のようなヒラ(底雪崩)が沢の至るところで発生、大量の木の葉や木の枝が雪崩とともに沢に落ちます。そのため用水路の取水口にもそれらの木の枝や木の葉が詰まりやすく、その除去にもカンジキを履いて向かいました。

わが家のエド(池)にも注ぐこの小水路は集落の基幹水路となる「遠藤堰」に流末がすべて注ぎます。水量の比較的多い岩井沢の水を遠藤堰に取水できるはこの小水路からだけ。遠藤堰は流雪溝やエドをはじめ集落の冬のくらしをささえる大切な基幹水路。それに注ぐ稀少な小水路ですから冬もこうして見回り点検が欠かせぬのです。

雪国では、どこの集落でも、「取水口」をまもったり水路の障害物を取り除いたりと、冬ならではの作業がつきもの。みなさん様々な苦労をしているでしょうが、雨の多い今年は、見回りの際の雪崩や落雪には特別の警戒が必要です。危ない箇所には踏み込まない、気をつけ合いましょうね。

歩いた雪原には新しい蹄の足跡がありました。以前の村なら冬の生きもので蹄跡といえばカモシカだけでしたが、今はイノシシとニホンジカがそれに加わります。この足跡はイノシシでしょう。大きい足跡ですからオスイノシシなのか。

水稲作付面積などの目安を決める

村農業再生協議会の総会がきのう開かれ、今年の水稲作付け面積や生産量などの目安を決めました。

議案の前には令和4年度の実績報告も。令和4年度の村の水田面積は350.46㌶。このうち主食用米の作付け面積は155㌶。転作実施面積は195.46㌶。転作実績のうちもっとも面積の多いのは野菜の39.16㌶で、次いで39.10㌶の飼料用米、飼料作物の16.03㌶などが報告されました。作物は栽培されないけれども管理はきちんとされ荒れていない「自己保全管理」という名がつく水田が76.78㌶あることも、平成から令和にかけての大きな特徴です。いわゆる「遊休農地」ともいわれる水田がこれだけあるのです。

この日決まった令和5年産米の村の「生産の目安」は、数量で1095㌧、生産面積は前年度と同じ206㌶、水稲作付けの目安率は58.7㌫となります。

世界全体を見わたせば、穀物をはじめ主食となる食料生産の条件の悪い国がアフリカやアジア諸国を始め多くあり、あるいは世界の飢餓人口が8億人を超えるとされる状況もあります。飢餓までには至らないものの満足な栄養がとれない人口は30億人をこえるともいわれます。フードバンクなどを頼らなければならない「貧困層」とされる方々は我が国にもおります。こうした中、土も水も豊か、お米がたっぷりと生産できるこの国で、水田の多くが作付けされず自己保全となっている姿はほんとうにいびつな社会構造といえます。

全地球的な視野で「まずは世界の人々の飢餓をなくす」そのために、わが国政も、先進国といわれる世界の国々も、もっと効果ある具体策を執ることが必要と思われます。我が国は「米」でそうした支援体制の一環をもっと大きく担えると思うのですが。

▼きのうは時々の陽射しがありながらも雨の一日で、3月下旬から4月上旬なみといわれる天気となりました。

所用を果たして村内をめぐった午後、雪原も春のような雪模様となり、田んぼに積もった雪には「えくぼ」のような窪みがずう~と広がって見えました。雪の下には稲株がありますから、それがこんな雪模様をつくる元となっているのでしょう。斜面にもいろんな雪模様が出来上がっていました。寒中なのに、新雪の降り積もりがないので春のような雪原模様となったわけです。季節外れの思わぬ「自然の芸術」を目にした一日でした。

里山の斜面ではかなり大きなヒラ(全層雪崩)も発生し、雪崩がよくおこる山では口をぱっくりと開けた雪の割れ目の目立つ斜面がほうぼうで見られました。寒中の雨天が起こすヒラには要注意ですし、この締まった雪の上に来週からは新雪がどっと降り積もるようですから、そうなれば発生が多くなるワス(表層雪崩)にも要注意です。

雪上のヤマドリ、ノウサギと久しぶりの出会い

過ぎた日曜日の午後2時近くになってから、自宅向かいの山に上がりました。

雪が締まっていることを見越しての今年初めての冬の里山歩きです。想定通りで雪上は歩きやすく、カンジキをつければ足はそれほど沈みません。

それでも向い山はいきなりの急登なので一気上がりはできず、時々の小休止が必要。狩りをしていた若い頃からすれば脚力が落ちていて、毎年こうして雪山を歩く度に、足腰、体全体の衰えを感じます。でも、こうしてまだカンジキ履きで歩けますから並みの健康体ということにはなるのでしょう。「雪山を歩けるうちはまだだいじょうぶ!」、冬の雪山歩きは私の健康のバロメーターのようなものです。

雪山歩きの目的は健康維持とともに野の生きものたちとの出会いにあります。もちろんそれらを写すのも目的です。

この日は上がり初めてすぐ、100㍍ほど先にうごくオスヤマドリの姿を確認。向こうはとっくにこちらに気づいて早足で歩き始めました。それでもまだ飛び立たないので静かに彼との距離をいくらかつめて、かなり遠いのですがなんとか数枚をカメラに収めることができました。

その後には、さらに上がって尾根に到達。わが集落の一部や、漫画家・高橋よしひろ先生出身地の入道集落、合居川渓谷、県境の尾根、そしてスキー場、手倉、椿川地区などを展望しました。

降雪はないものの手袋なしでは手がかじかむほどにつめたく、尾根に長居はできずすぐに歩を下に向けました。眼下にのぞむわが菩提寺境内の墓石も雪上に出ているほどに今年はまだ積雪が多くはないのですが、それでも尾根には雪庇が発達し始めています。一部ではこの間の雨天と暖気によってその雪庇の全層が崩れ落ちている斜面もありました。この季節はワス(表層雪崩)への警戒がとくに必要ですが、暖気や雨天の時は寒中でもヒラ(全層雪崩)への警戒を要することもあらためて感じました。

下る途中の樹齢80年ほどの杉林のなかでは、足下から突然ノウサギが跳びだし全速力で眼前を横切り跳ねてゆきました。もちろんその瞬間はカメラは間に合わずです。しかしウサギの習性をこちらは知っています。「そのうち、どこかで立ち止まっているだろう」とウサギの跳ねた方向へ10歩ほど進んで遠くを眺めたら、案の定、杉の間に立ち止まっているウサギの姿が見えました。

かなり遠いですが、手持ちでこれも何枚かその姿を写し撮ることができました。今年は卯年。撮りだめていたノウサギの写真を先日載せましたが、今度はほやほやの新しいノウサギの写真をそえて、真っ白な姿の彼か彼女とともに「卯年、おめでとうございます」です。

木の実、柿の実に集まる生きものたち

寒の季節入りとなり、野の生きものたちにとってこれからが食の確保でもっとも厳しい時となります。

同じ木の実といっても、おいしい木の実はヤマブドウなどをふくめ野の生きものたちも区別を知っていてそれらはもうほとんど食べ尽くされています。いま残っているのは、後まわしされるわずかのツルウメモドキやヤマウルシの仲間などの実だけ。ですからこれからのヤマドリなどは、これらの木々に朝と夕刻によく集まります。群れでウルシやツルウメモドキの実を啄む姿が観られるのもこの季節です。

一方、度々ご紹介しているもぎ取られない柿の実も、平成から令和の時代には野の生きものたちのありがたい食べ物となります。

わが家そばの柿の木にも、カラスやヒヨドリの仲間の鳥たち、ほかにもテンやタヌキ、ノウサギまでもが柿の木に集まり、木に登れるテンは樹上で、ほかは熟れて落ちた柿の実を雪上で食べています。夜が明けた樹下の雪上には生きものたちの足跡がいっぱい見られます。

柿の実は寒気で渋がぬけているので「さて、どれほどおいしくなっているかな?」と、とぷとぷと軟らかく熟れた実を口に含んだら甘みいっぱいでした。こんなにおいしいのですから、生きものたちが集まるのは当然です。糖分が多く、野の木の実よりもはるかに粒が大きく、今の彼らにとっては最高にありがたいエネルギー源になるというわけです。

初出式の日の川には白鳥

7日午後2時、村交通指導隊と防犯指導隊合同の初出式に出席。

初出式前には、新たに交通指導隊員に就任されたSさんへの任命書伝達も行われました。大柳地区に住むSさんは横浜から村に移住して久しく、消防団員としても長く活躍しておられ、昨年は村の山岳遭難救助隊員にも任命されておりました。今度は交通指導隊員としての任務も重ねることになります。

時期も時期だけに例年雪まじりの中での式が多いのですが、今年は比較的おだやかなお天気のなかでの初出式となりました。

お天気がまだ落ち着いていたので式典の後に自宅前の河川敷をカンジキ履きで散策。成瀬川の通称「桜淵(さぐらぶぢ)」には今年も2羽の白鳥がカモたちとともにみられました。

「桜淵」のひとつ下流にはもう1つの渕があり、ここは通称「こぶしこ」と呼ばれた渕。昔そこには対岸に向かう一本の丸木橋が架けられ、その橋から飛び込んだりできる童達の水泳ぎ場でもありました。もちろん今は丸木橋は無し。ただ、コンクリートと石で固められた当時の橋台だけは淵のそばにこのようにして残っています。

淵が連続するここら一帯は、私もふくめ昔からカモ猟に最適の川としていましたが、狩猟者が激減した今はシーズン入りしてからも銃声はほとんど聞かれません。そんなこともあって白鳥たちもゆっくりと羽を休め、あるいは冬の間の住み処としているのでしょう。

予想よりはおだやかだった年末年始

年末年始は寒気襲来が予報されていましたが、ぐずついたり吹雪があったもののお天気は予想したよりもおだやか。今年最後のお日様を大晦日の夕方に望むこともできました。元旦の朝はめずらしく除雪なしで静かに迎える年となりました。おかげで、恒例の朝湯にゆっくりとつかりながら窓外の雪景色を眺めました。

年末までに本格的な雪下ろしを3回行っていて、年始になっては屋根にかかったマブ(雪庇)を落としには何度か上がりました。まだ年始めですので4回目の雪下ろしは確実でしょう。

雪との「たたかい」ではいつの年も4回目~5回目以降の「雪おろし」の頃からが最も苦労の多い時となります。なぜかというと、農機具格納庫など軒の低い建屋ではすでに下ろした雪が軒に届きつかえるようになるからです。そうなれば「雪下ろし」というよりも「雪掘り・雪投げ」という難儀な作業が強いられます。そんな規模の積雪にならなければよいのですが、まだ月初め、1月下旬に豪雪対策本部設置の年もありましたから、油断はできません。

わが家の今年は、昨年に叔父が亡くなり、門松飾りもお祝いの掛け軸飾りも無しの年越し年始となりました。仏様には館山の花卉栽培農家Sさん宅から贈られてきたストックとトルコギキョゥを供え、玄関に咲く鉢植えのサザンカをながめつつ新年をむかえました。大晦日には自宅前河川敷の湧水に育つクレソンを摘み取って新鮮な緑も食にそえました。

みなさんはどんなお正月をすごされたでしょうか。3ヶ日の間のこちらは、久しぶりにそろった童(わらし)たちと雪原をカンジキで漕いで河川敷に繰り出し、いつものようにクルミの木につくったブランコで歓声や幼子の泣き声が響くひとときを過ごしました。

▼きのうは3月定例会議の日程を内定。予算内示会をふくむ定例会前後の議会活動に関する行事予定についても事務局と日程調整を行いました。3月定例会議は、職務を全うするうえで大きな区切りとなる任期最後の定例会議ですので、いつもとはひとつもふたつもちがった心持ちでのぞむ議会となります。

村議会1月招集会議開かれる

村議会の1月招集会議がきのう開会されました。通年議会ですが、今年は議会が4月末に改選となるため、それにあわせて会期は4月29日までの116日間となります。

この日審議される議案はなく、会期を決めて散会としました。

午後には村消防団の出初め式で村民体育館へ。およそ以下のような内容でお祝いの言葉を申し上げました。

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▼令和5年村消防団出初式にあたって

令和五年の出初式にあたりまして、村議会を代表し一言ご挨拶を申し上げます。まずもって、永年の献身的な活動が認められ受賞された皆様に対しまして心からのお祝いを申し上げます。

また、県消防訓練大会小型ポンプ操法の部で過去最高の第4位受賞などのご活躍、日頃の訓練と防災活動への念入りな備えや、山岳遭難救助活動などでの献身的な活動に対しましても深く敬意をはらい、お礼を申し上げます。

さて、今日は、おめでたい出初めの日であるとともに、新年の防災活動や災害対応に万全を期すうえでの決意を堅め合う日でもあります。

わが村がかかえている多くの消防・防災課題は全国共通のものでもあります。そして、なんといってもその課題達成の大事なカギとなるのは消防団の充実強化であります。このため、昨年11月の全国町村議会議長会の大会でも、消防団充実強化法に基づいて、団員確保、施設や装備の充実、教育訓練の改善等での必要な措置を国に求めると共に、団員減少、災害の頻発化・激甚化で団全体の負担が増加していることをふまえまして、団員の処遇改善、報酬等への十分な財政措置などを盛り込んだ国への要望を議決し、要請しております。

また、全国豪雪地帯町村議会議長会の大会でも、雪害対策の強化に向けて、冬の季節の消防機能の低下を防ぐために、施設や設備の充実、雪が降る時期の地震災害に対処できる対策の早期の確立を、要望8項目のなかの重要な一課題として国に求めております。

火災などの一般防災はもちろんですが、これからは、いつおきても不思議でないとされる異常な豪雨災害、特別豪雪地帯のなかでも世界有数の豪雪の村における厳冬・積雪期の大地震災害など、我々の体験をはるかにこえる災害対応が求められる時がくることを想定した備えが必要です。いざ有事のその時に、行動のカナメとなるのがみなさん消防団でありますので、万全な対応ができますよう、いっそうの研修と訓練を皆様には期待するものであります。

結びに、迎えた年の安寧と団員各位のご健勝、村消防団、関係団体皆々様の益々のご発展をお祈りいたしましてお祝いの言葉とさせていただきます。本日はまことにおめでとうございました。

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吹雪はあり真冬日ではあったものの、時々の晴れ間もあったきのう。年末から予想されたような大雪とはならず一安心でした。夕方にはまた荒れ空となりましたが、今朝も除雪機械はほんの少しの雪を除けただけで済みました。議会開会中もお天気は比較的おだやか。このまま豪雪対策本部など設置しなくて済む冬であってほしいものです。

平穏な年でありますように

明けましておめでとうございます。

年の始めですので、恒例としてご来光をまずは載せました。最初の3枚は富士登山をしたときの頂上からのご来光です。それに続くのは、やはり年始の時々にご紹介している焼石岳頂上から拝んだご来光です。栗駒山と同じで頂は岩手でありながらも歴史的にわが村、わが故郷の山として愛される焼石岳。雲海上に頂を出しているのは、岩手山と早池峰山です。

今年は卯年。卯は、飛躍などいろんな意味で縁起のよい干支のようです。何年もの間、村の里山で写していたヤマウサギ(トウホクノウサギ)の姿を久しぶりに少しまとめて載せました。ウサギのような飛躍・跳躍とまではいかなくても、より前進できる年であることを期したいと思います。

ところでこのウサギ、獣類なのに、それを数える時は「何匹」ではなく「何羽」とも表現します。鳥ではないのに「何羽」という言い表し方をしたことには諸説があるようでおもしろいものです。私は、雪山でウサギを追いかける狩りの日々を長く過ごしました。その時に逃げるウサギの様子はまるで「飛ぶように」跳ねるので、それを見た昔人は鳥にたとえて「羽」をあてたのかと思ったりもします。今回の写真にも一枚ありますが、あの跳躍力はほんとにすごいですからね。

仕事始めの今日は、午前10時に村議会の招集会議が開会されます。午後には消防団の出初め式も行われます。令和5年、2023年がスタートしました。本年もよろしくお願いいたします。