14日は村の社会福祉大会でご挨拶を申し上げ、いろいろあってそこを中座、後に故佐々木健夫氏(6月に村議を辞職)の葬儀へむかいました。無念の思いを込め、最後のお別れのことばを申し上げました。以下は、その弔辞のほぼ全文です。
弔辞
健夫さん、十二日午後に奥様から訃報のお電話をいただき、あまりに突然のことにお返しする言葉に詰まりました。
このようなかたちで、あなたにお別れの言葉を申し上げることになりましたこと、まことに無念の極みであります。
世の中ではむかしからよく「いだましい人ほど先に逝かれる」といわれてきました。人の命はみなひとしく尊いものですが、あなたが大切にされたご家族の方々をはじめ、あなたが歩まれた生涯に刻まれてありますように、役場、議会、地域と、多くの方々にとってあなたはほんとうに大きな存在でした。
青年会活動、村職員と各課長職、そして平成15年から4期途中までを勤められました議会での活動と、あなたのご活躍を直接目にし、あるいは活動を共にする中で、私はあなたから、物事に向かうときの決断力のすばやさとあふれる正義感をとても強く感じました。
課長職を辞して二度の村長選挙を果敢・不屈の精神でたたかわれ、後に議会で活動されることになったあなたは、病に伏されるまで村民の負託を受けた立場として議員の責務をほんとうによく果たされ、一般質問を毎議会欠かさず、質疑も旺盛に行っていただきました。
さらに、議会運営、議会改革、議会広報の各委員長としても重責を担われ、とりわけ通年議会制導入をはじめとする歴史的といってもよいでしょう村議会の改革にあたっては、その先頭に立って役割を果たされました。それらの活動にあなたがご尽力されるお姿は、議員としての鑑となるものでありまして、その姿勢に多くの方々が学ばされました。
それだけに、健康な時には鋼のようにたくましかったお体が、病魔に襲われ議会活動が充分に出来なくなり、さらに質問や質疑がかなわなくなった折のあなたの悔しさを、私は心に染みて察しておりました。しかし、あなたは議会人としての使命をこの時も貫かれ、無理をして病室から外出され、質問こそできなかったものの一日だけ3月定例会議の議席に着かれました。この時、あなたの姿勢に我々は強く胸を打たれました。
「病を克服されて、また議場へ、そして、あの迫力ある声音で一般質問を、質疑を」と、私は願っていましたし、何よりもあなたがそれを一番望まれていたでしょう。しかし、病魔はその願いを断ち切り、ついにあなたは議員を辞職され、そしてこのような今生の別れという悲しい日をむかえることになってしまいました。
健夫さん。先輩。私は、この間、病の床の上であの病室を出る時に長く堅く交わし合った握手の時のあなたのあの掌の温もり、力強さを忘れません。あなたがあの時に私に伝えようとされて握手に繰り返し込められた熱い思いにこたえ、私たちは今後もがんばります。
苦しかったでしょう。無念でつらかったでしょう。健夫さん、どうか、もうゆっくりお眠りください。ほんとうにご難儀をおかけしました。お世話になりました。さようなら。
▼葬儀の後にも、村発展のうえで貴重な人材を失ってしまい残念でならぬ心境は続いております。しかし、故人が果たされた役割や村政に臨んだ思いを大切にし、よりいっそう議会活動を強化、旺盛にすることこそが故人のご遺志にこたえるものととらえ、今後の歩みを進めたいと思います。野辺に咲くエゾアジサイとカンゾウ、それに妻が蒔き育てたキキョウの花をささげつつ。