渓流釣りシーズンはじまる

秋田県は4月1日から渓流釣りシーズンに入りました。

村の成瀬川は、本流、支流ともに太公望たちの人気を集める川。解禁にあわせて岸辺の残雪には釣り人の歩いた足跡がいずこにもみられるようになりました。

そろそろ堅雪も本格化してきましたから、お天気がよければ河川敷を散歩するには絶好の雪状態となりました。先日の朝、その堅雪渡りをしていたら、成瀬川の本流で釣り人発見。

少しのよもやま話をしながらシーズン入りしてからの釣果などをお聞きしたら「まだ、あたりが、あまりよくない」と言われました。私は釣りのことはまったくわかりませんが、今年は寒さも続き、雪解けも遅いので、それも釣果と因果関係があるのでしょうか。

それとはまた別に、支流とちがい、昨年の本流は上流部ほど泥の沈殿長期化もみられたようですから、それも魚たちの生息環境になんらかの影響があったのでしょうか、少し気になるところです。

成瀬川は、流量が多くかつ清い流れとしては県南部有数の渓流。渓流釣りの方々のみならず、村民歌にも、校歌にも、ふるさとの歌~悠久の風にのせて~でも歌われ村民が誇りとしているこの清流ですから、魚たちはもちろん、村の人々も通常ではない濁りにはみんな敏感です。

入園式の日、チャワンバナコ咲く

きのうは保育園の入園式。高校の入学式もあったということです。

今は途中入園ですでに保育園生活を過ごしている乳幼児たちが多く、その児たちもふくめ式の席に着いたのは15名のみなさん。

年齢の内訳は写真のようであり、2~3歳児は3名のみ。多くは保護者のみなさんにだっこをしてもらっての入園式です。

新しい友だちをおむかえし、園の子どもたちは69名に。その児たちを育てる理事長、園長先生をはじめ保育士さんや補助員さん、スタッフのみなさんは合計33名。乳児が多いこともあって、職員さんもそれに見合って多数配置されていますから、小さな保育所であっても、ここは大切なはたらく場としての役割も果たしています。

▼入園式を終えた後には、国交省成瀬ダム工事事務所に転入となられた課長さん方が、役場へご挨拶でみえられました。時間に余裕がないようなので休んでいただくことはできませんでしたが、今年も議会としていろいろお世話になることがあり、そのことだけをお伝えいたしました。

▼晴天もほんのつかの間。午後にはまたチラホラと雨模様で、きのうもやはり肌寒いお天気つづきでした。

その雨降り前のひととき、フクジュソウ群落のなかにポツンポツンと咲き始めたチャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)を眺めに立ち寄りました。

ほかにも毎年よく立ち寄るこの花の群生地がありますが、今年はまだ雪の下です。ドホドホと暖かい雪消し風が吹く春の陽射しがあれば、チャワンバナコに続きカタクリもまもなく花姿を見せてくれるでしょう。可憐な野の花たちの開花リレー、今年はいつもの年よりやや間をおいてのバトンタッチとなりそうです。

二つの入学式

5日は、午前、午後と小・中学校の入学式。

つい先月、保育園を卒園、小学校を卒業したばかりの子どもたちですが、会場となった体育館に入場する時の希望に満ちた、そしてちょっぴり緊張した姿、それになんといってもその初々しさと元気な返事は、会場全体をぱぁっと明るくしてくれます。

新入生をむかえる在校生のみなさんも進級したばかり。こちらも、卒業式からわずかの日数しか経っていませんが、ひとつ学年をあげ、一年生をむかえてか「またひとつ成長した表情になっているな」と私には見えました。

クラブに関係なく在校生全員による楽器演奏に合わせて入場する中学校の入学式も、歓迎の心がよくこもっていてうれしいものです。

小学校でも、中学校でも、君が代や校歌に続いて、村の小中学生が作詞し、大館出身の橋本祥路先生が作曲した東成瀬賛歌ともいうべき「ふるさとの歌~悠久の風にのせて~」が子たちによって合唱されました。

いつ聴いてもほんとにすばらしい詞と曲。全国のみなさんに紹介したいほどに誇れる歌ではないかと私は感じています。

今朝はよく晴れましたが、きのうも午後は冷たい雨。つぼみを見せたチャワンバナコ(キクザキイチゲ?)も、寒空が続いていてなかなか花を開けずでした。家のまわりは平年より雪が厚く残っています。行き交う人々の会話では「いつもの年より雪消の速度が遅い」がよく口にされます。農作業に悪い影響が及ばなければよいがと、少し心配しはじめている4月はじめです。

急逝の友に別れを

2日朝に急逝された友の葬儀がきのう行われ、夕刻まで弔いと供養の席に着きました。

前日、弔辞を準備し読み直しをしている時、故人と過ごした数々のことが偲ばれ、読みが幾度も途中で止まります。

別れが悲しい、つらいのは葬儀の場におられるみなさんも同じ。つらいのは自分だけではないので、「明日は、しっかりと読んで弔ってあげねば」と堅く意に留めて葬儀に向かい遺影の前に立ちましたが、やはり、所々で、ことばに詰まりました。

あまりにも突然の、あまりにも早過ぎる永遠の別れを友に告げることになったので、気の置き所が定まらぬお悔やみの日々が続きます。葬儀の夜は、そぼ降る涙雨となりました。

▼今日は、午前と午後にわかれて小・中学校の入学式です。希望にあふれる子たちの姿から元気をもらいたいと思います。

またまたカラスのくるみ割り

先にカラスのクルミ割りのことを書いて、「道路にクルミを落としておいて車に割らせる技」ということを強調しました。

ところが、それは私の主観が先走り過ぎた判断のようでした。それで、主観をやや除いて、現場からみたカラスのクルミ割りの方法をここにもう一度お知らせします。もう、とっくにカラスのそういう姿を目撃していて、おわかりの方も多いでしょうが。

私は、「クルミの実は堅いだけでなく軽いので、空中から道路に落としても自重のちょっとした加速度の衝撃程度では簡単には割れないだろう」という前提の思い込みがありました。でもそれは誤り。結実してから一冬外で越したからでしょうか、それとも、実が雪に触れていて湿っているからでしょうか、この季節、外にあったクルミの殻は空中高くから落とされるときれい半分に割れるのです。

それをこの間2箇所、2羽のカラスで目撃しました。クルミを咥えたカラスが、電柱ほどの高さまでふわりと舞い上がってそのクルミを道路に落としたのです。高度は「電柱ほど以上の高さ」がミソです。しかもそれは車道だけではなく歩道にもです。この光景をみて、「ははあ、カラスのクルミ割り手法は、車につぶさせるのが主な方法ではなく、落とした衝撃で割るのだ」ということを確認できました。

もちろん、殻を車に割ってもらうことを考えているカラスもいるかもしれませんが、この季節の「割り」の第一手法は「落としの衝撃力」を利用するということです。クルミの実は、結実直後とちがい、雪の下でこの時期まで貯えられれば殻の閉じがもしかしたら緩くなっていて、それで今は「落としの衝撃」だけで簡単に真ん中から二つに割れるのかもしれません。季節によっての殻の堅さ、柔らかさまで彼らがもし知っていての「クルミ割り技法」だとしたら、それはさらにカラスの賢さに脱帽することになります。

雪のない国道を走れるようになった春、方々の道脇で、クルミを咥えたカラスが目に入ります。そういう時、みなさんが見たカラスはどんな行動をしていたでしょうか。

 

活動をともにしてきた友の急逝

同僚議員のご家族が亡くなられ、きのうはその会葬で出棺の場に向かいました。

終えて役場などで用務を果たし帰宅、次の用務にとりかかろうとしていたら電話が鳴ります。

それは私にとって信じられない訃報。電話の向こうで「とうさん(夫)が、亡くなった」との旨を私に告げられたのは、きのうこのブログで閉店のことを記した後藤とうふ店の店主、後藤解生さん(64歳)の、その彼の奥さんの声でした。

「80年ほど続いた店の、これが、最後の豆腐づくり」ということで、3月30日、解生さんの作業を早朝から1時間以上いっしょに見つめて記録の写真にし、きのう2日のブログにその一部を載せたばかり。あんなに元気に仕事をしていたのですから、急逝の報に言葉を失いました。

しかし、まるで眠っているようなのに冷たくなった亡骸を前にして、その事実を認めなければなりませんでした。生業を為し終えて店を閉じ「さあ、これから第二の人生へ」という矢先でのこの無情。故人の無念を察するとともに、ご遺族皆様の驚きと悲しみを目のあたりにして、なんともあらわせない心境になりました。

青年運動をはじめ何十年もの長い間活動をともにしてきた在りし日の友を偲び、今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。

80年ほど続いた老舗とうふ屋さん閉店

およそ80年ほどの間、豆腐の製造販売をつづけていた村内田子内の後藤とうふ店が3月31日で店を閉じました。

「これが豆腐をつくる最後の朝」になるという30日早朝4時過ぎ、豆腐づくり作業にあたる3代目当主後藤解生(ごとうときお・64歳)さんのしごとをおよそ1時間ほど見つめつづけました。

豆腐造り工程の最後の段階に入ると、これから豆腐のかたちになる原料が袋から取り出されます。その瞬間作業場内には湯気がいっぱいになり、カメラのレンズもメガネもたちまち曇ってしまいます。

 

やがて、小さな青いポリ容器に入ったニガリが豆腐の原料の入っている丸い器に入念に入れられ、ヘラ状の道具でその原料がかき回されます。ヘラは、熟練の技で動いたり止まったり。「ニガリを入れる時が、豆腐づくりで一番むずかしい時。何度も失敗し、オヤジにおしえられながら、やっと一人前になった」という3代目は、とうふづくりに就いてから37年にもなるそうです。

途中で「ホラ、これが(ゆば)だ。ホラ、これが固まる前の豆腐だ(寄せ豆腐のような)」と味わわせてもらいました。こうして先代から引き継いだ独特の技法でうみ出される豆腐は「たごねぇ(田子内)の豆腐」として、村内はもとより近郷近在の方々からも根強い人気を集めてきました。

 

すでに閉店のことは小売店などに伝えられていて、それを知った常連客のみなさんは「あど、んめぇ、豆腐、かれねぐなる、やじゃねぇ(これからは、おいしい、豆腐、食べられなくなる、残念だ)」とつぶやきます。

何十年もの間とうふ店への出入があったこちらですが、豆腐の手づくり作業をジッと見つめ続けたのはこの日が初めて。30日につくられたその最後の豆腐。「これが、80年間伝えられた最後の味か」と感慨をもちながら、味噌汁、湯豆腐でごちそうになりました。

写真が多くなりましたが、「80年の技の記録」ということでご了解ください。

▼転勤にともない、村と関係する部署で転出、転入される方々のご挨拶訪問が続く4月。

きのうは、成瀬ダム工事事務所で転出される課長さん方4氏からご挨拶をお受けしました。湯沢の工事事務所におられる頃からお世話になった方々もいて、互いにある意味「考えを知った同士」なので、いなくなられるのは残念です。しかし、村役場とちがって異動にともなう転勤は、国交省のみなさんにとっては世の常。新たな任地でのご活躍とかわらぬご助言をお願いし、お世話になったことへお礼申し上げました。

村の音楽劇・縄文ロマン~青く光る石のものがたり

小、高の児童生徒たちを軸に、大人4名も出演の音楽劇「縄文ロマン~青い石のものがたり~」の公演がきのう村の地域交流センター・ゆるるんで行われました。

東京芸術座の俳優で、演技とともに脚本、演出を手がけられた佐藤アズサさん、村の劇団たけのこのみなさん、そして杉山彰さんの音楽で構成された今回の劇。大人の方々にささえられながら子どもたちは見事な演技を披露してくれました。

前段の、杉山彰さんとわらしっこ合唱団によるミニコンサートや、村のふるさと館館長・櫻田隆氏による縄文ミニ講座も、演劇を理解し引き立てるうえで大変好評でした。

幕が開いて、フーンと考えさせられたり、クスッと、あるいは大声で笑わせられたり、し・み・じ・みとさせられたり、明るい歌声があったりで劇は進みます。「ものがたり」が何よりもあらわしたかったのでしょう、「私たちが忘れてはならないもの、忘れてしまったもの」を、縄文の人々の時と心を所々にひきながらステージは私たちにうったえました。

演じた子どもたちは、学校や諸行事、ほかの放課後活動、個別のスポーツや文芸活動、お稽古事、レッスンなどにも時間を割かれるなかでの準備でした。同じように大人の方々も本業の仕事をこなしながら、その合間を見ての稽古に励まれました。

したがって稽古に費やした時間はほんとにわずかでしたが、前回の「能恵姫ものがたり」と同じようにみなさん感動あふれる演技をみせてくれました。女優の佐藤アズサさんはもちろんですが、劇団たけのこのみなさんもさすが存在感ある見事な演技で子たちをひっぱってくれました。裏方でささえていただいたスタッフのみなさんの大変な時間を要した準備とご苦労にも感謝でいっぱいです。

脚本・演出の佐藤アズサさんと音楽の杉山彰さん、方言指導の岡光先生、監修の櫻田隆先生は、ほんとによく子どもたちをこれほどまでに教えまとめてくれました。その「ささえ力」をありがたく思ったのは私だけではなかったようです。

みなさん、ごくろうさまでした。ありがとうございました。

当日、会場でお配りされたチラシをカメラにおさめ記録しておきましたので、ここにも載せて、みなさんへご紹介です。これをお読みいただければ、「ものがたり」が伝えたかったもの、あるいはきのうの公演で観る人々に伝えられた熱意のなんぼかは想像できると思います。

転出される先生方との挨拶会

転出される教職員のみなさんの離任式が小中学校で行われ、その後に役場庁舎でも教育委員会主催による合同挨拶会の時間がいつものように設けられそれに出席。

議会がいろいろとお世話になったこと、新任地でのご活躍を願ってお礼を申し上げました。

教職員の異動(小学校の教頭先生は退職)は、そのほとんどの方々がつとめる学校そのものがかわります。転任されるみなさんの心境は、これまでいっしょに過ごした職場の同僚や子どもたちへの惜別の情とともに、これからはじまる新しい職場のみなさんとの関係、新しい子どもたちとの出会いなど、そういう立場におかれた者でないとわからない大変さと新鮮さが同居するものなのかなと思われます。

みなさんは、村の教育の独自性の側面も見つめたでしょうから、いろんなかたちでプラスになるところは今後の活動に活かされて、新任地でもより豊かな教えに努めていただきたいもの。転出のみなさん、我々の方こそほんとにお世話になりありがとうございました。

▼この日は、その後に村の表彰式も。今年もスポーツ賞(バスケット、ハンマー投げ、ハンドボール、スキー、野球、ボール投げ、1500㍍走、卓球、100㍍ハードル、サウンドテーブルテニス、パークゴルフなど)と、芸術文化賞(将棋、民謡、標語コンクール、席書、写真、絵画、演劇など)でとっても幅広い分野で、東北、全県、地区大会で優秀な成績をあげられたみなさんを讃え合いました。

▼この月末31日、村の地域交流センターゆるるんを会場に「縄文ロマン 青く光る石のものがたり」という子どもたち(小、高)の演技が軸となる(大人も数人が演者)ミュージカル仕立ての劇が行われます。(配布されているチラシの写真参照)

この公演にむけた練習が精力的に行われていて、先日その舞台につかわれるセットの道具類などを目にしました。劇というのは、演ずる者はいわゆる表舞台に立つわけですが、それを土台でささえる脚本や演出という屋台骨の仕事がまず第一。さらに「舞台美術」などの「裏方」といわれるとっても大事な役割があってはじめてこの演劇は成り立ちます。

今回の劇は小さな規模のものですが、それでも舞台の構成、セットにはかなりの労力を注いでいて、プロの大工さんはもちろんのこと、元学校の校長と美術教諭をつとめられた方、村の和紙づくりと和紙の工芸品づくりのみなさん、つる細工つくりのみなさん、読み語りグループのみなさん、時代考証では考古学の専門機関でお仕事をされた方、などなど、たくさんの方々の協力とささえでこの「ものがたり」はつくられています。

本番まであと2日。みなさん、連日の稽古と仕上げのリハーサルに集中しています。こういう内容の劇の観賞機会はめったにないこと、楽しみです。31日は、ぜひ、岩井川の「ゆるるん」にお出でを。

カラスに学ぶ

雪解けの季節がやってきたのを喜んでいるのは我々だけでなくカラスも同じのよう。

真冬にも時々見られる路上でのカラスのくるみ割り。雪が解け始め地面の見える範囲が広まるにつれてカラスたちがエサを求める場所もだんだんと多くなります。

そのエサのひとつクルミは、リスやネズミだけでなくカラスにとっても雪の季節の大切な食源。そのクルミが落ちている場所、というより隠している場所なのでしょうか、どこから咥えて運んでくるのかわかりませんが、秋と同じで春になるとかれらのクルミ割り光景が頻繁に目に入ります。

咥えてきたクルミを道路に落とす。それで堅い実が割れればいいのですが、あの軽くて堅い実が、高所から落とした程度では簡単に割れないのでしょう。でもカラスは次善?の策を知っているようで、それは道路を走る車にタイヤでクルミの殻を踏みつぶしてもらうこと。車に殻を割ってもらえば中味を簡単にごちそうになれるというしかけのように私には見えます。

いつかも記しましたが、リスやネズミと同じようにカラスもクルミをどこかに蓄えているのかもしれません。どこから実を運んでくるのか知りたいものですね。得られるエサが極端に少なくなる厳しい豪雪の冬を越すことができるカラスの賢いこの生き方。この鳥の頭のよさ、生きる力の強さにはほんと感心してしまいます。「カラスに学ばねば」です。