雪上の仙北街道(その3)

時間が経つにつれて晴れ間がさらにひろがり、空の青さも色濃くなった。林、雪、青空の調和のとれた景色の中を、登山道など関係なく自由自在に歩く。これが春山雪上歩きの最も快適なところ。

岩手側のブナ林だけでなく、秋田側明通沢の県境部伐り残されたブナ原生林もすばらしい。
まだ芽吹き前で視界が遠くまで効くので、2つに大きく分かれている明通沢の広大さ、沢の深さも、春山の街道尾根を歩けばよくわかる。ほんとに広く深い沢なのである。

帰りの林内、枯れたブナの幹がある雪上に何かが落ちている。よくあるノギウヂ(脱け落ち・エゾハリタケ)かな?と一瞬思ったが、よく見たらそれはカノガ(ブナハリタケ)の脱け落ち。

昨年初冬、最晩生のカノガが出たまま冬を越し、積雪の重みで幹から脱け落ち、4㍍ほどの積雪に埋もれて冷凍され雪消とともに姿を現したのだ。途中では傘肉の厚い極上のユギノシタキノゴ(エノキタケ)もお出ましで、それもいただき。

沼又地区の荒沼では、簡易水道水源地の豊かに湧き出る清水の様子をのぞきにも立ち寄り、車到着は2時少し前。およそ7時間ほどの久しぶりの長歩きを終えた。

夕餉には、これまで食したなかでは最も食べ応えのあるユギノシタキノゴを、旬のヒロッコ鍋に入れて早速ごちそうになり、翌日はアザミやコゴミの新芽とともに脱け落ちの天然冷凍カノガもおいしくいただいた。

雪上の仙北街道(その2)

ブナの林を縫いながら下り始めてすぐ、北西から南東にまっすぐ向かう足跡ひとつ。急斜面を下る箇所では、クマ特有の後ろ足を滑らし気味にした二本の線状の跡も雪上にくっきり。林立するブナにも、昨年秋につけられた新しいツメの跡が随所で目に入った。

足跡は2つで、跡の大きさからして一頭は100㎏をはるかに超すだろう大グマ、前夜から朝にかけて歩いたらしい爪跡の新しい一頭も80㎏から100㎏近いクマだろう。この日は、堅雪でも林の中は朝から雪に足がややぬかるので足跡がくっきりと残り、向かった方向も、大きさもほぼ確実に推定できる。

狼沢方面の越冬穴から出てきたのか、普通なら明通方面の雪消の早い日向斜面にむかえば野草の新芽や昨年のドングリが食べられるだろうが、2頭とも岩ノ目沢を横切り丈ノ倉平(ジョウノグラディ)から胆沢川下流部、もしくは小出川下流部方面に向かう跡だ。足跡が新しい場合、普段の私なら足跡を逆にたどる逆追跡で「クマが出た穴」をさがすのだが、この日は帰りの体力(脚力)のことも考えそれは止めた。

岩ノ目沢は途中で大小2つに大きく分かれていて、仙北街道・丈ノ倉のてっぺんに向かう最短距離をとるには小さい方の沢をこえなければならない。しかし今年は雪がまだ多く、沢はほとんどが雪でふさがれていてどこからでも越えられる。

広大なブナの森に吾ひとり。景色に見とれ「いいなァ、いいなァ」とつぶやきながら丈ノ倉の高見をあおぐ尾根の直下まで来た。最後の急登、滑らないように一歩ずつ足もとを固め、今年もまたここに到着。時間はまだ早く10時を少し過ぎただけ。

ここは夏の仙北街道踏査でよく歩く道。いつもの春ならもっと尾根筋の道が出ているのだが、今年はやはり雪が多く土の街道はわずかしか露出していない。毎年見られる道脇のカタクリも、花どころかまだ新芽すら見あたらない。

眼下の岩ノ目沢右岸ジョウノグラデイ(丈ノ倉平)の美林と、明通沢上流部に広がるブナ原生林は、雪上の春山だからこその眺望が楽しめる。北東に焼石連峰、西に五里台集落と鳥海山、南に東山や栗駒を望みながらそのまま街道を小出川方面にむかったが、いつもご対面するクマの越冬穴も雪が多く、今年はまだ穴口に姿も見えず。林では雪に足がかなりぬかるので、戻りの難儀を考え目的地まで向かわず途中で引き返すことを決断。

戻りになったら空の青さも多く、陽射しもまぶしくなり、ブナの林相も、焼石連峰の遠景も朝とはちがった明るい趣を楽しめた。

▼きのうは、任期満了にともなう村議選で改選された新議員へ当選証書の交付が役場内で行われました。私もふくめ再選された現職も、新人と同じように決意を新たにしての活動にまた全力投球です。

現職の任期は今月29日まで。30日からは新しいメンバーによる議会の構成となりますが、初めてとされる10連休などへの配慮もあって、初議会は来月7日開催で招集されました。

雪上の仙北街道へ(その1)

4月も半ばを過ぎ、冬ごもりを終えたクマたちが山のあちこちで見られたとの情報がこちらにも入るようになった。

そういう知らせを聞けば、越冬穴のいくつかを知るこちらは黙っていられず。それに雪上の春山歩きも大の趣味なので、晴天が予報された20日(土)に急きょ山行へ。

いつものことながら前夜に急に決めての行動ですが、妻は前日のこちらの気配を覚っていて、食べものの準備などをすかさずしてくれる。向かう山は小出川に連なる仙北街道。

歩き始めは国道397号とホテルブランへの分岐交差点を7時25分。今年は、342号の除雪が終わったばかりで、まだ397号の除雪はされていない。予報の割には雲が多くなり、冷たい風がある。

いつもの直線最短距離で大森山トンネル入口着が8時45分。冬に大森山へ登ったときにここまでは同じコースを歩いた私のカンジキ踏み跡がそれらしい足跡として残っている。カンジキの踏みぬかりで雪が固められるためそこだけ雪解けが遅れて盛り上がっているから、春になっても足跡がわかるのである。

風はさらに強く冷たくなった。上りの歩きでも汗は出ず寒いほど。そこまでは軽装で歩いたが、耐えられない寒さなのでヤッケを取り出し冬構えへ。県境の尾根に到着は9時10分。ここは気流をさえぎるものがなく帽子が飛ばされるほどの風の勢いだ。堅雪の季節なのだが、林の中は朝でも足がやや雪に沈み歩きにくい。

秋田・岩手県境尾根からの眺望はいつ来てもすばらしい。眼下の北上川支流胆沢川は川筋がすべて現れるほどに雪が消え、流域のブナの森の全体が視界におさまる。三界山はくっきりと山容全体を見せているが、主峰焼石岳などは頂上の少しがガスに隠されている。風とガスの様子で察すれば、焼石、栗駒もふくめ今日の標高1500㍍クラス以上の東北の山々は冬山といってよいほどだろう。

ここ県境の尾根に立ち、眼下のブナ林を見つめれば、数十年前の春山ブナ伐採の頃を必ず想い起こす。ほぼ同じコースを歩いてきて、尾根から大森沢に下り、仕事場到着まで3時間近く歩き、最たる重労働(巨木の伐採とバチゾリやオオゾリでの搬出)にはげみ、日暮れとともにまたこの尾根を上り、岩井川馬場まで毎日歩き通してはたらいた若い当時のことだ。ほんとに、みんな、毎日よく続けられたものである。

そんなことを思いながら県境の尾根を南に進み、今日の目当て仙北街道へ。ここからだと、街道にたどり着く最短距離として私は胆沢川支流の岩ノ目沢に入り、決まって沢を縦断する。岩ノ目沢は、一度も伐採されたことのないよく言われる千古斧を知らぬブナの美林。その魅力あふれる美林を歩きたいという目的もあってである。

可憐な野の花にイワウチワも加わる

片付け事などをしていての合間、「チヂザグラ(土桜・イワウチワのこと)の花が咲く頃だな」と、自宅からもっとも近く車道すぐの里山にある小さな群生地に向かいました。

先日通ったときは雪が消えたばかりでしたが、きのうは、群生の株につぼみがいっぱい。ただ、花を開いたのはほんの数輪で、群生の地面が見頃の花で飾られるのはもう2~3日経ってからのようです。

歩きついでに沼又の国道397号を沼又橋のある「竹マルギッパ」まで雪の上をのぼりました。村で国有林に咲くフクジュソウはおそらくここだけでしょう、昔からの群生地に立ち寄りました。そこはカタクリも満開の群生となっています。

花のそばには、外殻をみんな脱いで中味がすっぽんぽんになったドングリが、地面から少し離れて浮かんでいます。裸になったその実は根をしっかりと地に着かせていて、実を持ち上げていたのです。実には芽を出す準備もされていました。

残雪の脇に咲くイチゲ花、雪解け水の流れのしぶきを受けながら暖かな陽射しを浴びるバッケ(フキノトウ)も、ここの清流の眺めはなかなかの景色です。

ここら一帯は昔から大きなヒラ(底雪崩)の巣といわれる急斜面連続の地。すでに崩れ落ちた大ヒラが谷にかぶさり、雪解けの濁水は雪崩のトンネルの中を激しく流れ下っていました。

小花を愛で、山菜は初物を

14日ときのう、つまり村議選の前後となった両日のひととき、道路沿いや湧水脇に咲く野の花を眺めに立ち寄り、か弱い山菜の新芽も目にしました。

花は、キクザキイチゲの仲間やフクジュソウはいずこでも観られるようになっていますが、ショウジョウバカマとカダゴ(カタクリ)、それにミズバショウは今年はじめてのご対面です。

か弱い山菜の新芽は、コゴミとアザミ。摘み取るのに申し訳ないような弱々しい小株ですが、こういうのは菜を食べるというよりも、菜の香りをいただくといったほうがよいでしょう。

妻は翌朝、細かく刻んで味噌汁に初物をパッといれてくれました。いっしょに摘み取ったユギノシタキノゴ(雪の下きのこ・エノキタケ)も具となり、アザミの初春の香りがお椀のなかでほんわりとひろがりました。

村議選が告示日で終わる

昨日告示された村議選。定数10に10人の立候補となり無投票という結果になりました。

私もその一人として、25年前の補欠選挙をふくめれば8度目の挑戦をし、連続7期目の議会構成員として仕事ができることになりました。

一定数の人口を保ち続けるための政策、それを見据えた首都圏地域との交流深化、引き続き村の条件・資源をいかした産業振興、隣接あるいは同じ管内の自治体と提携しての観光政策や雇用政策の強化など、村の自治をより強め発展させるとともに、自治体同士の提携もさらに密にしてゆくことがこれからは大切と思われます。

24年前の選挙のとき遊説をしていたら、当時小学生だった集落の女の子二人が、野に咲くチャワンバナコ(キクザキイチゲ)を摘み小さな花束にして駆け寄ってきました。二人の手には花束とともに小さなバッヂもにぎられていました。そのバッヂには「村のためにがんばります!」というきれいな文字が子どもたちの手で書かれていました。この時励ましをいただいたその女の子たちも、今は小学生の子をもつ母親です。

以来、選挙の度に、タスキにこのバッヂをつけ、歩みつづけてきました。子どもたちのイチゲ花束と小さなバッヂを私が心の中で大切にしているのは「初心を忘れるな」という教えのようにとらえるからです。村政を動かす大事な車輪の役割を担う議会です。その構成員の一人として、託された使命を果たすべく決意を新たにしています。

野草の新芽がまた増えて

4月も半ば。この間、野草のなかでは芽を出すのが早いウドザグ(茎が空洞なのでウドのサク・ハナウドの仲間)のことを書きましたが、それに続いてヘリザグ(セリサク・シャクのこと)の緑も広がりを見せ、カンゾウもチラリホラリと新芽を目にするようになりました。

ウドザグ(写真の最初)は強烈な臭いのある野草でもちろんわれわれの食用にはならず。しかし、クマやカモシカをふくめ野の生きものたちにとっては春一番の新芽で、しかも茎葉にボリュウムがありますから、彼らにとっては早春の命をつなぐ大事な食べものとなります。

それらとちがいヘリザグ(シャク)とカンゾウはわれわれも食べられる山菜。村ではセリのことをヘリと呼びます。シャクの葉っぱはセリに似ているので村ではそんな呼び名がつけられたのでしょう。独特の臭いがあるシャク。ここではそんなに人気のある山菜ではありませんが、山菜のなかでは芽出しが早いほうなので、葉っぱよりも、もう少し成長してできるトッコ(茎)を食用として利用します。

カンゾウも村ではあまり利用されない山菜。でも特有の甘みを好む方は楽しんでいるようです。ヨモギも次々と芽を出し始めました。雪解けの早いところでは、まもなくコゴミも姿を見せる頃です。

先月春一番の緑を紹介したセキショウは、もうこんなにいきいきとした草姿になってきました。

日の出にあわせて堅雪散歩

早朝の気温がマイナス2℃。久しぶりの堅雪となったおとといの朝、遅い日の出の時間に合わせて自宅前河川敷をいつものように散歩。

堅雪の上の散歩は、野や山々までどこでも自由に歩けることでは一年でいちばんうれしいとき。体だけでなく心もみんな解放されたようになり、気分転換にはうってつけです。

散歩をしながら、ユギノシタキノゴ(エノキタケ)を取り、撮り。目の前のせせらぎの心地よさのなかで早朝の澄んだ空気をたっぷりと吸い、それに朝日を眺められれば、この先の激しい活動にそなえる活力をいただけるような気になります。

やや肌寒いながらこの日は終日の晴天。チャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)の群生も村の方々で見られ、村の名峰・東山も、久しぶりに青空を背景に名峰の姿を浮き立たせました。

日曜のきのうもうれしい晴天続き。こちら焼石連峰のやはり名峰のひとつサンサゲェ(三界山)と権四郎森(南本内岳)の真白き姿を東にのぞむわが集落では、水稲苗を育てるハウスへのビニルかけがはじまりました。今年のお米づくり作業がいよいよスタートです。

味噌仕込み

関東地方にやや遅れてこちらもなごり雪が10㌢ほど積もったきのう。当座の活動に必要な書きものなどをしていての合間、自家用味噌の仕込み作業をする妻に少し手伝いました。

「仕込み」といっても、以前のように真っ黒な大釜で大豆を煮る、つぶす、こうじや塩を混ぜる、などの作業を自宅でやることはなく、そこまでの作業はみな業者さんまかせ。

自宅でやる作業は、そうして出来上がった味噌の素を業者さんから運んできて自宅に備えてある味噌桶に詰め込むことだけ。味噌に関わる作業は妻の手によって行われますが、この詰め込みだけは、桶に空気の残るような隙間をつくらずにやらなければならず、やや力を必要とします。それで我が家では、こういうときぐらいは「男の出番」ということで、詰め込みは長年わたしの役割となっています。

何十年もの間愛用している味噌桶には「味噌の素」がどんどん詰め込まれ、隙間ができないよう入念に圧して仕込みの最後の作業は終わりです。この味噌桶のふたが開き、ごちそうになれるのは、我が家ではおよそ1年半後となるでしょう。そういうサイクルで、複数の大きな味噌桶に味噌が蓄えられています。つまり、一昨年仕込んで今食べている桶1つ、それに昨年仕込んだまだ手をつけていない桶1つ、そしてきのう仕込んだ桶1つ、常に3本分の味噌は備蓄されているということになります。

我が家では、この味噌桶に加えて、野菜や山菜、きのこの味噌漬け用の桶もほかに備え、野と山の幸を年中いただいています。ほかに主食のお米もそんな具合で2年分近く貯蔵されています。

いつも記すように、村の農家ならたいがいはそんな備蓄具合でしょうから、自らの災害時も、ほかでおきた災害時の支援でも、その備蓄食料はほんとに役立ちます。東日本大震災時、備蓄のお米など我が家の小さな食料支援物資も被災地のみなさんに届けられました。

緑が少しずつ増えて、エノキタケも初顔

豪雪の村もいよいよ雪解けシーズン本番入りです。

成瀬川の支流となる小沢の多くも、それまで厚い雪でふさがれていた流れが目に入るほどに雪消が進み、唱歌「春の小川」を唄った我ら子どもの頃を思い出す季節の始まりです。豪雪の村ですから、まだ、雪のない地方の「春の小川」のような歌風景ではありませんが。

わが家のまわりは、どこを向いてもみんな大小の川、川、川。まわりはまだ1㍍ほどの積雪がありますが、伏流水が湧き出る水辺は雪解けの進みが早し。そこには天然のワサビの緑がまず見え始め、野草のなかでは新芽を出すのが早いウドザグ(ハナウドの仲間)が威勢のよい緑をみせています。

真冬によく摘み取って食卓にのぼった湧水に育つクレソン(オランダガラシ)も、その時とはちがい今は水面が見えないほどに葉っぱがびっしりと繁っています。春の陽を受けた茎葉が成長の勢いを増してきたからでしょう。

それらのそばには、この春最初のユギノシタキノゴ(エノキタケ)が目に入ります。もうとっくに雪の下で顔を出していたようで、雪解けとともに黄金色に輝く姿を見せています。

田子内地区の北部、陽当たりのよい里山南向き斜面はどんどん雪解けが進んでいるのがわかります。大日向山周辺、わたしがよく通うクマの越冬穴でも、そろそろ冬ごもりを終えたクマが活動し始めてもおかしくないほどに、里のブナ山は地肌が多くなっています。

しかし、わが集落の積雪はまだ1㍍ほど。成瀬川の本格的な雪解け濁流シーズンはもうちょっと先になるかなという本流の様子です。今朝も新雪が10㌢ほど積もりました。まだまだ肌寒さが続く4月です。